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東北旅行:乗った電車をざっくりと(2日目)

二日目(8月10日・水曜日)

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 二日目は石巻と石越を回るつもりで予定を組んだので、それほど気張らずに出発しました。しかし今思うともっと朝早く出発するべきでした。石巻からさらに代行バスを乗り継いで女川まで行けたはずです。

 石巻〜女川間も津波の被害がひどく、今も電車が不通のままです。代行バスは朝と夜に集中していて、昼間は本数がありません。そのため、どうしても予定に組み込むことができませんでした。


 というわけで女川はあきらめて、石巻まで行きます。

 仙石線の代行バスは、松島海岸〜矢本間を走っています。代行バスは青春18きっぷでも乗ることができます。

 松島海岸で電車を降りたら、もう駅前にバスが二台とまっていました。両方とも同じ時刻に発車するというので、空いてるほうに乗りました。

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▲こんなバスが走ってます。

 矢本でバスを降りて電車に乗り換えです。電車の時刻をろくに見ていなかったので駅でけっこう待ちました。20分もあるなら駅前を少し探検すればよかったです。


◎マンガッタンライナーと代行バスの旅
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1189


 電車に乗って石巻にはおおむね予定通りに付きました。石巻では街を歩いて、萬画館がどうなってるのか様子を見て、お昼ご飯を(といっても店があいてなかったのでスーパーで弁当を買って)食べて、駅の中にあるマンガッタンカフェでコーヒー飲んで、石越方面へ行く電車に乗りました。


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 小牛田の駅前にすっぽこ汁を出す店があるので、ほんとは寄ってみたいんですけど、石越からのバスの便を考えると、一本でも電車を逃すともうアウト。田舎は電車よりバスが厳しいですよ。バスに乗らないと行けないような場所に観光地があるのに、そのバスが日に五本とかあったらいい方なんですから…

 石越で30分くらいバスを待って、石森字町の石ノ森章太郎ふるさと記念館へ。ここには過去に二度来ているので特に用事はなかったんですけど(えっ)、生家が閉鎖されてるって話を聞いたので、どうなってるのかちょっと見たかったんです。それについてはまた別の記事で。

◎なぜかエヴァンゲリオンな石ノ森章太郎記念館
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1195

 用はないけど帰りのバスが何時間か待たないと来やしない。記念館で漫画を読みふけり、町をぶらついてからバスに乗って石越駅に戻りました。

 女川へ行かないんだったら石巻に戻ってもしょうがないので、朝寄れなかった松島へ行くことにしました。小牛田経由で東北本線に乗って松島駅で下車。

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 松島駅と松島海岸駅は、名前は似てるけど路線も違うし、2km くらい離れてます。もう夕方で、ミュージアムだの瑞巌寺だのは閉まってました。この調子じゃ豪遊したくたってできないっつーの。

 松島海岸駅まで歩いて、仙石線の時刻表を見たら、次の電車まで30分以上あるみたいなので、駅前の某店で牛タンカレーを食べました。もっと高いもの頼めよと自分でも思うのですが、ひとりで焼き肉をやっても楽しくないし、カレーならすぐ出てくるから次の電車に乗れるかなって思ったんです。そのかわり、利ざやのよさそうな生ビールも注文したんですけど、これがまた、店の人が常連客とくっちゃべっててぜんぜん出てこない。

 カレーが先に出てきてしまい、結局食べきるまで気づいてもらえなかったので、御飯先に食べちゃったからと、お断りして出ることにしました(笑)いや、別にいいんです。カレーおいしゅうございました。

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◎松島にたどり着いた頃はには黄昏で、そしてまた仙台へ
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1196

電車賃

仙台〜石巻間(仙石線) 820円
石巻〜小牛田〜石越間 950円
石越〜小牛田〜松島 820円
松島海岸〜仙台 400円

合計 2990円

この日も青春18きっぷを使いました。
しかしこのくらいで済むなら 18きっぷを使わない選択もアリですね。

タグ:2011年8月東北旅行 青春18きっぷ

東北旅行:乗った電車をざっくりと(1日目)

 そんじゃまあ、がんばって東北旅行の記事を書くよ。今回は青春18きっぷを使いました。

一日目(8月9日・火曜日)

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 まずは JR 金町駅を早朝に出発、青春18きっぷの一日目にハンコをおしてもらいました。

 05:46 に上野駅を出る宇都宮線(東北本線)に乗りたいのですが、JR だけで行こうとすると北千住で乗り継ぎに 2分しかありません。いきなり危ない橋は渡りたくないので西日暮里で乗り換えることにしました。

 ここらへんとても複雑なのですが、常磐線の各駅停車は地下鉄千代田線に直通で乗り入れてしまい、上野駅まで行きません。JRは北千住までで、町屋と西日暮里は千代田線です(とほほ)。二駅分地下鉄に乗ったことになるので 160円払いました。*1

 でもまあ、山手線・京浜東北線が思ったよりちゃんと走ってたので、そこまで気張らなくても大丈夫そうでした。上野駅で少し時間があったので、ゆっくりトイレを済ませました。中距離以上の電車にはだいたいトイレがついてますが、込み具合によっては入りにくいこともあるので、駅でできることはしておかなければなりません。

 久喜駅で発車のベルがアマリリス(ルイ13世作曲の)でした。久喜とアマリリスになんの関係があるのかと思ったら、久喜だけでなく何ヶ所かで同じの使ってるらしいですね。でもなんでアマリリス?

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▲白河駅の近くでは車窓から小峰城が見えました。窓ガラス越しにiPhoneで撮影。

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▲鏡石駅:童謡「牧場の朝」発祥の地であることを表すパネルがあります。駅の東にある岩瀬牧場が歌の舞台だそうです。窓ガラス越しにiPhoneで撮影。


 今回は途中下車なしで一気に宮城県の愛子(あやし)まで乗ってしまいました。上の図(Yahoo! 路線情報の検索結果をキャプチャして引用)を見ればわかりますが、意外につぎつぎ電車が来るのにはびっくりです。駅につくと、もう次に乗る電車がいることが多く、座れないと困るので駅の探検もせずにとっとと乗ってしまうような状態です。もっとも平日朝の下り電車なので焦る必要はなかったかもしれません。


 愛子駅で下車して、そこからは徒歩で愛子大仏を見に行きました。愛子での予定が順調だったら仙台で東北大学の植物園に滑り込もうかと思っていたんですけど、iPhone の電池が終わりかけて、駅前のソフトバンクショップで電源を借りるなどして時間を食ってしまいました。このあたりの詳しいことは別の記事で改めて。

◎愛子駅
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1183
◎愛子大仏
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1184

 植物園をパスするとしても、日が高いのでどっかに行かないともったいないです。そこで、鹽竈神社までお参りにいくことにしました。

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 仙台から仙石線というのに乗ることになりますが、ここは津波の被害があった路線で、高城町から矢本までは今でも不通になっています(代行バスが走っている)。でも、鹽竈神社のある本塩釜は高城町より手前にあるので移動には支障がありません。

◎本塩釜駅周辺
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1185
◎鹽竈神社にまた来てみた
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1186
◎御釜神社
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1187


 お参りして、駅前のイオンをのぞいて、仙台にもどりました。


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 帰りは快速に乗れたので早かったですよ。仙台まで二駅しか止まらない!


電車賃

金町〜愛子間 5780円
愛子〜本塩釜間 570円 x2

合計 7490円

青春18きっぷの 1日目を使ったので、
11500円 ÷ 5 = 2300円 で乗り切ったことになります。
かなり頑張った感じがしますね。

*1:西日暮里乗り換えは可能なら避けたいのです。うまく精算窓口の目の前に降りられレばいいのですが、そうでないと改札口に殺到する人を横切って窓口へ行かねばなりません。最近乗ってなかったのでこの日は目測をあやまってしまいました。あまりのんびりは出来ないので致し方なく人の流れを横切ったのですが、たまに事情を知らない人がいて「あぶねぇなあ」とか言われるんです。いや、危ないのはあなただから。遠くから乗ってくる人は西日暮里乗り換えの切符を買えないので、ここでかならず精算するんです。要精算の人が大量にいるのでそれぞれが別の方向へ走って行くのが西日暮里の千代田線ホーム。西日暮里っていうのは殺伐としたものなんだよ。そこで立ち止まった者は踏み越えられて死して屍拾う者なし。乗り遅れたくなかったら突き倒してでも精算窓口にたどり着くのが西日暮里の掟なんだってば(75%くらい本当)。

タグ:2011年8月東北旅行 青春18きっぷ

葛飾八幡宮の千本銀杏(市川市)

 わたしが住んでいるところは葛飾区ですが東京都です。今話題にしているのは千葉県の旧東葛飾郡にあたる場所です。葛飾葛飾って連呼しても、東京の話じゃないので要注意ですぞ。ま、一番注意が必要なのはわたしなんですけどね。油断すると、葛飾と葛西をとりちがえたり、わけのわかんないことを書いてしまいそうです。


 はい、頭を切り替えましょう。市川市の葛飾八幡宮にある、千本銀杏の話です。


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▲これが通称千本銀杏です。正式には千本公孫樹と表記されるようです。公孫というのは実が成るまでに時間がかかる、植えたら孫の代になるまで実が成らない、というようなイチョウの特徴を言い表した呼び方で、特に深い意味はないようです。

 葛飾八幡宮の千本銀杏は、一ヶ所から沢山の木が生えてきて、合体して一本の大木になっている不思議な木です。銀杏にはオスとメスがあるのですが、千本銀杏はすべてオスなのでギンナンは成りません。

 全部オスということは、もしかすると別々の木というわけでもなくて、もともと真ん中に大木があって、その根元から脇芽が立ち上がって、それぞれが育ってくっつきあってしまったものかもしれませんが、これはソースのない、わたし個人の想像です。

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▲少し寄って写しました。千本銀杏は国の天然記念物に指定されています。老木ですから、根元を保護するために柵があって、実際には近づくことはできません。これは柵の外から望遠で撮影しました。


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▲引いたところから写すと、この通り立派な大木です。拝殿の屋根よりも高く、こんもりと枝を茂らせています。


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▲裏側にまわってみました。どの方向から見ても、この通り沢山の木が絡み合っています。すごいですね、こんなになっても互いに殺し合わずに育っているんですから。この土地自体に何かパワーがあるのかもしれません。


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▲千本銀杏についての説明板です。クリックするとやや大きな画像が表示されます。


 江戸時代の観光ガイドである『江戸名所図会』には、千本銀杏についてこんなふうに書かれています。

 神前右の脇に銀杏の大樹あり、神木とす。この樹のうつろの中に常に小蛇栖めり。毎年八月十五日祭礼の時、音楽を奏す。其時数万の小蛇枝上に顕れ出づ。衆人見てこれを奇なりとす。

 千本銀杏の中に空洞があって、そこに数万の小さな蛇が住んでいて、毎年のお祭りで音楽を奏でると、蛇がわらわらと出てくるというのですね。

 くしくも今日は8月15日、もしやお祭りをやっているのかしら、と調べてみたら、祭礼は月遅れの 9月15日に開催されているそうです。6日間もつづく非常に賑やかなお祭りだそうです。どうやら今はイチョウの木から蛇が現れたりはしないみたいですね。ちょっと残念です。

◎市川市:八幡・菅野界隈
http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1421000003.html

タグ:伝説

駒どめの石と千本銀杏

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▲葛飾八幡宮(市川市)の鳥居です。この写真だとわかりにくいですが、手前の鳥居のずーっと奥に電車が走ってまして、線路を越えてさらに向こうにもうひとつ鳥居があって、神社はその奥にあります。参道を横切るように京成電車が走っちゃってるんですねー。なんかものすごい光景です。


より大きな地図で 薮知らず、駒どめの石、千本銀杏 を表示


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▲駒どめ石は葛飾八幡宮の境内にあります。源頼朝が相模国で戦にまけて、このあたりまで落ちのびた際に、頼朝の馬がこの石に足をかけて、蹄の跡をつけたと言われています。


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▲どれどれ……どこが蹄の跡なのかなあと、ええと…


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▲ん、もしかしてこのくぼみ? 昔の人って純真だったんだなと思うような瞬間ですね。


 葛西八幡宮には他にも不思議なものがあります。千本公孫樹(せんぼんいちょう)と言われており、国の天然記念物に指定されています。

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▲これがその、通称千本銀杏です。何が不思議かっていうと、沢山の木が一ヶ所から生えて、一本の太い木になっているように見えるところです。


 せっかくだから沢山写真を貼りたいので、千本銀杏については別途記事を作ります。

タグ:伝説

八幡の薮知らず

 東北旅行の写真も貼りたいのですが、その前に、7月末に八幡の薮知らずというものを見に行ったので、そっちの写真から片づけます。

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▲道路の左側にあるこんもり茂ったところが「八幡の薮知らず」です。八幡不知の森(やはたしらずのもり)とか、不知八幡の森(しらずやはたのもり)とかも言います。千葉県市川市の八幡三丁目、市川市役所のはす向かいにあります。写ってる道路は千葉街道。

 この森には不思議な伝説があります。

 昔からこの薮に立ち入ると二度と出てこられなくなると言われていて、かの水戸黄門がそんな馬鹿なことがあるものかと入ってみたところ、どうしても外に出られず、結局、神様らしき人が現れて「禁断の地に踏み込んだのだから二度と帰さないところだが、お前は徳の高い人間だから、今回だけは助けてやる」とかなんとか言われて、やっと出てくること出来たそうです。

 水戸黄門すら遭難しそうになった薮知らず。一体どんなに深い森なのかっていうとですね、

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▲横から見るとこんな感じで、裏側はすぐ民家なんです。

 『江戸名所図会』という江戸時代に作られた観光ガイドに「方二十歩に過ぎず」とあります。この文章の一歩が何メートルくらいだったかはビミョーなところですが、別の資料によると「薮の間口漸く十間ばかり、奥行きも十間にすぎまじ」とあるので、だいたい二十メートル四方の森だったんじゃないかと思われます。今と大差ない広さだったみたいなんですよね。

 こんな小さな森でどうして、と思うのですが、とにかく、ここに入ったら出てこられなくなるというので、昔からだーれも入らない、いわゆる禁足地(きんそくち)なんだそうです。

 その理由に関しては様々な説があります。

1. ヤマトタケル陣所の跡である。
2. さる高貴な人の墓所である。
3. 平貞盛が、将門を討伐する際に、八門遁甲の陣を敷いたと言われているが、将門平定後もあの世への入り口にあたる門を残しておいたのが、この薮にあたるため、祟りがある。
4. 平将門と俵藤太が戦った時、将門の陣から見てこの薮が鬼門にあたっていたため不吉とみなされた。
5. 平将門が討ち取られたあと、将門の家来六人が、主の首級(くび)を慕って将門の墓地と言われるこの地までやってきて、ここで土偶になってしまった。土偶はやがて風にさらされて壊れてしまったが、誰かがこの薮を荒らそうとすると祟りをなす。 # 江戸名所図会に見える
6. 薮のまわりは八幡村なのに、薮だけは行徳(ぎょうとく、地名)の持ち分だったため、八幡の村人たちが薮に近づくことをタブーとした。 # 江戸名所図会に見える

 どれもこれも後付けっぽい説ですが、ここまでいろんなことを言って立ち入りを禁じているんだから、何か秘密があるんじゃないでしょうか。たとえば中心に財宝が隠されているとか、あるいはバミューダトライアングルみたいな時限のひずみがあるとか?!

 しかし、市川市の教育委員会が立てた薮知らずの由来書には、以下のようなことが書いてありました。

 古代から八幡宮の行事に放生会(ほうじょうえ)があり、放生会には生きた魚を放すため、池や盛りが必要で、その場所を放生池と呼びました。薮知らずの中央が凹んでいることからすると、これは放生池の跡であるという可能性が充分に考えられます。

 放生会というのは、つかまえてきた魚や鳥を許してやって、功徳を積もうという行事ですね。放した生きものが自由に暮らしていけるように、池のまわりが今で言うとサンクチュアリになっていたってことでしょう。

 その後、放生会が行われなくなり、池も干上がってしまうと、禁足地の掟だけが残り、入ってはいけない理由が忘れられてしまったんじゃないか、というのが有力な説らしいです。

 えー、そんな理由つまらない(笑)


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▲薮の正面に「不知森神社(しらずもりじんじゃ)」と刻まれた鳥居と祠があります。薮自体はぐるっと柵で囲まれていて、入り口はありません。囲いの中に生えているのは孟宗竹です。大昔はちゃんと樹木が茂ってたそうです。

 なんでも、この中にボールなど落としてしまうと、取るのにお祓いなどして大変な騒ぎになるということです。千葉街道を作る時に、薮のまわりの木を少し切ったらしいのですが、その時も祟りを恐れて誰も手を出さず、結局外国人の人足が雇われて作業にあたったと言われています。

タグ:伝説