アイヌ語はなまじ日本語と似ているから余計にわかんない・1
そういえば昔はアイヌ語を日本語の一方言みたいに思っている人が少なからずいたらしいんだけど、そこまで似てないです。たしかに日本語と語源を同じくする語彙も多いし、語順も似てるけど、アイヌ語には「〜が」「〜に」「〜を」のような助詞はないし、動詞に何かつけて過去を表現したりもしないし、とにかくいろんなことが違う。
中でもこの違いは面白いんじゃないかと思うのは、ものの性質によって所有の表し方が違うこと。
たいていのものは、「わたし・持つ・ナントカ」という形で「私の〜」という意味になる。
ku=kor itanki わたしのお椀
e=kor tamasay お前の首飾り
ci=kor cise 我らの家
eci=kor cip 君たちの船
これらはどれも、「ダレソレが持つ、ナントカ」という形になっている。
ところが「私・ナントカ(名詞所属形)」という形で「私の〜」を表す単語がある。
k=utarihi わたしの家族 utar:家族
e=seturuhu 君の背中 setur:背中
ci=akihi わたしたちの弟 ak:弟
eci=kerihi おまえたちの靴 ker:靴
どこに違いがあるかっていうと、人にあげたら他人のものになってしまうものと、そうでないものの違いだそうな。
手や鼻や目のような体の一部や、弟、妹、兄、姉、父、母、家族みたいな、どう頑張っても他人には与えられないようなものは、「ダレソレ・名詞の所属形」の形で所有を表すらしい。植物の葉や枝なんかにも所属形がある(植物自身から見たら体の一部だから?)。
お椀や首飾りみたいなものは、そもそも所属形がないので後者の方法では言い表せないし、耳や足なんかを「ku=kor」とかでは言えないそうだ。説明されれば違いはわかるんだけれど、日本語にはない発想だと思う。
よくわかんないのは「靴」にまで所属形があるということ。靴なんかいくらでも他人にやれそうなものなのにね??
# アイヌ語も地方により語彙が少しずつ違うんだけど、萱野茂の「アイヌ語辞典」を引くと、着物にあたる単語で、amip には所属形がなくて、humuyke(he)、mipi(hi)は、()内の語尾をつけることで所属形を作れるらしいです。靴も着物も身につけるものなので、自分の一部とも考えられるのかも。
アイヌ語はなまじ日本語と似ているから余計にわかんない・2
もうひとつ、これはひょっとすると昔の日本語もこうだったのかな、と思うんだけれど、名詞に場所になりうるものと、そうでないものがあるらしい。
たとえば、ta というのは「〜で」という意味の格助詞だけど、必ず場所を表す名詞とセットで使わなきゃいけない。これだけなら日本語とかわらない。
問題は何が「場所を表す名詞」なのかってこと。村は場所を表すので、kotan ta:村で、という言い方ができる。
じゃあ、砂浜は? 日本語なら砂浜は場所になりうるので「砂浜で」と言える。でもアイヌ語では砂浜は物であって場所ではないらしい。
そういう場合は名詞にくっついて場所の意味を作る形容名詞というのを使うらしい。
sanota ka ta:砂浜・のところ・で
ita so ka ta:板の床・のところ・で
決して、sanota ta とか ita so ta とは言わないそうだ。
最初は素直に日本語とは違うんだなと思ったけれど、何度も唱えてるうちに、日本語にも同じ違いがあるんじゃないかという気がしてきた。
〜のところ・で、という形にこだわるとわかりにくいので、〜の上・で、〜の中・で、で考えてみる。
○村で △村の中で(くどい)
○砂浜で △砂浜の上で(くどい)
×砂で ○砂の上で
○浜で ×浜の上で
こうしてみると、何が場所で、何が物なのかわかる。村や浜は場所っぽいけど、砂は物なのだ。
砂浜は、砂の浜なので場所ってことになる。だから「砂浜の上で」とか「砂浜の中で」という言い方をするとくどい。日本語はそのあたりを厳密に分けないので間違いとはされないけれど、スマートな物言いではないはず。
このとおり「場所を表す名詞と、そうでない名詞がある」というのは日本語でも同じような気がする。
でも、何を場所、何を物とするかは違っているみたい。アイヌ語では sanota(砂浜)は場所じゃなく物で、日本語ではどうやら場所っぽい。
そんなこんなで、アイヌ語と日本語は、半端に似ていて、半端に違っている。だからよけいに頭がこんがらがって困っているところ。
左から二番目の辞書は、わたしは持ってないんだけど三番目の「カムイユカラで……」と著者が同じなのでセットで買うと幸せかもしれません。が、けっこうなお値段です。
「カムイユカラでアイヌ語を学ぶ」はCD付きです。このCDがかなり楽しい。ひとつ前の記事に書いた「年寄りカラスがどうした」の歌も入ってます。
一番右のは音楽CDで、伝統的な歌を軽くアレンジして伴奏をつけてあります。が、アレンジがアッサリしているので嫌みがありません。
[追記]
「砂山の砂に腹ばい」という石川啄木の短歌があるけれど、砂は物なので本来ならば「砂の上に腹ばい」で、「の上」という場所を作る単語が省略されているんだと思う。
他にも「船で暮らす」とかも、「船(の上 or の中)で働く」の略だけれど、日本語では省略しても意味が通じればあまり問題にされないわけです。この場合の船も物であって場所じゃない。
などと、ブツブツ言いながら、〜 ka ta (〜の・ところで)を克服しつつあるわたくしですが、 yakne と yakun と kor の違いに倒れそうです。
〜したら(yakne)、〜なるでしょう
〜したら(yakun)、〜する
〜したら(kor)、〜になるものだ
全部同じに見えるー(笑)!!!