蚕を飼いたくて桑を育てるところから始めた、というのは前に書きました。子供の頃に群馬に住んでいたわたしは、桑といえば畑に生えてるもので、観賞のために買うなんて考えたことがありませんでした。養蚕をやってそうな地方の農協にでも注文しないと買えないんじゃないかとさえ思っていたほど。
ところが、桑は実が美味しいというので愛好してる人がけっこういるのだそうで、園芸店でマルベリーなんてカタカナの名前で売られているのでした。ブルーベリーやラズベリーのような果樹あつかいのようです。美味しい実をつける品種はけっこうな金額で売り買いされているらしいですよ。
わたしが買ったのは、地元の園芸店で、千数百円くらいのものです。品種名は書いてあったけど忘れました。人差し指くらいの太さの幹が、短く切り詰められていて、そこから細い枝が出て、全体として五十センチくらいの樹高の株でした。
たしか、去年の初夏に購入して、自由に花などを植えてもいい庭的な場所に強引に植えました。桑は生長が早いのですが、植えたその年は大した大きさにはなりませんでした。秋口にうどんこ病にやらて葉が白くなってしまったので、ガッツリ切り詰めて、丸坊主にしてしまいました。見ていたお友だちが「それじゃ枯れちゃうんじゃない?」と言いましたが、群馬じゃ蚕に枝ごとやるので最終的には必ず丸坊主になるんです。でも、翌年ちゃんと枝が伸びてきます。丸坊主にしないと高木になってしまい、蚕の餌をとるのに不都合があります。ちゃんと使われている畑の桑は、みんな背が低かったです。
二年目の今年、桑はものすごい勢いで成長をはじめました。人差し指程度の太さだった幹が、今じゃ親指と人差し指で作った輪のように太くなり、枝もばんばん伸びて、全体としては人の背丈を超えるほどです。実も沢山成りました。あまり甘くはなかったので、お酒につけてみました。まだ開けていないので味はわかりません。
ところで、蚕というのは一生のうちに百グラムの桑の葉を食べるのだそうです。百頭いれば千グラム、五百頭居れば五千グラムになります。キロ計算なら五キロですね。
しかし、桑の葉がどのくらいあると五キロになるのか、計ったことがないので見当もつきません。ちょっと困りました。
こういう時は当たって砕けろです。二百頭くらいなら、なんとかなるだろうと、なんの根拠もなく決めつけて卵を注文しました。桑が足りなくなっても、昔とちがって人工飼料があるらしいんですよ。桑の葉をペーストにして、ボロニアソーセージみたいな形にしたやつらしいです。実物は見たことがありませんが、蚕の卵を購入したところで通販できそうなので、様子を見て買えばよいと思いました。
▲7月8日の蚕たち。
飼い始めて今日で十日目になります。今のところ庭の桑で足りています。しかし油断は禁物です。蚕は五齢幼虫の時代に一番食べるのです。これからが勝負だと言えるでしょう。
今日は、いざという時のために、桑の木の生えている場所を探しに行きました。公園にあるのは知っているのですが、公園の桑に手を付けるのは最終手段にしたかったので川沿いを歩いてみました。わたしが住んでいるところは葛飾区と埼玉県の境目にかぎりなく近いところで、近くに大場川や中川といった川があります。川沿いを歩いてみると、桑の木って、想像しているよりも普通に生えているものですね。あっちにもこっちにも、少しくらい葉をもらったって問題なさそうな桑樹が生えています。これなら大丈夫どころか、秋蚕(あきご)もいけちゃうかもしれません。むしろヤバイです。そのうち「趣味は養蚕」だなんて書いてしまいそう。
▲7月10日の朝:たった二日でずいぶんふくよかになったでしょう? 朝と夜とで大きさが違って見えるくらい。体長約25mmほど。
蚕たちは三度目の眠に入ったようです。まだ食べてるのんびり屋さんもいるけれど、ほとんどの蚕が棒っきれのようにじっとしています。蚕たちは真夜中に脱皮するのでしょうか。これまでも、昼間は変化がなく、朝起きてみると脱皮が済んでいるようでした。
ところで、蚕の写真をよく見ると、背中に馬のひづめのような痣(あざ)があるのがわかるでしょうか。先日もちらっと書きましたが、群馬の伝説では、蚕に生まれ変わった衣笠姫が、生前に継母から受けた虐待のせいで馬に蹴られ、背中に痣ができるのです。姫の生まれ変わりである蚕にも同じ性質が受け継がれているというわけ。
悪い継母は衣笠姫を憎み、厩(うまや)にとじこめてしまった。馬が暴れて姫を踏んづけたので、姫の背中には蹄の跡がついてしまった。爺やがあわててお救いしたが、姫はしばらく死んだようにぐったりしていた。
次に継母は姫を竹やぶに置き去りにした。婆やが探し出してお助けしたが、姫は衰弱して死んだようにぐったりしていた。
三度目はたらいに乗せて川に捨てられた。爺やと婆やが探し出してなんとかお助けしたものの、姫は疲れ切ってぐったりしてしまった。
継母はすっかり怒って、四度目には庭に穴を掘って姫を生き埋めにしてしまった。爺やと婆やが気づいた時にはもう遅く、姫は息絶えていた。
それからしばらくすると、姫が埋められたところに黒く小さな芋虫がはいまわっていた。クワの葉をあたえて育ててみると、急に死んだように動かなくなり、しばらくするとまた動きだして葉をたべはじめる。そういう事が四度あり、繭を作った。ちょうど姫が継母に殺されかけたのと同じ回数である。(珍獣様の博物誌・クワゴより)
衣笠姫第一の受難が馬です。蚕は、卵から出た直後は黒っぽくて毛が生えていて、体の模様はよくわからないのです。けれど、最初の眠をへて脱皮をすると、白っぽくなって背中に小さな馬蹄斑が見えるようになります。昔話のとおりです。
衣笠姫の四つの受難、つまり蚕の四回の眠には名前がついているそうです。順番に、シジの休み、タケ(竹)の休み、フナ(舟)の休み、ニワ(庭)の休みです。竹や舟や庭は、昔話の筋と同じですが、シジというのがよくわかりません。馬や蹄と関係のある単語なのでしょうか?
また、なぜその順番で言われるのかもよくわかりません。馬は体の模様に関係していますが、竹や舟は、なぜなのでしょう。庭は、おそらく眠の長さに関係しています。三眠までは一日で終わってしまうのですが、四眠は三日も動かずにじっとしているということです。このまま死んでしまうのではないかという不安が庭に生き埋めにされ、とうとう死んでしまう、というお話に繋がるのだと思います。ちなみに、祖母の家では、眠をシジや竹などの名前では呼んでいませんでした。
そうそう、探したらうちにはこんなコンテンツもありましたよ。養蚕関係の伝説ばかり集めたもので、もっと増やそうと思ってるうちに忘れたのです。
◎今昔かたりぐさ・養蚕のはじまり
http://www.chinjuh.mydns.jp/ohanasi/365j/0306.htm
Goudeau 2008年07月11日(金)10時08分 編集・削除
シナの七夕伝説は、わが国の羽衣伝説と七夕伝説がミックスされたやうなタイプですが、お蚕さん伝説は、そのヴァリアントのひとつなのかもしれません。
つまりお蚕さんは、本来は天上世界に属する「織姫」なのではあるまいか。彼女の受ける迫害は、貴種流離譚や、シンデレラ物語のそれに近いのかもしれません。
シナの七夕伝説では、天上へ連れ戻された織女に会ふために、牽牛が、ふたりの子供を天秤棒の両側に下げて、死んだ「老牛の皮」を使つて昇天します。(どのやうに使用するのか全く説明されません)この牛皮は、馬の皮と同様「羽衣の代替物たりうるもの」と理解すべきでせう。