うつぼ舟というのは、木をくりぬいて作ったカプセル状の舟のことです。その昔、常陸国(ひたちのくに、現在の茨城県)の海岸に、うつぼ舟に乗って若い娘が流れ着いたという伝説があります。
その娘が死んで芋虫になり、美しい繭を作るようになりました。以来、この土地では養蚕が盛んで、茨城県内に少なくとも三ヶ所のお蚕の神を祀る神社があるそうです。
今回はそのうちのひとつ、日立市の蚕養神社を見に行ってきました。蚕(かいこ)を養(やしなう→飼う)と書いて、「こがい」と読みます。順番を逆にすると養蚕(ようさん)です。ちょっとややこしい!
▲これが日立市・小貝ヶ浜の蚕養神社
この神社、由来によれば日本で最初の養蚕業の守り神様だそうです。養蚕が盛んだった時代には参拝者が多くおとずれたということですが、今では寂しげな小さい神社なんです。
常磐線の十王駅(昔の川尻駅)で降りて、海にむかって 30〜40分くらい歩いたところにあります。距離にして 2km くらいでしょうか。
より大きな地図で 日立市の蚕養神社(こがいじんじゃ) を表示
青いポイントはコンビニやご飯を食べられそうな店の場所です。鳥居が神社で、泳いでるアイコンは海岸になります。
なんでわざわざ、この小さな神社を見に来たかっていうと、ひとつには、わたしが趣味でお蚕を飼うので、関連する神社に興味があったからなんですが、それ以上に、この地の伝説がおもしろいからなんです。
この話を書き始めると旅行記の域を超えてしまうので、なるべくアッサリ説明したいんですが、これがまた難しい。書いてるうちに夢中になってしまい、どんどん話が広がっちゃいそうで自分でおそろしい!!
うつぼ舟事件の舞台?!
ええと、みなさん、こういう絵を見たことがないでしょうか。これは古文書のさし絵をもとに、わたしが落書きしたものなので999に乗れとか言っちゃってますが、もともとは江戸時代中期に実際にあったとされる「うつぼ舟事件」の絵です。当時の瓦版や、滝沢馬琴の『兎園小説』など、さまざまな文献に残っています。文献ごとに少しずつバリエーションがあったりするようですが、あらましとしては以下のようなものです。
常陸国(茨城県)のとある海岸に、うつぼ舟が流れ着き、中から髪の毛の長い女性が現れました。女性は手に箱をもっており、異国の服を着て、言葉は通じないようです。舟の中には見たこともない、おかしな文字が沢山見えたそうです。土地の人たちは面倒くさいと思ったのか、女性を舟に戻して海に流してしまいました。
「うつぼ」というのは中が空洞になったカプセル状の容器のことです。ちょうどアダムスキー型円盤のようなものが海から流れ着いて、中から女性が出てきたっていうんですよ。こんなショッキングな話、面白くないわけないじゃないですか!
出てくる地名は「常陸国」であることは共通してるようなんですが、海岸の名前などはまちまちで、はっきりどことはわかりません。今回見に来た川尻・小貝ヶ浜も候補のひとつです。
神社に伝わる金色姫伝説
今回お参りに来た神社には不思議な伝説があります。
ある時、この地の海岸に、桑の木をくりぬいて作った繭の形をした舟が流れ着き、中から美しい娘が現れました。その娘はインドの大王の娘・金色姫で、継母に虐待されていたのを見かねた大王が、自分をうつぼ舟に乗せて流したんだと言いました。その地で五年暮らしたあと、体が弱って死んでしまいましたが、死に際に「自分は宿業により蚕(かいこ)という芋虫に生まれ変わるので、これこれこういうふうに育ててほしい」と言い残して昇天しました。こうして蚕がこの地にもたらされましたが、その虫は姫が継母に殺されそうになったのと同じだけ脱皮をし、そのたびに死にかけて、最後には美しい繭を作りました。里人はその繭を煮て糸をつむいで暮らすようになりました。
繭の形をした舟ですから、つまりうつぼ舟です。完全にうつぼ舟事件じゃないですか!
うつぼ舟事件が先か、金色姫伝説が先か?!
そこで問題なのが、うつぼ舟事件が先なのか、金色姫伝説が先なのかってことですよ。実はうつぼ舟事件は、滝沢馬琴が創作して広めたんじゃないかと言われていて、もしそうなら、この神社に伝わる金色姫伝説も、うつぼ舟事件をもとに創作された物語かもしれないです。
いやいや、もしかしたら金色姫伝説が先にあって、馬琴はそれにインスパイアされてうつぼ舟事件を創作したのかも?!
いやいやいや、創作とか夢のないこと言っちゃいけない。うつぼ舟はホントに漂着したに違いなくて、メーテルかスターシア様みたいなのが、ここいらの海岸に降り立ったに決まっているんだから!
などなど、様々な思いが入り交じっちゃったりして、頭が爆発しそうなわけですよ。
そもそもこの神社に祀られている神様は、ワクムスビ神、ウケモチ神、コトシロヌシ神です。
ワクムスビ神は火の神カグツチから生まれる時に、ヘソから五穀、頭の上には桑と蚕が生えてきたと言われ、食べ物と養蚕の起源に関する女神様です。
またウケモチ神はワクムスビ神の娘で、口から魚や獣を吐き出して人々に食べ物を与えていたという、やはり食べ物の神様です。あるとき天からやってきた月の神が、口から出したものを食べさせるなど汚らわしいと怒って、ウケモチ神を斬り殺してしまいました。すると、その死体から五穀が生え、眉毛は蚕になったと言われています。母娘そろって食べ物と養蚕の神様だってことですね。
最後のコトシロヌシ神は託宣の神様なので、神々と人間を結ぶ通訳的な存在だと思います。
あれ? うつぼ舟とか出てこない?
あわてない、あわてない、話には続きがあります。
孝霊天皇の御代に、小貝ヶ浜の沖にワクムスビ神が現れてありがたいお告げがありました。そこで里人たちが社をたてて、養蚕業の守護を祈願する神社としました。これが蚕養神社の由来です。ヤマトタケル尊が東征のおりに、この神社に参拝したことで、戦わずして蝦夷を平らげることができました。
って、やっぱりうつぼ舟とか出てこないじゃん!
一致してるのは「海に女性、何か言いたげ」ってことくらいですよね。
結論を言うと、何がルーツなのかはわからないんです。まあそう簡単にわかっちゃっても面白くないですから、謎は謎として残ってたほうが絶対いいに決まってる。
少なくとも、金色姫伝説は江戸時代ごろに付け足された物語だろうって思います。養蚕業は古事記や日本書紀の時代から行われていましたが、全国的にひろがって盛んになったのは江戸時代じゃないかと思うんですよ。
神社に掲示されてた由来書きでは、最初から蚕養(こがい)神社だったかのように書いてあったけど、もとは地名を冠した「小貝神社」だったかもしれないですよね。ワクムスビさんもウケモチさんも食べ物の神なので、豊作や豊漁の守護神として養蚕と無関係に信仰されてたっておかしくないでしょう?
仮説その1:馬琴のうつぼ舟事件→金色姫伝説に書き換えられて神社の由来に加わった
仮説その2:金色姫伝説→馬琴がその話からうつぼ舟事件をでっちあげた
仮説その3:馬琴は当時知られていた事件を面白おかしく書き残しただけで創作はしてない
仮説その4:その他??
▲蚕養神社の神社額
うつぼ舟や女神様が現れたっていう、海はどんなところ?
うつぼ舟や金色姫のことを考え始めると、ずーっとずーっと同じこと説明しちゃうくらい夢中になっちゃう。ハイヌヴェレ神話とも関係してそうだし、竹取物語も類話なんじゃないの、なんてことも思ったりする。
でも良く考えたらこれ旅行記なんでした。やばいやばい、完全に忘れるとこだった!
というわけで先に進みます(もう手遅れな感じもするけど)。
▲川尻海岸:今は、もう秋… すげー、ほんとに誰もいない!
蚕養神社は小高い丘の中腹みたいなところにありまして、そのすぐ下が海岸です。写真左手の崖の上に神社があります。神社から数分歩いたところに浜辺への出入り口がありました。海水浴場だと書いてあったので、夏休み中は賑わっていたのかもしれません。
このあたりの海には、山椒の実ほどの大きさで、色も山椒のように赤い、小さな巻き貝がとれるそうです。土地ではその貝を「蚕生貝(さんしょうがい)」と称して、これを持っていれば蚕に癖が入らず良く育つと言われていたそうです。
可能なら一個でもいいので、わたしも欲しい、というか見てみたいと思い、砂浜を歩いてみましたが、蚕生貝どころかゴミもろくに落ちてないきれいな砂浜で、波だけが寄せては返すばかりです。
でも景色は良かったなあ。ここにワクムスビ神や、金色姫や、うつぼ舟に乗ったメーテルみたいな人とかが降り立ったかもしれないんですよねえ。
うーん、旅っていいなあ。また来よう、きっと来よう!
ちなみに蚕生貝ですが、リュウテンサザエ科の巻き貝に、サンショウガイ(山椒貝)っていうのがありまして、たぶんそれのことだと思います。またダジャレ…いや、語呂合わせか。
◎北の貝の標本箱
https://sites.google.com/site/kitanoex/kohukusokumoku
こちらのサイトにサンショウガイの仲間がいくつか掲載されています。リュウテンサザエ科ってところを参照のこと…うっ、サンショウ貝だから参照って、もうだめだ、ダジャレが抜けない、タスケテー。
▲現地の様子を古文書のさし絵みたいに書いてみたよ。神社はこんな感じで丘の途中にあります。それほど高い丘じゃないけど、石段がけっこうあって、足が悪いと厳しいかもしれないですが、丘の途中から下を見ると、海がほんとにきれいだった。
▲小貝ヶ浜緑地の案内
神社のある場所よりさらに階段を上って先へすすむと、波切不動とか、いろいろあるらしいです。距離感がつかめなくて、今回は先には進みませんでしたが、次はここに時間をとっていろいろ回ってみようかと思ってます。
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