伊勢崎市にある相川考古館の売店で買いました。普通の落雁ですが、「ことはにくん」が刻印されています。
ことはにくんは、相川考古館にある弾琴の埴輪(だんきんのはにわ)をモデルにしたマスコットキャラです。息子さんがデザインしたそうで商標登録までされています。ことはにくん(R)とか書くとやけにカッコいいです。
相川考古館は、相川之賀(あいかわしが)という人が私財をなげうって集めた考古物を展示しています。なげうったというと聞こえがいいというか、尊い自己犠牲みたいに聞こえますが、先祖伝来の財産を切り売りして意味のわからないことをしていると、親類縁者から白い目で見られていたらしいです。
之賀さんはとても面白い人で、明治十八年にわずかなお金を持ってアメリカへ渡りました。最初は教会でスクールボーイ(用務員みたいなやつ)をして暮らしていましたが、中国人追放運動みたいなもののあおりで町を追い出されてしまいます。しかし、もともと商売の才能があったんでしょうか。あちらではかなり成功して、カナダあたりで日本村を作ろうとしました。
海外で一旗揚げる人たちは、わりと親類縁者で固まってよそ者は受け付けないって感じだったらしいのですけど、之賀さんはわりかし一匹狼で、日本から来た流れ者のような人たちを、氏素性を問わずに雇ったそうです。原住民の生活にも興味を持っていて、インディアンは日本のえた・ひにんよりも酷い扱いを受けていると嘆いて、このまま放っておくとこの地の文化は消えてなくなるだろうと、原住民の彫刻などを買い取っては日本に送ってたらしいです。その一部は国立民族博物館に展示されてると聞きました。
結局、之賀さんは日本村をあきらめて相川家を継ぐのですが、郵便局長や町会議員をへて、群馬県史跡名勝天然記念物調査委員になりして、あちこちを調査してまわったそうです。
彼が亡くなる時、収集物を公共の役にたてるように、と遺言したので、相川考古館がはじまります。館の人の説明だと「亡くなってからふと見ると、もしかしたら貴重なんじゃないのと気付いた」みたいなことをおっしゃってました。家族も収集物の価値に気付くまで時間がかかったみたいです。
相川家はもともと立派な金物屋さんだったそうです。家屋敷を解体すると、当時高級だった鉄釘がたくさん出てくると言ってました。江戸時代に作られた茶室が残っています。昔は伊勢崎城のお殿様が遊びにくるような家だったそうです。
以上、相川考古館で聞いた話を思い出しながら書きました。記憶違い等御免。相川之賀はとても面白い人なので、ちょっとしたきっかけがあると、「ふしぎ発見」などのテレビ番組で話題になりそうな予感がします。とりあえず、だれか相川之賀の伝記を書いてくれないかなぁと思います。
◎相川考古館
http://homepage3.nifty.com/aam/
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