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関西旅行7:彦根城、玄宮園、寝弘法

 さてさて、関西旅行も最終日の三日目です。京都は烏丸のネットカフェで目覚めました。今朝は京都見物はしないので、四条駅から地下鉄で京都駅まで行きました。駅まで行くだけならバスより地下鉄のほうが安いです。

 京都駅で青春18きっぷの五日目にハンコを押してもらって、朝7時ごろの電車に乗りました。通勤・通学ラッシュにあたって座れませんでしたが、彦根で下りるので問題ないです。

 8時ごろ、彦根駅に到着。電車に乗ってた人のほとんどが彦根で降りました。階段がすごい混雑なので人がはけるまでベンチで休憩。

 ここでは彦根城を見るつもりです。城めぐりが趣味というわけじゃないですが、江戸時代のまま天守閣が残ってるそうなので、それは見とかないとね。

 彦根城の営業時間は8時半から。駅から歩いて15分くらいだそうです。ゆっくり歩いていけばちょうどいいかな。
彦根城
▲山の上に小さく見えてるのが彦根城の天守閣。JR彦根駅から徒歩10〜15分にしては遠くない??

彦根城
▲城壁の間を一般道が抜けてるので、こんな風景なのに意外と交通量があります。なんかすごい。ちなみに右奥の白い壁に長四角と三角の穴があいているのは狭間といって弓や鉄砲で敵を狙うための小窓です。四角いのが矢狭間、三角のが鉄砲狭間です。

彦根城
▲入場券売り場に到着。確かにここまでは 15分くらいでした。玄宮園(お城の庭園)だけなら 200円、天守閣も上るんだったら庭園とセットで 600円、博物館も見るなら +500円だそうです。今回は博物館は省略で 600円払いました。

彦根城
▲おーっと、これが天守閣なのか。想像より小さいよ。だから遠くに見えたのかー。

彦根城
▲こんなに小さいと作り物に見えちゃうけど、彦根城は正真正銘江戸時代初期に作られた現存天守だそうです。明治のいつごろだかに取り壊されそうになったんですが、大隈重信だか、明治天皇の従姉妹のかね子さんだかが保存したほうがいいと陛下に申し上げて残すことになったそうです。

彦根城
▲本物のお城の階段は梯子みたいに急です。上るのも下りるのも恐いよう。天守閣の中はほぼ昔のままなのでエレベーターもないし、この急な階段を使うしかありません。

彦根城
▲天守閣の天辺です。天守閣自体は小さくても小高い山の上にあるので見晴らしはよかったです。窓から琵琶湖が見渡せましたが、あいにくの曇り空で景色としてはビミョーな感じでした。

彦根城の鉄砲狭間
▲この三角の窓が鉄砲狭間(てっぽうはざま)です。ここから鉄砲で外の曲者を狙うのです。弓用の狭間は縦長の四角になってます。

彦根城の鉄砲狭間・矢狭間
▲鉄砲狭間と矢狭間を外から見るとこんな感じです。

彦根城
▲城内の通路はこんな感じで、石垣で狭くしてあるところがあったりします。

彦根城
▲玄宮園です。お城の庭ですね。もっと池が入るように後へ下がって写せばいい写真になりそうですが、足の豆も痛いし、暑いしで、心に余裕はなかったです。ちなみにここは寅さんの何作目だかのロケ地ですね。

彦根城
▲彦根城といえば、ひこにゃんです。10時半からひこにゃんのイベントがあるよってツイートでお知らせをもらったけど、それ見てると帰りが遅くなるから書き割りを見て我慢。



 お城見学を終えて駅のほうへぶらぶら歩いていたら、途中のお寺に「寝弘法」という看板が見えたので立ち寄りました。寝釈迦はよく聞くけれど、寝弘法は珍しいですよね。

彦根・大師寺
▲ここが寝弘法がある大師寺。

彦根・大師寺の寝弘法
▲こちらが寝弘法様、ブロンズ像です。

 彦根には寝弘法信仰でもあるのかなと首をひねって調べたところ、どうもそういうことではなくて、このお寺を開いた尼さんが、横たわって仮死状態で神仏のおつげをもらい、人々の悩みに答えていたのにちなんでいるそうです(ただし像としては弘法大師のお姿にした)。作られたのも新しくて昭和の初期だそうです。

彦根城
▲彦根駅前の井伊直政公の銅像。

 彦根駅に戻ってきました。朝8時について、彦根城を見て(ひこにゃんと博物館は省略で)、途中で寝弘法を見て、駅でまた電車に乗ったのが 10時半くらい。余裕をとって 3時間あれば途中下車の旅ができそうです。


 彦根城を見ながら帰りは何線に乗ろうか考えていると、ネットで路線案内を見ながら、もしかして大急ぎで豊橋へ移動したら飯田線で秘境の旅ができるんじゃないの、などと妄想が膨らみました。飯田線は 7月にともだちの車で横を通りましたが本当に秘境なので一度乗ってみたいんです。

◎2011年7月の長野旅行で飯田線を見た話はこのへん
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1169
◎長野旅行を最初から読みたい場合は
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?plugin=Tagging&tag=2011%E5%B9%B47%E6%9C%88%E9%95%B7%E9%87%8E%E6%97%85%E8%A1%8C

 でも、飯田線は本数が少ないし、一本での乗り遅れたらアウトです。ついでに言うと豊橋から岡谷に抜けるだけで 6時間かかりますから、昼過ぎの電車になんか乗ったら途中で日が暮れて面白くはないでしょう。もちろん途中下車もできません。こりゃ、日を改めて飯田線のためだけに来たほうがよさそうですね。

 というわけで妄想終了。ひこにゃんをあきらめたので時間に余裕はあるから中央線経由で帰ることに決定。まだ何ヶ所か途中下車できそうですよ。


(つづく)次は中央線の旅ですよ

タグ:2011年9月関西旅行 青春18きっぷ

関西旅行6:新世界と仁徳天皇陵

北大阪急行の切符
▲千里中央駅から北大阪急行に乗って……

通天閣
▲新世界に着きました。具体的には動物園前で降りたんですけどね。

つぼらや新世界店
▲つぼらや前でイマココ(寅さんのロケ地だから)。ふぐ定食1700円くらいなら食べてもいいなと思ったけど、その日のうちに仁徳天皇陵まで行きたいのでお昼はコンビニのおにぎりで我慢しました。

スマートボール
▲おお、スマートボールの店なんかある(入らなかったけど)。子供の頃によくやったわ。パチンコ屋の奥半分とかがスマートボールで、大人がパチンコやってる間に子供はスマートボール打ってたりして、おおらかな時代でしたね(笑)わたしけっこう上手で森永のハイソフトをいっぱいもらったことがあります。なつかしいなあ。

天王寺動物園
▲天王寺動物園。せっかくだから速歩きで見ておこうかと思って。

天王寺動物園
▲ピューマです。ほかにも写真とったけど端からはってると日が暮れちゃうから省略ねー。ガラス越しで間近に見られる猛獣が多くて見ごたえあるんですが、どうしたってガラスは汚れるので写真写りは悪いです。オオカミ(チュウゴクオオカミ?)が沢山いるのは珍しいなと思いました。

天王寺駅
▲JR天王寺駅。ここも寅さんのロケ地になってるんだけど、こんなでっかい駅だったのか。

天王寺駅内の警ら所
▲たしか映画では駅の中にある派出所みたいなところが写ってるんだけど、建て直されてるだろうから同じ場所はないかもねー、と思いながらなんとなく撮影。

 天王寺駅からまた電車に乗って百舌鳥駅(もずえき)へ移動します。

あの森が仁徳天皇陵?
▲百舌鳥駅に降りて、駅のすぐ近くの歩道橋の上から写しました。建物の向こうに見える森のようなものが仁徳天皇陵の一部らしいです。

仁徳天皇陵
▲近づいてみました。でっかすぎて森にしか見えませんっっ。まわりにお堀があって、入れないように柵があるので古墳だってわかるんですけど、もしなかったら古墳だと気づくのに時間がかかるとかも。

ファイル 1216-1.jpg
▲これは模型なんですが、真ん中のでっかいのが仁徳天皇陵で、まわりにある鍵穴型の小さいやつが家来のみなさんの墳墓です。ご家来衆のもそれなりの大きさがあるのにこの大きさの差は半端ないです。

 宮内庁が管理してるので発掘調査が進んでないみたいですけど、どうも最近では仁徳天王の墓にしては新しいんじゃないかって言われてるらしいですね。でも、それなら一体誰のお墓なんでしょう。こーーーーんなにでっかいんですよ?? そうとうカリスマった人の墓じゃないとおかしいです。

 仁徳天皇陵のまわりは道路があるので一周できるんですが、歩くと一時間くらいかかるそうです。ここにたどり着いた時には17時をまわっていたし、足に豆ができてたのでこの日は断念しました。いつか一周して世界一の巨大さを確かめたいものです。

 というわけでまた電車で移動、今度は大阪駅まで行きますよー。

大阪駅からの夕焼け
▲大阪駅にたどり着いたらこのとおりのすばらしい夕焼け。手前の白い壁がなかったらすごい写真のような気もしますが、足の豆が痛くてそこまで考えてる余裕とかないんですよほんとにもう。

 丸ビルの地下にあるタロットカードの店をのぞきました。この店はアレクサンドリア木星王って人がやってるらしいです。この方は検索するとそうとう癖のある人らしくて評判がものすごく悪かったり良かったりすごいんですが、タロットカードを日本に紹介して定着させたひとのひとりではあるんじゃないでしょうか。何十年も前の本がうちにも一冊あって(うちには占いをやる人なんかいなかったのに、なぜか本棚にあった)わたしのタロットカード好きはその本が出発点だったかもしれません。確かに内容には癖があって好き好きありそうな感じだったなあ。

 大阪に店があるみたいな話は前から知ってたので、一年半前の関西旅行で面白いから見に行って、記念に仏様の絵柄のオラクルカード(タロットと違って小アルカナみたいな数字札のないやつ)を購入したら、英語の説明書がメチャクチャで、カードについてる番号や名前と、説明書の番号と名前が一致してなかったり、名前がいちいちサンスクリットの単語なんですが、説明を読むと名前と内容が一致してなかったり、ものすごく出来が悪かったです(笑)たしかイタリア製だったかな。

 今回もせっかくだからなんか買おうと思って妖精のの絵柄のやつを選んだら、それもオラクルカードでした(オラクルカードを選んでるんじゃなくて、絵柄の面白そうなのを選ぶとなぜかオラクルカードばっかりなんだよう)。説明書は英語ですよって言われたので「去年ここで買った仏様のカード、説明書がめっちゃくちゃでしたよ」って売り場のお姉さんに教えておきました(人柱)。

 それから、人力検索で教えてもらった梅田駅の古本屋街を見ておこうと思って地下道を歩いたんですが、完全に帰宅ラッシュにあたってしまい、ものすごい人です。大阪の人ごみって東京のと少し違うと思うんです。何が違うのかよくわかんないけど、とにかくまっすぐ歩けないんです。人とぶつかりそうになる。もしかしたら、東京と大阪では、はちあわせた時によける方向が違うんじゃないのかな。あるいはぶつかりそうになったときの反応が違うのでどっちによけていいかわからなくなるとか?

 どうにか大阪駅の反対側にたどり着きましたが、古本屋街は梅田駅の大阪駅と反対側の出口にあるとかなんとか。また歩く。足痛いんですけど。途中に美味しいものの店が沢山あったような気がしますが、どこもかしこも人いっぱいで近づけません。
梅田の古本屋街
▲古本屋街は買うと荷物になるので通り抜けるだけでやめました。

 そんなこんなですっかり夜なので阪急電車にのって京都に戻りました。ほんとは大阪で一泊するつもりだったんですが、京都の方が東京に近いので、少しゆっくり出発できますからね。

 結局夕飯はどうしたんだったかな。何を食べたか思い出せません。一人だと間に合わせでいいやって思うので、コンビニ弁当かなにかで済ませたかもしれません。

 ちなみにこの日もネットカフェで漫画読みまくりでした。一日くらいホテルに、とも思ったんですけど、iPhoneアプリで楽天を検索したら、安いホテルは当日の予約をとれませんでした。たぶん夏休みは飛び込みで来る人のために部屋をあけてあるんだと思います。それだと楽天ポイントを使えないので、ならネットカフェで漫画読んでたほうがいいしー。

 ところが、この日選んだネットカフェは酷かった。パソコンを立ち上げたら入力がボポモフォ(台湾式の中国語入力)になってて再起動してもなおらないし、gmail にアクセスしてみたら誰のかよくわかんないメールアドレスが残ってるんです(再起動してるのにですよ?)。恐くてこんな機械使えるかっつーの、と使ってから気づきました。もう遅いっつーの。どの店に入っても履歴やクッキーを消して再起動をかけてから出ることにしてるので大丈夫とは思うんですけどねえ。

 実は以前にも同じ店を使ったことがあるんですけど(旅先でネットカフェに入ってみるのも趣味のうち)、以前はこんな感じじゃなかったような気がします。どうなっちゃったんですかね、コミックバスター四条烏丸店、とさりげなく実名をあげる。あとで苦情入れとこうと思ってすっかり忘れてたことに今気づきました。もう面倒くさいのでやめときます。


(つづく)次は彦根へ行きますよー

 

タグ:2011年9月関西旅行

関西旅行5:地底の太陽

EXPO'70パビリオン<br />▲EXPO'70 パビリオン<br /><br /> EXPO'70 パビリオンというのは、大阪万博で鉄鋼館だった建物だそうです。それをリニューアルして 2010年の春に万博を記念する展示を始めたということです。<br /><br />◎日本万国博覧会記念機構:EXPO'70 パビリオン<br /><a href=http://park.expo70.or.jp/facil/facil_11.html

 常設展示もあるんですが、今年の8月27日〜10月10日に特別展をやっていたので見に行きました。万博開催当時、太陽の塔の地下に展示されていた、地底の太陽を公開してるとかなんとか。

EXPO'70パビリオン・地底の太陽
▲地底の太陽はこんなやつです。撮影は許可されてるんですが、フラッシュをたいてはいけないのでこんな写真になってしまいました。実物は赤ではなく金色に近い色をしてて、けっこう大きなものです。太陽のまわりにはさまざまな民族の文物が置いてありました。天井にも壁にも、お面みたいなものが沢山とりつけてあります。

 太陽のオブジェだけでなく、まわりにちりばめられた部族の文物もふくめて、部屋全体が作品のようです。開催当時の空気を知ってると懐かしさで感涙にむせぶという感じなんでしょうが、知らないと「どこが面白いの?」って感じかもしれません。ちなみにわたしは、万博はがあったことは覚えてますが実際には見られませんでした。

 この「地底の太陽」は、本物なのかと思ったら、どうやらレプリカのようです。ほんものは万博が終了したあとに行方不明になってるということです。噂によると、兵庫県で作る予定だった美術館のために引き取られて行ったのに計画がポシャってそれっきり行方知れずだとか。解体されて捨てられちゃった可能性もありますが、もしかするとどこかの倉庫に眠っているかもしれません。


EXPO'70パビリオン・生命の木
▲生命の木……なんですが、写真が酷いですね。暗くてうまくうつらないのです。これも太陽の塔の中にあったものだそうです。本物かどうかは知りません(笑)


EXPO'70パビリオン
▲コンパニオンのお姉さんたちのコスチューム。おお古き良き70年代よー。


EXPO'70パビリオン・ソ連館のミニチュア
▲ソ連館のペーパークラフトだそうです。この時代の建物は当時のSF漫画に影響を与えてそうな気がします。


EXPO'70パビリオン
▲万博で展示されていたものの行方を探してるそうです。当時の建物や展示されてたものの一部は、移築されたり、買い取られて行ったりして、その後行方の知れないものがけっこうあるみたいです。名も知らぬ公園の片隅にあるオブジェとか、案外そういうところに万博の遺物が潜んでいるかもしれません?!


 万博を実際に見た事がなくても、当時の空気を知ってる年代の人だったら EXPO'70 パビリオンはきっと面白いです。撮影が自由なのも嬉しいですね。でも壁が真っ赤なので何を写してもおかしな感じになってしまいました。

 万博記念公園は広いので見どころが沢山ありそうですが、今日中にいろんなところを見ておかないといけないので、そろそろ移動しようと思います。


(つづく)

タグ:2011年9月関西旅行

関西旅行4:国立民族学博物館

国立民族学博物館

 さて、国立民族学博物館(略してみんぱく)です。ここは前から気になっていたので一度来ようと思ってたんですが、去年の大阪訪問では寄りそびれてしまい、今年こそってな感じで行くことにしました。

 東京だと上野の国立博物館にも似たような展示がないこともないですが、名前のとおりもっと民族学寄りの楽しい展示ばっかりで、どこを見ても目がハート型になっちゃう感じでした。これ家の近所に欲しいです。年パス購入して毎週通っていまいそう。

 事前に人力検索はてなで大阪の見どころを聞いたら、みんぱくに行くなら図書室にも寄ったほうがいいですよって教えてもらって、特に用事はなかったけど見せてもらいました。民族学関係の日本の本や、外国の本、チベットのお経とか、蔵書そのものもすごかったけれど、書庫が円柱型なのも面白かったです。見学には事前の予約は必要なくて、保険証かなにか持っていれば誰でも無料で見学できるようです。
http://www.minpaku.ac.jp/library/shiryo/
ここからネット越しでも蔵書検索できるみたいなので、地元の図書館や国会図書館、大学の図書室で足りない時なんか、ここも探してみると良さそうですね。

 ところで、今回は漠然と興味があるからという理由以外に、みんぱくへ行く目的がありました。

 群馬に相川考古館というのがあります。相川之賀(あいかわしが)という人が、私財をなげうって集めた考古学の資料を展示してある私設の博物館みたいなやつです。何が面白いって、相川之賀って人の生い立ちが面白いんです。明治十八年、わずかなお金を持ってアメリカに渡り、カナダに日本人村を作ろうとしてた人です。目のつけどころが変わってて、当時ほとんど重要視されてなかったネイティブアメリカン(カナディアンというべき?)の文物を収集しては日本に送ってたらしいんです。
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1025
 詳しくは以前このへんにも書きました。相川考古館は群馬県伊勢崎市にあって、伊勢崎では弾琴の埴輪(だんきんのはにわ)が展示されてる場所として有名でした。

 考古館の人が、いろいろ説明してくれたんですが、之賀さんがカナダから送った文物は、東大のナントカ教授を通じて大阪にある国立民族学博物館に寄贈されたってことでした。その時の話では、みんぱくの入り口に展示されてるはず、くらいの勢いだったと思うんです。相川考古館には収集されたもののモノクロ写真があって、うろおぼえなのでこういう形とはハッキリ言えないんですが、とにかくみょうちくりんで見た事もないようなものだったと思うんです。お面やかぶり物のようなものとか、トーテムポール的なもの(ポール状だったかどうか覚えてないけど)とかだったような気がします。

 それで、わたしは之賀さんという人が断然好きになってしまって、彼が集めたものが残ってるんだったら見たいなあと思いました。とはいえば博物館も時々展示を変えますから、飛び込みで見に行って見られるかどうかはわかりませんけど、本当にみんぱくで保存されてるのかどうか、それだけでも聞いてこようと思ったわけです。

 いちおう展示を一通り見てまわりましたが、北米関係のコーナーにはそれっぽいものがありませんでした。まあ、わたしが群馬で見たのは白黒写真だったし、形もうろ覚えで、大きさもよくわかりませんから見逃してる可能性はあります。

 受け付けで、
「あのー、こちらに "あいかわ・しが" という人が集めたものがあると聞いたんですが、常設展示の中にはないんでしょうか?」
ってなことを聞いてみたところ、おねえさんがややシロドモドロになってしまい、
「申し訳ありません、勉強不足で… 今お調べしますので」
ってな感じで、まずはネット検索でお調べくださったようです。すみません、知らなくて当然だと思います。地元伊勢崎でも弾琴の埴輪は有名だけど、之賀さん自身のことは知られてないと思うので。

 おそらく、相川考古館の公式サイトを見てくださったんだと思います。でもみんぱくとのつながりが見えてこなかったみたいで(そんなこと書いてるのわたしのブログくらいだろうしなあ…)、いつごろのもので、どういうものですかって聞かれちゃったけど、わたしもよく覚えてないんです、ごめんなさい、ごめんなさい。

 とにかく日本でいうと明治時代のもので、北米(特にカナダあたり)のネイティブアメリカンのもので、形は覚えてないけど見た事もないようなみょうな感じのもので、丸いものにこぉんな突起があって……と、完全に馬鹿丸出しの説明をしたら、お姉さんは超能力者でたぶんお面だと解釈して、館内の資料をあたってくれたようなんですが、残念ながら相川之賀という名前では調べようがないってことでした。

 それで、そういう方面になら詳しいはずという職員の方を呼んでくださったんですが、出てきたのは素敵なおじ様で、なぜかニコニコ、ニヤニヤしてらっしゃるんですよね。わたしを見て開口一番、
「それはたぶん、館内のどこかには保存されてるとは思うけど……で、あなたそれを見てどうしたいの?(ニコニコ)」

 しまった、そう来るか。どうしたいって言われても、見たいだけなんですってば。別に研究者でもなんでもなくて、ただ見たいんです。面白そうだから。
「何と言われましても、もしあるなら見たいというだけで、特になんということも……(汗)、実は、わたしは伊勢崎の出身で、相川之賀さんに興味がありまして……えへへ」
的な返事をしました。

 そうしたら、おじ様はさらにニコニコなさって、
「たぶん僕は彼の同級生です」
とおっしゃる。

 一瞬なんのことだろうって、ただでさえ挙動不審のわたしはさらに目が泳いでしまう。相川之賀は明治の人だし、目の前のこの人と同級生はたぶん、絶対、ないと思うんだけど、どういうことなんだろうとどぎまぎしながら、
「えっ、そうなんですか?」
と聞き返したら、
「いや、もしかしたらやってるのは彼の息子さんかな? いくつくらいの人でした?」
と、とおっしゃる。それで、どうやら之賀さんではなく、現在考古館をやってる人のことを言ってるとわかり、
「あー、なるほど、それならご本人かも……(汗、汗、汗)」
と、やっと理解しました。

 なんでも、考古館をやってる相川さん(之賀さんのお孫さんかな?)と、みんぱくの職員さんは同じ学校に通ってたらしいんです。相手は自分のことを覚えてないかも知れないとおっしゃってましたけど。職員さんは太田の出身だということでした。大阪にいると群馬の人と会うチャンスがほとんどないので楽しくなってしまうとおっしゃってました。わたしもまさか大阪で群馬の人とこんな話をするとは思っていなかったので、世の中って狭いなあと驚くばかり。

 結局、相川之賀コレクションは、そういう名前で整理されていないので、今すぐこれだとは言えないそうですが、みんぱくの所蔵品がそもそも東大にあった資料だし、時間をかけて調べたらきっとみつかるだろうってことでした。おそらくこういうものだと思うと、図録も見せてくれましたけど、わたしもうろ覚えなので似てるとしか言えませんでした。

 今度来る時は事前に電話してくれたら調べておきますよと言ってくれたけど、わたしは研究者とかじゃないので、そんなこと申し訳なくてできません(笑) みんぱくのどっかに実在してるんだってことがわかれば満足です。今度またチャンスがあったら伊勢崎の相川考古館へ行って、問題の白黒写真をよく見てきます。事情を話したら写真の写真くらいは撮らせてくれるかもしれないので、そしたらみんぱく宛てに送ってもいいですしねー。

 というわけで、目的のものは見られませんでしたが、思いがけない展開で、大変満足しました。ダメもとで聞いただけなので、わかりませんって言われて終わりだろうなと思ってたんです。関係者のみなさん、ありがとうございました。




 このあと EXPO'70 パビリオンで地底の太陽を見ますが、それは次の記事で。

(つづく)

タグ:2011年9月関西旅行

関西旅行3:京都から大阪へ、そして万博万歳!!

 関西旅行の続きです。早朝の京都を堪能したあと、阪急電鉄で大阪に向かいました。

阪急の切符
▲阪急電鉄の烏丸駅(からすまえき)から電車に乗りました。良く考えたら隣の河原町駅から乗ったほうが始発なのでよかったんですね。


阪急電鉄
▲これは帰りの便で写した急行電車の車内。各駅停車の車内は椅子の配置こそ違うけど、やっぱりシートが落ち着いた緑色をしててすごくオシャレ。



▲南茨木駅からモノレールに乗り換えました。


大阪モノレール
▲大阪モノレールは派手にラッピングされている車体が多かったです。わたしが乗ったのはチキンラーメン!


万博記念公園駅
▲万博記念公園駅に到着。ここは EXPO'70(大阪万博)の会場跡地だそうです。このモノレール自体は 90年代に作られたものなんですよね。でも、うねうねと続く線路が SF的で EXPO'70 の会場跡に似合ってます。


太陽の塔
▲駅舎を出ると見えるのが太陽の塔。わたしはここで思わず「万博万歳」と口走りました。この感じは写真では絶対にわかりません。駅からだとまだ距離があるのにとてつもない存在感です。


中央橋
▲駅方面から公園へ渡るための橋の入り口。橋の下には高速道路が通っていて、橋の上をモノレールがまたぐという、なんかすごいところです。


貼り紙
▲万博記念公園に自然文化園側から入ろうとすると入園料を取られるんですが、9月10日と19日は無料観覧日だって書いてある。ちなみにこの日は9月8日、二日後ならタダだったのかー! でも今回は民族学博物館を見るので関係ないですね。博物館の入館料を払うと自然文化園はタダで通れるそうです。

ポスター
▲国立民族学博物館のポスター。げげ、10月だったらアイヌの展示だったのか。見たかったなあ(アイヌ好き)。家がもっと近ければいいのに。


太陽の塔
▲太陽の塔の真っ正面に来ました。なんだろう、この感じは。ここには写真ではまったく伝えられない何かがあります。ウィキペディアによれば「塔の高さ70m、基底部の直径20m、腕の長さ25m」だそうです。今どきこのくらいの巨大建造物、そんなに珍しくはありません。でも、ここまでの威圧感、存在感、崇高さ、恐ろしさを持ったものって他にはないと思います。

 これまで各地で大観音やら大仏を見てきました。牛久大仏なんか台座を含めると高さが120メートルとかあってもんのすごく巨大なんですが、それでも太陽の塔の存在感にくらべたらチンケなもんですよ。

 とにかく太陽の塔はすごい。この前に立ったらただただ唖然とするばかり。浦沢直樹が『20世紀少年』で登場人物に「万博万歳」と言わせているけれど、太陽の塔の前に立ったら誰だって「万歳」を口走りたくなると思う。両手をあわせて拝んでしまったり、土下座をして礼拝したくなる人もいるかもしれません。


太陽の塔
▲下から見上げて撮影(デジカメで)。
太陽の塔
▲同じようなアングルを iPhone4 で。

 てっぺんにある金色の顔は未来の太陽という名前だそうです。トゲトゲしたアンテナのようなものは避雷針だそうですが、よく見ると口に繋がってるんです。この巨大建造物は天空から落ちてくる雷電を口から吸収するらしいのです。なんという大胆な発想。


太陽の塔・裏
▲裏に回った時の衝撃もすごい。過去の太陽と呼ばれているそうですが、表の崇高さとは対照的に完全に「わるもの」顔!


太陽の塔・裏
▲太陽の塔を裏側から。ちょっと傾いた位置でシャッターを切っちゃったのは残念。

 黒い太陽を見て『天空の城ラピュタ』に出てくるバルスの呪文を思い出しました。良い言葉に力を与えるためには悪い言葉も知っていなければいけないという理由で、決して使ってはいけない悪い呪文が親から子へと連綿と伝えられているのです。この黒い太陽も、太陽の表の顔を明るく輝かせるために必要なマイナス面なんでしょうか。こっち側からの太陽も悪くないですね。静かに音もなく燃える炎のようで。

 わたしは今まで岡本太郎をみくびっていたと思います。太陽の塔ほど人を圧倒するものはないです。日本中のありとあらゆる宗教的建造物のどれよりも人に畏怖を感じさせ、大地や空や宇宙といった、人の手が届かないすばらしいものを高らかに賛美する気持ちにさせるものはないと思います。かろうじて匹敵するのは奈良の大仏さんくらい。

 お金のかけかたが違うんだよ、という声が聞こえてきそうですけど、ほんとにそれだけ? 同じだけのお金を与えられたって、これだけのものを作れる人が他にいるかどうか。実際、日本はバブル景気を経験したけれど、誰が太陽の塔に勝てたのか。

 とにかく太陽の塔はすごい。おもしろい。感動した。東照宮の陽明門を、一日見ていても飽きないことから日暮の門(ひぐらしのもん)と言うそうですけど、太陽の塔もただ黙って一日中眺めていたい……!

 が、時間がないので先に進まないと(頭の切り替えは速い)。


太陽の塔と大屋根
▲手前の骨組みは EXPO'70 の会場を覆っていた大屋根の一部だそうです。開催当時は太陽の塔まで続いていて、この下で大勢が歌ったり踊ったりのお祭り騒ぎをしてる動画を見た事があります。


国立民族学博物館
▲そしてこれが民族学博物館の前ですが、館内はたぶん撮影禁止なので写真はありません。なんのためにここに来たのかは、次の記事に書きます。


(つづく)

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