野田市は葛飾区から北に2〜30キロのところにある千葉県の都市で、キッコーマン醤油の工場があるので有名です。
ちょっと前に用事があって野田市へ行くことになり、ついでに何か見られないかと思って探したら、市内の何ヶ所かに猿田彦(サルタヒコ)の像があるっていうので見に行きました。
まずは須賀神社。地図で言うと場所はこのへん。
より大きな地図で 野田市の猿田彦像 を表示
となりが紳士服のコナカです。東武野田線の、野田市駅から800mくらいなので、徒歩10〜15分といったところ。
▲野田市・須賀神社 何か写り込んでいるのは霊や神じゃなくて残念ながらレンズの汚れ、です、たぶん。
社殿がやけに新しいなと思ったら、震災で被害をうけたので、コンクリートで建て直し、平成二十五年(2013年)に完成したと境内に記念碑がありました。
google地図のストリートビューも、2012年11月の日付で建て直し真っ最中の状態です。ストリートビューはアップデートされ、別の写真と差し替えられてしまう可能性がありますが、今ならまだ見られます。
さて、こちらの神社、一般的な須賀神社と同じでスサノオ神をお祀りしているとのこと。
今回会いに来た猿田彦神の像は、社殿に向かって右奥にありました。
▲猿田彦神の石像。文政6年(1823)造立とのこと。
想像以上に立派な像です。高さはどのくらいあるでしょう。見上げて写してるので、台座をふくめると 2m 以上あるはずです。石像だというので、お地蔵さんみたいなものを想像していたのですが、風に衣をなびかせて立つ凝ったデザインじゃないですか。
▲お顔:やや大きめの鼻
猿田彦は、高天ケ原からおりてきた天孫(天照大神の孫ニニギノミコトのこと)を地上で出迎えたと言われています。『日本書紀』巻第二によれば「鼻の長さは七咫、背の高さは七尺」とあり、大男で鼻がものすごく高い(というより長い)ってことですね。
行く手に変なのが現れたので、天孫はアメノウズメという女神に見てくるように言いました。ウズメが半裸で迫るとサルタヒコは道案内をすると申し出ました。
▲台座には三猿の像
なんでこれを見に来たかっていうと、単純に「猿田彦の像?もしかして珍しい?」って思ったからなんですけどね。ご近所の神社にサルタヒコあります? わたしが住んだことのある町ではサルタヒコは聞いた事ないんですけど、野田市内にいくつかあるんだそうですよ。
なんで野田市で猿田彦神が信仰されているのかっていうと、それはよくわからないんですけど、庚申講か辻切りと関係があることは確かみたい。
庚申講(こうしんこう)というのは 60日に一度まわってくる庚申(かのえさる)の日に、人が眠ると体から虫がでてきて、その人の悪行を閻魔大王に報告しに行くから寝ないで過ごすという行事です。
庚申講はそうとう流行ってたらしく、とにかくあっちこっちに庚申塔(石碑)が残ってます。でもたいていは青面金剛という仏像と、三猿が刻まれてることが多いんです。サルタヒコじゃなくて。
まあ、青面金剛は仏像ですから、神社ならサルタヒコじゃろう、っていう簡単な話かもしれないですけど。
おまけ:二十三夜碑
▲二十三夜碑
これも須賀神社で写しました。月待塔ってやつらしいです。月を見ながらお酒を飲んだり、お経をとなえたりして過ごす行事のことを月待ち講というそうで、二十三夜碑だから、あと数日で新月になってしまう細い月を見る集まりがあったってことでしょうか。
二十三夜碑には「総州葛飾郡庄内領野田下町維時文化十四年星次丁丑春二月吉辰建焉」と刻まれています。
野田下町はこのへんの地名で、近くの交差点の名前が「野田市下町」でした。維時は「時は」くらいの意味で、星次は歳次と同じ意味で年回り(十二支)のことですかね。吉辰(きっしん)は吉日とほとんど同じ意味らしいですよ。なんで辰なんでしょうね。昔の言葉は面白い。
庚申講も、寝ずに神妙な顔してたとは思いにくいので、お酒飲んで楽しく過ごしたんじゃないかと思うんです。そういう集まりが盛んだったのかもしれません。隣には弁財天と大きく刻まれた石碑もありました。
◎野田市:須賀神社猿田彦神
http://www.city.noda.chiba.jp/syoukai/bunkazai/sugajinja.html