千葉県市川市に弘法寺というお寺があります。読みは「ぐほうじ」です。
▲いかにも歴史ありげな山門。中には立派な仁王像がありました。「真間山」の額は空海が記したものだと言われているそうです。
名前からして真言宗でしょうと思ったら、一番最初は行基さんが作った求法寺(ぐほうじ)だったそうです。そのあとに弘法大師がやってきて建て直したので弘法寺になり、さらに後の時代にどういうわけか天台宗になったそうです。
じゃあ今は天台宗なのかっていうとそうでもなくて、十三世紀に住職が日蓮の弟子に問答でまけて、今は日蓮宗なんだそうですよ!
お寺の歴史を聞いてるだけでお腹いっぱいになりそうですが、メインディッシュはこれからなので寝ちゃだめですよ。
▲けっこう立派な石段です。
実は、このお寺の石段には不思議があります。石段のある部分が、いついかなる時でも濡れていて、決して乾かないのです。人呼んで涙石。
▲これがその涙石。ごらんのとおり、まわりの石が乾いているのにここだけ濡れています。
▲下から見るとこんな感じです。石段自体は作り直されているようですが、涙石だけは昔のまま残されているんですね。
この石には伝説があるそうです。
江戸時代、日光東照宮を造るために、伊豆から船で石を運んでいました。ところが市川市の根本というところで船が動かなくなってしまい、仕方がないので石を弘法寺の石段に使ってしまいました。
しかし無断で積み荷をおろしたということで、作事奉行の鈴木長頼という人が責任を問われ、この石段で切腹したというのです。その無念の涙が石にしみこんで、何百年たっても乾かないのだということです。
◎真間山弘法寺・公式サイト
http://mamasan.or.jp/
ところで、このお寺は行基がつくったのが最初だと書きました。実はそれにも伝説があります。
欽明天皇の時代(奈良時代)に、勝鹿の真間(今の市川市)に手児奈(てこな)という娘がいました。彼女はこのあたりの支配者の娘で、勝鹿のとなりの国にお嫁入りしたということです。
ところが、嫁ぎ先と勝鹿のあいだに争いがおこります。そのせいで責められた手児奈は、いたたまれなくなって勝鹿に逃げ帰るのですが、嫁ぎ先でうまくいかなかったという負い目から実家に戻ることはできませんでした。
実家近くの村で人目をしのんで暮らしはじめた手児奈でしたが、美しい彼女を村の男たちが放ってはおきませんでした。手児奈を自分のものにしようと争い始めたのです。
すっかり争いごとがいやになっていた手児奈です。自分がいるからいけないのだと、真間の入り江に身を投げて死んでしまいました。
彼女の悲しいおいたちは、やがて都にも伝わります。そして737年に行基という僧侶がこの地にやってきて、手児奈の霊を供養するために寺を作ったということです。
▲濃縁観世音菩薩
男たちが自分をめぐって争うのを悲しんで自害してしまう娘の話は、菟原処女(うないおとめ)の伝説などが有名で、あっちこっちに似たような話があるみたいです。新小岩の於玉稲荷なんかもそうですね。
関連記事
お玉ヶ池(岩本町)と於玉稲荷(新小岩)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1233
手児奈伝説の類話です。
夜泣き石伝説(市川市・里見公園)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1204
こちらも石にまつわる伝説。夜な夜なこの石のかげから娘がすすり泣く声が聞こえたといいます。里見氏と北条氏の合戦にまつわるお話です。
八幡の薮知らず(市川市)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1175
今回の記事とは直接関係はありませんが、弘法寺の近くにある市川市の不思議スポットです。
駒どめの石と千本銀杏(市川市)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1176
源頼朝の馬が足をかけたという石の話です。
葛飾八幡宮の千本銀杏(市川市)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1177
一カ所から沢山の銀杏の木が生えて一本の巨木になっています。
タグ:伝説
Sari 2012年07月07日(土)21時32分 編集・削除
ご無沙汰しています、Sariです。 こんにちは
市川の弘法寺、市川散策のときに古墳見物に行きました。
古墳は放置っぽくて残念でしたけど。
ところで、6・7・8日と、南千住のスポーツセンターで
荒川区の伝統工芸展を見に行ったのですが、
地口行灯の絵の大嶋屋がありました。http://www.city.adachi.tokyo.jp/003/d10100035.html
地口行灯の絵の本が参考に置いてあり、絵が売られていました。
近くで実物の絵を見られて面白かったです。
ついでに、腹に響く和太鼓演奏・相撲甚句も聴けて、雨の中、行った甲斐がありました。
相撲甚句は両国の花の舞の社中の方がちょっとうまいような気がしましたが。
記事の内容と無関係でごめんなさい。
ではまた・・・