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 最近になってオウム真理教関係の脱会信者が書いた本を立て続けに読んだ。きっかけは麻原彰晃の四女が手記を出してるのに気づいたからなんだけれど。

 読んだ本のリストは「続きを読む」から。今は品切れ状態の本も多くて全部図書館で借りました。
続き
【送料無料】私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか
 2010年04月刊。麻原彰晃こと松本智津夫の四女の手記。聡香はペンネーム。四女はサリン事件の頃六歳くらいか? 彼女は教団から離れてアルバイトをして暮らしている。教団があのような事件を起こしたのに、被害者のもとへ行くべきお金で暮らしていることにたえられなくなって教団を出てしまったらしい。子供の頃どんなところで暮らしていたのか、父親や母親はどんな感じだったのか、サティアンで見かけた信者たちの思い出、事件後に麻原の子供たちがどんな風に暮らしてきたのかなどをしっかりした文章で語る。また、裁判中の信者や、父親との接見時の様子なども収録されている。オウムウオッチャーの江川紹子さんを後見人に指定したのもこの子で、その後家出同然に姿を消してしまった理由なども書かれている。
 四女はオウム(今のアーレフ)に対してかなり批判的だ。父親に対しても「あれは詐病だと思う」と言っている。某掲示板あたりに「四女はまともなんだな」と書かれているのを見たけれど、これは本当にまともなのかなと思う。
 四女はまともになろうとして必死であることは確かだけれど、なにか痛々しい。事件当時は幼かったこともあり、教団に対する知識のほとんどは本で読んだり人から聞いたものだと思う。与えられた情報の中で、自分の立ち位置を見失うまいと、必死になってもがいているように見える。とても痛々しいと感じた。
 じゃあ、教団に残って開祖の子供をやってればいいなんてことはわたしも思わない。ただ、教団を批判する側にまわったことをもって「まとも」と言ってしまうことに違和感がある。この違和感をうまく説明できない。


オウムと私
 1998年09月刊。教団で病院をやっていた医師で、地下鉄サリン事件の実行犯になった林郁夫の手記。とても分厚い本で、教団内で著者がどんな立場だったのか、細かく(だらだらと)書かれている。著者はともて優しい人なんだと思う。その反面でとても視野が狭く感じる。心が固まっていて動かなくなってるのも感じる。オウムの教えや教団の仕組みで、その傾向が強まっている(いわゆるマインドコントロール下にあった)のはその通りなんだろうけど、そうなりやすい傾向を感じるな、なんとなく。
 著者は獄中で被害者の名前を念仏におりこんで称えているそうなんだけど、自分が被害者だったら、あるいは被害者の遺族だったら、それ唱えてほしいかなって考えてしまう。なんというか、あなたが追い求めたのは理想ですか、自己満足ですかと…むにゃむにゃ。


【送料無料】私にとってオウムとは何だったのか
 坂本弁護士一家殺害事件などの実行犯、早川紀代秀の手記。オウムを動かしてた幹部はわりと若い人が多かったけれど、この人は事件当時もいいオッサンだった。手記を読んでいてもかなり現実的なものの考え方を持ってると思う。にもかかわらず殺人にまで手を染めてしまう理由は、この本を読んでもやっぱりよくわからない。


【送料無料】さよなら、サイレント・ネイビー
 2006年11月刊。地下鉄サリン事件実行犯である豊田亨の旧友である作者が書いたノンフィクション小説。なぜ彼がオウムに走ったのか著者なりのやり方で追い求める。オウムと第二次大戦中の日本を重ね合わせて、実行犯を処分して終わったつもりになってはいけないと訴える。


麻原おっさん地獄
 1996年刊。田村智は麻原彰晃のボディーガードで、麻原がドライブする時に別の車にのってついてまわったという。オウムがホームレスを映画のエキストラにするといって山奥の合宿施設に連れて行った時、世話をしたのも彼である。
 教団に強制捜査が入った時、彼は無免許で無線を使ったという些細な罪で逮捕された。その後、取り調べで真実を語り始め、公判でも麻原を死刑にと言い放つが、マインドコントロールからは抜けきっておらず、釈放後は慈照院の受け入れ施設で住職の小松賢壽氏と問答を続け、小松氏をグルと認めることでオウムのマインドコントロールから抜ける。
 三章仕立てになっており、一章、二章で田村氏がオウムでの生活を語り、三章で小松氏が宗教問答を通じて田村君をマインドコントロールから救う様子が描かれている。


【送料無料】オウムからの帰還
 96年刊。オウムが阪神大震災を星占いで予言するという出来事が実際にあったのですが、その占星術ソフトを作ったのがこの本の著者だそうである。出家から強制捜査まで期間が短かったせいか、オウムについて一般の人が思うような疑問を出家生活中にも抱いている。一般人の目からすると一番理解しやすいオウム信者の手記かもしれない。文章も上手で読みやすい。


わが愛娘・とも子不明にして不徳なり
 1996年刊。なぜか楽天ブックスにないのでリンクなしで。ダンサーとして有名だった鹿島とも子の養父による手記。鹿島とも子自身は米兵が日本人に産ませた子供だそうだ。米兵には本国に妻子があり、帰国命令が出た時とも子を連れていかなかった。母親はとも子を連れたままでは生活できず、米軍で通訳として働いていた著者に子供をあずけて別の男と結婚する。ふたりがアメリカに渡る前にとも子は正式に著者の養女として籍を入れる。前半は養女の鹿島とも子について書かれているが後半は父親自身の半生をつづっている。この父親の半生が本題とあまり関係ないのに面白い。いや、関係ないかっていうと、たぶんものすごくあるんだと思う。オウムにはまるひと、はまらない人の境目が、この人の力強い半生を見ているとなんとなく見えてくる。鹿島とも子はよく見るオウム信者に比べたらずいぶんオバサンだけれど、あきらかにはまる人側なんだよね…


【送料無料】A
【送料無料】A2
【送料無料】A3
 森達也というドキュメンタリーフィルムを撮る人の手記。AとA2はオウムの信者を追うドキュメンタリーのタイトル。その撮影日記のようなもの。A2とA3がドキュメンタリーの撮影日記であるのに対して、A3はあきらかに壊れかけている麻原彰晃に精神鑑定もせず判決を下そうとしている司法や、それに対してなんの疑問も抱かない世論、それらが抱えている矛盾に迫る。この人のスタンスは、もっとも自分に近いと思う。超能力者をとりあげた「職業欄はエスパー」でも同じように感じた。


私が愛した「走る爆弾娘」菊地直子へのラブレター
 オウムの元信者で、出家前の菊池直子と共同生活をしてたことがある人の著書。菊池直子は逃亡中の指名手配犯。


【送料無料】黄泉の犬
 麻原彰晃が水俣病患者だった可能性があること。それを麻原の兄が認めたこと、患者認定を受けようとして認定されなかったことなど、それまで誰も思わなかった衝撃の事実を含む長いエッセイ。週刊プレイボーイの連載を単行本化したもの。
 どうも最初はオウム事件を掘り下げようとしてたみたいだけど、確信に迫る情報を麻原のお兄さんに自分の目の黒いうちは公表しないでくれと言われ、仕方なく方針転換したみたい。途中から筆者が若い頃に経験したインド旅行の話になってる。問題の箇所は雑誌ではボツにして連載に穴をあけたとか。お兄さんが亡くなってしばらくたってからの単行本化。


【送料無料】オウムはなぜ暴走したか。
 98年刊。著者の早川武禮(はやかわたけのり)はオウムの広報局長だったことがある。もともとライターで出家してからも出版物の編集などをしていた。現在は脱会している。
 外の脱会信者の手記は、どれも起きた出来事を書き記すだけだし、オウムの修行がどんなものだったかは表面上のことしか説明していなかった。この人の手記にはそれがもっと掘り下げて説明されている。非常に貴重な手記だと思う。著者はオウムでの修行そのものには価値を見いだしていて、麻原彰晃がグルとして有能な点もあったことなども書いている。その上で教団がなぜ落ちていったのか著者なりに分析を加えている。

 わたしは、地下鉄サリン事件が報道された時「実行犯たちはなぜこれを試しと考えられなかったんだろう」と思った。教祖の命令であっても仏の道にはずれたことならば拒否すべきだろうし、正しい判断で拒否できるかどうか教祖(あるいは神々)によって試されているのだと考えるべきではないのかと。金剛乗の教えは知ってる。このままでは罪を犯して地獄へ行ってしまう人がいるとしたら、そうなる前に殺してでも止めてやると。しかしそれは、来世までも見通す本物の超能力があるという前提の話だし、仮に麻原彰晃にそういった能力があるとしても、実行犯として選ばれた人たちにはないんだから、自分にはその能力がないと言って辞退するのが教義に照らしても筋なんじゃないかと。
 その疑問が、この人の手記を読んで少しだけ解消した気がする。教団では、それを実行すれば確実に失敗するようなことを、なぜかわざわざやらされたりするそうで、それも自分に課せられた試練として最善を尽くすことが修行になるらしいのです。マハームドラーというそうです。
 その教えで行けば、教祖に万引きをしてこいと言われれば、それが罪だとわかっていてもする。逮捕されちゃうかもしれないけれど、全部ひっくるめて苦行として受け入れる。決して善悪の判断がつかなくなっているのではなくて、悪いことをわざとして自分を窮地に落とすのが修行になる。インドに、人が嫌悪するようなことをわざとして、嘲笑を浴びることを苦行としているヒンズー教の一派があるそうですが、それに近いノリでしょうか。
 グルの指示で潜水艦を造ろうとして、どう見てもおもちゃのようなものを作ってやっぱり失敗する、やる前からわかっているような茶番をわざわざやるのは、この本の著者が言うにはマハームドラーの修行なのだということです。
 その発想をふまえると、グルが人を殺して来いと言うなら、それが教義にも法律にも反しており、そのせいで教団が不利になるとしてもやるのが修行ということになる。教祖が馬鹿だととんでもないことになる教えです。
 サリン事件が「教祖が実行犯に課したマハームドラー」だとしたら、世間が言うように「人殺しを容認する教義があり、独善的にテロ活動を行ってしまった」というのとは意味が違ってくるような気がします。
 マハームドラー(試練)をどこに課すかの違いです。前者ならば教祖が弟子と教団そのものに課しているわけだし、後者ならば教団は高見にいて一般の人たちに試練を下してるわけです。
 後者だと教義そのものが破綻してるように感じるのですが、前者だと考えれば、わたしが感じた「教義に照らしても間違っていることを指示されたら、拒否できるかどうかを試されていると考えるべきなのに、なぜ拒否しなかったのか」という疑問は解消するように思いました。
 ただ、信者の中には「これは、尊師が日本人に与えたマハームドラーだ!」と言い放った人がいるらしいので(雑誌の記事なので本当かどうかはわかりませんが)、やっぱり良くわかりませんね。


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 実はわたし、サリン事件の数年前に、青山にあったオウムの道場に行ったことがあります。きっかけがなんだったのか正確には思い出せないのですが、信者のAさんに誘われたんだと思います。Aさんはホーリーネームではなく、本名を名乗っていましたが、わたしは人の名前を覚えるのが苦手なのでもう思い出せません。

 当時わたしが住んでいたところは、たとえて言うなら高島平のようなでっかい団地でした(ただし高島平ではない)。新聞受けには、さまざまな宗教のチラシが放り込まれており、その手の情報はよりどりみどりです。一番多いのはエホバの証人で、次が崇教真光。あとは霊波の光なんかもよく入っていて、オウムのチラシはむしろ少ない方でした。

 Aさんと出会ったのはその頃、だったと思うのですけど、なぜかここいらへんの記憶はスコンと抜け落ちててよく覚えていません。飛び込みで家に来たのか、駅前で話しかけられたのか、どちらにせよ布教に来る人は拒まない方なので、自然に会話が弾んだのでしょうね。一度は自宅に上がってもらってヨガの話なんかをしたような気がします。体にはエネルギーの通り道があって、スシュムナー管というんだよ、なんてことを教えてもらいました。

 そういえばヨガやインド神話の話のほかにフリーメーソンの陰謀がどうのこうのという話題がちらほら出てくるので、口には出しませんでしたが「それムーの読み過ぎでしょう」と思いました。インド関係の知識はかなり真っ当で本格的な印象でしたが、それ以外の部分は情報源がオカルト雑誌だったような気がします。

 教団ご自慢のコンピューター星占いとかもしてもらいました。A4の用紙に数枚の鑑定結果をプリントアウトして持ってきてくれました。細かく書かれてはいますが、基本は普通の星占いだなという感じでした。わたしがふたご座なので情報関係に強いはずだとおっしゃって、プログラムは勉強しておくといいですよ、なんてことも教えてくれました。

 ある日、Aさんと申し合わせて、青山にある道場に行くことになったわけです。そこはサリン事件後によくテレビに映ってた場所です。祭壇があって、空っぽの金魚鉢みたいなものが置いてありました。透明なガラスで出来ていて布で蓋をしてあったと思います。ああ、何かのエネルギーが注入されてるんだなと、それ自体に疑問はなかったのですが、祭壇自体がやけにしょぼくて、全体としては酷くアンバランスに見えました。部屋自体は綺麗に掃除してあったと思います。

 祭壇がしょぼいと言うより、祭壇や金魚鉢のようなものにかけられていた布が酷かった。たしかハサミで切っただけで端始末もしていないんです。ほつれた糸が出てる。大事なものにしては扱いが酷いな、と思いました。布は端を三つ折りにしてかがるか、ピンキングばさみでギザギザに切っておかないと端からほつれてしまいます。そんな基本的なこともできる人がいないのかなぁと内心で首をひねりました。

 祭壇のある場所を通って、座卓のある小部屋のようなところでAさんと、もうひとり別の信者でBさんという人と話しました。Bさんはホーリーネームを名乗っていたような気がしますが、これまたきれいさっぱり忘れて思い出せません。

 Aさんは私服でしたが、Bさんはクルタと呼ばれる教団の制服を着てました。色は…記憶があいまいですが白だったと思います。Aさんはたぶん蓮華座を組んで座っていたと思います。Bさんは座卓の向こう側にいたのでよく覚えていません。わたしは正座をして話を聞きました。話はBさんが中心になって進み、Aさんはたまに口を挟むくらいです。

 Bさんは話しながらわたしを観察していたようで「あなたのしてきたことが見えない」としきりに首を捻っていました。オウムでは修業で超能力がつくことになっていますが、Bさんがしていたのは単なる人間観察だと思います。わたしはその手の観察では読まれにくいタイプなのです。OLにも見えないし、かといって専業主婦のようにも見えないし、バリバリに働いている自由業者のようにも見えません。自分だって自分が何なのかわからないんですから「見えない」と言ったBさんは正直だと思います。

 Bさんはさらに頑張って「物語を沢山読んだのかなあ」などと言いました。おおまかには当たっています。当時やたらと神話を読んでいました。しかし、物語では小説も含みます。テレビドラマや映画だって大ざっぱに言えば物語に触れてるわけですから、これではわたしの何かを当てたとは言えないでしょう。

 しかし、この日はBさんの超能力を試しに来たわけではないので、わたしはにこにこ笑いながら「はい、神話を沢山読んでいます。古事記や日本書紀は原文で(正確に言うと原文の書き下しで)読んだんですよ」などと受け流しました。

 それから、人は太古の昔、もっと長生きしたはずで、魂が汚れてきたので寿命が短くなったなんて話をしたような気がします。その手の話に慣れている(えっ)わたしは「聖書にもそう書いてありますね。ほつまつたえでもそうですね」などと相づちをうちながら聞きました。話自体は面白かったです。

 そのうち、だんだんオウム自体の話になりました。「オウムに興味を持つ人はよく尊師の夢を見たりするんだよ。あなたは麻原尊師を初めて見た時、どんな風に思いましたか?」と言われて、わたしはにっこり笑って「だるまさん!」と答えました。もちろん体形が達磨に似てるからですが、この時はサリン事件の前ですから、特に悪いイメージで言ったわけではありません。

 Bさんは一瞬「えっ」と口ごもり、次の瞬間立ち直って「達磨大師も立派な修行者ですからね…」と、わたしに言うというより自分を納得させるように言ってたのをとても良く覚えています。わたしはにこにこしながらうなづき、Bさんの解釈を否定しませんでした。

 それからBさんは「尊師は太ってるみたいに見えるけど、本当はみなさんのカルマを吸収してむくんでいるんだよ」と、後日テレビ等でさんざん聞かされる話をしてくれました。わたしも「それが本当なら心配ですね」と神妙な顔をして相づちをうちましたが、神にも等しい最終解脱者が他人のカルマで死にそうになるんて、想像より大したことないんだなあと思ったものです。

 そんな話をけっこう長いこと続けたと思います。神話のこととか、ヨガのこととか。いちいち面白かったです。やがて、オウムに入ってみないか、というきわめて具体的な話題に切り替わるのですが、わたしは「うーん、そうですねえ。しかし…」などと曖昧に答えました。それまで話が弾んでいたのに、急に歯切れのわるくなるわたしに対して、Bさんは「おやおや、どうしちゃったのかな?」と芝居がかった調子で驚いていました。

 当時のオウムは坂本弁護士事件などの疑惑はありましたが、それはあくまで疑惑ですし、AさんもBさんも真面目なヨガ修行者に見えます。話は面白いので中を覗いてみたいなぁという気持ちは少しはありましたよ。ただ、会費(お布施)を要求されても払えないだろうなぁと思ったので、あまり深入りしないほうが「相手に迷惑がかからない」と思ったのです。この時もし興味の対象に体ひとつで飛び込めるくらい世間知らずだったら、今ごろわたしも脱会信者の手記とかを書いてたかもしれないです。

 結局この日、わたしは最後まではぐらかし続けましたし、AさんもBさんもわたしに入信を無理強いしませんでした。また、この会談自体にお布施など要求されませんでしたし、教団の著書を売りつけられたりもしていません。むしろ何冊かただでもらいました…汗。「私が愛した…」の岩田氏によればオウムの著書は置いてくれる書店が少なく、置いてもらってもほとんど売れなかったということなので、死蔵在庫をくれたんだと思います。

 その後も特に、信者が自宅に押し寄せてくるようなこともなくて、新聞受けにチラシが入っていたり、読んでくださいねというメモと一緒に教団の著書が入ってたりしたことはありますが、それだけですね。わたしがお金を持っていないので、強く誘ってもしょうがないと思われていたのでしょう。

 そういえば、一度だけCさんという人に玄関口で会いました。例によって名前は覚えていません。オウムがロシアから連れてきた交響楽団が、千葉だかどこだかでコンサートを開くので、ぜひ来てくださいと言われました。かなり興味がありました。宗教的にどうのというよりロシアから買ってきた交響楽団っていうのがどんななのか見たかったのです。しかし残念なことに日付を聞いたらちょうど都合があって行けませんでした。この時はわたしなんかを誘いに来るなんて熱心だなぁと思ったのですけど、今考えると観客席が埋まらなくて困ってたのかもしれないです。

 当時、オウムは草の根BBS(インターネットの前身でパソコン通信というやつです)をやっていました。わたしもIDをもらって何度か書き込みをしたような気がします。信者の古い書き込みがいくつかありましたが、基本完全に寂れていました。

 草の根BBSは、趣味で自宅に開設してる人がけっこういました。それで、そのためのソフトも何種類もあったのです。オウムが使っていたのはハイパーノーツいとって、アスキーネットで使われてたやつです。使い方を覚えると便利なのに、仕組みが難しいので初心者にはとっつきにくいマニアックな代物です。こんなの使ってるなんてオタクな信者がいたものだなあとあきれつつ感心したものです。

 あまり書き込みがないので常に覗いてたわけじゃないんですけど、地下鉄サリン事件の後にびっくりして見に行ったら、同じように驚いて来た人がいろいろ書くもんだから、閉鎖されたり、また復活したり、変な具合になってました。強い抗議や質問が書き込まれても完全に無視されてましたね。

 わたしも何か書いたような気がしますが、直接の返信はありませんでした。ただ、信者のある人が「だから○○さん(わたし)との対話は有意義だ」と言ってくれたのを覚えてます。しかし、書いた本人はどんな有意義なことを書いたか今となってはさっぱり思い出せません。

 事件後は、あちこちの道場が閉鎖され、ネットのサーバ機があるところも追い出されちゃったんじゃないでしょうか。やがてアクセスしようとしてもつながらなくなり、それっきりです。わたしは当時、インターネットにつながる機械を持っていなかったのでわかりませんが、もしかすると活動がインターネットに移行していたのかもしれません。

 わたしが話したことのあるような人たちは良くも悪くも下っ端さんだと思うので犯罪とは無関係でしょう。今ごろどうしているのかなあと、時々思い出します。

[追記]
 ひとつ思い出したことを書きます。わたしは常にのどの調子が悪く、ゲゲッと痰を切ったりせき込んだりします。青山道場での会談中もそんな調子だったのですが。途中から急に調子がよくなり、代わりにBさんがゲホッとせき込みはじめました。あたかもわたしのカルマがBさんに移ったかのようにです。

 これについてはいろんな解釈ができます。

1. わたしが呼吸器に問題を持ってることはせき込む様子でわかります。偶然調子がよくなり、咳をやめたので、Bさんが故意に咳き込み、自分がカルマを背負ったように装ったのかもしれません。

2. わたしの咳がとまったのも、Bさんが咳き込み始めたのも、単に偶然。特にBさんは熱弁をふるっていましたから、のどが疲労して咳き込んだのかも。

3.Bさんには何らかの超能力があって、わたしの症状を一時的に肩代わりしてくれた。

 まあ、ふつう1か2でしょう。3をホイホイ信じるようではいろんな意味であやうい。このときはすべての可能性を念頭におきつつ「3ならすごいな、ヨガを本気でやると超能力がつくかしら」くらいのことは少し考えました。あくまでヨガであってオウムの修業とは同義ではないです。オウムの本を何冊か読んでも、別に特殊なことは書いてなくて、オウムと関係のないヨガの本に書いてあることと大差ありません(少なくともわたしがもらった本はそうでした)。

 むしろ事件を起こしてマスコミが執拗に取り上げるようになってから「もしやほんとうに超能力だったのでは」と思いました。だって、幹部の人たちは虐待にしか見えないような厳しい修業に自ら耐えてるわけじゃないですか。実践する側がそこまで必死だったらグルがイワシの頭だって超能力のひとつやふたつ身に付くんじゃないかと思ったんです。

 ちなみに「カルマが移ったようだ」と感じたのはあくまでわたしであって、この件に関してBさんは何も言わなかったし、同席したAさんも何も言っていませんでした。Bさんに至っては自分が咳き込んでることにやや戸惑いながら「失礼」と謝ってたと思います。

 なお、のどの調子がよくなったのは一瞬でした。翌日には元通りで、今も酷いです。

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