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古事記・日本書紀と養蚕のはじまり

 うちのお蚕さんたちはすっかり繭になりました。数は数えていませんが、たぶん百個に足りないんじゃないかと思います。それでも全滅はしなかっただけマシといえるでしょう。

 繭になってから二週間もすると羽化してしまいます(中で死んでいなければね)。蛾が出てきてしまった繭からは糸がとれないので、その前に糸を引いてしまうか、蛹を殺す処理をしなければなりません。

 色んな方法があるようですが、日本では熱風をあてる方法が普通だそうです。ただ、そのやり方だと絹の艶が落ちるので、古代中国では塩漬けにしていたようです。この方法は、養蚕家の志村明さんという人が古文書を研究して発見した方法ということです。
http://www.news.janjan.jp/special/0501/0501012229/1.php

 ほかには冷蔵庫に入れてしまう方法があります。人工的に冬の状態にして羽化を遅らせるわけです。

 うちのお蚕さんも、来週頭くらいには処理しなければいけません。もたもたしていると蛾になって出てきてしまうのです。

 本当はいくつか羽化させて交尾させたかったのですが、あれだけの病気が出てしまったので、やめておいたほうが無難かもしれません。子供がウィルスか菌を受け継いだら同じ事の繰り返しです。

 繭かきをしたら、また写真を載せたいと思います。

女神惨殺と蚕の誕生

 日本神話では、蚕は女神の死体から生まれたことになっています。

その1:古事記

  • 大気津比売が口や尻から食べ物をとりだすのを見た須左之男命は、自分に汚いものを食べさせようとしていると思い、怒って殺してしまう。
  • 死んだ女神の体から、さまざまな穀物が生まれ、頭からは蚕が生まれた。

大気津比売:オオゲツビメ
須左之男命:スサノオノミコト

その2:日本書紀

  • 月夜見尊は姉の天照大神に命じられ、地上にいるという保食神を訪ねる。
  • 保食神が口からご馳走を取り出してもてなそうとした。
  • 月夜見尊は汚れた吐物を差し出したと思いこんで保食神を殺してしまう。
  • 死んだ神の体からさまざまな穀物が生まれ、眉から蚕が生まれた(眉の形からの連想と、眉→繭という掛詞か?)。
  • その蚕(あるいは繭?)を口に含んだところ、糸をひくようになった。「又口の裏に蠒を含みて、便ち糸抽くことを得たり」
  • 天照大神は、良い神を殺してしまった月夜見尊を嫌い、決して一緒には現れなくなった。

天照大神:アマテラスオオミカミ(太陽神)
月夜見尊:ツクヨミノミコト(月神)
保食神:ウケモチノカミ

 その2で「かいこ」と訓じられているのは蠒という字で、蚕そのものとも、繭ともとれる字です。

 その「かいこ」を口に含んで糸をひくようになったとあるのは、『山海経』の「歐糸の野が大踵の東にある。娘が一人ひざまずいて木によりそって糸を吐く」という部分と、関係がありそうだと思います。

 『山海経』のこの部分は前にも紹介した馬頭娘の話を記録したものだと言われていますが、あるいは古代の糸の引き方を記録したものかもしれません。しかし、繭玉を口に含んで糸をひけるとも思いにくいです。

少子部の螺蠃(ちいさこべのすがる)

日本書紀より

  • 雄略天皇の六年三月、皇后様みずから桑こきをして養蚕をしようと試みる。
  • 螺蠃(すがる)という者に命じて国中から蚕(こ)を集めさせたところ、何を勘違いしたのか幼い子供達を集めてきて天皇にささげた。
  • これに大笑いした天皇は、子供達を螺蠃に育てさせ、姓を与えた。少子部連(ちいさこべのむらじ)という。

 帝のお后さま自らが蚕の世話をするのは中国の宮廷で行われていた行事だそうです。日本でも真似てみようとしたのです。日本書紀の記述を信用するなら、今から千六百年くらい前に、皇室で養蚕をしてたことになります。今でも美智子さまが御養蚕所で蚕の世話をしているそうです。

 ところで、チイサコベノスガルは平安初期の説話集『日本霊異記』にも出てきますが、やることなすこと元気がよくてユーモラスな人物です。参考までに『…霊異記』の話を紹介しましょう。ここでは栖軽(すがる) という表記で登場します。

 雄略天皇がお后様とむつみ合っているところに栖軽がやってきたので、怒った天皇が「雷を捕まえてこい!」と命じました。腹立ち紛れに言ったことで、本当に捕まえられるとは思っていないのです。

 ところが栖軽は雷雲の下まで駆けていき「雷といえども陛下のお召しには逆らえまい!」と叫びました。するとどうでしょう。都へ帰る途中で落雷があり、大木に雷がひっかかっていたのです。栖軽は雷をとらえて意気揚々と都へ帰りました。

 また、栖軽が年老いて亡くなると、墓に落雷があり、墓碑に雷がひっかかっていました。こうして栖軽は二度も雷を捕まえた男として知られるようになるのです。


関連記事:養蚕関係の伝説
◎中国の馬頭娘、日本の羽衣伝説、日本の七夕伝説、シベリアの羽衣伝説、山海経(中国)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=389
◎捜神記(中国)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=386
◎今昔かたりぐさ・養蚕のはじまり(日本の民話)
http://www.chinjuh.mydns.jp/ohanasi/365j/0306.htm

◎眠の話
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=385
◎眠の呼び名とずーの由来(まとめ)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=410

メモ

  • アリストテレスの『動物記』に蚕と思える記述があるらしい。ただし、家蚕ではなくヤママユガのような野蚕かもしれない。
  • プリニウスの『博物誌』にも養蚕の説明と思われる部分があるらし(今調べましょう、持ってるので)。これも野蚕の類かもしれない。
  • 黄帝関連の伝説に養蚕にまつわることが多々あるらしい。
  • 魏志倭人伝にも養蚕にまつわる記述があるらしい(どっかに本があったかな)。
  • 黄帝の元妃西陵が、蚕の繭を熱い茶の入った碗に落としてしまった。
  • すると繭がほぐれて糸を引き出せるようになった。
  • ためしに織ってみたところ、あまりに美しいのに驚き、蚕の飼い方を調べさせた。

出典不明『世界大博物図鑑(1)蟲類』より孫引き

タグ: カイコ 伝説

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  • 2008年07月31日(木)16時15分
  • 自然・園芸::虫

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