2004年12月22日
しだらの神
今日のメモ「しだらのかみ。平安時代、民衆の信仰を集めた疫病の流行を防ぐ神。志多羅神。設楽神」大辞林より
何気なく辞書を見ていて見つけた単語です。上に書いた以上のことはまったく知りません。そういえば設楽(したら)さんって人とクラスメートだったことがあるなぁなんてことを考えつつ、とりあえず検索してみました。
設楽町の由来について
愛知県に設楽という地名があるそうです。地名の由来ははっきりしないようですが、設楽神と関係があるのではないかという説もあるそうです。シタラという音は、拍子をとるときの擬音であると書いてありました。シタシタシタラ シタシタラ… なるほど、言われてみれば手拍子の音に聞こえるような気がしてきました。
辞書によれば「しだら歌」というのがあり、手拍子を打ちながら歌ったものだそうです。しかもそれは、しだら神を祀る神事で歌われたとあります。どうやら、しだらの神は手拍子と関係がありそうです。
そういえば、だらしないという言葉は「しだらがない」が変化したものだという説があるそうです。しだらは「事のいきさつ。事情」という意味だそうです。調子よく物事が進むことををトントン拍子などと言いますが、事情を意味するしだらと、手拍子のしだらには、何か関係があるのでしょうか(あるいは次第-しだい-が訛っただけかもしれませんが)。
なんてことを言いつつつぎのページを見ると…
知らない人のプロフィール
どうやらこの人は愛知県北設楽郡で音楽活動をしているミュージシャンのようです。和太鼓や舞をやるグループで、名前は「志多ら」
ここに「ふしだら」という言葉の語源が書いてありました。かつて水争いのおりに、太鼓をたたいて勝敗を決めていたそうです(しだらは太鼓などで拍子をとる時の音です)。村の代表として太鼓をたたけない人のことを「ふしだら」と呼んだのが始まりだとか。
この説は面白いですが疑問があります。「ふしだら」という言葉が意味するのは少数派というか、全体のごく一部のダメな人ですよね。村人の全員が太鼓比べに出場したとは思えませんし、
出られる人より出られない人のほうがはるかに多いんじゃないでしょうか。なんだかヘンです。あるいは、出る予定だった人が、不祥事を起こして出場できなくなった。なんて不しだらなヤツだ、という意味かもしれませんが、なんとなく苦しい説明ですね。
でも「しだらがない」や「ふしだら」と、拍子をとるときの「しだら」には、やはり関係があるのかもしれません。そんな気もしてきました。
泉獺の神々の辞典
こちらには「せつらくしん」という音読みで出ています。なんと、音読みされることもあるとは…
そういえばシダラまたはシタラという音がトントンという拍子音なのはいいとして、なぜ設楽という漢字をあてるのか不思議です。志多羅のような音に字をあてたものは納得できますが、設楽となると、遠くはありませんが、ズバリといえるほど音が近くはないですよね。
小藺神(こいさがみ)という別名があり、綾藺笠(あやいがさ)をかぶって踊る神であるとも書いてあります。なるほど、踊る神様なんですね。だから名前が拍子音だと。天慶八年(皇紀1605年)と長和元年(皇紀1672年)に「京都にやって来た」というのも気になります。どこからやってきたんでしょうか。
なお、綾藺笠は、藺草(いぐさ)で編んだ丸い笠のことだそうです。流鏑馬のときにかぶる笠のことじゃないかと思うんですけど、そうなんでしょうか?
歴史用語辞典
ここに「京都にやってきた」件についてちらりと書いてあります。どうやら西のほうのどこからか、御輿にのせられた設楽神が京都へ運ばれたことがあるようです。運ばれているうちに民衆がどんどんくっついてきて、デモ行進みたいになったらしいです。最終的にはご神託により石清水八幡宮ってところに運ばれました。
誰だか知らない人の雑感
民衆が集まってきてすごいことになっちゃったらしいというのを読んでやっとわかりました。ここに "設楽神が「民衆運動」「社会運動」に分類されている" とあって、最初にこのサイトを見ちゃったものだから、一体何事かと思っていたのです。社会的なストレスが設楽神の大移動という形で噴出しちゃったといったところでしょうか。あるいは政権転覆を狙った誰かが神をかたって人々を扇動したとか。
サイクルピクニック
自転車で旅をする人の旅の記録でしょうか。周防大島(山口)ってところに志駄岸八幡宮という神社があり、これがどうやら設楽神の旅の終着点である石清水八幡宮から勧請した神様らしいんです。ここの説明によると、設楽神は九州からやってきたということです。ふむふむ。また、志駄岸八幡宮の神様は "シダ" に巻かれて海を流れてきたという伝説があるそうで、シダラの神と関係がありそうな話ですね。
そんでもってここ↓
梁塵秘抄口伝集巻第十四
『梁塵秘抄口伝集』というのは平安末期の口伝を集めた本の原文と翻訳です。これは二度目の大移動の記録ですね。長和元年に設楽神が自ら鎮西(九州)から上ってきて船岡山ってところに到着したけど、そこにはもう疫神がいて、あらたに社殿を造るほどのこともないけどとにかくお祀りしたと。
その前の部分を読むと、疫病が流行したので疫神を祀ったとあるので、おそらく疫病を防ぐ神=疫病を起こす神なんだと思います。疫病そのものに名前をつけて神様として祀ることで鎮めようというわけです。
急性で、かかったらそう長くはないような病気が流行り始めると、人々はパニックをおこして踊ったり歌ったり、普段しないような大騒ぎをはじめてしまうのかも。そういえば西洋でも毒蜘蛛に噛まれた時に狂ったように踊れば毒が消えてなおるという俗信から「タランテラ」という舞曲が生まれたようですが、似たような発想なのかもしれません(踊ったら余計に毒がまわりますってば)。
今日はこのへんで。なお、神様を化け物カテゴリーに入れるな、というツッコミは不要です(笑)
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