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地口行灯の季節がやってきたぞ

ファイル 760-1.jpg
▲左:車挽お尊顔……?|右:通ひなげたる土手八丁
 これは去年の行灯をまだかかげているお店で撮影したのですが、公民館だかどこだかの掲示板に、今年の行灯を注文してくださいと貼り紙がありました。9月のお祭り用らしいです。

 北千住駅の近く、宿場町商店街ってところに絵馬屋さんがあって、どうやらこの手書きの地口行灯はその店で作られているようです。


 右の「通ひなげたる土手八丁」は「通い慣れたる土手八丁」ですが、左のはなんでしょうね??



 

タグ:地口行燈

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珍獣ららむ〜 2009年08月12日(水)22時58分 編集・削除

 行灯に書いてあるのは「車挽お尊顔者い春(くるまひきおそんがんはいす)」ですかねえ。

 すると、元句は「うるわしきお尊顔拝す」かと思うんだけど、なんかひねりが足りないような??

Goudeau 2009年08月14日(金)04時00分 編集・削除

ご存じでせうけど、「通ひ慣れたる土手八丁」は、日本堤の土手を通つて新吉原遊郭へ通ふことを自慢する言ひまはしですネ。ヒネリが足りないのはいつもの事で(笑)松尾芭蕉も、自分のスタイルを確立する前の若い頃の句は、ネタばらししてしまへば、あとは何の興味もなくなるやうな、つまらぬ句を一杯作つてゐるやうです。のんびりした時代なればこそなんでせうネ。

Goudeau 2010年02月14日(日)13時56分 編集・削除

ご無沙汰してます。PCがぶつ壊れてケータイばかりいぢつてをります。2010年のお正月に、なにげなくラジオで普段聞かない「長唄」をきいてゐましたら、「寒行雪姿見(かんぎやうゆきのすがたみ)」といふ、白装束に白いツノ頭巾といふものをかぶつた姿でお札などを売り付けて歩く「願人坊主」といふものが主人公の曲なのですが、その歌詞に「野暮な地口絵げばこから引き出してくる酒の酔ひ」とありまして、ものの本でしらべてみますと、この願人坊主といふものが首に下げた「げばこ」といふ箱に入れた地口絵入りの諺などを子供に配つたりしたさうです。江戸のむかし、地口行灯に書かれてゐるやうなものを子供に配つてゐたとすると教育上よろしくなかつただらうなあ、と可笑しくなりました。

珍獣ららむ~ 2010年02月16日(火)13時29分 編集・削除

お久しぶりです。
わたしもハードディスクを飛ばしたりなんだりで
もう、さっぱりですよ。
 
願人坊主っていうと、
坊さんのコスプレしてる大道芸人みたいなやつですかね。
今もたまに、托鉢僧のかっこして
観光地に立ってるウソっぽいお坊さんがいますけど
原題の願人坊主って感じなのかな。
いっそ教育上まずい地口絵でも持ち歩いてたら面白いのに(笑)

Goudeau 2010年02月16日(火)20時55分 編集・削除

ここいら(鹿児島市)では昔、白装束で家々を回つてうるさく太鼓を叩いて御題目をとなへ、なにか貰ふまで動かないといふモレドン(=おもらひさん)といふのがゐましたが、そのなかまみたいな手合ひでせうネ。

地口行灯の話を東京の友人にはなしたら、関東の地口行灯には仕掛人のやうなひとがゐるらしいとのことでした。そんなひとと会ふ機会があれば、地口絵のネタ本みたいなもんがあるのかどうかきいてみたいものだと思ひました。

珍獣ららむ~ 2010年02月17日(水)11時28分 編集・削除

地口行灯……そういえば去年のを大量に撮影したんですが、一個も使わないうちにハードディスクとともに消えました。
まあ、行灯は毎年出るからいいんですけど、その他もろもろ二度と写せないものもぜーんぶ。
正直文字通り死にたいですよ。
 
地口行灯に仕掛け人か……
いてもおかしくないですね。
昔はかかげてなかったところでも見かけるようになったし。
足立区のは、北千住に昔から地口行灯を作ってた店がまだ存在してて、毎年そこに注文してるらしいですよ。
浅草のは千住のと絵柄が違うので別っぽいです。

Goudeau 2010年02月17日(水)18時11分 編集・削除

私のハードディスクはをととしの暮れにぶつ飛びましたが、なんだか一度死んで死後の生を生きてゐる気分になつたものでした。脳科学の茂木センセイによると、人間の脳味噌の方は、全ての記憶を保存してゐるらしい…といふことなので、自分の脳味噌が「ぶつとぶ」前に、ハードディスクの失はれたデータを脳から(!)取り出せばいいのだな、と自分を慰めてました。スミマセン。なぐさめになつてませんネ。珍獣さまを私の元気のモトとしてあてにしてをります(笑)ので、よろしく。

いまどき Eメール URL 2010年04月03日(土)23時11分 編集・削除

はじめまして、自分のブログに地口絵手本の記事を書いて、検索に反映されているかな?と探していたら、偶然お邪魔しました。地口絵は昔、素人の人も自分で頭捻って描いたりもしていたのですが、際物商売の人が描いたのを買って、木枠に貼りつけたりします。現代でもこうした際物が商売になるのが不思議だったり、面白かったりしますが、現役の生業としての描き手は、千住の絵馬屋さん、南千住の大嶋屋提灯店、北区滝野川のびら武さん、練馬区貫井の国華堂さん、所沢の○○(忘れた)人形店、東村山のはなびや人形店、川越の津知屋提灯店、市川の石井提灯店、加須の井上傘店、そして国立にも最近復活した人がいるようです。飯能の人形屋でも誰が描いたかわからないのが売ってましたよ。薬缶に羽根がついていて「やかん飛行」なんてものもありました。馬鹿みたいですが、以前地口絵を生業
とする人を探しまわっていたんです。千葉の大原にも提灯屋があって、以前は地口だったようなスタイルでご神灯と描いて売ってます。地口絵手本という和本が幕末から明治にかけて出版されていて、生業の人はそれを拡大して使っていたのがそもそもだと思います。もちろん素人の人も使ったでしょう。