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東北旅行:また来るよ石巻

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 鳥屋神社のものすごい石段を制覇してからアーケード街を歩いてみました。笹蒲鉾の白謙でいつものやつを購入。ここの笹蒲鉾は大きくて食べでがあります。冷蔵しないといたんじゃうので夏はちょっとしか買えませんが、この季節ならまだ大丈夫だろうと10枚購入。鮮度的には大丈夫でしたけど鞄が重くなって苦労しました。
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 震災後一年たって営業してる店がずいぶん増えました。空き地にプレハブで架設商店街になっているのを横目で見ました。お昼を食べてから寄ろうと思って通り過ぎたらそれっきり忘れてしまい、ちょっと残念です。こんど行く時はもう架設じゃなくなっているでしょうか。それはそれで楽しみです。

 そろそろお腹がすいたので、かのまたやという製麺所がやってるうどん屋さんで石巻焼きそばを食べました。月曜の12時前だったのでお店は空いてました。椅子に座って一息ついてから食券制なのに気がついて、もとから知ってたような顔をして券売機へ向かいました。石巻焼きそば 350円。安いなあ。出汁とソースがあったので、出汁にしました。

 関東で焼きそばというと黄色い中華麺を使いますよね。石巻には製麺所がいくつかあるみたいなんですが、どういうわけか茶色い中華麺を作ってるらしいんです。駅前のスーパーに入ってみたら、関東でよく見る普通の麺と並んで、茶色い麺が二種類ありました。この二種類ってとこは重要かなと。ついさっき思いつきで作った観光用のグルメではなく、日常生活に浸透してそうじゃないですか。

◎石巻やきそばについてはこの記事もどうぞ
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1327


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 出てきた焼きそばは、見た目には普通のソース焼きそばとあんまり変わりません。上に目玉焼きが乗ってます。テーブルに出汁醤油があるのでお好みでかけてくださいと言われました。味はあっさりしてて、なるほど出汁醤油ですね。かなり美味しいです。気に入りました。石巻焼きそばを出す店も何軒かあるらしいので、次に来る時は別の店にも入ってみようと思います。

 それから、駅前にあるロマン海遊21という地元の物産をうる店に入って、何を買おうかいろいろ物色しましたが、今回は電車移動なので荷物が増えると動けなくなってしまうので、海斗のキーホルダーをひとつ買いました。

 シージェッター海斗(かいと)は石巻の地元ヒーローです。石ノ森章太郎作品をアレンジして作ったそうです。必殺技は「ドライブマリポーサ!」です。なんで海なのにマリポーサ? スペイン語で蝶々のことですよね(違うのかな)。

 海斗の漫画です。最近出たらしいです。必殺技の秘密が気になるので買っちゃおうかなあと思っているところです。海斗はヒメラニアン帝国とかいうのと戦ってます。ところがそいつらも決して悪いやつじゃなくて、海が汚されてどうしようもなくなったので「人間、許せねぇ!」って感じで出てきちゃったらしいです。海斗は海の仲間の味方ですが、だからといって人間を皆殺しにすればいいというもんじゃないと立ち上がったらしいです。海斗がピンチになると出てくるカッコイイ人とかもいて、けっこう設定が濃いらしいですよ(まだ読んでないけど!)。画像は楽天ブックスへのリンクになってます。

 そろそろ石巻ともお別れです。12時15分の仙石線までまだ時間があるので駅の喫茶店マンガッタンカフェでコーヒーを飲みました。ここは意外とコーヒーが美味しいです。パプアニューギニアがオススメ。
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 店を出るとき、席にデジカメを置きわすれてしまい、まったく気付かずに電車に乗って発車を待ってたら、お店の人が急いで電車まで持ってきてくれました。あまりにも思いがけなくて挙動不審になってしまいましたが(いや、いつも挙動不審なんですけど)、ほんとに嬉しかったです。石巻っていいところだなあ。 

 次は松島海岸で降りて水族館を見ます。

下の動画は去年の4月に写しました。震災後1ヶ月半くらいのものです


 去年の春に訪れた時、カメラを回したまま首に下げて、人の顔を映さないようにしながら写したものです。ほとんどわたしの声しか入ってませんが、たまに友達の声とか、町の人の声も入っているので音はわざと絞ってあります。

 去年これを公開しようかちょっと迷ったんですけど、震災から一ヶ月以上たっており、そこそこきれいに片づいてしまっているので被害を伝えるという意味では弱いのと、人がけっこう写っているのでやめてました。

 もう時間もたってるし、些細なものでもあの頃どんな感じだったかを思い出すための資料にはなるはずだし、人の顔もはっきり写ってないので良いかなと思い、公開してみました。

タグ:東北旅行2012年春その2

東北旅行:石巻のものすごい石段を制覇する

 石巻の巻石を見たあとも駅の周りをふらふら歩き回り、地震や津波で壊れた小さな神社を見てまわり、最後にたどり着いたのが「すごい石段」です。

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▲すごい石段!

 石巻の駅を降りて、商店街を歩いていると、この石段が目に入ります。やけに長い石段です。上には神社か何かがあるのでしょうが、これまで上ってみるチャンスがありませんでした。

 今日こそこれを上ってみなきゃ!

 というわけで近くまで行ってみると、石段の下に「村社・鳥屋神社」の石碑がありました。関東では見ない名前の神社です。鳥屋と書いて「とや」と読む、なんてことは帰宅後に検索して調べたんですけどね。

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▲石段の上から。

 高い高い。ざっと数えたら257段ありました(まちがっているかも)。石段のまわりに桜の木が見えたので、開花したら気持ちが良いでしょうね。

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▲あっ、鳥居の下にまだ階段があった(笑)これを足すと全部で270段くらい?

 鳥居をよく見ると足下が金具で補強されています。金具が新しいので2011年の東日本大震災による被害を直したものだと思います。でも、この鳥居はその前にも被災しているらしいです。

 鳥居の影にあって目立たない石碑に「宮城県沖地震に依り両柱及笠に亀裂を生じ裏坂(立町)より移築復元 昭和五十三年九月九日 石巻市立町二丁目五ノ四 三代目浅野晋一」とありました。

 念願の石段を制覇してヤッターと叫びたいところですが、別の方向から上ってくる石段をみつけてしまいました。方向から考えてそっちが表かもしれません。じゃあ、次に来る時はそっちを制覇するってことで……(こうしてまた来る理由ができるのでした)。


 ところで、鳥屋神社という名前は何に由来するのでしょうか。地名ではないし、人名でもなさそう。鳥に関係するものもこの神社にはなさそうだし。ちなみに、御祭神は猿田彦神(サルタヒコノカミ)と船御魂神(フナミタマノカミ)だそうです。どちらも道案内の神様です。

 帰宅後に調べたところ、島根県にも鳥屋神社があり、そちらは建御名方命(タケミナカタノミコト)をお祀りしているそうです。 

 タケミナカタ神は大国さまの息子です。高天ケ原から天孫が下ってきて、これからは我ら天津神がこの国を治めますよと言った時に、タケミナカタの神はそれに反抗し、天津神のタケミカヅチ神と戦いました。結局タケミナカタ神は負けてしまいましたが、戦いの時に投げたと言われる大岩が今も残っています。

 それから長い時がたちました。垂仁天皇の息子で誉津別命(ホムツワケノミコト)という人は三十歳になっても口がきけませんでした。ある日、タケミナカタ神が落とした岩の近くを通りがかると、そこに白い鳥が群がっているのを見て「あの白い鳥はなんでしょう。どうか取ってきて見せてください」と言いました。これが生まれて初めてのお言葉です。

 この時、鳥をとってきた家来はその後「鳥取」という姓を与えられ、それが鳥取県の名前の由来になりました。また、白い鳥が群がっていた岩の上に立てられた神社は、鳥屋神社と呼ばれているのです。
http://www.hikawano.jp/jinjya/10jinjya.html

 これは島根県の伝説です。この話には猿田彦神も船御魂神も出てきません。これと石巻の鳥屋神社と何の関係があるかというと、ここから先はあくまで私見ですが、やはりタケミナカタ・タケミカヅチ伝説と関係があると思うのです。

 石巻と仙台のあいだに鹽竈神社というのがあります。こちらはシオツチノオジ(塩槌老翁とか塩槌翁とか)と呼ばれる神様が祀られています。シオツチノオジは、タケミカヅチ神が奥州を平定した時に道案内をした神様です。

 この時神々は船に乗ってやってきたとされています。神々が上陸したのは宮城県宮城郡七ヶ浜というところで、そこには鼻節神社があります。
http://www.shiogamajinja.jp/lineage/index01.shtml 

 その鼻節神社には猿田彦神が祀られています。つまりタケミカヅチ神を導いてこの地に上陸させたのは猿田彦神ってことになります。

 猿田彦神は、手塚治虫の『火の鳥』に出てくるので読んだことがある人にはおなじみですが、鼻が大きいので有名です。鼻節神社のことを書いた江戸時代の本によれば、猿田彦神の高い鼻には節があったというので、それが神社の由来になりました。

 「鼻が高い、鼻に節がある」という特徴は、実はシオツチノオジにも言われていることで、この二人は同一人物なんじゃないかとも言われています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BC%BB%E7%AF%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 そこで話のはじまりにもどると、石巻の鳥屋神社の神様は猿田彦神と、船御魂神なんですよね。ほら、なんとなくつながった。


 石巻・鳥屋神社は仁徳天皇の時代に、東夷(エゾ、エミシなどのこと)の叛乱があり、それを田道という人に討たせるにあたり、航海安全を祈願して作られた神社だそうです。 猿田彦=シオツチノオジがタケミカヅチ神を導いたように、我らの東征を導きたまえということでしょう。
http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010085
 これによれば、田道の一行が到着したのが鳥屋崎という港で、だから神社の名前が鳥屋だってことになっていますが、そもそも鳥屋崎という地名がなぜついたんでしょう。わたしは、タケミカヅチ伝説にあやかるために、島根県にある鳥屋神社の先だと言ってるような気がします。そして船御魂神は、タケミカヅチや田道を乗せてきた船そのものを祀ったんじゃないかと……ま、いつもの妄想ですけどね。


 長々とつまらない話をしてしまいましたが、鳥屋神社にはもうひとつ注目したいものがあります。
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▲鳥居の脇に瓦のような焼き物の龍が置いてありました。どこだかにあったものを保存してあると解説があったんですが、土地勘がないのでどこから持ってきたものなのか覚えられませんでした。写真をもういちど調べたら説明を写したものが出てきました。移築保存したのはこの龍じゃなくて鳥居のようです。

 この龍は、一体どこに飾るために作られたものなのか、現地で見た時はわかりませんでした。帰宅して写真を整理してみると、渡波駅の近くで見た伊去波夜和気命神社の屋根に乗ってるのと似ていることに気付きました。

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▲伊去波夜和気命神社の屋根の龍
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1348

 屋根に龍がついている神社は関東ではあまりみかけません。石巻周辺にはこういうものがよくあるのでしょうか? 次に行く時は神社の屋根に注目しなくては。

タグ:東北旅行2012年春その2 神社仏閣 寺社幻獣 伝説

東北旅行:石巻の巻石、雄島の松

 石巻の巻石、なんだか素敵、左右対称だわ(文字が)。回分になってたらすごいのに、いしのまきのまきいし、おしい、もうちょっと。

 一説によれば、石巻という地名は、海にある石のまわりで水が渦をまいていたことにちなんでいるそうです。その石のことを「巻石」といって、震災の津波にもたえて現存しています。

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▲この松の木の下に見えるのが巻石です。この写真は去年の8月に写したものです。

◎2011年8月の訪問記はこちら
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1192

 上の写真をちらちら見ながら下の写真を見てください。これは今年の4月9日に写しました。

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▲2011年4月の巻石。わー、立派だった松の古木が!!!

 そうなのです、久しぶりに来てみたら、立派だった松の木が枯れてしまっているのです。津波で塩水をかぶってしまったからでしょうか。

 とにかく近くまで行ってみることにしました。松の木があるのは小さな島で、橋がかかっているので以前は自由に渡れたらしいです。震災後はロープがはってあり、入れないようになっていましたが……

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▲うわ!! ロープどころかガッツリ堤防が造られてて完全に封鎖されている……!

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▲あの松の木だけでなく、島の木々が完全にダメになっているし、少なくともこの状態が復活するまでは封鎖しといたほうがいいのかなあ。あ、でも、地元の人っぽいお爺ちゃん(去年見た釣りの人かも…)が堤防をひょいっと乗り越えて、中でなんかしてました(笑)

 この島は雄島(おしま)というそうです。松島にある雄島と何か関係があるのでしょうか?

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▲巻石です。えぼし岩とも言うそうです。

タグ:東北旅行2012年春その2 伝説

水元公園の空間放射線量 5月7日

 旅行記の途中ですが放射線を計っときますね。

測定結果 2012.05.07. 晴れ、風強し

1. 野鳥のサンクチュアリの外側
0.23μSv/h

2. 芝生広場のまんなか
0.25μSv/h

3. 広場脇の林
0.24μSv/h

4. 閘門橋の近く
0.25μSv/h


# 測定はなるべく週に一度くらいややろうと思ってます。仕事でやっているわけではないので自分の都合で気まぐれに実行します。

参考値 同日

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▲前回に引き続き、ここのフェンスの中(環境調査中の札があり、人が入れないようになっています。金網から手を入れて計りました)

0.34μSv/h

 いちおう書いておきますが、ここが特別高いからといって、周囲が同じくらい高いというわけじゃないんです。1メートル離れるとそれほどでもなくなります。

参考値 2012.05.06 曇り、強風

ダイバーシティ前(江東区) 0.13μSv/h
潮風公園の駐車場(品川区) 0.08μSv/h

 お台場は海の近くなので高いんじゃないかと想像しましたが、案外そうでもありませんでした。

使用機器

 エアカウンターS(AIR COUNTER -S)を使っています。

詳しくはこちらの記事を読んでください
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1305

測定方法

 地上 1メートルで計測します。これはちょうど大人の腰くらいの高さです。

 エアカウンターSのスイッチを入れ、35秒のカウントダウン終了後、さらに30秒待ってから、10秒ごとの値を9回メモして平均値を求めます。

測定ポイント


より大きな地図で 放射線量調査 を表示
 公園内とそのまわりの四ヶ所で調べます。黄色いポイントの右から

1. 野鳥サンクチュアリの外側
2. 芝生広場のまんなか
3. 芝生広場脇の林
4. 閘門橋の近く

 場所が偏ってますが、長く続けなければ意味がないので自分が良く行く範囲に設定しました。

注意事項

 素人が精度の低い機器で計測しています。お遊びの域を出ないということを念頭においてご利用ください。




葛飾区による測定結果

http://www.city.katsushika.lg.jp/34/9539/011007.html
# 区内十数ヶ所の公園のデータです。水元公園は都立なのでここには含まれていません。

今日の水元公園


 放射線をはかるついでにアオサギの動画もとってきました。

 今日はやけに鳴くので何事かと思ったら、巣の上で首を伸ばしたり縮めたりして、時おり首や頭の毛をボワッとふくらませて、パチンとくちばしを鳴らしています。

 そして時折、空にむかってまっすぐに伸び上がったかと思うと、また首を下げて頭をふくらませ、くちばしをパチン。ずーっとこの繰り返しです。これは求愛行動ですよね?

 でもちょっとおかしいんです。この巣は放射線を計るついでに前からずーっと見てたやつなんですが、以前は二羽で巣作りに励んでいました。一頭が巣にいてもう一頭がどこからか巣材にする枝を運んでいました。てっきりこの二頭で交尾をするものだと思っていました。

 アオサギは外見から雌雄を見分けられない鳥ですが、求愛行動をしてるってことはオスなのですよね? 以前一緒だった彼女はどうしちゃったんでしょう。彼よりいい男をみつけて飛んで行ってしまったのでしょうか。

 そもそも以前いたのと同じ個体なのかもわからないんですけど、アオサギの世界にも複雑な事情があるようです。

タグ:放射線 地元(葛飾周辺)

東北旅行:石ノ森萬画館


▲訪れるたびに同じ場所を撮影しています。新しい順に三つの動画が再生されます。最後の動画が震災直後(一ヶ月半後)のものです。


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▲石ノ森萬画館です。まわりはきれいに片づいているのですが、もちろんここにも津波が来ました。一階部分は浸水して中はひどいことになっているそうです。今は閉鎖されていて入れません。

 わたしが訪れた4月9日現在では、まだ復旧の目処がたっていなかったのですが、最近になってやっと再開の予定が発表されました。まだ正確な日時は決まっていませんが、今年2012年秋の再開を目指しているそうです。

 5月4〜5日に内装を直す前の状態を公開したそうです。気付くのが遅すぎて見に行けませんでした。


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▲訪れる人たちの応援の寄せ書き。館の前に板が貼ってあり、誰でも応援のメッセージを書けるようになってます。萬画館の閉鎖中も沢山の人が訪れています。わたしが見に行った日も何人かそいう方とすれ違いました。

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▲旧石巻ハリストス正教会教会堂は修理中でした。とても美しい建物なのですが、これも津波にやられてしまいました。

 この建物が被災するのは初めてじゃないそうです。1978年の宮城県沖地震のときにも壊れてしまい、この地に移転・修復されたものだとか。二代目、三代目と復興のシンボルでありつづけるんですね。なんだかすごいことです。

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▲自由の女神像は壊れたままたたずんでいました。

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▲川越しに壊れたままのビルが見えます。以前はこのあたりにも堤防を越えて乗り上げてしまった漁船があったんですが、もう撤去されていました。


◎2011年8月の訪問記はこちら
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1193

タグ:東北旅行2012年春その2