三日目(8月11日・木曜日)
さて三日目です。この日は福島方面をまわって家に帰ります。
ほんとは二日目の夜に郡山まで来てしまう予定だったのです。ところが、改めて調べてみると、郡山駅前にあったはずのネットカフェが震災の影響で閉店したまま再会してないらしいのですよね。
ホテルも楽天トラベルで調べると、直前の予約を受け付けていないようです。そりゃまあ、電話で聞いたら一部屋くらいあるかもしれませんが、そういうのは割引されていないので高いかもしれませんしね。
ほかのネットカフェは、駅前ではないので、昼間ならいいですが、夜だとたどり着けるかどうか自信がなかったので、しょうがないので仙台で宿泊、三日目の出発も仙台からです。
会津若松では何をしたかっていうと、バスに乗って会津村ってところへ行きました。「あんた馬鹿じゃないの、会津若松といったら鶴ヶ城に武家屋敷と決まっておるのだ」というツッコミもありましょうが、ちょっと待った。わたしは実は親戚が東北にいたりして、東北めずらしくないんですよ。鶴ヶ城も武家屋敷も子供の頃に何度も行きました。おまけに中学の修学旅行も東北で、この辺はすでに回っているのですよね。
というわけで、今回は会津村で大観音を見たわけです。それについてはまた別の記事で。
◎会津若松へ
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1197
◎会津村
(記事は準備中)
観音様を見て、駅に戻ってきて、駅の立ち食い蕎麦屋でお昼を食べてまた移動です。「立ち食い蕎麦とかあり得ない。復興を祈願して豪遊しろよ!」という声も聞こえてきそうですが、わたしだって駅前に美味しいものの店があるんならそこで食べるんですったら。でも駅前には「北海道」なんて名前のファミレスくらいしかないんですよう。
磐越西線で猪苗代駅に移動です。磐越西線はいい感じですよ。山あり、田園風景ありで、景色を見飽きません。磐梯町あたりに住んでみたいなあ。家賃高いのかなあ。そんなことより仕事ないよねー。
猪苗代からはまたバスで、野口英世記念館へ行きました。これまたバスの本数が少なくて、田舎ってバスが厳しい。ほんとに厳しい。記念館のこととかは別の記事で。
バスで猪苗代駅にもどって、今度は帰る方向で移動するわけですが、予定より早めに見終わってしまったので、水郡線で帰ることにしました。
せっかくだから郡山で改札をでて駅前をきょろきょろ。うーん、北千住みたい。でっかいビルがばんばーんって立ってて都会っぽいけどそれだけ。おそらく駅から離れたところに昔からの町があったりするんでしょうね。今回は駅ビルだけぶらついて、また電車に乗りました。
水郡線は初体験です。奥久慈急流ラインなんてそそる愛称がついてます。いぜん名古屋から中央本線で東京に帰った時、線路と平行して木曽川がどどーんと流れていて、本当に感動しました。あんな感じなのかと思い、ワクテカしながら窓の外を眺めていると、あれー、川見えないし。たまに川と線路が交差する時に見える程度で、あんまり見えないんです。ちょっとガッカリでした。でも、このあたりの田園風景は本当に美しいです。
水郡線の途中で日が暮れて外が見えなくなりました。7月末に東北で大雨がふったせいで、只見線が徐行運転をしてるらしいです。そのせいで水郡線もかなり遅れてました。加えて、水戸駅に近づいてくると、今度は常磐線のどこだかで、集中豪雨があったそうで、そっちの影響でも遅れていました。
途中でかなり止まってたわりに、水戸についたのは 5分おくれくらいだったでしょうか。要するに普段から停車時間が長いんですね。単線なので上下線のすれ違いに手間取るんでしょう。のんびりした電車の旅でした。
水戸からは常磐線快速で、松戸まで。どっちかっていうと常磐線のほうが遅れててボロボロでした。結局上の図のようには行かず、取手だか柏だかで、ひとつ前の電車に追いついてしまい、急いでる人は乗り換えてくださいっていわれて、急いでなかったけど乗り換えたりしました。
金町到着は 23:05 くらい。水郡線なんか使ったわりに余裕を持って帰れました。福島くらいなら遠くないですね。
電車賃
仙台〜郡山〜会津若松間 3260円
会津若松〜郡山〜猪苗代間 480円
猪苗代〜郡山間 650円
郡山〜水戸〜金町間 4620円
合計 9010円
おおっ、三日目の頑張り具合がすごいですね。これを18きっぷの2300円で乗り切ったんだから、もうなんの文句もないというか、18きっぷすばらしいなあ。秋も出してくれたらいいのに(大人なんだから特急電車にも乗りなさい>わたし)。
というわけで、次回から詳細に写真貼ったりいろいろします。しばらく東北旅行一色の更新になります。