伊勢崎と本庄のあいだには利根川が流れていて、そこに坂東大橋という、大きなトラス橋がかかっていました。今はかけかえられてトラス橋ではなくなりました。
そこを路線バスで渡る時、遠くに茶色くて円筒形に見える大きな建物が見えたものです。今はもうないかもしれませんが、当時はそれが便所からくみ取った汚水の処理場だとみんな知っていました。
その施設は本庄市内かその周辺の埼玉県側にあったと思うのですが、そっち方面から転向してきた子が言うには「前の学校では社会見学で処理場を見に行って、そこでお弁当を食べなきゃいけなかった」と言ってました。
今考えると汚水処理場の庭かなにかでお弁当を広げたのだとは思うのですが、子供の頃は汚物を見ながら食事させられるのだと思い込み、伊勢崎の学校にはそんな恐ろしい行事がなくてよかったと、本気で胸をなで下ろしたのです。
子供の頃は、学校行事が喜びでもあり苦痛でした。球技大会なんかうまくできないことがわかっているので、仮病を使ってでも避けたいと思っていました。思っているだけで、たいていのことはイヤイヤやったのですけどね。
汚物を見ながら(あるいは見てからすぐに)食事をするなんて行事があったら、今なら興味本位で行くかもしれませんが、当時はきっと本当に熱を出して休んだと思います。
けれどどう考えてもそんな肝試しのような学校行事があるとは思えないので、実際には衛生的に処理されるという説明を受けるだけで、汚物と食事が直結するような出来事ではないのかもしれません。
ただ、「汚水処理場でお弁当を食べさせられる」というのがあまりにも衝撃的な話だったので、今でも時折思い出してしまうのです。
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