記事一覧

東北旅行:渡波駅(わたのはえき)から女川街道を歩いてみた

 旅行二日目の朝は石巻のネットカフェで明けました。家で猫に鍛えられているので目覚まし時計がなくても5時前には目が覚めてしまいます。

 朝食をどうしようかなあと、近くのココスやガストの始まる時間を調べたらどちらも10時。ネットカフェにも食べ物はあるけれど、あんまりそそられなかったので、紅茶を飲んで済ませました。あとで地図を見たら、ちょっと離れたところに24時間営業のすき家ならあったみたいです。

 6時半ごろネットカフェを出発。料金は2000円くらいでした。漫画読んでネットやってごろ寝できればいい人にとっては本当に便利で安いよね。夜食くらい食べればよかったかなと少し反省したりする。

 石巻駅から7時ちょうどの石巻線の下り電車に乗りました。ややこしいですが、昨日乗ってきたのは「仙石線」で、今乗ったのは「石巻線」です。去年の夏に来た時は石巻から先が震災の影響で不通でした。それが3月17日に渡波駅まで復旧したばかりです。朝の電車の乗客は主に学生さんでした。

 電車は石巻の東にある山の北側を迂回して、陸前稲井駅に止まり、渡波駅まで11分で到着します。学生さんはほとんどみんな渡波まで乗ったようです。

 ここに学校があるのかと思ったらそうではなく、駅前で待っている女川方面行きの代行バスに乗り換えていました。以前は石巻駅からバスが出ていたはずです。電車の復旧とともに変更されたのでしょう。

 バスの運転手さんに「乗りますか?」と言われ、女川まで行っちゃおうかな、と一瞬考えましたが、帰りの時間を調べずに乗ると苦労しそうなのでやめました。

 渡波駅からは女川街道という県道沿いを歩きます。このあたりは海に近く、被害がひどかったことをぼんやりとは知っていましたが、これまで何度かの訪問では、あえて来てみることはありませんでした。単なる旅行者で、ボランティアでもなければ取材陣でもありませんし、用もないのに行くこともないだろうと及び腰になっていたのです。

 今回はもう一年たっていますし、何度も石巻に来るうちに駅前だけでなく町を広く歩いてみたくなりました。地図で調べると、電車は山をぐるっと迂回するけれど、山の南を歩けば8〜9kmで石巻駅まで戻れそうです。

 歩いてみると、今は瓦礫などはかなり撤去されています。やけに空き地が多いなとは思いますが、埋め立て地にはよくある風景のような気もします。震災前の風景を知らないので変化がよくわかりません。

 でも、よくよく見ると、点々と残っている家々の壁には穴があいているし、ガラスが割れたままになっている建物などが沢山あります。もしや空き地になっているところにもかつては建物があったのでしょうか。
ファイル 1347-1.jpg
▲この写真など、手前の空き地には建物の土台があるので、瓦礫が撤去された跡なんだと思います。

 道の途中にいくつか学校がありました。どの学校も一階部分には板が打ち付けられ、閉鎖されていました。

ファイル 1347-2.jpg
▲閉鎖されている学校(渡波小学校)

ファイル 1347-3.jpg
▲瓦礫置き場になっている女子高の校庭(市立女子商高)

 女子高の校庭が災害廃棄物置き場になっていました。主にコンクリートとアスファルトの受け入れを行っていると書かれていました。

 ここでふと思い出して、空間放射線量を量ってみました。エアカウンターSという家庭用のガイガーカウンターを持ってきたのです。瓦礫の近くまでは行けないので校門の外で計りました。

 電源を入れて35秒のカウントダウンのあと、はじき出された数値を見てぎょっとしました。

「えっ、0.05μSv/h って……うちのまわりより低いじゃん!」

 機械が壊れてるわけではありません。前日に船岡で計った時はちゃんと反応してましたから。

 数値は10秒ごとに更新されるので、30秒くらい待ってみましたが 0.05μSv/h のままです。リセットしてはかりなおしても、0.05から上がりませんでした。エアカウンターSは、計れる数値の最低ラインが 0.05μSv/h なので、この数値が変わらないってことは、実際にはもっと低いかもしれません。

 放射線量は常に同じというわけではなく、前日雨が降ると一時的に上がったりもしますし、ちょっと場所を変えるだけで高く出たりするものです。わたしが計った日はたまたま低い日、たまたま低い場所だったのかもしれません。

 念のために石巻市が公式に発表しているデータを見ました。
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/bousai/sinsai/housyasen.jsp
 牡鹿コバルトラインとか田代島みたいな海に囲まれたところは高いんですが、それ以外のところの最新データを見ると、やはり高くはないです。ちなみに福島第一原発からの直線距離は120kmくらい。

 世の中で「ナニナニ市がドコソコ町の瓦礫受け入れを決定」なんてニュースになってるのを見ると、石巻よりもっと遠いところの瓦礫だったりするんですよ。あの騒ぎは一体なんなんだろうと首をひねってしまうのです。

ファイル 1347-4.jpg
▲廃虚になっているビデオ屋。

 街道沿いの商業施設はのきなみやられていて、今でも廃虚になっているところが沢山あります。すでに取り壊されて更地に看板だけ立ってるケースも。そうかと思えばパチンコ屋さんが元気に営業していて「本日朝8:00オープン」なんて電光掲示板がビカビカ光っていたりもするんですけどね。

ファイル 1347-5.jpg
▲巨大な何かが横転してる?!

 5枚目の写真は女川街道から30倍望遠で写したものです。巨大な何かが転がっているのが見えましたが、肉眼ではなんだかわからなかったので写しました。今思えば見に行っちゃえばよかった。距離がありそうだったので日和ってしまったのです。

 帰宅後に拡大してみたら、「石水」というロゴと、「大和煮」という文字が見えます。鯨の大和煮缶を模しているようです。これを手がかりに検索してみると…
http://kinoya.co.jp/eccube/bacon_campaign/
 このページの下のほうにある写真がそれですね。石油かなにかのタンクみたい。これが津波で転がってしまったんですね。

http://www.jiji.com/jc/v4?id=kis0001
 こんなニュース記事もみつけました。やっぱり見に行けばよかったかなあ。

http://kibounowa.jp/seisan-kinoyakansya.html
 木の屋さんって、津波で流された缶詰めを手作業で拾いあげて品質に問題のないものを感謝の缶詰めとして売り出したのでちょっとニュースになってた会社ですよね。


▲リンクは楽天市場内のショップです。木の屋さんの楽天市場店も以前はあったみたいなんですが今はお休み中なので別のお店にリンクしました。


より大きな地図で 渡波駅から石巻駅まで を表示
▲こんなルートを歩きました。寄り道せずに歩けば2時間程度だと思います。途中で神社をみつけて立ち寄ったりしましたので、さらに旅の記録は続きます。

タグ:東北旅行2012年春その2

東北旅行:塩釜から石巻へ

 東塩釜の駅から仙石線に乗ったのは17時半ごろ。あたりは美しい夕暮れでした。仙石線はまだ全面復旧しておらず、松島海岸から矢本まで代行バスです。

◎マンガッタンライナーと代行バスの旅(2011年8月)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1189
 仙石線のことは去年も書きました。よかったらこの辺読んでください。

 代行バスの窓から見える風景は去年の夏に見たのとあまりかわらず、壊れた家や店などがそのままになっていたりします。去年は気付かなかったコンビニが沢山目に付きました。新しく出来たのか、復旧したのかはわかりませんが、ちゃんと営業してました。

 代行バスに乗っているのは、地元の人が多いんでしょうが、わたしのようによそから来た人も少し乗ってるようでした。観光客なのか、親類に会いに来たのか、その辺はわかりませんけど。話し声に耳を傾けると、窓から見える風景にいちいち驚いているのでわかります。

 沿道の田んぼは田植え前で何も植えられていませんでした。それなのにあちこちの田んぼに水が引き入れられて、しかも流れてる状態になっていました。津波で浸水した田んぼの土壌改良でしょうか。

 矢本駅でバスから電車に乗り換えて、石巻駅に到着したのは19時前です。あたりはすっかり夜になっていました。

 お昼もろくに食べていないので、とりあえず食事をしたいなあと思い、駅の南側を少し歩いてみましたが、あいてるのは居酒屋くらい。中華料理店が営業してたので、ちょっと覗いたら満員でした。

 石巻で一泊するつもりなので宿を探さなければなりません。もし泊まるところがみつからなかったら、仙石線の終電で仙台までもどろうと思ってます。終電が21時2分なので、ご飯に並んでるヒマはなさそうです。

 たしか駅の北側を少し歩いたところにネットカフェがあるはずです。これは出る前に調べました。石巻市内にあったネットカフェは、震災後にみんな閉店してしまいましたが、最近になって自遊空間が戻ってきたみたいです。

 わたしはネットカフェ好きなので旅先でもよく利用します。というか普段はあまり入れないので旅先で積極的に利用して漫画を読んでます。今回も泊まれればネットカフェでいい(いや、むしろネットカフェがいい)と思うのですが、ネットカフェの不便な店は、行ってみるまで席があるかどうかわからないってこと!

 日曜の夜なのできっと空いてるでしょうけど、やや小走りに様子を見に行きました。もし席がなかったらホテルか旅館に電話して宿を取らなきゃならならなりません。みんな営業はしてるみたいですが、本調子ではないのか楽天トラベルなどから予約できない店ばかりで、ちょっと面倒です。宿がみつからなかったら21時過ぎの電車に乗らなきゃならないわけで……あたふたあたふた。

 ネットカフェのある場所までたどり着いてみると、そこは石巻バイパスとかいう大通り沿いで、まわりにはファミレスなどの飲食店、TSUTAYA、ホーマック(ホームセンター)、ドラッグストアなどが立ち並ぶ賑やかなところでした。ここだけ見てると震災があったことを忘れてしまいそうです。

 問題のネットカフェはというと、店のまわりに止まってる車などを見る限り混んでなさそうです。

 それなら入る前に食事しなきゃ。とにかく腹減ったー。目の前にくるまやラーメンがあったので、もうそこでいいやと飛び込んだら、その店もすごく繁盛しててお客さんが大勢いました。カウンターには座れたので、ネギみそラーメンと餃子を注文しました。やけに大量のラーメンがでてきて、餃子はいらなかったかと少し後悔しつつ完食。

 20時を過ぎた頃にネットカフェへ行き「今からだとナイト8時間パックと通常12時間パックのどっちがお得でしょうね」などと聞いてみたら、出る時にお得なパックで計算されるので大丈夫ですよと言われました。

 そういえば、強風のせいでいわき駅から動けなくなった時(この記事)、仕方なく入った自遊空間でもそんなこと言ってたっけ。その店だけかと思ったら全店でそうなったのね。便利になったものだなあ。

 翌朝は朝7時の電車で渡波駅まで行ってみる予定です。まだ21時前なのでゆっくり漫画を読む時間がありますね。


 あら、今回は文字ばっかり。写真が一枚もありませんでした。
 

タグ:東北旅行2012年春その2

水元公園の空間放射線量 4月25日

 旅行記の途中ですが、いつもの空間放射線量です。夏休みの宿題みたいに地味に定点観測を続けています。

測定結果 2012.04.25. 曇り、やや風あり

1. 野鳥のサンクチュアリの外側
0.26μSv/h

2. 芝生広場のまんなか
0.21μSv/h

3. 広場脇の林
0.14μSv/h

4. 閘門橋の近く
0.18μSv/h


# 測定はなるべく週に一度くらいややろうと思ってます。仕事でやっているわけではないので自分の都合で気まぐれに実行します。


使用機器

 エアカウンターS(AIR COUNTER -S)を使っています。

詳しくはこちらの記事を読んでください
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1305

測定方法

 地上 1メートルで計測します。これはちょうど大人の腰くらいの高さです。

 エアカウンターSのスイッチを入れ、35秒のカウントダウン終了後、さらに30秒待ってから、10秒ごとの値を9回メモして平均値を求めます。

測定ポイント


より大きな地図で 放射線量調査 を表示
 公園内とそのまわりの四ヶ所で調べます。黄色いポイントの右から

1. 野鳥サンクチュアリの外側
2. 芝生広場のまんなか
3. 芝生広場脇の林
4. 閘門橋の近く

 場所が偏ってますが、長く続けなければ意味がないので自分が良く行く範囲に設定しました。

注意事項

 素人が精度の低い機器で計測しています。お遊びの域を出ないということを念頭においてご利用ください。




葛飾区による測定結果

http://www.city.katsushika.lg.jp/34/9539/index.html
このページ内を「空間放射線量の定点測定結果について」で検索。
リンクをクリックした先にあります。
毎月25日に更新されます。

今日の水元公園

ファイル 1345-1.jpg
▲アオサギ

ファイル 1345-2.jpg
▲ナミテントウ、だと思う。ナミテントウは色のバリエーションが多すぎるし、大きさの個体差もはげしいので難しい。

ファイル 1345-3.jpg
▲車の撮影をしている人たち。通常は公園内に車を乗り入れることはできませんが、許可を取ると入れます。新緑が美しい季節になると、よく車の撮影をしてる人たちがいます。

タグ:放射線 地元(葛飾周辺)

東北旅行:鹽竈神社

 御釜神社が釜をまつっているなら、鹽竈神社はその持ち主である神様をまつる神社です。

◎2011年4月の参拝記
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1081

◎2011年8月の参拝記
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1186

 三度目なのでサラッといきます。

ファイル 1344-1.jpg
▲境内にある博物館。江戸時代に林子平が作った日時計の実物などが収められてるそうです。建物の外には巨大な鯨の頭骨や、鯨漁に使う銛などが置いてあります。残念ながら震災の影響でこの日も臨時閉館中でした。もう開かないのでしょうか。すごくすごく見たいんです。

ファイル 1344-2.jpg
▲手水舎の屋根にあたってる石灯籠は、仙台藩御用の大阪升屋・山片重芳が寄進したものだそうです。升屋の番頭をしていた長谷川芳秀は商売のうまい人で、重芳を一人前の商人に育てたのはこの人らしいです(名前が似ててややこしいですね)。

 大阪升屋の番頭さんは、差し米検査を無料でするかわりに抜き取った少量の米をもらいうけて商売し、儲けた御金を大阪に運んで巨万の富を築いたそうです。そうしてボロボロだった仙台藩の財政を建て直したのもこの人。仙台の二宮尊徳的な人ですね。

 升屋ではこの番頭さんに主人と同じ山片の性を名乗らせて親類同様の扱いをしたということです。以後、彼は山片家の番頭をもじって山片蟠桃(かたやまばんとう)と名乗りました。

 で、この立派な石灯籠は片山家の隆盛をあらわす歴史的資料なんだそうです。灯篭の前に立て札がありました。
ファイル 1344-3.jpg

 なんでこの灯篭に注目してるかっていうと、前に来た時、灯篭の火袋にヒビが入り、てっぺんの宝珠も落ちていたのを見たからです。帰宅後に灯篭の由来が気になって検索したけれど、その時点ではあまり情報がなかったので、書いて置こうと思った次第です。

ファイル 1344-4.jpg
▲これが2011年8月の写真。

 火袋が全取っ換えされてる感じなんですが、由緒あるものなのにいいんでしょうか。オリジナルはどこかに保管されているのかもしれませんけど。やや気になります。

ファイル 1344-5.jpg
▲帰りはこのすごい石段を降りました。いつか上りにも挑戦するぞー。


 鹽竈神社を出たあとは、iPhoneで地図を見て、隣の東塩釜まで歩きました。線路沿いを行けばたいした距離ではありません。土地勘がないのでまっすぐ歩いてしまいましたけど、また行くチャンスがあったらもっとあっちこっち歩き回ってみたいです。

 塩釜の次は石巻に行きます。

タグ:東北旅行2012年春その2

東北旅行:おこしかけの石と七曲坂

 御釜神社を参拝したあとは、鹽竈神社(しおがまじんじゃ)にもお参りすることにしました。

 鹽竈神社は山の上にありまほす。土地勘がないので、いつも駅のほうから坂道を上ってお参りしてました。でも、本当は山の南側にものすごい階段があって、そこが本来の参道っぽいです。

鹽竈神社の石段
▲これがすごい階段。いつかこれも攻略せねばなるまい。

 でも、この石段ですら鹽竈神社の歴史の中では新しいものなんです。本当に古くからある本来の参道は七曲坂(ななまがりざか)といって、山肌を削って作った坂道です。

 七曲坂は鹽竈神社にまつられているシオツチノオジ神が通った道だと言い伝えられています。そして、坂の下には神様が休んだとされる「おこしかけの石」があります。

ファイル 1343-1.jpg
▲猿田彦の石碑の足下に見えている、なんのへんてつもない石が「おこしかけの石」だそうです。

 江戸時代の古文書にも「影向石(ようこうせき)」や「神憩石(しんけいせき)」という名前で出てくるそうです。

 ただ、一説によると、写真の石ではなく、もっと巨大な石がこのあたりに埋まっているとも言い伝えられており、真実は謎の中にあるようです。

 影向石といえば江戸川区小岩のお寺にも同じ名前の石があります。

◎影向の石〜伝説の宝庫、善養寺(江戸川区)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1238
 詳しくはこちらをどうぞ。写真もあります。寺に入った泥棒が、この石に足をのせたところ金縛りにあい、そこへご本尊様の不動明王が現れて、泥棒を改心させたという伝説です。

 塩釜の影向石は、江戸川区にあるやつと、大きさといい、形といい、とてもよく似ています。どこの伝説がオリジナルかわかりませんが、江戸時代にこの手の話が流行ったのかもしれません。


 おこしかけの石を見たあとは七曲坂をのぼりましょう。石がある公園の裏手に入り口があります。

ファイル 1343-2.jpg
▲これが七曲坂だ!

 七曲坂はナントカ古道と呼ばれる道のように舗装もなにもされていない昔の道でした。路面は平らではないので歩きにくく、この先もっと険しくなったらどうしようと、少しドキドキしました。坂道は上りより下りが恐いんです。

 でも、先に登っていったカップルを見るとお姉さんはサンダル履きだったので、まあ大丈夫だろうと先に進むことにしました。

 少し登っていくと、道が突き当たり、折れ曲がって登っていく道が続いていました。それを何度も繰り返して登っていきます。なるほど、七曲の坂とは良く言ったものです。

ファイル 1343-3.jpg
ファイル 1343-4.jpg
▲坂の途中に穴があって、中に水が湧いていました。坂の下にあった案内板に「金花水(きんかすい)と呼ばれる湧き水があって、かつては参拝者の喉を潤していた」と書いてありました。これがその泉でしょうか?

 ずいぶん登りました。曲がり角がいくつあったかは数えそびれました。だいぶ息が切れた頃にてっぺんに到着。たどりついてしまえばそれほど険しい道でもなかったと思います。

ファイル 1343-5.jpg
▲上から見下ろして撮影。どっちが上なんだかわからない写真になってしまいました。

 見下ろすと下には現代の街並みが見えるわけですが、坂道だけは時が止まったように昔のままです。あたりの森からはウグイスの声が響きます。とても良い道でした。


▲鹽竈神社のウグイスの鳴き声です。残念なことに後を走る車の音を拾ってしまい後半が騒がしい感じになってしまいました。県道3号から鹽竈神社の方角を見上げて撮影しました。この森の中に七曲坂が通っています。

タグ:東北旅行2012年春その2 伝説