石巻へ行った話なども書きたいのですが、とりあえず伊豆の写真をどんどん貼ってしまいたいと思います。
下の写真は稲取で写してきたものです。八百比丘尼(やおびくに)の像だと言われているそうです。
八百比丘尼伝説というのは大ざっぱに説明すると次のようなお話です。
・浜に流れ着いた人魚の肉を父親が持ち帰る(竜宮から持ち帰るという話もある)。
・人魚の肉を食べれば永遠に死なないと言い伝えられている。
・父親は気味が悪いから食べてはいけない、捨ててしまえと言う。
・娘は隠れてその肉を食べる。
・娘は歳をとらなくなり、両親が死んでも若い娘のまま生き続ける。
・尼になり、全国を行脚し、八百歳くらいで死ぬ(あるいは入定する)。
とても不思議な話です。手塚治虫の『火の鳥・異形編』はこの伝説をモチーフにしています。
冒頭に貼った写真中央の石像はその八百比丘尼の姿をかたどったものだと言われています。といっも、地元では賽の神(道祖神)だとしか思われていなかったそうですが、折口信夫が石像の持ち物から八百比丘尼であろうと言ったことから、そう考えられるようになりました。
今では崩れて跡形もありませんが、もとは手に椿の小枝と草履を持っていたそうです。その「椿」こそが八百比丘尼である証拠だと折口信夫は書いています。壊れてしまっているのが本当に残念です。
文学篇の扉の処に出した「八百比丘尼」の石像は、四年前の正月、伊豆稲取のれふし町で見つけたもので、おなじ本の中にある房主頭の「さいの神」、帳面をひろげた女姿の「さいの神」らしいものとの間に、すゑてあつたのである。此神像は、土地の人すら、唯「さいの神」とより、今では考へて居ない様だ。が、左に担げた、一見蓮華らしい手草(タグサ)が、葉の形から、椿と判断する外ない。
折口信夫『古代研究 追ひ書き』より
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46948_26566.html
そういえば、姥神様とか、なんとか婆様と呼ばれる老婆の像が各地にあります。たとえば下の写真は長野県の遠山郷というところで写してきた「おさま婆様」の石像です。
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1168
あいにくと手持ちの写真はこれだけですが「姥神様」で検索するとさまざまな作例がみつかると思います。たいていは片膝を立てた座像で、手に杖を持って、恐い顔をしていたりします。三途の川のほとりにいるという脱衣婆なども同じような姿で作られます。
稲取の八百比丘尼は顔も手も欠けてしまっていますが、ポーズのとりかたが「○○婆様」「姥神様」に似てると思いました。
『古代研究 追ひ書き』には山の女神が山姥や八百比丘尼に変化していったことも書かれており、我ながら目の付け所は間違っていなかったとほくそ笑みました。