2004年12月29日
浦島子
浦島太郎の伝説です。なんかの古典文学から抜き書きしたものなのですが、出典をメモし忘れて困ってます。とりあえず手元にあるメモを編集なしで貼ってみようと思います。
淳和天皇の御世、天長二年乙巳の事、丹後国余佐郡の住人で、水江浦島子が松船に乗って故郷に帰ってきた。しかし村はすでになく昔の影は今いずこ。山や川の姿さえ変わってしまい、昔人が住んでいた場所は淵になっていた。浦島子はあちこち走り回り親兄弟のことを訪ね歩いたが知る者はない。
ひとりの老婆をみかけ、浦島子が「あなたはいずれの郷の方ですか。私のことをご存じありませんか」とたずねると、老婆は「この郷の生まれで百七歳になりまする。しかし貴方様のことは存じ上げませぬ。ただ祖父が『昔、水江浦島子という者がいて、海に釣りに出かけたまま帰らず、何百年もたってしまった』と申しておりました」と言う。
これを聞いて浦島子は、仙女(乙姫)の許へ帰りたくなったがどうしていいかわからなかった。仙女を慕う気持ちはたえがたく、別れ際にもらった玉匣(たまくしげ、玉手箱)を明けてみると、匣より紫の雲たちのぼり、西を目指して飛び去った。この時浦島子は故郷を出てから三百年をへていたが、その容姿は少年のようだったという。
この話は『浦島子伝』によれば次のような話である。
雄略天皇の二十二年、水江浦島子はひとり釣船に乗り亀をひきあげた。波に船を任せて眠っているうちに、くだんの亀は美しい女人に変化する。玉の顔のつややかなることは南威(中国春秋時代の美女)も袂で顔を被って気を失うほどである。眉は蛾眉山の山の端にかかった初月(みかづき)のようで、えくぼは天漢(あまのがわ)に落ちて流れる星に似ていた。しなやかな体は雲のようにすらりとそびえ、いまにも散りそうに儚げでいてしっかと留まっている。軽やかな身のこなしは鶴のようで、今にも飛んでゆきそうでいて羽ばたくことはない。島子が「仙女よ、どうして亀になど変化してここへ来られたのですか。あなたの家はどこで、どなたの血筋にあらせられますか」とたずねると、仙女は「わたしは蓬莱山(とこよ)の女にございます。不死の金の庭、長生の玉の殿(うてな)がわたしの住まいで、父母もまたわたくしとともに住んでおります。わたしは前世であなた様と結ばれておりましたが、今生にては天仙として蓬莱の宮に生まれてしまいました。あなたは地仙として澄江(摂津国住吉)の地に生まれ、波の上にて遊んでおられます。今こうして昔の因縁にうごかされ天降り、人間界の縁にしたがうのでございまする。なにとぞ蓬莱の宮にて共に前世の志をまっとういたしましょう。どうか目をつぶっていてください」と答える。
島子が仙女のいうとおりにすると、仙女は島子の手をにぎっているほんのわずかの間に蓬莱山についた。島子を門の外に待たせておき、仙女が先に入り、父母にわけを話してから共に仙宮に入った。仙女の衣の香りは馥郁として、あたかも春風が百和合(もものあわせか)を吹きおくってくるようだ。腰につけた飾り玉が音をたてて楽の音を聞くようだった。島子は漁夫ながら今は俗世を離れ緩急よろしく事をいたし、仙人になり健やかな気持ちだった。朝には金丹や石髄を服用し、夕には玉酒などを飲む。九光の芝草は老いをとどめる手だてで、百節の菖蒲は寿命をのばす術である。
ある日、仙女は島子にむかい「顔色がお悪いようですね。この仙宮で楽しそうになさっていても、故郷のことが気がかりでいらっしゃるのはよく存じておりまする。ひとまず故郷に帰ってみてはいかがでしょう」と言うと、島子は「こうして共に暮らすことほどの幸いがほかにあろうか。しかし、わたしは地に生まれたものですから、今はあなたの言うとおり郷へ帰りましょう」と答える。そこで仙女は玉匣を与えた。五色の錦繍で包み、黄金と珠玉で飾り連ねた紐で結んであった。別れ際に仙女は「もしまたここへ帰りたいとお思いでしたら、その匣を開けてはなりませんよ」と島子を戒めた。島子もまた決して開けませんと言って暇を告げた。船に乗り目をつぶると、あっというまに故郷の澄江の浦に帰り着いた。
と、こんな具合です。全文を正確に書き写したんじゃなく、いくらは端折って書いたかもしれませんが、構成はそのままで「淳和天皇の御代に浦島子が帰ってきた」「浦島子伝によれば、島子はこれこれこういう人で…」と話が続いてます。
こんなんで原典がなんだったかわかったら尊敬してしまいます。どなたかご存じだったら教えてください。とほほな珍獣様よりお願いです。
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