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給食のうどんを語りつつ食パンに着地する思い出話

 食パンをかじりながら、昔のことを思い出した。

 伊勢崎の学校では一カ月に一度くらい、給食にうどんが出る日があった。その話をすると「ソフト麺でしょう」と言われるのだけれど、そういうものではなくて、本当にただの生うどんだった。透明なビニール袋に入っていて、今でもスーパーで3食入り150円くらいで売られているものとほとんど同じものである。


▲たとえばこんなやつ。

 食器にあたたかいおつゆをよそって、ビニール袋から取り出したうどんを投入して食べるのだが、食器というのがお椀ではなく、浅いトレイ状のものだった。うどんは麺どうしがからみあいビニール袋の形に固まっているから、汁に投入して先割れスプーンで泳がせてほぐす。そう、うどんなのに箸ではなく、先が割れたスプーンだった。やっとほぐれていい具合になった頃には汁もすっかり冷めてしまう。

 こんな風に書くと少しも美味しそうではないけれど、実は給食のメニューで一番好きなのがうどんだった。給食センターで大量に作る料理なので、どれもこれも大味で病人食みたいな感じだった。しかも当時のわたしはパンが嫌いだったので、主食がうどんになるだけで万万歳だったのである。うどんは市販のものと同じだし、つゆだってそうそう不味いものは作れないから、うどんの日だけは安心して食べられた。また、うどんの日は牛乳ではなくヨーグルトが出るのが決まりで、これも楽しみのひとつだった。

 さて、ある月のうどんの日。その日は午前中から暖かく、給食の頃にはみんなけだるい感じになっていた。おたのしみのうどんが配られてビニール袋をあけてみると、中から蒸れた匂いがした。クラス中から「くさい」「すえてる」「くさってるんじゃないの?」などという声がしはじめる。教室で生徒と同じものを食べていた先生が「このくらいなら食べても大丈夫だけれど、気になる人は残しなさい」と言ってご自分は食べておられたけれど、生徒はほとんど手を付けずに残した。

 そのうち他のクラスでも騒ぎになって、学年主任の先生が「大丈夫だとは思うけれどまだ食べていない人は手をつけずに残すように」と言いに来て、騒ぎになってしまった。それから何カ月もうどんが出なかったので、学校にうどんを納入していた業者がしばらく出入り禁止になったのかもしれない。

 その日は主食のうどんに不備があったので、五時間目が終わった頃に食パンが差し入れられた。それが、いつも給食で出る食パンとは食感が違い、みんな口々に「これのほうが美味しい」と言っていた。パン嫌いのわたしでさえ美味しいと言って食べた。

 パンの容器には普段の給食に来るのとは別の業者のロゴが入っていたので、男子などは「いつもの店はダメだ。今度からこの店のパンを給食に出したほうがいい」なんてことを言っていた。今思うと差し入れのパンはスーパーなどに卸す市販用のものだったんじゃないかと思う。給食用のパンは安く卸せるように市販品とは違う材料で作られてるんじゃないのかなあと。

 ところで、当時そこいらのお店で食パンを買うと同じメーカーのものが二種類ないし三種類あったと思う。よくは覚えていないけれど、一斤140円、160円みたいな値段の差で、パッケージのデザインが同じで色違いだったような気がする。なんというメーカーだったか覚えていない。伊勢崎ローカルとかではなく、ヤマザキとか第一パンとか、全国的に聞くメーカーだったような気もするけれど、思い違いかもしれない。

 高いほうが美味しいのかというとそうでもなくて、ある日何気なく一番安いのを買ってみたら、うどんが匂った日の午後に差し入れられた美味しいパンと同じ味がした。高いパンはふんわりして弾力があるのかもしれないけれど、わたしの口にはパサついたように感じられて好きではなかった。一番安いパンは、押すとぺしゃっと潰れてしまうけれどしっとりしているのだ。なんだ、わたしはパン嫌いじゃなくて、口にあわないパンを食べてただけなのか。



 …ということを、ついさっき食パンをかじりながら思い出したわけだが、最近の食パンはどいつもこいつも昔食べて嫌いだった高いヤツに似てるんだなぁ、これがまた。昔よりも食の好みが広がっているので「だから嫌い」とまでは行かないんだけれど。あの頃美味しかった一番安い食パンはもうどこにもないのかしら。



 

タグ:昔のこと

葛西臨海公園

 丑三つ時ですが、がぼ様(猫)が暴れて眠れないのでブログの更新とかしてみるのです。

 前の前の日曜日に新しいカメラを買ったのですが高機能すぎて使い方を覚えるのが大変です。慣れるまでいろんなものを写そうと思い、先週の金曜は葛西臨海公園に行きました。

 葛西臨海公園はディズニーランドがある舞浜の手前です。京葉線の駅を降りると目の前が公園になってます。まわりは巨大な倉庫街で駅のまわりには人がほとんど住んでいないんです。水族館や観覧車があるので土日は人が来ますが、平日の真っ昼間はゴーストタウンのように閑散と……

 …してるはずだったんですけど、久しぶりに出かけてみたら人のいない場所を探すのが難しいくらい人がいるので開いた口が塞がりませんでした。駅前のマクドナルドなんか昼頃のぞいたら満員で、公園をぐるっと歩いて一時間後くらいにもう一度行ったらやっぱり空いていませんでした。店が狭いわけではなく、席数はけっこうあるんですよ。こんなの平日の葛西臨海公園にはあるまじきことじゃないかと。どうやらここ数年でメジャーな観光地になったんですね。ぜんぜん知らなかった。

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 葛西臨海水族園のマイワシ、だったかな。一部の水槽は上からも見られます。この日は水族館もすごい人でした。一般の見学者も多かったけれど、遠足の子供たちが複数組いたようです。撮影の練習のつもりでわざわざ平日に来たつもりでしたが何もできませんでした。


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 高いところで咲いているマンサクの花。これを望遠で狙ってみると…
 

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 ここまで行けました。新しく買ったカメラは光学30倍です。手ブレ補正のものすごいのがついていて、三脚なしでもブレないのはいいんですが、写したいものを真ん中に入れてシャッターを切ったつもりなのに左上にずれてることがよくあります。


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 立ち枯れたエノキですが、幹に無数の穴があります。カミキリムシの幼虫かなにかが巣くった跡だと思います。


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 対岸は別世界。ネズミの国。

タグ:植物

若柳駅・くりはら田園鉄道

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 先日の東北旅行で宮城県登米市の石越近くでみつけました。小さな木造の建物で、最初は学校跡かと思いました。


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 近づいてみると若柳駅(わかやなぎえき)と書いてありました。


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 建物の中は待合室で、子供の頃に見たような古い木造のベンチが並んでいます。でも鍵がかかっていて中には入れませんでした。


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 金網越しに覗くとホームと線路があって、列車も止まっていました。 


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 駅舎の傍らにある記念碑。くりはら田園鉄道とその廃線の説明が平成二十二年六月の日付で刻まれています。鉄道の廃線そのものがいつなのかは書かれていませんでした。

 道行くおじいちゃんに「この鉄道はいつまで走っていたんですか?」と聞いたら「去年(平成二十二年)の三月いっぱいだよ」とと言ってました。帰宅後に検索してみたら平成十九年(2007年)の三月に廃線されたそうです。どうやらこの町では世間の一年が三年にあたるようです。

 昔は細倉というところに亜鉛の鉱山があったので、そこで働いてる人が大勢乗ったんだよと、おじいちゃんは話してくれました。

タグ:2011年2月東北旅行

この花の名前を教えてください

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 昨日ツイートした花はこれです。花屋さんでは短いカタカナの名前の札がついていましたがメモしてくるのを忘れました。キク科…だと思うけど違うかもしれません。なんでしょう、これ??

[追記]
 サイネリアのセネッティという品種っぽいです。花屋の札には品種名の「セネッティ」の部分だけ書いてあったんじゃないかと思います。

タグ:植物

寛永堂の大納言(琥珀菓子)

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 ゼリーを砂糖でコーティングしたのを琥珀菓子って言うんだよって教えてもらったので、飯田橋の寛永堂っていうところで買ってきました。本店は京都だそうです。外側のコーティングがカリッとして、中はゼリーでくにゃっとする。食感が面白い。

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タグ:おやつ