忍者寺と武家屋敷街を見て、お昼前に兼六園にたどり着きました。ここと金沢城趾を見てからお昼にする予定です。
兼六園
「兼六園の雪吊り」それが金沢に関する知識のすべてと言っても過言ではありません。真冬の金沢に来たんだから雪吊りの威力を存分に、と思ったのですが、雪ではなく雨が降っていて、木々に雪なんか積もっていないのでした。
積もってる雪は元日に降ったやつらしいです。半端に雪が残っているせいでコントラストがおかしい写真しか撮れません。右端に写っている銅像はなんなのかなあと思ったら…
ヤマトタケルでした。戦没者慰霊のためのモニュメントだそうです。
いたるところ雪吊りです。「これに雪吊りが本当に必要なのか」と思うようなものまで吊ってあります。どこまでが実用でどこまでがネタなのか(笑)
資料によると、兼六園は神仙の世界をイメージした回遊式庭園だそうです。残念ながら製作者が意図するような神秘を感じなかったのですが、
たまにこんな不思議な木があったりします。
これもすごいです。松の木なのですが、根っこが立ち上がっています。自然に出来たのではなく、盛り土をしたところに待つの苗木を植えて、根をしっかり伸ばしてから盛り土を取り除いて作ったそうです。ここまでになるのに何十年、何百年とかかるでしょうに、気の長い話です。この気の長さは神仙の領域かな。
なんの変哲もない噴水? いえいえ、この噴水は池とこの場所の高低差だけで吹き出しているのです。ポンプを使わない不思議な噴水です。
いくら高低差があるからってこの勢いはすごい。位置エネルギーだけを使っているので、水の高さは上にある池の水面以上にはならないそうです。
兼六園内のなんとか言うところで和菓子とお抹茶をいただきました(有料)。たぶん時雨亭(しぐれてい)だと思うのですが、この記事を書くために資料を読んで首をひねっています。
なんでも、時雨亭は兼六園が作られた当時からあった建物だそうです。200年ちょい前のものでしょうか。それが明治時代に取り壊されて、今あるのは2000年に「復元」されたものなんだそうです。
復元…ごめんなさい、わたしにはただの現代建築にしか見えませんでした。
建物の価値がいまいちよくわかりませんでしたが、お抹茶とお菓子はおいしうございました。お茶席と同じで先にお菓子が出てくるので食べる前に写真を撮っていたら、お給仕の人が出てきて「先にお菓子食べてね。お菓子が先だからね」と念を押してまた引っ込んでしまいました。どうやらお菓子に手をつけたころにお茶が来るように気を配ってくださってるようです(言われたこちらはせかされてるような気にしかならないんですけど)。
この写真は和菓子を手前にして、奥の人(知らない人です!)をややピンボケにして写したかったのですが、完全に奥だけにピントがあってしまいました。
金沢城趾
雨が降ったり止んだりで移動するだけでウンザリしてしまう。兼六園と金沢城趾は隣接しているので移動は徒歩です。隣接してるといったってどっちも広くて、移動するだけで達成感があり、何を見に来たのかわからなくなってる状態です。
金沢城趾は建物は残っていなくて、三十間長屋(さんじっけんながや)とか菱櫓(ひしやぐら)とかが復元されているだけでした。菱櫓はちょっと面白かったです。
櫓といっても火の見櫓ではなくて、お城の囲いの角に立ってるやつなんです。天守閣の小さいヤツみたいな感じで、見張り用の塔ですね。何がどう面白いかっていうと、櫓自体が真四角ではなくひし形に作ってあることです。
真四角に作ってしまう窓がそれぞれ別の方向へ向いてしまいます。ひし形に作って見張りたい方角に大きい方の角を向けておくと、ふたつの窓から同じ方角が見えるようになって、効率良く監視できます。当たり前のことなんですが、建物の角は直角だという固定観念があると思いつきません。
菱櫓は現代の工法で復元された建物ですが、二階へ上がる階段を、わざと昔の角度で作ったそうです。階段というよりはしごみたいな状態です。ここをおっかなびっくり上がるのも面白くて、昔の人の健脚っぷりを実感しました。
写真がこんなのしか残ってないです。建物の中は撮影していいのかどうかわからないし、移動中は雨で撮影なんかする余裕なし。
次は近江町市場へ行きますが、長くなるのでまた記事をわけます。
(つづく)
タグ:2011年1月金沢旅行