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宮城旅行12:マンガッタンカフェも営業している

(宮城旅行11のつづき)

 「マンガッタンカフェえき」は石巻駅にある喫茶店です。マンガッタンは石ノ森萬画館がたっている旧北上川の中洲のことですが、地図で見るとニューヨークのマンハッタン島そっくりだからそう呼ばれているそうです。

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▲やってないだろうなあと思ったら、なんと営業中の看板! 石巻に来るたびにここで何か飲んでるんですよー。

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▲009やライダーがお出迎え。

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▲店内はこんな感じです。あまり広くはありませんが、カウンターとテーブル席があります。料金は注文したものが出来たところで払う先払い制で、飲んでる途中で電車が来ても慌てて駆け出せる仕組みです。

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▲ホットミルクを飲みました。一部できないメニューもまだありましたが、ほとんど普通に営業してて良かったです。コーヒーも本格派でお店で煎れてるみたいなんですよ。ともだちが目ざとくパプアニューギニアがあるじゃないかとかいって注文してました。

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▲駅前の時計台にくっついてる海斗の後ろ姿。仮面ライダーシージェッター海斗は石巻市のローカルヒーローです。キャラデザインは石ノ森章太郎先生です。参考>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%96%97

 町にある時計がみんな違う時刻を指して止まってます。いや、動いてるのかもしれません。とにかくちぐはぐな時刻を指しています。上の写真は12時48分に撮影したはずですが、この時計では9時46分くらいですね。


より大きな地図で 石巻市街地 を表示
左から
緑のポイントはマネキンが看板をかけかえてる不二工芸社
赤のポイントはJR石巻駅
黄色のポイントは顔に見える相沢時計店
青のポイントがマンガッタン島


(宮城旅行13へつづく)

タグ:2011年4月宮城旅行

宮城旅行11:ステンドグラスは無事だった

(宮城旅行10のつづき)

 市街地にたどり着いたわたしたちは、実際には海辺にある萬画館の前まで先に行ったのですが、順番を前後させてまずは駅や町の様子を書きます。

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▲石巻駅です。おおおっ、009のステンドグラスが無事だー!!

 電車で石巻駅に来ると、改札を出たところでこのステンドグラスが目に入ります。これを見ると石巻まで来たぞーという気分になるわけです。地震でたくさん揺れたから、きっと壊れちゃってるだろうと心配してましたが、無事ですよ、よかったー!

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▲同じく石巻駅。ライダーのやつも壊れてないよー。

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▲駅のコンビニは改装中でしたが、この様子なら復活は近いと思います。

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▲仙石線が東塩釜からこっちで止まっているので改札口は閉鎖されてます。でもJRの代行バスや、高速バスが駅前まで来るので、まわりに人は大勢いるんですよ。

(宮城旅行12へつづく)

タグ:2011年4月宮城旅行

宮城旅行10:石巻も動き始めていた

(宮城旅行9のつづき)

 市街地に行くには、途中から国道398号線に入らないといけないのですが、分岐点で曲がりそびれて駅の北側(内陸側)に来てしまいました。沿道の民家に「温かいお湯があります。顔を洗って休んでいってください」というような張り紙があり、このあたりは水もガスもあるのだとわかりました。

 引き返して398号線に入ると、やたらと道が混んでいて、じりじりとしか進めなくなりました。とうとう交通規制かと思ったのですが、そういうことでもなくて、普段から混む道みたいでした。

 あとで地図を見たら、398号線だと思ったのは抜け道だったみたいです。もっともどって曲がれば広い道に出たんでしょうが、わざわざ混んでるところに突っ込んじゃったんですね。

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▲看板の掛け替え工事…ではなくて、看板屋さんの看板です。作業しているように見えるのはマネキンでした。一瞬びっくり。看板に不二工芸社とあります。

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▲3月11日6時30分から石巻市総合体育館で、と書いてあるプロレスのポスター。地震の当日じゃないですか。当然中止になったのでしょうが、レスラーのみなさんはどうしたんでしょう。

http://www.sanspo.com/fight/news/110315/fga1103151547000-n1.htm
 この記事がそれみたいです。移動中で仙台南部インターの手前を走ってたそうです。

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▲駅前の立町通りです。意外に平静です。きれいに片づいているし。車も通ってるし、町の人が歩道を歩いてます。

 驚いたことに営業してる店がけっこうありました。うどんやさん、パスタ屋さん、パン屋さん、笹かま屋さん、お茶屋さん…などなど。過去に二度この通りを歩いたことがありますが、実は普段から閉まってる店が多くて、いつもとあんまり遜色ないような気さえしました(ごめんなさいほんとに)。

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▲よく見るとやっぱり被害はあったんですね。立派な作りのお店なのにシャッターがぼこぼこです。津波にやられた店もあれば、地震で二階が崩れてる店もありました。

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▲ああっ、サルコヤがこんなになってしまって。サルコヤは玩具と楽器の店なんです。以前来た時は元気に営業していて、楽器屋さんがある町なら住めると思ったものです。本屋と楽器屋は大事(どういう判断基準?)。復活してくださいねー。きっと復活してくださいねー。

 この日は土曜日でしたが、あちこちで復旧工事をしているので交通整理の人が何ヶ所かに立ってました。でも町の中は通行止めにはなっていませんでした。海辺のというか北上川の河口沿いの道が、まだ瓦礫が撤去されていないので、そこは車が通れませんでした。

 っていうかそこって2月に来たとき車を置いた場所じゃないですか。駐車場どうなってるんだろ…

(宮城旅行11へつづく)

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珍獣ららむ〜 (05/05 01:25) 編集・削除

 一気に書いてしまうつもりでしたが、今日はもう遅いので寝ます。

宮城旅行9:ジョイフルが営業してた

(宮城旅行8のつづき)

 何度も書いてしつこいかもしれませんが、東京にいるとテレビや新聞、インターネットでしか情報を得られないので、東北の太平洋側はすべてが壊滅しているようなイメージを持っています。

 しかし、これまでに見たところで、仙台市街地は内陸にあるので津波の被害を受けなかったのはわかりました。塩釜や松島は、湾の内側にあって、津波を受けたものの沖合いの島に守られて波が弱まったこともわかりました。

 しかし、これから行くところはテレビでも壊滅的な被害を報じられた場所です。震災から一ヶ月以上たっているとはいえ、車では近づけないんじゃないかと思っていたのです。もちろん復興の妨げになることはしたくありませんから通行禁止になってたら引き返すつもりでした。

 でも、どこまで行っても道はきれいに片づけられていますし、車が沢山走っていました。拍子抜けしたような、安心したような、狐につままれたような、不思議な感じです。事態は常に動いていて、被災地はいつまでも被災地のままじゃないんだと感じました。

 石巻市街地に近づいた頃、通り沿いにジョイフルというファミレスがあって営業していたので立ち寄ることにしました。これから行く石巻の市街地は海辺にあるので津波の被害をもろに受けたと思います。到着してしまったら食事はできないでしょうから(と、この時は本当にそう思っていた)。

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▲すんませんこんな絵しかなくて。ジョイフルは東京だと数が少ないんです。ジョイフル体験は生まれて初めてか二度目くらい。

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▲これは津波の跡? このあたりはこの程度の浸水で済んだのですね。いや、この水位だって普段なら大災害ですよ。御店の人に聞いたら4月14日の朝10時から営業を再開したということです。

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▲230gのステーキ+ドリンク&スープバーで1145円也。安い。東京では考えられない価格。ただ肉が固い。ハンバーグにすべきだったか。贅沢ですまんことです。

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▲道の向かい側はパチンコ屋で、入ってみたわけじゃないからわからないけど、どうも営業してるみたい。

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▲裏はバッティングセンター。こちらも営業中で、小気味よくかっ飛ばすカーンという音がしていました。


 ここを出たらいよいよ石巻の市街地に向かいます。

(宮城旅行10につづく)

タグ:2011年4月宮城旅行

宮城旅行8:石巻への道の途中

(宮城旅行7のつづき)

 松島を出て、国道45号線を道なりに進みました。海沿いのパークラインとかいうのを通ったほうが近いんでしょうが、なぜか曲がりそびれてしまったのです。

 吉田川沿いを走っていると、川の中に家や車が沈んでおり、土手にも瓦礫が散乱していました。それを見て、いよいよ壊滅的な被害を受けた場所にさしかかったのかと緊張しました。

 ただ、沿道の建物は流されずに立っていたような気がします。川に沈んでいるのは海から津波に乗ってきたものなのでしょうか。なんという津波の威力でしょう。ただ唖然とするばかりです。

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▲川に沈んでいる乗用車。

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▲土手には何かの破片が散乱してる。

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▲何かの倉庫の前に瓦礫の山が。

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▲ヘドロに覆われた水田。

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▲ぽつんと残った松の古木。

 車の中から見ただけですから確かなことではないのですが、国道45号線沿いでは、建物が倒壊したり流されたりということはないようです。それでもよく見ると、民家の基礎というんでしょうか、壁の下のコンクリ部分に亀裂が入ってるのをあちこちで見ました。

 田んぼには津波で運ばれてきたヘドロがそのままになっていて、どこからか流されてきた倒木が転がっています。一体この田んぼは何年くらいすると米が作れるようになるのでしょう。その間、この田んぼの持ち主はどうやって暮らすのかと考えると、心が重くなりました。
 
(宮城旅行9につづく)

タグ:2011年4月宮城旅行