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羽化

 ついさっき繭の中身について書いたばかりなんですが、実は今朝ほど早くも一頭羽化しているんですよ。

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 白くてやわらかそうな毛が生えていて、ほんとうにかわいらしい。手にとまらせると小刻みに翅をふるわせるのに、決して飛んでは行きません。

 続けて残りも羽化するかな、と思って一日様子を見たのですが、出てきたのはこれ一頭です。これはオスでしょうか? 図鑑の写真などで見るカイコガのメスは、もっと不格好に腹が太いような気がします。ときおり尻の先を見ているのですが、フェロモンの入った袋が出てくる様子もありません。
 
 愛らしさに目がくらんで手乗り写真ばかり撮ってることに気づきませんでした。明日、繭の写真もとりましょう。

タグ: カイコ

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Sari (08/08 01:34) 編集・削除

う~ん可愛い♥ 久々に見ました♪

繭の中身/はじめての糸とり体験

 更新をさぼっているとどんどんネタがたまっていき、そのうちだんだんどうでもよくなってくる法則が発動してしまうんだよ。でも糸を引くところまでは頑張りたいなあ。

繭の中身はどうなっているか

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▲繭の中で力尽きて死んだ蚕。

 あきらかに巻きが薄く、中で死んでいるのがわかるものを開けてみたら、幼虫の姿のままミイラ化していました。いくらか発酵した干物みたいな臭気があります。ほんとに伝染病はおそろしいです。

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▲蛹(5日撮影)。

 羽化を見たいので冷蔵庫に入れなかった繭もいくつかあけてみました。良い具合に蛹になっています。ふれると元気よく尻を動かします。クシャクシャっと丸まってるのは脱皮殻です。蚕は繭の中で脱皮をして蛹になるのです。

 この蛹は繭にもどしてやればちゃんと羽化するはずです(途中で発病しなければ)。

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▲うっ、オスメスの見分けがつかない……orz

 蛹は尻の部分をよく見るとオスメスの見分けがつくはずなんですが、わたしゃ修行が足りないのでどれも同じに見えてしまう。いや、ホントに同じなのかもしれないけど。これはオスかなあ。写真がわかりづらくてごめんなさい。

 今回は病気が心配なので卵をとるのが目的ではないんだけれど、この段階で見分けられないと、交尾用にオスとメスを用意できないのよね。

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▲これは蛹になってるけど死んでる。

 繭が充分に厚くなっていても、中で死んじゃってることがあります。なるべくきれいな糸をとろうとしたら、こういう死に方はよろしくないと思うんです。やはり病気を出してしまうとダメですね。

はじめての糸取り失敗記

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▲群馬の土産物屋で買った繭

 何度も書きますが、群馬では養蚕農家は育てるところまでです。もちろん、大昔は糸にするところまでやってた家もあると思いますが、わたしが子供の頃は繭になるとどこかに出荷していました。だから、糸を紡ぐ作業は未知の世界です。

 最初からうまくいくとは思えないので、まずは買ってきた繭で実験しようと思います。これは一年以上前に群馬の土産店で購入した繭です。特に目的もなく、懐かしいので買って、そのままとっておいたのです。

 ええと、繭から糸を取るには、まず煮るんでしたっけね。熱湯からぬるま湯に入れてまた熱湯に、というようなことを繰り返すと繭がほぐれて糸が出てくるんだったはずです。

 艶のある良い糸をとるためには、温度管理をきびしくしないといけないんだったと思うんですが、今は実験なので、とりあえず糸が取れればいいと思いました。

 そこで、「二分くらい煮る・水をさす・二分くら煮る・みずをさす……全部で五~十分くらい、割り箸で糸はしを探して、十本くらいまとめて引く」という単純な方法で実験したのですが、いやはや、そう簡単にはいかないものです。

 以下はその反省点ですが

  • 十本の糸端をひいてるつもりなのに、気が付くといつの間にか五本くらいになっている!→糸を引き始める前に、一本一本を充分に手繰っておかなかったのが原因と思われます。繭が古いのにも問題があるかもしれません。
  • 仕方がないので五本でひきつづけてみると、繭が薄くなってきたあたりで切れてしまった。→いつまでも引き続けないで適当なところでやめるのも肝心らしい。そういえば、次の繭とどうやって継げばいいんだろう?
  • 糸が切れると糸端が束にくっついてみつからなくなってしまう。
  • 運良く糸端がみつかったとしても、五本どりじゃ細すぎるのでほどけずに切れてしまう。
  • 糸端がみつからないと、糸巻きからはずせないのでハサミで切るしかない。

……と、こんな具合で、サッパリだめでした。ちなみに、糸取りに使ったのは、いつぞや教えてもらった毛糸用の玉巻き器とかせ繰り機です。


編み機用具ロイヤルかせくり器くりくり
傘の骨みたいなのを広げると毛糸のかせをはめられる。よく、昔のおかあさんが子供の両手に毛糸の輪をはめて玉に巻いてたけれど、あの子供の役をさせることのできる器具。ハンドルもついているので玉からかせにまき直すこともやろうと思えば可能。


編み機用具ロイヤル玉巻き器マキマキ
かせ繰り機にはめた毛糸をこれで巻き取って玉にする。糸巻きが首を振るようにできていて、自然にスパイラルに巻ける。


 ダメでも毛糸で使うからいいやと思って、両方とも楽天ポイントで買いました。

 どちらを使って糸をひくか、これも重要なポイントです。玉に巻くのは最終形態なので、かせ繰り機を使うといいよと教えてもらったんだけれど、たしか絹糸って、巻き取ったものを、さらに別の枠に巻き取るような作業をするんじゃなかったかなと思うんですよ。

 いや、ほんとにやったことがないのであやふやなんだけれど、絹糸は鍋から引いて巻き取ったままだとガチンガチンに固まってしまうので、別の枠にまき直してしなやかさを出すんじゃなかったかしら(はげしく違ってたらごめんなさい。本当にやったことがないのよ)。

 というわけで、どっちでもよさそうなので、まずは玉巻き器を使ってみたのですが、うーん、たしかにひけますよ。でも、なんかこの、勝手に首をふってスパイラルに巻く仕組みがビミョー。だってこれ、糸巻きの一部が糸に当たってるような気がするんだけれど。こんなんで糸が痛まないのかなあ……と迷いが生じた瞬間にブチッと切れてしまう。

 幸いその時は糸端はみつかったので、かせ繰りに巻き取ればいいかと思ったんですけど、そこで首振りがまた邪魔をするわけですよ。じったかばったか首を振るのであっという間に糸が切れ、今度は糸端がみつからずに終了。すっごく綺麗に巻けているのに、ぴったり貼り付いて抜けません。

 次にかせ繰り機も使ってみましたが、結果は似たようなものです。切れて糸端がみつからなくなり、がちがちのかせができました。写真を撮る気にもなれませんよ。

結論、玉巻き器&かせ繰り機は、繭糸の糸取りには向かない(少なくともわたしの技術力では無理)。

 そもそも、こんなあやふやな知識で試しているのも悪いのです。やはりどこかで体験させてもらうべきなんだろうなと思います。

 横浜のシルクセンターは、わたしも知っているのですが、サイトを見ると次の「手紬糸作り実演」は十月……うっ、ずいぶん先ですね。

 コメント欄で話題になっているイカすカナダ人養蚕家に弟子入りしようにもだいたい連絡先もわからないし、相模原は遠いし(カナダほどじゃないとも言えるが)。

 どこかに、とりあえず観光用でいいから毎週末にやってるような場所はないものでしょうか。あ、東北とかダメです。関東で!!

タグ: カイコ

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さよ (08/07 23:09) 編集・削除

普段目にする繭は「よそ行きに出来上がった」綺麗なものばかりなので、そうではなかった繭がどのようなものなのか、初めて見ました(死んでしまったものがどういう見かけなのかも知りませんでした)。こういったことも記事にしてくださってありがとうございます。なかなか貴重だと思います。

えと、微妙に内容が違うような気がして恐縮なのですが、こちらにコメント失礼します。
日本絹の里で、「夏休みこども特別展・カイコと糸を吐く昆虫たち」というのをやっているようです。
…ここもどうなのかはハタで見ている分にはわかりませんが…。
ここも含め県内でぽつぽつと体験作業や実演などのいわゆる「取り組み」をしているところはあるみたいですが、お書きになっているように群馬では養蚕・糸繰・染色・機織はそれぞれ別々の(家での)仕事なので、こういった「取り組み」になってしまっている現在も、私のような「ほんの少しの興味」といった者には、なんというかあちこちでバラバラにやっているので統一感がない(感じられない)といいますか、興味があってもどこから手をつけていいのかわかりにくいため、結局ハタで見ているだけになってしまうという…。
ご自分で蚕から育ててしまわれる珍獣様はすごいです…。

・日本絹の里 ttp://www.nippon-kinunosato.or.jp/
・蚕糸館 ttp://www7a.biglobe.ne.jp/~sansikan/index.html
 (の座繰りの動画 ttp://www.manabi.pref.gunma.jp/kinu/sangyo/seisan-gyo/05zaguri/zaguri.htm )
 (の日記の「ずう」など ttp://www7a.biglobe.ne.jp/~sansikan/z-kaiko.html )

シバケン URL (08/08 06:32) 編集・削除

蛹の写真は左が雄で、右が雌、という感じではないかと思います。
上の記事の成虫写真は交尾器のようなものが見えるので雄だと思います。(恐らく)
僕も雄雌の分別にはあまり自信が無いのですが、蛹などは大きさや翅と体のバランスなどで大体分かります。

糸取りは難しいですね。
蚕というと一般の人は絹の方になるので(というかそれしか知りませんね)、糸取りなどはよく質問されますが、僕はあくまで蚕を飼って継代することが目的なのでいつも回答に困ります。
僕は遊び程度の糸取りしかしないのですが、柄付きたわしで糸を引いて手動で硬い紙などに巻きつける、という方法で生糸を取ります。
蚕に失礼なくらい適当ですが、形だけでも糸を取ることが出来ます。

珍獣ららむ~ (08/08 11:43) 編集・削除

 さよさんありがとうございます。群馬になら、ひょっとすると糸とり体験のできる博物館があるんじゃないかと思っていたのですが、やはりそう安易にはみつからないものなんでしょうね。「日本絹の里」は面白そうです。今度覗きに行ってみます。

 蚕糸館の動画は前に見たことがあるのですが、自分でやって失敗してから見ると改めて勉強になりますね。桶にはめてるでっかいクリップは糸端を止めてるんですね。あの状態で繭を移動しても糸が切れないくらいまで手繰ってある……なるほどなるほど!


 シバケンくん、いつもありがとう。実は今朝見たらまた二頭羽化してました。また写真をアップしますね。

 染めや機織りは手芸関係の本がかなり出ているのですが、糸取りはみんな興味を持っているはずなのに、意外と知られていない作業ですね。仕組みを知るだけならば茹でて引いた糸を紙にまきつけるだけで充分だし、本格的にやってる人は蚕糸館の人のようにプロだし、その中巻の人は少ないのかもしれません。道具もろくに手に入らないんだから仕方ないんですけどねー。

 ちょっと本気出そうかな。

さよ (08/08 20:08) 編集・削除

昔はモロコシ(黍)の穂で箒を作って(モロコシボウキ)、それに糸の口を出したのを引っかけて取ったそうですが、穂がざらざらしているので糸が引っかかりやすいらしいですね。母が子供時分に、近所のおうちで見てたと言ってました。
・モロコシボウキ ttp://www1.ocn.ne.jp/~thayashi/rekidai_2005.html
(でも、シバケンさんの柄付きたわしもいいですねv)

座繰りは、今でも富士見村で伝統的な作業をしていらっしゃる方がお弟子をとっている(というか、来る人に教えている?)ような話を聞きました。
また、こういった方もおられるので、↓
・前橋で座繰り体験をした方のページ ttp://www.geocities.jp/seseragi223/zaguri.html
・同じ方のページ(糸取り) ttp://www.geocities.jp/seseragi223/kiito.html(←「マキマキ」を使っていらっしゃるように見えます)
大きいところでなくても、探せば、作業体験をさせてもらえるような工房さんが幾つかあるかもしれないですね。

・群馬県蚕糸技術センター http://www.pref.gunma.jp/cts/contents?CONTENTS_ID=50545
こちらで「絹へのふれあい体験学習」という講座をやっていて、今年は既に参加締切り済みのようですが、こういったセンターでの講座なので、来年もあるかもしれません。ただこれ、日数がかかるので、1日だけなら個人の工房さんの方がいいかも…。
また、県庁などでたまに物産展をしていますが、そういう時に生糸関係の展示・体験コーナーも出るようです(座繰りも)。

・桐生の小学校での座繰り体験の写真(透けた繭と取れた糸がきれいでした)
ttp://www.amanuma-e.ed.jp/2006/class/3nen/page07/index.html

URLばかりで、何をしに来たんだという書き込みですみません。
羽化の記事と写真も拝見しました。なるほど、これは可愛いですね。意外に小さいし。脱走しようにも飛ばないというのも保護欲?をかきたてられるのかも(笑)。

珍獣ららむ~ (08/09 08:06) 編集・削除

 さよさん、ありがとうございます。geocities.jpの座繰り体験をした人のサイトは、さりげなくコツがたくさん書いてあって面白いです。きっと慣れればマキマキでも取れるんでしょうね。これ、マキマキの芯に厚紙を巻いて、そこに糸をとってるんでしょうか。これなら紙ごと引っ張れば、外すのも簡単そうですね!

クロエ Eメール URL (01/24 03:01) 編集・削除

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クロエ http://www.chloebagnew.com/

繭かきをしました

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 繭になってから一週間ほどたちました。

 蚕に限ったことじゃありませんが、芋虫は蛹になる前に、体をぎゅーっと縮めてしわくちゃになり、動かなくなります。そういうのを前蛹(ぜんよう)と言って、前蛹の状態で一日~二日くらい過ごしてから脱皮して蛹になります。

 蚕の場合は、繭の中で前蛹になります。だから、繭ができたからといってすぐに蔟からはずしてしまわず、一週間から十日ほど待ってから繭かきをします。

 蔟から繭をはずすことを、繭かきといいます。わたしのように趣味で少量飼うなら手ではずせばいいのですが、養蚕農家には繭かき専用の道具もあります。

 櫛(くし)の歯を、太くしたような形状のもので、区画蔟(厚紙を格子に組んだもの)の区画のサイズにあわせて木で作ってあります。

 その巨大な櫛で、蔟から繭を押し出すのです。サクッという音とともに繭が抜けるのは、見ていてとても楽しい作業でした。

 充分に厚みがあり、よく乾燥した繭は、ぶつかりあうとコーンといい音がします。

# げっ、今これを書いてる最中に、すごい稲妻が走りましたよ。近くに落雷したと思う。音と光がほぼ同時なので、真上に雷さんがいますね。一度セーブしたほうがいいかな。

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 数を数えたら七十個ほどありました。わたしのお蚕さんは二百頭いたので、歩止まり二割八分ですか。お姑さんにいびられそうな数字ですね。趣味でよかった!

 繭を覆っている毳(けば、毛羽)は、蚕が足場にした糸です。この部分はきれいに引けないので糸繰りをする前にとってしまいます。けばとり機という専用の道具もあるようです。でも、けばを取ってる作業は見たことがありません。もしかすると、祖母の家ではとらずに出荷していたのかもしれません。

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 繭にも出来不出来というのがあって、上の写真は、左手前が薄すぎて使い物にならない繭。指で押すとペコっとへこんでしまう。営繭中に蚕が発病して死んでしまったようです。光で透かしてみると、蛹ではなく蚕のすがたのまま黒くなって固まってるようでした。あとで開けてみましょう、ちょっとグロいけど。

 右と奥の二個は、糞尿で汚れたものです。汚れたのが毳だけなら剥けばいいのですが、中まで染みてるとダメでしょうね。これもあとで開けてみようと思います。蛹になるとオスメスの区別がつくはずなので。

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 大きさも不揃いです。成長にばらつきがあったせいです。趣味ならこんなのも楽しいですけどね。

 先日書いたとおり、繭かきをしたあとに蛹を殺す(もしくは羽化をとめる)処理をしなければなりません。糸をとるためには、中に蛹がいる状態で釜ゆでにしなければならないのです。

 繭から糸をとるにはお釜でぐらぐら茹でるんだよと、初めて教えられた時は少しショックでした。わたしは子供の頃からわりと冷めてたので、ペットと家畜の間には深い溝かあることをなんとなく理解してました。でも、繭から糸をとるのに中の虫まで殺さなきゃいけない理由がよくわかりませんでした。

 虫が外に出てからでもいいんじゃないかと祖母に聞きましたが、それではうまく糸にならないんだよと言われて、なぜなんだろうと首をひねったのを覚えてます。

 繭を作る虫は、羽化するときに口から酸の強い液を出し、繭を破って這い出します。たぶんそこで糸が寸断されてしまうのだと思います。

# 訂正。羽化する時に口から出す液は、酸だと前に聞いたんだけれど、正しくはアルカリ性の液だそうです。人間が繭をほぐして真綿にする時も、お湯に重曹や草木灰をまぜてアルカリ性の液を作るので、アルカリが正解なのでしょうね。
http://www.kodomo-silkroad.net/kaiko/about/glossary.html

 赤ん坊のように手間をかけて育てるのに、大人になる前に殺してしまうのです。

 これまでもコメント欄などで昔話の「瓜子姫」が養蚕と関係のあるお話だと書きましたが、お話を整理してみると、養蚕にまつわるエピソードがちりばめられているからです。

  • 姫が瓜から生まれること。
  • その瓜はどこか遠いところから川を流れて来ること。
  • 姫が機織り上手だということ。
  • 天邪鬼に騙されて木に登らされること。
  • 天邪鬼に皮をはがれること。
  • 大人になる前(結婚する前)に殺されてしまうこと。

 川から流れてくるというのは、養蚕が外国からもたらされた技術だからだと思います。そして、瓜子姫が瓜から生まれるのは、繭が瓜の形に似ているからです。姫自身が蚕なのです。

 機織りが上手というのは、繭からとった糸が最終的に布になることを意味しています。また、蚕が糸を吐いて繭を作るのを機織りに見立てているのだと思います。

 天邪鬼に皮をはがれるのは、蚕が脱皮することと関係があります。また木に登らされるのは、上蔟と関係があるように思えてなりません。異説はあるでしょうが、瓜子姫は天邪鬼に騙されて木の上から落ちて死にます。かわいがって育てた蚕も、育てた人の手で蔟にあげられ、きれいな繭を作ったかと思うとかきとられて釜ゆでにされてしまうのです。小さな白い蛾になる前に。まるで晴れ着を着てお嫁入りする前に殺される瓜子姫そっくりではありませんか。

 天邪鬼は、蚕を娘のようにいつくしみ、かわいがって育てた老夫婦そのものです。養蚕は虫に対する慈愛がなければつとまらない作業です。そして、鬼になれなければ続けられない作業でもあるのです。

 とりあえず、わたしのお蚕さんは冷蔵庫に入れます。冷蔵しても死にませんが、冬の状態になるので羽化がとまるのです。汚れて使い物にならない蚕は、成虫の写真が欲しいのでこのまま羽化させます。

# 書いてる間に雷が遠ざかりました。火事になった様子がないので落雷したとしても避雷針に落ちたのでしょう。しっかし、ものすごい雷だったなあ。

タグ: カイコ 伝説

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Sari (08/04 23:57) 編集・削除

きょうTVで虫のたちる音が拾えるマイクというのを紹介していました。
中にお蚕様が桑の葉を食べる音ってのも。
コリコリと聞こえました。普通に聞いているサワサワというのとは違いました^^
かたつむりが人参を食べるコリコリのような音とはまた違ってました。
なんか健気な感じに聞こえたのは、思い入れがあるからでしょうね。

瓜子姫、この名が好きです。瓜姫ではないところがいいわ。
単に瓜をうりこと言うのかも知れないけど、なんか可愛い・・・
瓜子姫の解説、感心しました。妹に話してあげよっと♪

Goudeau (08/05 03:45) 編集・削除

天邪鬼の愛を語る珍獣様の言葉は、あたかも神話のなかで語られる言葉のやうで、殆ど戦慄を覚えました。まさに珍獣様でなければ、なんびとも語ることのできなかつた言葉ですネ。うりこ姫説話の大いなる謎が解ける日も近いとすら感じました。

こないだ(7月31日)のお昼のNHKをぼんやり見て居たら、相模原で養蚕をして藍染め、機織までして居るカナダ人ブライアンといふひとが出て居ました。画面にお蚕さんが映つて居て、番組に気付いたのが途中からだつたのですが、竹を編んだまぶしや、80度と90度のお湯に繭を漬けて「糸口」(?)をさがすさま、戦前の織り機で、きりきりはたりと機を織るさまなど、面白く見ました。ひとつの繭のただひとすぢにつながつた糸を全部とつてしまふと、あとには湯のなかに蛹だけが残されて居ました。

↓ブライアン・ホワイトヘッド氏のこと
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/kikaku/083/4.htm

珍獣ららむ~ (08/05 23:08) 編集・削除

>Sari さん
>小さいものがたてる音を拾うマイク
服を脱ぐ時の静電気はバチッという感じなのに
雷だとゴロゴロいうのと似て……いや、違うかも。

>Goudeau さん
 そのカナダの人は、先日別の記事で Sari さんが書いてたのと、たぶん同じ人ですね。機織りまでやってしまうとは、カナダ人ながら天晴れですね。

 わたしは今日、ためしに群馬の土産物屋で買った繭を使って糸をひいてみたけれど、さっぱりうまくいきませんでした。

 糸をひくこと自体はなんとかなりそうなんですが、うっかり糸が切れると糸目がみつからなくなってしまうんですよねえ。糸繰りから後の作業はまるで未知の領域なので、一度どこかでプロに指導してもらったほうがいいかもしれないなあ。

 そのあたりは後日また日記に書きます。

Goudeau (08/06 01:03) 編集・削除

あの番組のこと、すでに当日Sariさんが速報気味に書いてをられたのですネ。番組中で言つて居たブライアンといふ名前を手掛りに探しあてたのが、上のサイトです。同サイトによると、彼の養蚕は、相模原のお婆ちやんたちから学んだものらしいですネ。道具もやりかたも、日本の古いものにこだわつてやつて居るみたいです。TVによると、近所の人たちに色々教へて居るやうなので、行けば喜んで教へてくれさうです。また、彼が居を構へる相模原市藤野町といふのは養蚕の歴史がふるく、資料館などもなかなか面白さうです。

Sari (08/06 02:44) 編集・削除

妹が横浜のシルク博物館で糸取り体験が出来ると言ってました。
あそこで練習してきたらいかがかな?

古事記・日本書紀と養蚕のはじまり

 うちのお蚕さんたちはすっかり繭になりました。数は数えていませんが、たぶん百個に足りないんじゃないかと思います。それでも全滅はしなかっただけマシといえるでしょう。

 繭になってから二週間もすると羽化してしまいます(中で死んでいなければね)。蛾が出てきてしまった繭からは糸がとれないので、その前に糸を引いてしまうか、蛹を殺す処理をしなければなりません。

 色んな方法があるようですが、日本では熱風をあてる方法が普通だそうです。ただ、そのやり方だと絹の艶が落ちるので、古代中国では塩漬けにしていたようです。この方法は、養蚕家の志村明さんという人が古文書を研究して発見した方法ということです。
http://www.news.janjan.jp/special/0501/0501012229/1.php

 ほかには冷蔵庫に入れてしまう方法があります。人工的に冬の状態にして羽化を遅らせるわけです。

 うちのお蚕さんも、来週頭くらいには処理しなければいけません。もたもたしていると蛾になって出てきてしまうのです。

 本当はいくつか羽化させて交尾させたかったのですが、あれだけの病気が出てしまったので、やめておいたほうが無難かもしれません。子供がウィルスか菌を受け継いだら同じ事の繰り返しです。

 繭かきをしたら、また写真を載せたいと思います。

女神惨殺と蚕の誕生

 日本神話では、蚕は女神の死体から生まれたことになっています。

その1:古事記

  • 大気津比売が口や尻から食べ物をとりだすのを見た須左之男命は、自分に汚いものを食べさせようとしていると思い、怒って殺してしまう。
  • 死んだ女神の体から、さまざまな穀物が生まれ、頭からは蚕が生まれた。

大気津比売:オオゲツビメ
須左之男命:スサノオノミコト

その2:日本書紀

  • 月夜見尊は姉の天照大神に命じられ、地上にいるという保食神を訪ねる。
  • 保食神が口からご馳走を取り出してもてなそうとした。
  • 月夜見尊は汚れた吐物を差し出したと思いこんで保食神を殺してしまう。
  • 死んだ神の体からさまざまな穀物が生まれ、眉から蚕が生まれた(眉の形からの連想と、眉→繭という掛詞か?)。
  • その蚕(あるいは繭?)を口に含んだところ、糸をひくようになった。「又口の裏に蠒を含みて、便ち糸抽くことを得たり」
  • 天照大神は、良い神を殺してしまった月夜見尊を嫌い、決して一緒には現れなくなった。

天照大神:アマテラスオオミカミ(太陽神)
月夜見尊:ツクヨミノミコト(月神)
保食神:ウケモチノカミ

 その2で「かいこ」と訓じられているのは蠒という字で、蚕そのものとも、繭ともとれる字です。

 その「かいこ」を口に含んで糸をひくようになったとあるのは、『山海経』の「歐糸の野が大踵の東にある。娘が一人ひざまずいて木によりそって糸を吐く」という部分と、関係がありそうだと思います。

 『山海経』のこの部分は前にも紹介した馬頭娘の話を記録したものだと言われていますが、あるいは古代の糸の引き方を記録したものかもしれません。しかし、繭玉を口に含んで糸をひけるとも思いにくいです。

少子部の螺蠃(ちいさこべのすがる)

日本書紀より

  • 雄略天皇の六年三月、皇后様みずから桑こきをして養蚕をしようと試みる。
  • 螺蠃(すがる)という者に命じて国中から蚕(こ)を集めさせたところ、何を勘違いしたのか幼い子供達を集めてきて天皇にささげた。
  • これに大笑いした天皇は、子供達を螺蠃に育てさせ、姓を与えた。少子部連(ちいさこべのむらじ)という。

 帝のお后さま自らが蚕の世話をするのは中国の宮廷で行われていた行事だそうです。日本でも真似てみようとしたのです。日本書紀の記述を信用するなら、今から千六百年くらい前に、皇室で養蚕をしてたことになります。今でも美智子さまが御養蚕所で蚕の世話をしているそうです。

 ところで、チイサコベノスガルは平安初期の説話集『日本霊異記』にも出てきますが、やることなすこと元気がよくてユーモラスな人物です。参考までに『…霊異記』の話を紹介しましょう。ここでは栖軽(すがる) という表記で登場します。

 雄略天皇がお后様とむつみ合っているところに栖軽がやってきたので、怒った天皇が「雷を捕まえてこい!」と命じました。腹立ち紛れに言ったことで、本当に捕まえられるとは思っていないのです。

 ところが栖軽は雷雲の下まで駆けていき「雷といえども陛下のお召しには逆らえまい!」と叫びました。するとどうでしょう。都へ帰る途中で落雷があり、大木に雷がひっかかっていたのです。栖軽は雷をとらえて意気揚々と都へ帰りました。

 また、栖軽が年老いて亡くなると、墓に落雷があり、墓碑に雷がひっかかっていました。こうして栖軽は二度も雷を捕まえた男として知られるようになるのです。


関連記事:養蚕関係の伝説
◎中国の馬頭娘、日本の羽衣伝説、日本の七夕伝説、シベリアの羽衣伝説、山海経(中国)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=389
◎捜神記(中国)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=386
◎今昔かたりぐさ・養蚕のはじまり(日本の民話)
http://www.chinjuh.mydns.jp/ohanasi/365j/0306.htm

◎眠の話
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=385
◎眠の呼び名とずーの由来(まとめ)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=410

メモ

  • アリストテレスの『動物記』に蚕と思える記述があるらしい。ただし、家蚕ではなくヤママユガのような野蚕かもしれない。
  • プリニウスの『博物誌』にも養蚕の説明と思われる部分があるらし(今調べましょう、持ってるので)。これも野蚕の類かもしれない。
  • 黄帝関連の伝説に養蚕にまつわることが多々あるらしい。
  • 魏志倭人伝にも養蚕にまつわる記述があるらしい(どっかに本があったかな)。
  • 黄帝の元妃西陵が、蚕の繭を熱い茶の入った碗に落としてしまった。
  • すると繭がほぐれて糸を引き出せるようになった。
  • ためしに織ってみたところ、あまりに美しいのに驚き、蚕の飼い方を調べさせた。

出典不明『世界大博物図鑑(1)蟲類』より孫引き

タグ: カイコ 伝説

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Goudeau (08/02 01:50) 編集・削除

「女神の殺害」は、それが天上世界で起きたか、地上で起きたかによつて、その意味が全く異なるといふのが、私の見解です。さきに「うりこ姫説話」に関して、珍獣様と私で見解の相違がおきたのはそのためです。

天上世界での女神の殺害は、地上への転生、換言すれば、穀物や養蚕を地上にもたらすプロメテウス的功業であると考へます。たとへばスサノヲによる天上での乱暴狼藉も、実は天上の穀霊を地上へと奪ひ去る(火の盗み)といふ意味が隠されて居るわけです。

それに対して、地上に於ける女神の殺害は、逆の方向での転生の手段、すなはち天上世界への昇天と意味づけられる筈です。迫害され殺されることは、いはば羽化登仙のための不可欠の手段であるわけです。

勿論、民間伝承といふものは、必ずしもこのやうな枠組みに従ふとは言ひきれないのが難しいところだと思ふのですが。

珍獣ららむ~ (08/02 10:00) 編集・削除

 なるほど、その観点ならば納得がいくし、おもしろいですよ。天から下ろす役目の者がいて、天に連れ帰る役目の者もいる。季節のうつろいと関係があるのかもしれないですねえ。穀物を生み出す女神は、春に生まれて冬に死ぬものだから。

 すると、ツクヨミがウケモチノカミを葦原中国で殺すのは、地上にいる神を天に連れ帰る行為だったのでしょうか?

 だとするとアマテラスの反応が謎ですね。アマテラスに命じられて出かけたのに、連れ帰ろうとしたら嫌われてしまうんだから。後半の姉との仲違いはオマケだと切り捨ててしまえばいいのかな?

Goudeau (08/02 16:55) 編集・削除

ウケモチの説話は、オホゲツヒメ説話のヴァリアントのやうにみえながら、部分的には、例のアメノワカヒコ説話に似てゐるといふ複雑なかたちを取つて居ますよネ。

オホゲツヒメ説話との類似でいふと、天上世界での事件に似てをり、アメノワカヒコ説話との類似では地上世界での出来事のやうにみえる。

ツクヨミとアマテラスのなかたがひに於いては、ツクヨミは三貴子のもうひとりであるスサノヲと交換可能な役割を果たしてゐるやうにみえます。

このやうな複雑さは、ウリコヒメ説話にもみられると思ひます。結局の所、私のいふ基本的枠組みのはうが間違つて居る可能性も排除出来ないわけですが。(つまりモデルがわるいから複雑にみえるだけだといふ可能性)

私自身は、神話の伝承者たちが、天上世界と地上世界の対立といふ図式を理解できなくなつたために混乱が生じた、と考へて居ます。たとへば、私がいふやうなスサノヲのプロメテウス的役割を誰も理解できず、天上での乱暴狼藉も、単なる幼児性の発現とされてゐるのがよい例でせう。

眠の呼び名とずーの由来(まとめ)

 これまでみなさんに考えてもらった眠の呼び名の由来をまとめてみようと思います。

◎今昔かたりぐさ:養蚕のはじまり
http://www.chinjuh.mydns.jp/ohanasi/365j/0306.htm
↑ここにリンクします。


 まずは、江戸時代から言われている名前のおさらい。

一眠:シジの休み 獅子の休み
二眠:竹の休み 鷹の休み
三眠:舟|船(ふな)の休み
四眠:庭の休み

 二眠について、竹と鷹でばらつきがあるのは、おそらく発音が同じだからです。群馬では竹箒のことを「たかぼうき」と呼んでました。

 次にそれぞれの呼び名の由来です。

(珍獣)
「かゐこやしなひ草」で、又くハをしかじかくハぬことありこれをねむるともいふなり、とあるのが訛って獅子やシジになったのかな、と珍説を唱えてみる。二番目の眠を竹というのは、かひこくわをくわするにしたがひしだいに大きくなり、ほかのすだれようのものにうつしてくわをあたへるなり、が由来ではないだろうか。
舟、庭については不明

# 「かゐこやしなひ草」をもとにした文献が江戸時代に多く作られている。

(Goudeau)
指似と書いてシジと読み、幼児の男性器のことではないか?

(Goudeau)
シジ:子供の小さなティムティム
タケ:オトナの立派なティムティム
フナ:言はずと知れた女性器の象徴。
   立派なティムティムを収納する抜け殻か
ニハ:男性的要素と女性的要素は遂に錬金術的に結合され
   蚕は両性具有者となつて羽化登仙する。
・・・なんてネ。
(最後の項目はやや無理やりです)

(Goudeau)
門付けの『春駒唄』の文句
「さればこれより休みにかかる、シジの休みはしんじつ蚕、フナの休みはふんだん蚕、ニハの休みでにはかに育つ、くせなくきずなく簇に上がる」

(Goudeau)
「縮む」を「しじむ」と読む読み方が存在するさうです。(『言海』による)
「夜のしじま」といふときの「しじま」は、「口を閉ぢること」→「口を縮めること」→「無言」「静寂」
貝の「しじみ」(蜆)は「縮み」から来た語
幼児のティムコを意味する「シジ」も「縮む」→「なにかしら小さなもの」、といふ成り立ちらしいです。

つまり「シジ」は小さな状態のお蚕さんを指すと考へて差し支へないでせう。

(ゆう)
生まれてから眠に入るまでの日数を表しているんではないか?
シジ→四日
竹→チク→(ひっくり返して)→クチ(くんち)→九日
フナ→2と7→2×7=14日
ニワ→そのまま28日(ちょっと長いかな)


 非常に鋭い意見が多く、特に Goudeau さんの「シジ:なにかしら小さなもの」説はかなり信憑性があります。小さなものという意味のシジから、獅子を連想して獅子の休み、獅子蚕(ししこ)などの言葉ができたと考えて良さそうです。

 また、ゆうさんの「生まれてから眠に入るまでの日数」説もかなり捨てがたいのです。飼い方の暗記法だった可能性は高く、眠に入るまでの日数は、餌のやり方と関係しているので覚えておかなければならないことのひとつです。現在飼われている標準的な蚕の育ち方とは一致しませんが、昔の品種がこういう育ち方をしていた可能性は否定できません。

 今のところ、船|舟(ふな)と庭の由来は、春駒唄は後付けの縁起担ぎと考えられるので、ゆうさんの日数説以外にパッとした説が現れていません。謎に挑戦するツワモノ募集中。

関連記事
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=387
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=393
(もっとあるかもしれない、コメントは検索するのが難しい)


熟蚕のことを「ずー」というのはなぜか?

(検索用)ず、ずう、ずぅ

(珍獣)
上蔟(じょうぞく)のじょうが訛ったのではないか。
あるいは、熟蚕を「じゅくご」と読んで、じゅっこ→ずっこと訛ったのではないか。

(Goudeau)
私の鹿児島弁的センスで言ふと「ずー」は「透く」を表す擬音語のやうに聞こえます。

正確な意味を知らないままに記憶して居た吉田一穂の詩の文句にこんなのがあります。

 透蚕(すきご)は眠る,
 影ほの白し。
 
 一線(ひとすぢ)の丘の曙,
 山々の遠き風嘯。

タイトルは「曙」。上記四行で詩の全てです。

(Sari)
茨城弁に
ずっこ:上族前のカイコで頭が透明になったもの。
とあるので、
ずっこ=頭蚕か?

(Sari)
伊那地方では
「・スガク=五齢の終わりに桑を食べなくなり、蚕の体が透き通ってきた状態。熟蚕となる状態。
・アタマスガキ=頭が透き通る蚕 空頭蚕」とあるので

ず←すがくの「す」か?
料理で「すが入る」=空洞が出来るの「す」かしらん・・・

(さよ)
当方も伊勢崎の生まれ育ちでして、母にこちらさまのブログを見せて、「ずー」って何?と聞いてみましたら、「意味や字はわからないけど、お蚕じゃなくてもそう言う」とのことでした。
年を取った方の身長や体格が小さくなることがありますが、そういう時に「あの家のおばあちゃん(おじいちゃん)、ずーになったねえ」みたいに使ったそうです(年を取ってもあんまりふくよかな方には使わなかったそうですが・笑)。
ただ、これがお蚕の「ずー」が先に言われていたのが人間にも言われるようになったのか、そのへんは分かりませんが…。


 透蚕(すきご)か熟蚕(じゅくご)が変化して「ずっこ」か「ずうっこ」になったというのが有力と思われます。

 さよさんの、群馬ではお年寄りもずーになるのだというのも面白いのです。おそらくは養蚕用語のずーが先にあったんだと思いますが、これを聞いて新しい仮説を思いつきました。お爺さんのことを「じじ」というのは、もしや老いて小さくなるから「しじむ」→「じじ」なのでは??

関連記事
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?mode=comment&no=400



2009年6月2日、この記事へのコメントの受付を停止しました

 ロシア語のスパムが多いので、コメント欄を閉じることにしました。閉じるとこれまでついたコメントも非公開になってしまうので、以下に転載します。


これよりコメント欄からの転載

Goudeau 2008年07月30日(水)22時18分 編集・削除

↓こんなページみつけました。
明治九年の『養蚕方荒まし』といふ本
http://www7.ocn.ne.jp/~chido/yosankata.htm

「四つの休み」については下の付録で「金色姫」の説話(珍獣様のいふ「受難貴人」説話の一)を載せて居ます。付会といふ印象が強いですけど、逆にいふと、背景にこのやうな説話があるからこそ、このやうなわけのわからぬネーミングになつた、とも言へるのかも。(つまり、説話から眠の名が出来た可能性もあるかも?)

「ずふ」(ずー)に関しての記述に、暑さに関する注意が繰り返し述べられてゐます。勉強になります。
《八十度余(華氏80度≒摂氏27度か?)の暑さにては、春蚕の時候には暑過ぎたるものと知るべし。桑を与ふる時も、日に一、二度桑葉に清水を颯と掛けて与ふるがよし》

※蚕影神社御神徳記
ttp://park19.wakwak.com/~hotaru/kokagesann.htm

※今気付きましたが、「今昔かたりぐさ」のなかの「対照表」の「金色姫」と「衣笠姫」が逆になつてますネ。

珍獣ららむ~ 2008年07月31日(木)01時50分 編集・削除

あ、直します。ありがとう。

説話が先だとしたら、
説話の由来がかえって気になってしまいますね。

珍獣ららむ~ 2008年07月31日(木)20時21分 編集・削除

 荒俣宏の『世界大博物誌・蟲類』でも蚕の眠の名前は金色姫の説話によるものだと書いてますね。でもやっぱり、説話が最初というのはおかしい気がします。

 もしかすると、シジと竹のみ先にあって、この時点でシジを獅子、竹(たか)を鷹に見なしたお話ができて、舟や庭が追加されたんじゃないでしょうか。舟や庭の由来がハッキリしないのはそのせいかもしれないです。

タグ: カイコ 伝説