大田区大森の三匹の獅子舞を見てきました。こちらでは止雨を祈願して舞うので水止舞(みずどめのまい)というそうです。
場所は大田区大森東3-7-27 にある厳正寺です。京急大森町駅から徒歩5分くらい。JR大森駅からだと徒歩30分、東口から森ヶ崎行きバスに乗って大森警察で下車徒歩5分。
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▲もうすぐ獅子・花笠・龍神が来るのでみんなで待っています。
▲沿道で水を用意している人たち。龍神がきたらばっしゃーんと水をかけます。
▲これが龍神。藁で作った龍の体をぐるぐる巻にして、中の人は法螺貝を吹いています。このまま転がってくるわけじゃなくて、まわりにいる若衆がよいしょって持ち上げて移動させてました。長雨を降らせる悪い龍という設定らしいです。
▲ここが会場の厳正寺(ごんしょうじ)です。大田区大森東3-7-27
▲獅子舞の舞台です。こんな高いところで獅子舞をやるのは初めてみました。たいてい、地べたか、地べたに板やむしろを張っただけの舞台が多いです。笛吹きさんたちは舞台の奥、お寺の本堂の前に座ります。
▲舞台のはしっこに置いてありました。龍の頭でしょうか。こういうものが二個ありました。
▲寺紋は三つ鱗です。北条氏にゆかりがあるのだと、読者の一円さんがコメント欄で教えてくれました。
▲舞台まで龍神が運ばれてきました。
▲藁のぐるぐる巻(龍の体だってば)から中の人(中に人などいない!!)を引っ張り出します。
▲とぐろをまいている龍体をほどいて……
▲龍の体を舞台のまわりにめぐらせます。土俵みたいですね。
▲ほどいた龍体に頭をのっけます。この、ぐるぐる巻きの龍神様をはこんでくる行事を「道行き(みちゆき)」と言うそうです。
あくまでわたしの考えですが、もとは埼玉方面でやってる「辻切り(蛇ねじり)」のような行事だったのではないでしょうか。
◎足立区西保木間の大乗院:じんがんなわ
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=426
◎八潮市鶴ヶ曽根の上久伊豆神社と下久伊豆神社:辻切り
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=678
◎三郷市彦倉子神社:呼び名はわからない
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=672
上記が辻切りの例です。藁などで作った蛇体を村の境界などにかかげて魔をよける行事です。
まあそれはともかく、続きいきます。
▲龍神を始末(?)したあとに、花笠と三匹の獅子がやってきます。大森の花笠は二人しかいませんでした。わたしが見に行ったところはたいてい四人です。獅子の中の人は男性ですが、花笠の中の人は子供ではなく、少なくとも高校生以上の女性でした。
実は「道行き」の途中で水しぶきを浴びてしまい、この辺でカメラが言うことをきかなくなりました。勝手にズームしたり、シャッターがおりなくなったりしてメチャクチャです。
▲これは中獅子でしょうか、あるいは大獅子でしょうか。勝手にズームしてこんな写真しか撮れませんでした。龍神のたたりかもしれません。くわばらくわばら。
▲これは携帯電話で写しました。埼玉方面で見る三匹の獅子舞と同じで、獅子がそれぞれ太鼓を持ち、叩きながら舞います。お囃子は笛とささら(っていうの?)。ささらはギロのようなでこぼこのある棒を、茶筅みたいに裂いた竹で擦って音を出す楽器です。
笛は本堂前に座っている年輩の男性が複数名で吹いて、ささらは花笠の女性が手にもって鳴らしていました。よその獅子舞では花笠が立ちっぱなし座りっぱなしで退屈そうですが、大森の花笠はお囃子の一部なので気を抜けません。
ここの獅子舞は、お囃子に時折歌も入ります。歌詞はよく聴き取れませんでした。
舞は途中で舞い手の交代が一度あるほかは休み無く1時間ちょっと続いたと思います。
前半は特に物語性のなさそうな舞でした。後半はよその地方では「花掛かり」「花隠し」と呼ばれている舞をやっていました。大獅子が雌獅子をひとりじめしようと隠してしまい、中獅子が必死で探し出し思いを遂げようとしますが、大獅子が邪魔をします。大獅子の怒りの舞、中獅子の苦悶の舞が目を引いて楽しい出し物です。
中獅子が雌獅子を探しながら太鼓のばちで地面をなでる仕草は、八潮市上二丁目の獅子舞にもあります。そういえば、上二丁目の獅子舞にも歌が入りますし、お囃子にささらが入ります。共通点がかなりあるような気がします。だから何っていわれても困りますが。
まあそれはともかく、獅子舞おもしろうございました。お寺の縁起によれば、この舞は雨を止めるために行ったものだそうです。そのせいか、今でもお祭りになると雨が止むと言われています。そういえば祭の当日朝まで天気が悪かったのに、祭が始まった頃には青空がでていました。なんという御利益!!
えー、会場でいただいた紙に伝説が書いてあります。なになに……後醍醐天皇の御代に、高野山で真言密教を学んだ高僧、第二世法蜜上人が雨乞いの儀式をおこなったそうです。
この人は、元亨元年(1321年)武蔵の国が大干ばつにあった折に、稲荷明神の像を彫り、社をたてて、藁で竜神の形を作って七日間祈願して、雨を降らせたという実績の持ち主です。
それから二年後、この地が干ばつに襲われた時にも、祈祷をして雨をふらせました。ところが今度は雨が数十日も止まなくなり、あたりは海のようになり人々は逃げまどいました。
そこで上人は、三匹の龍(えっ)の頭を作り「水止(しし)」と名付け、これをか農民にかぶらせて舞をとりおこなうと、不思議と雨がやんだということです。
がーんっ、獅子舞獅子舞ってさんざん書いたけど、これ龍の舞なの??
というかですね、法蜜上人が元亨元年に雨を降らせた武蔵の国というのは、もしや埼玉あたりのことじゃないんですか?
なんと、もしかすると法蜜上人が三匹の獅子舞を広めたかもしれないわけですね(あくまで「もしかしたら」ですよ)。
「いやちがう、ルーツはうちの○○上人だ!」という異説をご存じの方はご一報を!
一円 2010年07月16日(金)00時58分 編集・削除
ららむーさん、詳細な報告をしていただきありがとうございます。
少々時間が遅いので今夜は一言だけ。
> もうすぐ獅子・花笠・龍神が来るのでみんなで待っています。
このコメントの付いた写真の右側にある古びた建物ですが、ここは鍛冶屋さんでした。話によると昭和50年代まで仕事をしていたそうです。動力ハンマーなど最後まで使用しなかった、昔ながらの鍛冶屋でした。
元は主に大森の漁業(海苔)関連の道具を主に作っていたようです(碇や船釘など)。私が覚えているのは鏨が店の方に置いてあったことです。海苔が終わったあとはそういう土木関連の道具を作ることが多かったようです。