2005年01月02日
浦島太郎
むかしむかし浦島は、たすけた亀につれられて…
ご存じ浦島太郎のお話です。
あらためてストーリーを紹介するまでもないほど有名なお話ですが、フルストーリーはこちらにありますので、よろしければごらんください。
ところで、浦島太郎っていつごろの人だと思いますか?
江戸時代?
とんでもない。太郎が故郷をはなれて竜宮へ行ったのは雄略天皇の時代だと伝えられていますから、今からざっと1500年以上前の人だってことになります。
もちろん太郎は伝説の人で、実在したかどうかはわかりません。ただのおとぎ話かもしれません。けれど、平安末期の本にはすでに浦島伝説が記録されていますから、そうとう古いお話です。
雄略天皇の二十二年(西暦478年)のこと、浦島子(うらのしまこ)という若い漁師が釣り船で沖へ出て一頭の亀を釣り上げました。するとその亀が美しい仙女に変わり、おどろく島子にこう言いました。
「わたしは蓬莱山に住む仙女でございます。あなた様とは前世より結ばれる定めでございましたのに、離ればなれに生まれてしまいました。今こそ前世の縁にしたがい、わたしとともに蓬莱山で末長く暮らしましょう。どうか目をつぶっていてくださいませ」
ほんの一瞬目を閉じている間に、島子はもう蓬莱山に来ていました。そこは何もかもが美しく、美しい音楽をきき、美味しいものを食べてすごしました。仙女は島子に、長生きをするための薬ですよといって、薬草やお酒をすすめました。
そうしてしばらく暮らしているうちに、島子は故郷のことを気にして沈みがちになりました。仙女はそんな島子にしばらくのあいだ陸に帰ってはどうですかと言いました。そして、もう一度ここに帰ってこられるようにと、玉匣(たまのくしげ)を手渡しました。匣というのは化粧道具を入れる箱のことです。仙女は「この匣を開けてはいけませんよ」と念をおし、浦島子を見送りました。
島子は、来る時とおなじように目をつぶっている間に陸にもどっていました。ところが陸には自分の住んでいた村はもうありません。島子があちこちたずね歩いていると、今年で百八歳になるという老婆が「そのむかし、浦島子という人が釣り船で海に出たまま帰らなかったと聞きますが、もう何百年も前のことですよ」と言うのでした。
陸には自分の家がないことを知った島子は蓬莱山に帰ろうとしましたが、どうすれば帰れるのかわかりません。こころぼそくなった島子は、開けてはいけないといわれた匣を開けてしまいます。すると、匣から紫の雲がたちのぼり、西の空へ消えてゆきました。
淳和天皇の御世、天長二年(西暦825年)の事です。島子が故郷を離れてから、ざっと三百年たっていましたが、島子はすこしも歳をとらず、青年の姿のままだったということです。
上のお話は、ある古典からの抜き書きなのですが、すみません、何から抜き書いたのか覚えていないのです(汗)このへんに手元にあるメモの全文をアップしておきますので、もし原典に心当たりのある方はコメントなど残しておいてくださると嬉しいです。
上の話の出典はわかりませんが、これと同じような話が平安時代の本にも載っているというのは本当で、当時は浦島太郎ではなく、浦島子(うらのしまこ)と呼ばれていました。
蓬莱山というのは、世界の中心にあるといわれている大きな山のことで、不老不死の仙人や神様の住む山だと言われています。現在知られているお話では、竜宮城という海の底にあるお城へ行くことになっていますが、蓬莱山もどこか遠い海の彼方にある山ですから、同じようなものだと思っていいでしょう。
結末がはっきりしませんが、西(おそらくは蓬莱山のある方角)へ飛んでいってしまったのは箱の中身だけで、島子は取り残されたのだと思います。お爺さんになってしまう結末と少しちがいますね。
浦島太郎といえば、室町時代から江戸時代にかけて作られた『御伽草子』にも収録されていることで有名です。こちらでは玉手箱を開けた太郎が鶴になり蓬莱山へ帰ったとされています。
御伽草子版の浦島太郎はこちら
ちなみに、わたくし、かなりだいたいの人なもので、正確な訳にはなってないと思います。だいたいこんな話だよってことですので、学校の勉強などで必要な方は、図書館で原文を探して読んでみてくださいね。
2005年01月01日
十二支のはじまり
歳を守る十二匹の生き物はどうして決まったの?
そんな疑問に答える昔話です。
去年一年間やっていたメルマガ今昔かたりぐさ・一日一話ですが、2005年はふりだしにもどってお届けすることにしました。でも、去年とそっくり同じじゃ面白くはないでしょうから同時進行でブログもやってみることにしますね。
毎日書けるかどうかわからないけど、その日紹介したお話にまつわることを書きます。みなさんも、もし類話などで面白い話をご存じでしたらコメントを残していってくださると嬉しいです。
さて、今日のお話は「十二支の始まり」です。
あらすじはメルマガで紹介したとおりです。神様のお呼びに駆けつけてきた動物たち。はやいもの勝ちで十二支に加えられました。ネズミにだまされて遅れてきた猫は十二支になれず、それからはネズミを目の敵にするようになりました。
同じような話がモンゴルにもあります。モンゴルではネズミにだまされたのはラクダだと言われてます。
日本の「十二支のはじまり」フルストーリーはこちら
モンゴルの「十二支のはじまり」はこちら
ところで、今年は酉年ですね。
漢和辞典を見ると、酉という字はお酒のつぼをかたどった文字だとあり、鶏(にわとり)とは関係ありません。酉年に鶏があてられた理由はよくわからないんだそうです。ほかの動物についても同じです。申という字は猿とは関係ありませんし、戌という字も犬とは関係なさそうです。
十二支という考え方が先にあって、西の国の文化だった黄道十二宮(十二星座)に影響されて動物があてられたのではないかと考えられています。
その証拠といってはなんですが、十二支にあてられた動物は世界共通ではありません。タイでは猪のかわりに象が加わることがありますし、モンゴルやベトナムでは兎のかわりに猫を加えることがあります。