恥を忍んで書くのですが、人はいつからご苦労様とお疲れ様を使い分けるようになったのですか?
ええと、なんというか、両方とも苦労をねぎらう言葉で、昔は両方とも同じに使っていたような気がするんですけど、またもやわたしの妄想でしょうか。自分より目上の、たとえば父親とか母親の苦労は、ねぎらうんじゃなくて感謝するものなので、ご苦労とかお疲れとかじゃなく、ありがとうございます、かなと。
まあたぶん、会社とかで、自分より立場が上の人に「(いつも会社のために、わたしのために、努力してくださって)ありがとう」なんて言うのは大げさで変なので、お疲れさまでしたと言うようになったんだろうけれど、お疲れがご苦労になったところで何がどうおかしいのかと思うんですよー。
実は、そのことに気づいたのが、たぶん十年くらい前で、仕事で行ってたところで、若い子にあやまられたの。「さっきはご苦労様とか言ってしまってすみませんでした。目上の方にはお疲れ様というべきですね」って。一瞬、「はぁ?」と思ったけど、そこはぐっとこらえて「いいのよ、ここでは目上とか目下とか考えなくて。ほかの会社の人と話す時は気をつけてね」とか答えて、コッソリ検索したら、まるで世の中の常識であるかのように使い分けを厳しく言う人がいてとても驚きました。
いや、世の中がそういう決まりになって動いているのを今更どうのってことじゃないんですよ。ただ、わたしはご苦労とお疲れの使い分けを、とやかく言う人を見るたびに、おビールやお名刺みたいなビジネス用語をずいぶん真面目にお勉強なさったのだな、と思います。ちょっとお尻がこそばゆい。
というのを、キムヒョンヒの本を読みながら思い出したの。今の人なら「ご苦労様」とは訳さないだろうと思うような場面で、ご苦労様でしたと訳されていたりする(お疲れに直したところで違和感のある部分なんだけど)。
そういえば、ご苦労・お疲れの両方に、「ねぎらい」という上から目線の意味が薄れてた時期があるような気がするな、と思いました。
とかなんとか書いたりして、わたしがタダの非常識さんなのかもしれないです。
Goudeau 2009年03月14日(土)17時13分 編集・削除
そのお話は、NHKの「気になることば」といふコーナーでも話題になつて居ましたよ。だいたい珍獣様の仰るやうな認識でよろしいかと思ひます。
朝鮮語の敬語表現は、たとへば、先生が自称するときは、自分に「先生様」みたいに付ける、とか、自社の社長を対外的に呼ぶときも「社長様」と平気で云ふとか、日本とはだいぶ違ふので翻訳は厄介でせうネ。
キムヒョンヒは、なんといふか、「異界」にあるひとの言葉を「口寄せ」する「イタコ」みたいな立場なんでせうネ。イタコを信じたい気持ちと、疑はしい気持ちが合半ばするのも無理ないと思ひますよ。