(宮城旅行4のつづき)
地震と津波の爪痕ばかり見ていたのでは観光客の名折れというものでしょう。せっかく塩釜にいるのですから、鹽竈神社(しおがまじんじゃ)に行くことにしました。地元では大事にされている神社だそうで、同行したおともだちによると、こっち方面に来て鹽竈神社に行かないのはダメだと東北出身の同僚からきつく言われているということでした。
ここらで表記の話をしておきます。地名の「しおがまし」は塩竈市とも塩釜市とも書いてよいそうです。「しおがまじんじゃ」も正式には鹽竈神社だそうですが、塩竈神社とか塩釜神社とか表記されます。ここでは地名を塩釜市、神社を鹽竈神社と表記します。
東北には良く来るのですが、恥ずかしながら鹽竈神社は初めてです。本塩釜の駅から車で数分。すこし山を登ったところにあって、とても立派な神社でした。広い無料駐車場があり、年末年始には参拝者が大勢来るのでしょう。
この日はすでに18時を回っていましたが、駐車場には10台やそこら止まっており、ナンバーを見ると関東や関西から来た車もありました。
▲神社の入り口にある甑炉型鋳銭釜(こしきろがたちゅうせんがま)。江戸時代のもので銅銭(銅貨)を作るために銅を溶かした釜だそうです。上中下の三段に別れていて、上に銅と鉄と炭を入れ、中段からふいごで空気を送って加熱し、溶けた銅と鉄が下段に落ちてくる仕組みだということです。三段そろって保存されているところはここだけだそうです。
これよく見たら二段目と三段目がずれてるんですね。地震以前の写真をネット検索で探してみると、以前はピッタリ合わさっていたようです。貴重な鋳銭釜が倒れなくてよかった。
▲志波彦神社(しわひこじんじゃ)。鹽竈神社と隣り合って立っています。志波というのは端っこのことだと言われていて、朝廷が東北方面を平定に来て、このあたりを国の端っこと定めて土着の神様を志波彦尊としてお祭りしたのではないか、ということです。宮城県には志波彦神社と志波姫神社があり、岩手県には志波稲荷があるそうです。
すでに日も落ちて薄暗くなってきました。志波彦神社はすでに閉門されて拝殿には近づけませんでしたが、それでも大勢が熱心に参拝しています。そう、みなさんとても熱心でした。この感じはほかの神社にはない雰囲気です。手を叩いて頭を下げるだけでなく、誰もが神様と会話するように丁寧にお祈りしているのです。
ともだちが格子戸の内側にあるさい銭箱に小銭を入れようとして三回も失敗し、取れないところに落とすので、四回目はわたしが代わりに入れました。格子から少し手を入れて下に落とすだけでいいのに、なぜか別の人も失敗してあらぬところに小銭を飛ばしていました。
▲鹽竈神社(しおがまじんじゃ)。ここでも参拝者が不思議なくらい敬虔な祈りを捧げています。実はこの写真は貼るべきかどうか本気で悩んで貼りました。拝殿にむけてシャッターを切ったら、どうしても参拝者の背中が写ってしまうのですが、ここでお祈りしている人たちは、本当に長いこと無言で立ち尽くしており、何も聞かなくても、何かあったとわかるからです。
▲献魚台。鹽竈神社には魚をお供えするための台がありました。
▲すっかり夜になってしまいました。境内には様々な種類の桜が植えられています。ソメイヨシノはほとんど散っていましたが、ヤマザクラなどがまだ見ごろでした。
立ち去る前に空を見上げたら、うっすらと夕日の名残がある空に、北斗七星がやけにくっきりと立ちあがっているのが見えました。
(宮城旅行6へつづく)
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