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金沢旅行二日目(1月5日)・その1

 金沢旅行の続きです。二日目は雨が降ったり止んだりでちょっと大変でした。

忍者寺

 twitterで忍者寺が面白いよと教えてもらったので、朝8時ごろお寺に電話して予約をとりました。平日なので観光客も少なく、どの時間でもいいということなので、朝一番の回にしました。9時ごろでしょうか。忍者寺までは香林坊の宿からはバスで二つか三つくらいでした。

金沢忍者寺
 これが忍者寺です。入り口の三角屋根にも驚きましたが、全面板張りで窓もない作りにもギョッとしました。どうもこれは冬のしつらえで、板は雪よけのために張ってあるらしいです。ところが、地元の人たちにはこういうのが普通らしくて、お寺でもまったく説明がありませんでした。帰ってきてからネット検索で、普段はこんなじゃないってことに気付いたような有り様です。

 中に入ると非常に立派な古いお寺ですが、ぱっと見ただけでは特に変わった点は見られません。ところがガイドさんについて歩くといちいち面白い仕掛けがあります。たとえば上の写真を見てください。この建物は何階建てでしょうか。平屋かせいぜい二階建てといったところでしょうが、実は四階建ての七層構造になっているそうです。七層というのは、中二階のようなところがあったりするからです。当時、三階建て以上の建物は徳川家にしか許されていませんでした。そこで二階建てに見えるように偽装してあるのです。

 このお寺は忍者寺と通称されますが、忍者とは関係がなく、金沢城の出城みたいな役割をするそうです。徳川家康が天下を取ったあと、次に天下を取る者がいるとしたら百万石の加賀藩に決まっていると噂されていたそうで、加賀藩三代目の前田利常は藩を守るために馬鹿殿のふりまでしたそうです。そうした反面、襲われた時の供えとして、このお寺に要塞としての機能をつけたみたいです。

 中庭みたいなところに井戸があって、普段は茶事の水を汲むのに使うそうですが、なぜか内側に横穴があるそうで、伝説によればその穴は金沢城まで続いているそうです。ただ、寺とお城の間には川があってトンネルを掘るのは難しく、実際には川原のどこかに続いてるんでしょうということでした。近代になってからは潜って確かめた人がいないのでホントかどうかはわからないそうです。

 なお堂内は撮影禁止で写真は撮れませんでした。

武家屋敷街

 忍者寺から片町までバスで戻って、109の脇から裏道に入ったところが武家屋敷街でした。109は渋谷にあるあの109です。金沢にもあるのです。

金沢武家屋敷街
 金沢のことはほとんど知らず、あまり真剣にも調べないで見に来てしまいました。武家屋敷と聞いたので江戸時代の建物が残っているのかと思ったらそうでもなくて、当時の面影があるのは塀だけでした。たまに本当に古いお屋敷も残ってるみたいですが、たいていの家は建てなおされて人が住んでいます。
金沢武家屋敷街
 土塀に藁で作った薦(こも)をかけてあり、なんなのかなあと思ったら雪から塀を守るためのものだそうです。そういえば忍者寺のガイドさんが北陸の雪は湿気が多くて重たいと言ってました。たぶん雪の湿気のせいで土塀が壊れやすいんでしょう。

 街並みは素敵なので晴れてたらいい散歩コースなんでしょうが、小雨が降ったり止んだりでそんな余裕もありません。和菓子屋さんとか飴屋さんなど店がいくつかありますが、荷物を持って歩くような余裕もなくなく「武家屋敷街クリア、次行ってみよう!」と全部スルーしました。

 次は兼六園に向かいますが、写真が沢山あるので記事をわけます。

(つづく)

タグ:2011年1月金沢旅行

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