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ドラゴン少林寺(英雄出少年)

 『ドラゴン少林寺(原題:英雄出少年)』は、東京12チャンネル(今のテレビ東京)や、群馬テレビのようなローカル局でよくやっていたドラマで、主題歌が広東語っぽいので香港の作品だと思います。

 その主題歌がけっこういい歌でメロディーは今でもちゃんと覚えています。歌詞は広東語(たぶん)ですが字幕を書き写して、必死で発音を覚えようとした記憶があります。残念ながらそのときのメモはすっかりなくしてしまいました。たしか出だしの歌詞は「モーフーカンジーシリンシー」とかで、最後が「ナーンイー(難易)」で終わるのは間違いないです。

 この歌詞を全部覚えたくて、インターネットにつながるようになってからけっこう探しました。つながるようになったのが12年も前なので、当時はなんの情報もありませんでした。

 しかし12年もたつといろんな人がネットに参入しているのですね。さきほど思いついて検索したら、なんとびっくりニコ動にありました。日本で放映されたのには、歌詞に対訳がついていたので、これは香港で放映されたものだと思います。

 ニコ動はログインしないと見られないと思うので、動画に興味がある方はアカウントを取ってくださいね。取るだけなら無料です。

http://hk.music.yahoo.com/album-song.html?songid=13287
ここの情報によると
>歌手:關正傑 作曲:顧嘉輝 填詞:鄧偉雄
だそうです。ただ、ここに掲載されている歌詞は
テレビ放映時の字幕とは時が違うみたいですね。

ニコ動から書き写した歌詞は下記のような感じです。

英雄出少年

無負今朝少年時 去管多少不平事
是與非 盡在我心 冒死生 存情義
悲我願放下 苦我願去嘗
悲歓我自知
山我願去移 火我願闖過
心内知難易

無論幾多次成敗 要創一番英雄時
歴百險 大歩去闖 擲死生 留名字
悲我願放下 苦我願去嘗
悲歓我自知
山我願去移 火我願闖過
心内知難易
難易


これに日本放映時には対訳のようなものがついていたのですが、
今あらためて見ると対訳じゃなかったかもしれないです。
たとえば「悲我願放下」のところに「ふりむくな」って訳がついてたような気がするんですよね。
「難易」のところも「明日がくる」とか。

と、思ってさらに検索したら
http://www.logsoku.com/thread/dubai.2ch.net/tv2/1156478224/

『君の瞳にほとばしるものは 燃える正義と熱い熱だ
辛い思いに涙したのは昨日のこと 嵐過ぎ日がのぼり また明日が来る』

 そうそう、こんなんでしたよ。「あーらしすーぎー、ひーがのぼーりー、あーしたがーくーるー」ってところは曲にのせて歌えるんです。この人はビデオを持っているそうだから間違いないでしょう。「ふりむくな」はわたしの妄想で実際にはなかったのかもしれません。とにかく、ぜんぜん対訳ではないですね。イメージでつけた詩としか思えない。

 わたしときたらネット参入から12年もたっているのに中国語ひとつまともに読めるようになりませんでした。何をどう頑張るとまともになるかなあ、と12年をふりかえってため息とかついてみたり…

土合駅

 わたしは群馬育ちです。群馬の小学校では新潟方面で臨海学校をやることが多いです。わたしが通ってた学校では寺泊(てらどまり)の合宿施設みたいなところを使っていました。

 伊勢崎から新潟への移動は電車でした。当時はまだ国鉄で、新幹線はなかった時代です。L特急は走っていましたが「学生は鈍行よ!」とか言われてみんなで各駅停車の上越線に乗りました。

 群馬と新潟の間には分厚い山があります。群馬側より新潟側のほうが高いらしく、当時の技術だと鉄道をまっすぐに引けなかったらしいです。

 そこで、その山を越えるトンネルは二つのループで出来ていて、大きく旋回しながら山を登ることになりました。これが上毛カルタにもうたわれた「ループで名高い清水トンネル」です。

 清水トンネルは単線だったので列車の本数を増やすためにもう一本トンネルを掘る必要がありました。こうしてできたのが新清水トンネルで、こちらは技術が進んでループなしで通すことができました。 # このあたりの説明は小学生の頃に学校の先生に聞いたまんまなので正確かどうかは知りません。

 ところで、清水トンネル・新清水トンネルのちょうど中間地点には駅があります。土合駅(どあいえき)と言います。なんにもない山の中ですが、谷川岳の登山口になっているらしいです。

 先生が言うには、行き(下り線)の土合駅は深いトンネルの中にあって、帰り(上り線)の土合駅は地上にあるというのです。

 長いトンネルすら珍しいのに、トンネルの中に駅があるなんて完全にメルヘンの世界です。おまけに同じ駅なのに行きと帰りで違う場所に着くなんて。

 降りてみたくて仕方がなかったのですが、残念ながら土合駅見学は予定に入っておらず、指をくわえつつ行きも帰りも通過しました。

 最近になって土合駅は日本一高低差のある駅とかテレビで紹介されるようになりましたが、群馬ではわりと知られた駅だったと思います。そのわりに降りたことのある人はいないのですけどね。


 今回、鈍行列車で金沢に行くことになったので、絶対に土合駅に降りてみようと決めました。このチャンスを逃したら一生行けないかもしれません。

 なんせ土合駅には鈍行列車しか止まらないのです。しかも、土合駅まで来る列車は日に五往復、季節列車を含めても七往復しかありませんから。非常に難易度が高い駅です。土合駅下り線の時刻表>http://www.jreast-timetable.jp/1101/timetable/tt1035/1035010.html

 土合駅に8:34着、次の電車が9:56発。これを逃したら次は13:50です。途中ひとつでも電車を逃すと悲しいことになりそうです。ある意味決死の覚悟で東京を後にしました。


 下り線の土合駅は新清水トンネルの中にあります。動画もとってみたのですが薄暗くてまるでダメでした。いちおう駅なのに照明はトンネルの中と大差ありません。


土合駅
▲土合駅の階段です。わたしのカメラだとこれが精いっぱいですね(新しいカメラ買わなきゃ)。地上に出るにはこの階段を登るしかありません。エスカレーターなんて軟弱なものはここには存在しないのです。ここを通る者は谷川岳を恐れない猛者のみ。この階段をたやすく上りきる者だけが谷川岳に踏み込むことを許されるのです(たぶん)。


土合駅
▲看板。この階段は 426 + 24 段、上と下とでは標高差が 70.7 メートルあると書いてあります。

 階段の途中もレポートしたいところですが、前日まで風邪で寝てた状態でこの階段。まわりは薄暗く、階段はどこまでまっすぐ。完全に距離感を失って頭はクラクラ。50段上っては休み、下を見てため息をつき、50段上っては休み、上を見て頭を抱える。そんな状態です。結局上まで20分くらいかかりました(思い出したくない)。


土合駅
▲階段を上りきると、こんな渡り廊下があります。疲れててピントも合わない… この下には国道が走ってます。ここはあとで外から見えるので覚えておいてください。


土合駅
▲駅の待合室はこんな感じです。意外と広くて椅子がたくさんありました。寂れた感じがするのは、日常使われる駅じゃないのと、無人駅だからでしょうか。そう、無人駅なんです。自動改札すらありません。無賃乗車されないんでしょうか。駅自体は立派な作りで、もしかしたら大昔は常時職員がいたのかなあと思います。
 

土合駅
▲ご用の方は水上駅までご一方くださいという張り紙。


土合駅
▲自動販売機は中止になっていました。


土合駅
▲谷川岳の危険区域を案内する看板です。登山客が多いんでしょうね。


土合駅
▲駅の屋根から長く伸びた氷柱です。


土合駅
▲ここは上り線のホームです。この通り地上にあります。もっと引いたところから写真をとればいいのに、最近ぜんぜんそういう頭が回らないんです。


土合駅
▲土合駅のまわりは晴れていましたが、ここより高い山の上は吹雪ですね。


土合駅
▲これが外から見た土合駅です。なかなか立派な作りでしょう?


土合駅
▲駅を背にすると、ほら、さっきの渡り廊下が見えます。ここを歩いてきたのですね。


土合駅
▲駅のまわりに民家はなさそうです。この土合ハウスというのは宿泊所のようですが、この日は閉まっていました。営業が夏だけなのかもしれません。


土合駅
▲駅のすぐ近くにドライブインがありまして、事前にネット検索で調べたかぎりでは八時半から営業と書いてありました。山奥のドライブインなのに朝から開いてるなんてすごいなあと関心したのです。


土合駅
▲が、現地まで来ると見事に閉まっていました。ドアの取っ手に挟まってる新聞が一日分なので、少なくとも前日は営業していたみたいですね。っていうか、新聞届くの、ここまで?! すごいな、日本の新聞配達夫は。

 それはともかく、ここで朝食を食べようと思っていたので、開いていないのは困りました。登山客を見込んでいるなら冬はシーズンオフなので、気まぐれにしか営業しないのかもしれません。

 仕方なく、ドライブインの自動販売機で熱いお茶を買って駅にひきかえしました(駅の自販機は止まっている!)。


土合駅
▲何かの足跡です。たぶんキツネだと思います。この足跡は駅の前から駅舎を迂回して、上り線のホームの方まで続いていました。


 期待していたドライブインが閉まっていたので、駅で茶をすすりながら次の電車を待つことにしました。しばらくは地上の駅舎で待っていたのですが、途中に階段があるので、大事をとって少し早めに地下ホームにおりました。

 下り線のホームには、なぜかプレハブ小屋のようなものがあって、中が待合室になっています。トンネルの中なのに、なぜ個室があるのかちょっとわかりません。地下まで降りてくるとこの部屋にしか椅子がないのです。

 ところが、この部屋には湿気がこもっていて、いたるところカビだらけです。かび臭いというよりも、息をすると鼻が痛くなるようなカビの量です。

 写真をとったような気がしていたのですが、探してみたらありませんでした。階段のある…じゃなくて、怪談のある駅だそうですから、あるいは何かの霊力によってシャッターがおりなかったのかもしれませんが。


 そんなこんなで、生まれて初めての土合駅体験でした。近くに天神平スキー場へのロープウェイ乗り場があるらしいので、チャンスがあったら夏に(スキーは苦手なので!)また行きたいです。

タグ:2011年1月金沢旅行 群馬

汚水処理場見学の話

 伊勢崎と本庄のあいだには利根川が流れていて、そこに坂東大橋という、大きなトラス橋がかかっていました。今はかけかえられてトラス橋ではなくなりました。

 そこを路線バスで渡る時、遠くに茶色くて円筒形に見える大きな建物が見えたものです。今はもうないかもしれませんが、当時はそれが便所からくみ取った汚水の処理場だとみんな知っていました。

 その施設は本庄市内かその周辺の埼玉県側にあったと思うのですが、そっち方面から転向してきた子が言うには「前の学校では社会見学で処理場を見に行って、そこでお弁当を食べなきゃいけなかった」と言ってました。

 今考えると汚水処理場の庭かなにかでお弁当を広げたのだとは思うのですが、子供の頃は汚物を見ながら食事させられるのだと思い込み、伊勢崎の学校にはそんな恐ろしい行事がなくてよかったと、本気で胸をなで下ろしたのです。

 子供の頃は、学校行事が喜びでもあり苦痛でした。球技大会なんかうまくできないことがわかっているので、仮病を使ってでも避けたいと思っていました。思っているだけで、たいていのことはイヤイヤやったのですけどね。

 汚物を見ながら(あるいは見てからすぐに)食事をするなんて行事があったら、今なら興味本位で行くかもしれませんが、当時はきっと本当に熱を出して休んだと思います。

 けれどどう考えてもそんな肝試しのような学校行事があるとは思えないので、実際には衛生的に処理されるという説明を受けるだけで、汚物と食事が直結するような出来事ではないのかもしれません。

 ただ、「汚水処理場でお弁当を食べさせられる」というのがあまりにも衝撃的な話だったので、今でも時折思い出してしまうのです。

タグ:昔のこと

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シバケン URL (01/19 00:02) 編集・削除

>思っているだけで、たいていのことはイヤイヤやったのですけどね。

僕も小学生までそうでした。
今は屁理屈を並べ立てて回避してますが、思春期ってやつですかね。違いますね。

僕は社会科見学で中央防波堤に行きました。
いずれ開発されるんだろうな。

珍獣ららむ~ (01/19 14:28) 編集・削除

 正直な話をすると、高校に入ってからは全力で仮病をつかって回避してました。イヤイヤでも頑張れたのは中学までなのです。もう義務教育じゃないから選んでいいんだって勝手に思いこんでいました(笑)

 一般公開されていないところに入れるのはいいですね。そういう学校行事は大好きです。若洲に橋ができたら一般公開されるのかもしれないけど、その頃には公園かなにかになって、ゴミの山を見に行く感じじゃなくなりますね。

ぱる子 URL (01/19 15:31) 編集・削除

>もう義務教育じゃないから選んでいい

ワタシも高校からはこれで、授業もあるていど「選んで」
ました。いや、実際にインフルとか小手術とかあった
んですが、「頑張れば行ける」状態のときにAの科目なら
行くけどBの科目ならパス、みたいな(ry

では中学校までは義務教育だからこの上なく真面目に
通学していたかというと、そういうこともないという。

へその位置と足の裏の関係

 昨日は土合駅の写真を整理したところで挫折。近ごろ心が軟弱すぎるのです。弱いところへもってきて、最新の機材(具体的に言うとiPhone4)が写真の上下を変な方法で管理しているせいで面倒倍増。壁にぶちあたるたびに先に進む気力がなくなるわけです。

 そうこうしているうちに、珍獣様のプライベートな旅行の様子なんぞ公開して誰が喜ぶんだよという気持ちになってきて、それを言い始めると一事が万事どうでもいいんじゃないかという気持ちになり、落ち込みのスパイラルに入るわけです。

 どうせ何をやっても個人的などうでもいい話なんだから、この際おもいついたことを思いついた時に書いてみます。

 今回はへその話。へそというのは腹の真ん中についてるものです。仰向けの状態でレントゲンをとるとき、体の中心を決めるのに「へその位置はどこですか」なんてことを聞かれます。

 質問の意図はわかるので、おなかの真ん中あたりを指さして「ここです」と答えますが、実はわたしのおへそは真ん中にはありません。

 子供の頃に盲腸の手術をしました。腹膜炎を起こしていたのとか、腹の脂肪が多すぎるのとかで、少し大きめに切られてしまいました。右の下腹に10cmくらいの縦の傷が残っています。

 その傷のせいで、お腹の肉がひきつれているんだと思います。へその穴がやや右側に寄ってしまいました。

 子供の頃はろくに気にもせず、大人になってからもへその位置そのもので困ったことはないのですが、ある日ふと考えました。

「へその位置が変わってしまうほど肉がひきつれているなら、骨格やなんかにも影響しているのではないか?」

 よく考えてみると、椅子に座って足を組むとき、左足を上に組むことはできるのに、右足を上に組もうとすると難しいのです。

 正座をした時、左の足の裏に右の足の甲を重ねれば落ち着くけれど、逆にすると落ち着かない。

 長時間歩くと、決まって左の足の裏だけ筋がつっぱって痛くなる……という具合に、左右で違うことが次から次へと思い浮かびました。

 特におかしいのは腰です。脇腹の筋肉を伸ばす運動をする時、右の腰はなんともないのに左の腰には変な感覚があります。

 変な感覚というのは痛みとは違うのですが、固くちぢこまっていたものが、伸ばされて気持ちがいいような感覚です。

 それで、ことあるごとに左の腰を伸ばすようにいろんなことをしてみました。ストレッチのようなことはもちろん、足を組むとき、正座をする時、わざとやりにくい方をためして我慢したり、いろんなことをしました。

 するとどうでしょう。体の調子の悪いところがあれよあれよとよくなって、全身が健康に……なったらすごいんですが、そういうことはありませんでした。

 ただ、長時間歩いた時に、足の裏がひきつれて痛いという症状はピタリとなくなりました。これはこれで衝撃的な出来事です。

 あくまで想像ですが、盲腸の傷のせいで腹筋が右側に寄っていて、そのせいで、脇や背中の筋肉も少しひっぱられているのだと思います。左側の脇腹と、左側の背骨に近い筋肉が、常に同じ方向へ引っ張られていて、体が傾いていたんじゃないのかなあと。

 だったらテーピングで腹の皮下脂肪を左へ引っぱり上げたらいいんじゃないのと、薬屋さんで強力なのを購入して、しばらく実験したことがあるのですが、お腹の皮膚がテープにかぶれることが判明して続けられませんでした。

 それから時は流れて、今度は別の病気で手術をしました。お腹のまんなかを、へその左側を迂回しながら大きく切られてしまいました。

 盲腸の時は右側を切ったからへそが右に寄りました。今度は左側を切ったので、果たしてへそはどうなるのか。左へひきつれてしまうのか?

 想像通り手術直後はすごかったです。へそが左上へひっぱり上げられて、これは本当にわたしのへそなのかと疑うような状態です。今までは右にひっぱられて体がおかしかったので、これからは左にもひっぱられてバランスがとれるのではないかと密かな期待がふくらみました。

 ところが、傷がおちついてきたら、へそが元の位置にもどりはじめたのです。真ん中にもどったのではなく、右にずれた状態にもどってしまいました。お腹を大きく切る手術なんかより、何十年もまえの盲腸の傷のほうが強かったのです。

 そんなわけで、わたしのへそは体の真ん中ではなく、右に寄ったところにあります。

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ぱる子 URL (01/18 15:41) 編集・削除

何たる偶然! 一昨日1/16の朝日新聞で川上弘美さんの
「常よりも右に臍ある油照(あぶらでり)」
という句が紹介されているのを読んで、臍の位置が
ずれるとかシュールな世界だな…と思っていましたが、
現実に起こりうるのですね。人体の不思議。

珍獣ららむ〜 (01/18 19:27) 編集・削除

http://book.asahi.com/review/TKY201101180180.html
これですねー。
いやー、さすがに暑いからってへそが移動したりはしない…と思うんだけど、したらどうしよう!

男はつらいよ〜第12作

 寅さんひとり祭り、だらだらやってます。十一作を飛ばして十二作まで見ました。

 十二作は寅さんではなく、おいちゃん夫婦とさくら夫婦がそろって九州旅行に行ってしまい、寅さんはずっと柴又にいるという珍しいパターンでした。

 今回のマドンナは、寅さんの幼なじみの妹で絵描きさんです。どうも、その人の家が中川沿いにある設定らしく、中川がたくさん写ってました。遠くに金町の製紙工場の煙突が見えるので、中川大橋(水戸街道)と、中川橋(今のアリオの近くにある)の間くらいの土手で撮影したと思われます。下の地図のポイントのあたりでマドンナが写生していたんじゃないかと思います。

 このあたり、今はガードレールだの金網だので囲われていて、映画の当時みたいにのんびり写生できるような場所ではありません。ちょっと残念です。


より大きな地図で 男はつらいよ・わたしの寅さん(第十二作) を表示

とらやの人たちは何電車を使っているか?

 寅さんの初期の頃の作品では、寅さんが旅立つ時、江戸川土手を金町の方へ歩いていくことが多かったのです。土手の絵がほしいというのもあるんでしょうが、金町駅から国鉄に乗って、どこか遠くへ行くという設定だったんじゃないでしょうか。

 それが、だんだん柴又駅を使うシーンが増えてきます。寅さん自身が京成電車で旅立つのをさくらが見送ったこともありました。第九作ではマドンナの歌子さんが京成電車で家に帰るシーンがあります(ただし、マドンナのお父さんは土手を金町方向へ歩いてましたが)。

 京成電車の終点は上野駅です。この当時は国鉄の常磐線が千代田線に乗り入れたりせず上野まで行ったはずなので、どちらにせよ、みんな上野駅に向かっていたんでしょうね。

タグ:男はつらいよ 地元(葛飾周辺)