雨が降って涼しくなったので、そろそろ東北旅行の写真を貼りまくりますよ!
東北に来て最初に降り立った駅は、宮城県の愛子駅です。愛子と書いて「あやし」と読みます。この地名は土地に昔からある観音様に由来しているそうです。子供を抱いている姿の観音様なので、子安観音(こやすかんのん)とか、子愛観音(こあやしかんのん)とか呼ばれていて、それが「あやし」という地名になり、当て字も「子愛」が逆になって「愛子」となったそうです。
▲JR仙山線・愛子駅
駅前で電源を借りる
ここまで来る間に iPhone4 の電池があやうくなってしまいました。他にデジカメを持っているので写真はどうにかなりますが、地図を見たりするのに iPhone がないとビミョーです。
田舎の駅なので、駅前にマクドナルドとかはないんです。でもなぜか駅前の一等地に Softbank のショップがあるんです。渡りに船とばかりに電源を借りることにしました。店員さんたちは接客中で話しかけられそうもなかったので、勝手にあいてるコンセントを借りて勝手にコーヒーもいただいてしばし休憩。
▲店にあったテレビがまだアナログだ!
アナログの停波は7月24日だったわけですが、ここ東北ではまだアナログが続いています。デジアナ変換とかではなく、本当にアナログです。だってほら、来年 3月31日に終了しますって書いてあるでしょう?
被災地でテレビの買い替えをしている余裕がないというので東北では来年 3月までアナログ放送が続くことになっているのです。これを見て東北に来たぞーという気持ちになりました。
愛子の由来になった子愛観音様にご挨拶
▲子愛観音(あやしかんのん)をお祀りするお堂。
駅から徒歩で 10分くらい。地名の由来になった観音様はこのお堂の中にいらっしゃいます。子愛観音の由来にはふたつの伝説があるそうです。
1. 鎌倉時代説
鎌倉時代の初期 1187年、定澄(じょうちょう)という人が、以下のような伝説を聞き、母親の情に感じて彫ったものと言われている。
ある母親が、夫と死に別れ、乳飲み子をかかえてひとり健気に働いていた。しかし、雇い人の長者は心根の曲がった人で、子供を背負って働くのでは一人前の仕事はできまいと言って賃金を出し惜しんだ。
仕方なく、母親は赤ん坊を置いたまま働きに出るようになったが、仕事が長引いて帰りが深夜になってしまった時、赤ん坊は餓えのために死んでしまった。悲しんだ母親は近くにあった池に身を投げて死んでしまった。その池の名前は小鶴ヶ池といい、小鶴とは母の名とも子の名とも言われている。
[参考サイト]
http://www3.ocn.ne.jp/~hirose-a/3-010-00.htm
こちらによれば、小鶴伝説は宮城野区のものであり、青葉区の愛子にもたらされたのは安養寺の移転にともなうものだろうと推測されています。
http://minwa.blog37.fc2.com/blog-entry-8.html
http://www.sendai-c.ed.jp/~sinden/H19/sinndennrekisimappu/sinndennnorekisi/kodurugaike/kodurugaike.html
小鶴伝説についてはこちら。
2. 江戸時代説
江戸時代初期、伊達政宗が仙台藩主になった頃、このあたりの街道が整備され、近隣の村から住民を集めて新たに愛子宿が作られた。
この時、肝入検断という職(村のまとめ役)についた小松氏の誰かが他所の土地から背負って持ってきたのが子愛観音だったという。
どちらの説にしても、地名が先か、観音像の名前が先かはっきりしませんが、『安永風土記書出』という本に「当時横町と申す所に相立ち申し候子愛観音之有り候を以つて当村の名に申し来り候由御座候」とあるので、一般には観音像の名前に由来する地名だとされているようです。
▲これはご本尊様のイメージをつたえる石像です。裏側に平成十八年八月十日復刻と書いてありました。
こういった、子供を抱いた姿の観音様を子安観音といって、日本全国に作例があるようです。これを「子愛(こあやし)」と呼ぶのはとても珍しいことで、たぶんこの土地だけだと思います。
地名が愛子(あやし)ということもあって、敬宮愛子さまご誕生の際は盛り上がったみたいですね。観音堂のまわりにも「敬宮愛子様御生誕記念」と書かれた杭が立っていて、植樹祭などが行われたようです。
▲愛子さまのご生誕を記念する杭。石像は杭とは関係なくて、庚申講関係の青面金剛だと思います。
実は、わたしがこれから見に行くものも、愛子さまのご生誕を記念して作られたものです。その名もずばり、愛子大仏です!
というわけで次の記事に続く。
タグ:2011年8月東北旅行 伝説