お釈迦様は旅の途中で病に倒れて亡くなるのですが、その時の姿をあらわしているのが涅槃像で、その像をおさめるお堂が涅槃堂です。
涅槃像は東南アジアやスリランカなどではよく作られるそうですが、日本にはそれほど沢山はないそうです。その中でも、河津町の涅槃像は、お釈迦様のまわりで悲しんでいるお弟子たちの姿まで表現している点でとても珍しいということでした。
というわけで、写真を貼ろうと思うんですが、さすがに撮影していいものかどうか迷ったので、涅槃像そのものの写真はありません。期待しないで「続きを読む」をクリックしてください(笑)
▲涅槃堂は静岡県河津町の沢田地区というところにあります。大通りにはしっかり看板があるのですが、河津桜を見ながら土手から来ると案内が不親切で(あちこちに看板はあるが、途中にある橋のあたりで途切れてしまう)迷いました。ちなみに道に見えてる車の列は桜を見に来た人たちの渋滞です。
▲案内に従って曲がるとこんな感じ。奥に見えるのが涅槃堂。
▲これが涅槃堂です。江戸時代初期に作られた建物で、もともとはお坊さんが休憩する場所として作られたらしいです。
この建物は2月15日の涅槃会(お釈迦様の命日)の頃から、河津桜まつりの時期だけ中に入ることができます。それ以外の季節は、お堂の外から窓越しに中を覗くことはできるそうです。
ちょうど桜の時期で観光客は沢山いるのですが、あんがい涅槃堂を見に来る人は少ないようです。それでも4〜5組の観光客が来てました。
ところが、入り口まで来て帰っちゃう人とかいるんですよ。中に入るのに拝観料を200円とられると聞いて「ここから見るからいい」とか言って(笑)そりゃまあ、入り口で覗いたら見えるわけだし、わざわざ拝観料取るのか、とは思いますけど、お賽銭だと思ったら納得できる金額のような気がします。
で、中に入るとですね、
▲この看板みたいな感じでお釈迦様が横たわっていて、その後ろに阿弥陀様と二体の脇侍が立ってます。それを取り囲むように両脇に仏弟子の像が二十数体ありました。
▲図にするとこんな感じ。
お釈迦様と阿弥陀三尊の像は金色に塗られていて、作り込みもしっかりしてます。ここまではわりとフツー。
すごいのはまわりにいる仏弟子の像です。作りがやけに素朴というか、子供が作ったんじゃないかしらと思うような素人っぽい像ばかりで、それを顔料で鮮やかな色に塗ってあります。これは近くで見たほうがいいかもしれませんね。一歩間違うとパラダイスに足をつっこみそうな感じです(あ、そもそも極楽寸前ですよね、涅槃像だから)。
わたしは写しませんでしたが、ネットを検索すると撮影してる人もいるから興味のある人は検索してみるといいかもしれません。パンフレットをもらったような気もしますが、どこかへしまっちゃいました(出てきたらスキャンして追加しようかと思います)。
呆然と見入っていると入り口で拝観料をとってたおじさんがやってきて、傍らにあるオーディオ機器のスイッチを入れました。仏像についての説明が流れるのですが、プロのアナウンサーかウグイス嬢みたいな人がしゃべっているちゃんとした作りの音声で、素朴すぎる仏像とのギャップにクラッときて、急に200円が惜しくなったりならなかったり(笑)
でも、受け付けの人とかすっごく親切で、ゆっくり見てってくださいって言ってくれたし、変なところじゃないんです。真面目なお寺ですよ!平成5年にはお堂と仏像群が河津町から有形文化財に指定されました。
▲由来書きです。クリックで少し大きな画像が開きます。仏像自体は江戸中期のものだそうです。
▲これは涅槃堂の前にある無数の石仏とお坊さんのお墓。石仏はお地蔵さんと青面金剛ばかりなので庚申塚ですね。
▲これは石のお地蔵さんです。あとからすげたとおぼしき頭は意外と繊細で手慣れた人が作ったように見えます。体の不器用なタッチは涅槃像のまわりにいた仏弟子の像に通じるものがあるような気も。
涅槃堂のパンフレットより
涅槃堂でもらったパンフが出てきたので一部をキャプチャして掲載します。無料で頒布することを目的としたものなので掲載してもよいかと思っているのですが、ダメだったらごめんなさい。関係者からの削除依頼があればもちろん従います。
写真B 写真A 写真C
▲Aパート:真ん中の部分です。
横たわっているのがお釈迦様で、真ん中に立っているのが阿弥陀如来、向かって左が観音菩薩、右が勢至菩薩かな、と思います。
左端で顔を覆ってる僧侶は阿難(アーナンダ)でしょうか。お釈迦様の旅に最後まで付き従って、ついに入滅という時には悲しみのあまり卒倒したと言われています。
右端のヒゲの僧侶はちょっとわかりません。たぶん特定の誰かとして作られてるとは思うんですけど。
▲写真B:横たわるお釈迦様の左側の部分です。
▲写真C:右側部分。
画像が粗くてわかりにくいかもしれませんが、お釈迦様と阿弥陀三尊が作り込まれているのに対して、両脇に集まっているお弟子さんたちの素朴さが激しくB級感を醸し出しています。
ただ、素人くさい作りがかえって仏の世界と現世の境目をくっきり描き出しているような気もします。釈迦と阿弥陀三尊が金色に塗られているのに、現世に残っているお弟子さんたちが鮮やかに着色されてるのも意図的にやってるとしたらすごいですね。
頭を丸めたお坊さんは輪っか(後光)を背負っていて、そうでない在家信者っぽい人たちには後光がないところなんかも芸が細かいです。
素人っぽい作りながらじわじわと魅力が伝わってくる、すばらしい涅槃像だと思います。