前の記事にひきつづき、野田市の猿田彦像に会いに行きます。今度のサルタさんは、須賀神社のちょっと北にある清水八幡神社ってところにいました。
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地図でいうとこのへんです。東武野田線の愛宕駅から徒歩10分くらいかなあ。
▲野田市・清水八幡神社
目ざとい人は「おっ?」と思ったかもしれません。入り口に「バッパカ獅子舞奉納地」って書いてあるんですよ。近くに由来を書いた看板もありました。いわゆる三匹の獅子舞というやつで、頭に獅子頭、お腹に太鼓をかかえて、三匹で舞います*1。バッパカは太鼓の音だそうです。この神社では毎年7月24日にやってるって書いてありました。
三匹の獅子舞も好物のひとつですが、ここのは知りませんでした。猿田彦神の御利益かもしれないですね。いつか見に来られるといいんだけど。
とりあえず、今日のメインディッシュは猿田彦さんですから、先に進んでみましょう。
▲庚申塔の数々:真ん中の背の高いのが猿田彦像
前の記事で、庚申塔には青面金剛という仏像と三猿が刻まれてることが多いって書きました。写真でいうと手前三つの石碑が青面金剛です。真ん中が猿田彦、奥の石碑には文字で「庚申」などと刻まれています。
▲清水八幡神社の猿田彦像
ここの猿田彦さんは、どうやら須賀神社の像と同じ人が彫ったんですね。須賀神社のが丸彫りで大きく、ここのはレリーフで小さめという違いはあるもののデザインはほとんど同じです。
[追記]
同じ人が彫ったのかと思ったのですが、この像も須賀神社の像も、文政6年(1823)に像立されたと刻まれてるそうです。機械を使わずに彫ってた時代に、これだけの仕事を平行してこなしたとも思いにくいので、同じお手本をもとに彫ったっていうのが正解かもしれないです。
そう言われてみれば、ポーズから、雲の配置まですごく似ているけれど、顔つきなどのタッチが少し違うんですよねえ。
▲トレードマークの大きな鼻は、欠けちゃってるみたい。
前の記事で、猿田彦神が天孫の道案内をしたと書きましたよね。そういえば青面金剛のそっくりさんに馬頭観音っていう仏様がいます。
青面金剛は庚申の守り神なので三猿が一緒に彫られてることが多くて、馬頭観音は荷物を運ぶ馬を供養するために彫られるので街道沿いに道案内と一緒に彫られてたりします。
単純に庚申→猿→神道なら猿田彦みたいな連想だけでなく、青面金剛≒馬頭観音→道案内→猿田彦みたいなイメージの繋がりもあるのかなあと思いました。
そうそう、最初に書いたバッパカ獅子舞というのも、このイメージの繋がりと無関係じゃないと思うんです。こちらの獅子舞は、以前は辻切りの行事だったらしいですよ。「村の四方の入り口、巽・乾・坤・艮で悪疫退散を祈願して舞った」と由来を説明する看板に書いてありました。悪いモノの通り道を霊力で断ち切る行事です。
『日本書紀』によると、天孫がやってきた時、猿田彦神は天八衢(あめのやちまた)という場所にいたそうです。衢は辻のことですから、さまざまなモノたちが通りがかる路上にいて、見張ってたんだと思うんです。つまり辻切りしてたってことですよねー??
そんなこんなで、野田市の猿田彦像をたずねるプチ旅行でした。わたしが見に行ったのはこれだけですが、実はもっとあっちこっちにあるらしいです。チャンスがあったら他の猿田さんにも会いに行っちゃうかもしれません。
▲清水八幡神社の大きなイチョウの木。この大きさをお伝えすべく、抱きついてるところを写してもらった。
漫画の中の猿田彦
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えー、わたしが猿田彦好きなのは、手塚漫画好きだからですっ(笑)火の鳥・黎明編では、猿田彦が邪馬台国の兵士で卑弥呼の家来という設定で出てきます。ニニギやウズメも出てくるよー。
*1:関東にはあっちこっちにこのタイプの獅子舞が残っています。葛飾区柴又の八幡神社や、三郷市戸ケ崎の香取神社、八潮市の各地など…わたしのブログを漁るだけでも何ヶ所かみつかるかも(URL探すのめんどい)。