女川街道を石巻駅の方角へどんどん歩いていくと、右手が山になり、山へ登っていく階段と鳥居がありました。地図で言うとこのへんです。>google mapへ
▲零羊崎神社の参道入り口
神社の名前を刻んだ石碑が倒れたままになっていました。零羊崎は「れいようざき」と読むのでしょうか。名前の由来が気になります。石段をのぼるべきか少し悩んでやめました。石碑が倒れてる状態では階段も無事かどうかわからないし、何段のぼると神社があるのか下からではわからなかったのです。
あとで地図を見てびっくり。零羊崎神社はおもいっきり山の上にあるらしいです。覚悟して行けばいいでしょうが、不用意にのぼらなくてよかったです。
零羊崎神社の鳥居のすぐ近くに、今度は別の神社の鳥居がありました。
▲一皇子宮の鳥居
▲一皇子宮の社殿
▲狛犬さんの顔が欠けてる
▲あ、顔だ…
ちょうど山の陰になってしまい、あたりは薄暗くなっていました。狛犬が欠けてるのが地震のせいかどうかはちょっとわかりません。
一皇子というのは誰のことなのかというと、後醍醐天皇の息子で護良親王(もりながしんのう、もりよししんのう)という人のことなんだそうです。彼は南朝が亡びた時に鎌倉で殺害されたということになっています。
ところが宮城県には、その護良親王が落ち延びてきたという伝説があるそうです。
http://blogs.dion.ne.jp/natorigoro/archives/8158315.html
しかも、敷地内には護良親王の陵墓があるらしいんですが、これにはまったく気付かず惜しい事をしました。
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/miyagi/ishinomakisi/ichioujigu/ichioujigu.html
偶然みつけて立ち寄った神社ですが、義経=ジンギスカン伝説や、戸来村のキリスト伝説みたいな面白い話の残るところでした。
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