さて、国立民族学博物館(略してみんぱく)です。ここは前から気になっていたので一度来ようと思ってたんですが、去年の大阪訪問では寄りそびれてしまい、今年こそってな感じで行くことにしました。
東京だと上野の国立博物館にも似たような展示がないこともないですが、名前のとおりもっと民族学寄りの楽しい展示ばっかりで、どこを見ても目がハート型になっちゃう感じでした。これ家の近所に欲しいです。年パス購入して毎週通っていまいそう。
事前に人力検索はてなで大阪の見どころを聞いたら、みんぱくに行くなら図書室にも寄ったほうがいいですよって教えてもらって、特に用事はなかったけど見せてもらいました。民族学関係の日本の本や、外国の本、チベットのお経とか、蔵書そのものもすごかったけれど、書庫が円柱型なのも面白かったです。見学には事前の予約は必要なくて、保険証かなにか持っていれば誰でも無料で見学できるようです。
http://www.minpaku.ac.jp/library/shiryo/
ここからネット越しでも蔵書検索できるみたいなので、地元の図書館や国会図書館、大学の図書室で足りない時なんか、ここも探してみると良さそうですね。
ところで、今回は漠然と興味があるからという理由以外に、みんぱくへ行く目的がありました。
群馬に相川考古館というのがあります。相川之賀(あいかわしが)という人が、私財をなげうって集めた考古学の資料を展示してある私設の博物館みたいなやつです。何が面白いって、相川之賀って人の生い立ちが面白いんです。明治十八年、わずかなお金を持ってアメリカに渡り、カナダに日本人村を作ろうとしてた人です。目のつけどころが変わってて、当時ほとんど重要視されてなかったネイティブアメリカン(カナディアンというべき?)の文物を収集しては日本に送ってたらしいんです。
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1025
詳しくは以前このへんにも書きました。相川考古館は群馬県伊勢崎市にあって、伊勢崎では弾琴の埴輪(だんきんのはにわ)が展示されてる場所として有名でした。
考古館の人が、いろいろ説明してくれたんですが、之賀さんがカナダから送った文物は、東大のナントカ教授を通じて大阪にある国立民族学博物館に寄贈されたってことでした。その時の話では、みんぱくの入り口に展示されてるはず、くらいの勢いだったと思うんです。相川考古館には収集されたもののモノクロ写真があって、うろおぼえなのでこういう形とはハッキリ言えないんですが、とにかくみょうちくりんで見た事もないようなものだったと思うんです。お面やかぶり物のようなものとか、トーテムポール的なもの(ポール状だったかどうか覚えてないけど)とかだったような気がします。
それで、わたしは之賀さんという人が断然好きになってしまって、彼が集めたものが残ってるんだったら見たいなあと思いました。とはいえば博物館も時々展示を変えますから、飛び込みで見に行って見られるかどうかはわかりませんけど、本当にみんぱくで保存されてるのかどうか、それだけでも聞いてこようと思ったわけです。
いちおう展示を一通り見てまわりましたが、北米関係のコーナーにはそれっぽいものがありませんでした。まあ、わたしが群馬で見たのは白黒写真だったし、形もうろ覚えで、大きさもよくわかりませんから見逃してる可能性はあります。
受け付けで、
「あのー、こちらに "あいかわ・しが" という人が集めたものがあると聞いたんですが、常設展示の中にはないんでしょうか?」
ってなことを聞いてみたところ、おねえさんがややシロドモドロになってしまい、
「申し訳ありません、勉強不足で… 今お調べしますので」
ってな感じで、まずはネット検索でお調べくださったようです。すみません、知らなくて当然だと思います。地元伊勢崎でも弾琴の埴輪は有名だけど、之賀さん自身のことは知られてないと思うので。
おそらく、相川考古館の公式サイトを見てくださったんだと思います。でもみんぱくとのつながりが見えてこなかったみたいで(そんなこと書いてるのわたしのブログくらいだろうしなあ…)、いつごろのもので、どういうものですかって聞かれちゃったけど、わたしもよく覚えてないんです、ごめんなさい、ごめんなさい。
とにかく日本でいうと明治時代のもので、北米(特にカナダあたり)のネイティブアメリカンのもので、形は覚えてないけど見た事もないようなみょうな感じのもので、丸いものにこぉんな突起があって……と、完全に馬鹿丸出しの説明をしたら、お姉さんは超能力者でたぶんお面だと解釈して、館内の資料をあたってくれたようなんですが、残念ながら相川之賀という名前では調べようがないってことでした。
それで、そういう方面になら詳しいはずという職員の方を呼んでくださったんですが、出てきたのは素敵なおじ様で、なぜかニコニコ、ニヤニヤしてらっしゃるんですよね。わたしを見て開口一番、
「それはたぶん、館内のどこかには保存されてるとは思うけど……で、あなたそれを見てどうしたいの?(ニコニコ)」
しまった、そう来るか。どうしたいって言われても、見たいだけなんですってば。別に研究者でもなんでもなくて、ただ見たいんです。面白そうだから。
「何と言われましても、もしあるなら見たいというだけで、特になんということも……(汗)、実は、わたしは伊勢崎の出身で、相川之賀さんに興味がありまして……えへへ」
的な返事をしました。
そうしたら、おじ様はさらにニコニコなさって、
「たぶん僕は彼の同級生です」
とおっしゃる。
一瞬なんのことだろうって、ただでさえ挙動不審のわたしはさらに目が泳いでしまう。相川之賀は明治の人だし、目の前のこの人と同級生はたぶん、絶対、ないと思うんだけど、どういうことなんだろうとどぎまぎしながら、
「えっ、そうなんですか?」
と聞き返したら、
「いや、もしかしたらやってるのは彼の息子さんかな? いくつくらいの人でした?」
と、とおっしゃる。それで、どうやら之賀さんではなく、現在考古館をやってる人のことを言ってるとわかり、
「あー、なるほど、それならご本人かも……(汗、汗、汗)」
と、やっと理解しました。
なんでも、考古館をやってる相川さん(之賀さんのお孫さんかな?)と、みんぱくの職員さんは同じ学校に通ってたらしいんです。相手は自分のことを覚えてないかも知れないとおっしゃってましたけど。職員さんは太田の出身だということでした。大阪にいると群馬の人と会うチャンスがほとんどないので楽しくなってしまうとおっしゃってました。わたしもまさか大阪で群馬の人とこんな話をするとは思っていなかったので、世の中って狭いなあと驚くばかり。
結局、相川之賀コレクションは、そういう名前で整理されていないので、今すぐこれだとは言えないそうですが、みんぱくの所蔵品がそもそも東大にあった資料だし、時間をかけて調べたらきっとみつかるだろうってことでした。おそらくこういうものだと思うと、図録も見せてくれましたけど、わたしもうろ覚えなので似てるとしか言えませんでした。
今度来る時は事前に電話してくれたら調べておきますよと言ってくれたけど、わたしは研究者とかじゃないので、そんなこと申し訳なくてできません(笑) みんぱくのどっかに実在してるんだってことがわかれば満足です。今度またチャンスがあったら伊勢崎の相川考古館へ行って、問題の白黒写真をよく見てきます。事情を話したら写真の写真くらいは撮らせてくれるかもしれないので、そしたらみんぱく宛てに送ってもいいですしねー。
というわけで、目的のものは見られませんでしたが、思いがけない展開で、大変満足しました。ダメもとで聞いただけなので、わかりませんって言われて終わりだろうなと思ってたんです。関係者のみなさん、ありがとうございました。
このあと EXPO'70 パビリオンで地底の太陽を見ますが、それは次の記事で。
(つづく)
タグ:2011年9月関西旅行