これまでみなさんに考えてもらった眠の呼び名の由来をまとめてみようと思います。
◎今昔かたりぐさ:養蚕のはじまり
http://www.chinjuh.mydns.jp/ohanasi/365j/0306.htm
↑ここにリンクします。
まずは、江戸時代から言われている名前のおさらい。
一眠:シジの休み 獅子の休み
二眠:竹の休み 鷹の休み
三眠:舟|船(ふな)の休み
四眠:庭の休み
二眠について、竹と鷹でばらつきがあるのは、おそらく発音が同じだからです。群馬では竹箒のことを「たかぼうき」と呼んでました。
次にそれぞれの呼び名の由来です。
(珍獣)
「かゐこやしなひ草」で、又くハをしかじかくハぬことありこれをねむるともいふなり、とあるのが訛って獅子やシジになったのかな、と珍説を唱えてみる。二番目の眠を竹というのは、かひこくわをくわするにしたがひしだいに大きくなり、ほかの竹すだれようのものにうつしてくわをあたへるなり、が由来ではないだろうか。
舟、庭については不明
# 「かゐこやしなひ草」をもとにした文献が江戸時代に多く作られている。
(Goudeau)
指似と書いてシジと読み、幼児の男性器のことではないか?
(Goudeau)
シジ:子供の小さなティムティム
タケ:オトナの立派なティムティム
フナ:言はずと知れた女性器の象徴。
立派なティムティムを収納する抜け殻か
ニハ:男性的要素と女性的要素は遂に錬金術的に結合され
蚕は両性具有者となつて羽化登仙する。
・・・なんてネ。
(最後の項目はやや無理やりです)
(Goudeau)
門付けの『春駒唄』の文句
「さればこれより休みにかかる、シジの休みはしんじつ蚕、フナの休みはふんだん蚕、ニハの休みでにはかに育つ、くせなくきずなく簇に上がる」
(Goudeau)
「縮む」を「しじむ」と読む読み方が存在するさうです。(『言海』による)
「夜のしじま」といふときの「しじま」は、「口を閉ぢること」→「口を縮めること」→「無言」「静寂」
貝の「しじみ」(蜆)は「縮み」から来た語
幼児のティムコを意味する「シジ」も「縮む」→「なにかしら小さなもの」、といふ成り立ちらしいです。
つまり「シジ」は小さな状態のお蚕さんを指すと考へて差し支へないでせう。
(ゆう)
生まれてから眠に入るまでの日数を表しているんではないか?
シジ→四日
竹→チク→(ひっくり返して)→クチ(くんち)→九日
フナ→2と7→2×7=14日
ニワ→そのまま28日(ちょっと長いかな)
非常に鋭い意見が多く、特に Goudeau さんの「シジ:なにかしら小さなもの」説はかなり信憑性があります。小さなものという意味のシジから、獅子を連想して獅子の休み、獅子蚕(ししこ)などの言葉ができたと考えて良さそうです。
また、ゆうさんの「生まれてから眠に入るまでの日数」説もかなり捨てがたいのです。飼い方の暗記法だった可能性は高く、眠に入るまでの日数は、餌のやり方と関係しているので覚えておかなければならないことのひとつです。現在飼われている標準的な蚕の育ち方とは一致しませんが、昔の品種がこういう育ち方をしていた可能性は否定できません。
今のところ、船|舟(ふな)と庭の由来は、春駒唄は後付けの縁起担ぎと考えられるので、ゆうさんの日数説以外にパッとした説が現れていません。謎に挑戦するツワモノ募集中。
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(もっとあるかもしれない、コメントは検索するのが難しい)
熟蚕のことを「ずー」というのはなぜか?
(検索用)ず、ずう、ずぅ
(珍獣)
上蔟(じょうぞく)のじょうが訛ったのではないか。
あるいは、熟蚕を「じゅくご」と読んで、じゅっこ→ずっこと訛ったのではないか。
(Goudeau)
私の鹿児島弁的センスで言ふと「ずー」は「透く」を表す擬音語のやうに聞こえます。
正確な意味を知らないままに記憶して居た吉田一穂の詩の文句にこんなのがあります。
透蚕(すきご)は眠る,
影ほの白し。
一線(ひとすぢ)の丘の曙,
山々の遠き風嘯。
タイトルは「曙」。上記四行で詩の全てです。
(Sari)
茨城弁に
ずっこ:上族前のカイコで頭が透明になったもの。
とあるので、
ずっこ=頭蚕か?
(Sari)
伊那地方では
「・スガク=五齢の終わりに桑を食べなくなり、蚕の体が透き通ってきた状態。熟蚕となる状態。
・アタマスガキ=頭が透き通る蚕 空頭蚕」とあるので
ず←すがくの「す」か?
料理で「すが入る」=空洞が出来るの「す」かしらん・・・
(さよ)
当方も伊勢崎の生まれ育ちでして、母にこちらさまのブログを見せて、「ずー」って何?と聞いてみましたら、「意味や字はわからないけど、お蚕じゃなくてもそう言う」とのことでした。
年を取った方の身長や体格が小さくなることがありますが、そういう時に「あの家のおばあちゃん(おじいちゃん)、ずーになったねえ」みたいに使ったそうです(年を取ってもあんまりふくよかな方には使わなかったそうですが・笑)。
ただ、これがお蚕の「ずー」が先に言われていたのが人間にも言われるようになったのか、そのへんは分かりませんが…。
透蚕(すきご)か熟蚕(じゅくご)が変化して「ずっこ」か「ずうっこ」になったというのが有力と思われます。
さよさんの、群馬ではお年寄りもずーになるのだというのも面白いのです。おそらくは養蚕用語のずーが先にあったんだと思いますが、これを聞いて新しい仮説を思いつきました。お爺さんのことを「じじ」というのは、もしや老いて小さくなるから「しじむ」→「じじ」なのでは??
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2009年6月2日、この記事へのコメントの受付を停止しました
ロシア語のスパムが多いので、コメント欄を閉じることにしました。閉じるとこれまでついたコメントも非公開になってしまうので、以下に転載します。
これよりコメント欄からの転載
Goudeau 2008年07月30日(水)22時18分 編集・削除
↓こんなページみつけました。
明治九年の『養蚕方荒まし』といふ本
http://www7.ocn.ne.jp/~chido/yosankata.htm
「四つの休み」については下の付録で「金色姫」の説話(珍獣様のいふ「受難貴人」説話の一)を載せて居ます。付会といふ印象が強いですけど、逆にいふと、背景にこのやうな説話があるからこそ、このやうなわけのわからぬネーミングになつた、とも言へるのかも。(つまり、説話から眠の名が出来た可能性もあるかも?)
「ずふ」(ずー)に関しての記述に、暑さに関する注意が繰り返し述べられてゐます。勉強になります。
《八十度余(華氏80度≒摂氏27度か?)の暑さにては、春蚕の時候には暑過ぎたるものと知るべし。桑を与ふる時も、日に一、二度桑葉に清水を颯と掛けて与ふるがよし》
※蚕影神社御神徳記
ttp://park19.wakwak.com/~hotaru/kokagesann.htm
※今気付きましたが、「今昔かたりぐさ」のなかの「対照表」の「金色姫」と「衣笠姫」が逆になつてますネ。珍獣ららむ~ 2008年07月31日(木)01時50分 編集・削除
あ、直します。ありがとう。
説話が先だとしたら、
説話の由来がかえって気になってしまいますね。珍獣ららむ~ 2008年07月31日(木)20時21分 編集・削除
荒俣宏の『世界大博物誌・蟲類』でも蚕の眠の名前は金色姫の説話によるものだと書いてますね。でもやっぱり、説話が最初というのはおかしい気がします。
もしかすると、シジと竹のみ先にあって、この時点でシジを獅子、竹(たか)を鷹に見なしたお話ができて、舟や庭が追加されたんじゃないでしょうか。舟や庭の由来がハッキリしないのはそのせいかもしれないです。