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今年は西水元安福寺の夕顔観音の御開帳があるはず

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 安福寺はこんなお寺です。西水元図書館のちょっと南にあります。この特別にどうってことなさそうに見えるお寺が、実は江戸時代の地史というか、観光案内のような本に出てくる有名なお寺です。

 このお寺には夕顔観音という仏像があります。仏像といっても銅の円盤にレリーフになったもので、壁などにかけて拝したものだと思われます。

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 イラストにするとこんな感じですが、わたしはまだ実物を見たことがありません。普段は公開されておらず、十二年ごとの午年のお祭りで御開帳されるそうです。それって今年ですよね。お祭りは四月にやると聞いています。正確にいつやるんでしょうね。先日お寺まで行ってみたのですが、まだなんのお知らせも掲示されていませんでした。

 この仏様には不思議な由来があります。江戸時代の後期に作られた『江戸名所図会』によれば、かつてここには松の枯木と榎(えのき)が並んで立っていたそうです。

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 この二本の木は、時として枝が光り、あるいは竜灯(火の玉のようなもの)が梢にかかるのが近隣の村人により目撃されていました。また、木と木の間が光っていることもあったそうです。

 そこで、この地の名主である関口氏と医師の深谷喜兵衛という人が相談して寛文八年(1668年)に土を掘ったところ、いくつかの仏具が出てきました。

 ここにはきっと、立派な寺があったに違いないということになって、その年の六月六日に改めて掘ってみたところ大きさ五寸(15cmくらい)ばかりの「金像の大悲の像」が出てきました。大悲というのは観音様のキャッチフレーズみたいなものです。

 観音様は最初、深谷氏が仏壇に安置して拝んでいましたが、たびたび夢でお告げがるので、祠をつくりお祀りしたということです。これが西水元安福時に今も伝わる夕顔観音の伝説です。

 夕顔観音という名前の由来は『四神地名録』という本によると、紫式部の持仏だったので源氏物語の夕顔からとったというのですが、関口氏と深谷氏が掘り当てた話と矛盾するのでおかしな話です。

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru04/ru04_00229/ru04_00229_0003/ru04_00229_0003_p0039.jpg
 このリンクは早稲田大学の古典籍総合データベースにある影印で『四神地名録』の飯塚村(今の西水元・南水元あたり)について書かれた部分です。寛政六年(1794年)の写本だそうです。手書きの文字なので読みにくく、虫食いも多いのでわたしなど半分くらいしか意味がわかりませんが、「源氏夕顔の巻より名つけし佛」「紫式部の秘蔵せし自然金にて鋳造せし観世音」とあります。

 また『江戸名所図会』によれば、世の中で夕顔観音と呼ばれているものは、瓠瓜(こか、ひょうたんのこと)の中から出てきたからだと言われているので、これもそうじゃないかという意味のことが書いてありますが、これまた土から掘り出したという話と矛盾します。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko10/bunko10_06556/bunko10_06556_0020/bunko10_06556_0020_p0004.jpg
 このリンクは『江戸名所図会』の夕顔観音堂の影印です。同じく早大の古典籍総合データベースより。

 なお、夕顔観音の裏側には何か文字が刻まれているそうです。『江戸名所図会』によれば、弘長二年(1262年)二月に作られたと書いてあるそうなんですが、『新編武蔵風土記稿』には次のようなさし絵があります。
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 この絵がどのくらい正確なのかもわからないのですが、このさし絵に書いてあるのは「□□加原?前御正体□□□小僧良?交?奉□?就圓?所奉??□弘長二年壬戌閏七月十八日僧良覚」です。弘長二年は七月が閏月なので、七が正解と思われます。#実物が現存しているのに、裏側を調査した人は近代にはいないんですかね(笑)

 弘長二年というと、もう鎌倉時代ですから、紫式部よりだいぶ新しいものです。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763979/34
 このリンクは国会図書館・近代デジタルライブラリーの『新編武蔵風土記稿』です。さし絵の他「三社権現社・水神社 共に石祠なり、観音出現の所にして古き勧請といへり」と、短い説明があります。

◎葛飾観光ポータルサイトの夕顔観音の紹介ページ
http://www.katsushika-kanko.com/katsumaru/area/kanamachi14/
 実物の写真はネット上だとここでしか見られないようですね。これって御開帳の時に写せるんですかね。秘仏にカメラむけるのはちょっと勇気がいりますけどね(笑)

◎全国旅そうだんの安福寺紹介ページ
http://asp.nihon-kankou.or.jp/bnr/ctrl?evt=ShowBukken&ID=13122ag2132023199
 ここにも写真がありました。小さいけど、引いた写真なので厨子に収められてる様子がわかります。

◎かつしかデジタルミュージアム:銅造懸仏
http://www.museum.city.katsushika.lg.jp/kdm/index.php?app=shiryo&mode=detail&data_id=105075
 ここにもありました。白黒写真ですが、これが一番わかりやすいです。葛飾観光ポータルの写真で手に何か持ってそうだったので魚籃かなあと思ってたんですが、これを見ると塔か薬壺のようなものに見えますね。


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 西水元安福寺の場所はここです。金町駅からだと、北口から出ている京成バスの大場川水門行き(または西水元三丁目行き)に乗って「西水元二丁目」バス停あたりで降りると近いです。

 亀有駅からだと、東武の西水元循環バスに乗って「西水元二丁目」か「西水元一丁目」のどっちかで降ります。距離は大差ないです。

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