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ブログ再開のお知らせ

 長らくお休みしていましたが、どうにかブログを再開できる目処が立ちました。

 もはやお前のブログなんか読みたくねーんだよって人のほうが多いかもしれないんですが、まあ自分用に旅行のメモを作ったり、したくないこともない(疲れてきてだんだんやる気が失せている)ので、再開することにしました。

 そういうわけですので、今後ともよろしくお願いします。

休止の事情をいちおう説明してみる

 いやあ、もう、なんというか、その、ここらへんの事情は込み入ってるし、話すと長いので読まなくていいんですけど、気になる人のために書いておきます。

長いので続きはここをクリック

テスト投稿

ちゃんと書けるかどうかのテストです。
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ブログツール不調につき、更新を休止します

 現在ブログが不調につき、一時的にコメントを受け付けないように設定しました。

 この記事を保存したら、自分も書き込みできないように設定するので、しばらくブログの更新が止まります。

 対処法をみつけたら再開しますのでよろしくお願いします。


現状報告 2014年6月29日

 あまり詳しいことは書きにくいのですが、海外からの広告業者にDOS攻撃なみのスパム投稿をはじめとするいくつかの被害をうけてまして、ブログの更新や、昔の記事へのコメント投稿を休止しています。

 現在、不正に書かれたコメントその他を、たぶん殆ど消せたと思うのですが、いろいろ事情がありまして、以前のようにブログの更新・コメントの受け付けを再開するのはもうちょっと先になるかもしれません。

 twitterでは活動していますので、何か連絡の必要がある場合は、リプライやダイレクトメッセージなどで呼んでください。twitterアカウントは @chinjuh です。

現状報告 2014年8月12日

 更新できるようになったっぽいです。休止中が長かったわりに、外から見ると何が変わったのかさっぱりわからないでしょうが、何かしら変わっているらしいです。

 ちょっとテストしてからぼちぼち再開しようと思うのですが、休止期間が長すぎて、もはや自分ですら何をどうしていいのか正直よくわからないです。

コメント一覧

tap (08/12 13:03) 編集・削除

てすと gabotyan

珍獣ららむ〜 (08/12 13:39) 編集・削除

テスト
gabotyan

tap (08/15 13:29) 編集・削除

てすと
gabotyan

noisy (08/16 21:55) 編集・削除

えっと、復旧お疲れ様でした。
ずっと密かにROMしていた身ですが、コンゴトモヨロシク・・・・


gabotyan

珍獣ららむ〜 (08/16 22:54) 編集・削除

noisyさんありがとうございます。
コンゴトモヨロシク・・・・
懐かしい響きですね、ヒーホー!
gabotyan

今年は西水元安福寺の夕顔観音の御開帳があるはず

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 安福寺はこんなお寺です。西水元図書館のちょっと南にあります。この特別にどうってことなさそうに見えるお寺が、実は江戸時代の地史というか、観光案内のような本に出てくる有名なお寺です。

 このお寺には夕顔観音という仏像があります。仏像といっても銅の円盤にレリーフになったもので、壁などにかけて拝したものだと思われます。

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 イラストにするとこんな感じですが、わたしはまだ実物を見たことがありません。普段は公開されておらず、十二年ごとの午年のお祭りで御開帳されるそうです。それって今年ですよね。お祭りは四月にやると聞いています。正確にいつやるんでしょうね。先日お寺まで行ってみたのですが、まだなんのお知らせも掲示されていませんでした。

 この仏様には不思議な由来があります。江戸時代の後期に作られた『江戸名所図会』によれば、かつてここには松の枯木と榎(えのき)が並んで立っていたそうです。

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 この二本の木は、時として枝が光り、あるいは竜灯(火の玉のようなもの)が梢にかかるのが近隣の村人により目撃されていました。また、木と木の間が光っていることもあったそうです。

 そこで、この地の名主である関口氏と医師の深谷喜兵衛という人が相談して寛文八年(1668年)に土を掘ったところ、いくつかの仏具が出てきました。

 ここにはきっと、立派な寺があったに違いないということになって、その年の六月六日に改めて掘ってみたところ大きさ五寸(15cmくらい)ばかりの「金像の大悲の像」が出てきました。大悲というのは観音様のキャッチフレーズみたいなものです。

 観音様は最初、深谷氏が仏壇に安置して拝んでいましたが、たびたび夢でお告げがるので、祠をつくりお祀りしたということです。これが西水元安福時に今も伝わる夕顔観音の伝説です。

 夕顔観音という名前の由来は『四神地名録』という本によると、紫式部の持仏だったので源氏物語の夕顔からとったというのですが、関口氏と深谷氏が掘り当てた話と矛盾するのでおかしな話です。

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru04/ru04_00229/ru04_00229_0003/ru04_00229_0003_p0039.jpg
 このリンクは早稲田大学の古典籍総合データベースにある影印で『四神地名録』の飯塚村(今の西水元・南水元あたり)について書かれた部分です。寛政六年(1794年)の写本だそうです。手書きの文字なので読みにくく、虫食いも多いのでわたしなど半分くらいしか意味がわかりませんが、「源氏夕顔の巻より名つけし佛」「紫式部の秘蔵せし自然金にて鋳造せし観世音」とあります。

 また『江戸名所図会』によれば、世の中で夕顔観音と呼ばれているものは、瓠瓜(こか、ひょうたんのこと)の中から出てきたからだと言われているので、これもそうじゃないかという意味のことが書いてありますが、これまた土から掘り出したという話と矛盾します。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko10/bunko10_06556/bunko10_06556_0020/bunko10_06556_0020_p0004.jpg
 このリンクは『江戸名所図会』の夕顔観音堂の影印です。同じく早大の古典籍総合データベースより。

 なお、夕顔観音の裏側には何か文字が刻まれているそうです。『江戸名所図会』によれば、弘長二年(1262年)二月に作られたと書いてあるそうなんですが、『新編武蔵風土記稿』には次のようなさし絵があります。
ファイル 1767-5.png
 この絵がどのくらい正確なのかもわからないのですが、このさし絵に書いてあるのは「□□加原?前御正体□□□小僧良?交?奉□?就圓?所奉??□弘長二年壬戌閏七月十八日僧良覚」です。弘長二年は七月が閏月なので、七が正解と思われます。#実物が現存しているのに、裏側を調査した人は近代にはいないんですかね(笑)

 弘長二年というと、もう鎌倉時代ですから、紫式部よりだいぶ新しいものです。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763979/34
 このリンクは国会図書館・近代デジタルライブラリーの『新編武蔵風土記稿』です。さし絵の他「三社権現社・水神社 共に石祠なり、観音出現の所にして古き勧請といへり」と、短い説明があります。

◎葛飾観光ポータルサイトの夕顔観音の紹介ページ
http://www.katsushika-kanko.com/katsumaru/area/kanamachi14/
 実物の写真はネット上だとここでしか見られないようですね。これって御開帳の時に写せるんですかね。秘仏にカメラむけるのはちょっと勇気がいりますけどね(笑)

◎全国旅そうだんの安福寺紹介ページ
http://asp.nihon-kankou.or.jp/bnr/ctrl?evt=ShowBukken&ID=13122ag2132023199
 ここにも写真がありました。小さいけど、引いた写真なので厨子に収められてる様子がわかります。

◎かつしかデジタルミュージアム:銅造懸仏
http://www.museum.city.katsushika.lg.jp/kdm/index.php?app=shiryo&mode=detail&data_id=105075
 ここにもありました。白黒写真ですが、これが一番わかりやすいです。葛飾観光ポータルの写真で手に何か持ってそうだったので魚籃かなあと思ってたんですが、これを見ると塔か薬壺のようなものに見えますね。


大きな地図で見る
 西水元安福寺の場所はここです。金町駅からだと、北口から出ている京成バスの大場川水門行き(または西水元三丁目行き)に乗って「西水元二丁目」バス停あたりで降りると近いです。

 亀有駅からだと、東武の西水元循環バスに乗って「西水元二丁目」か「西水元一丁目」のどっちかで降ります。距離は大差ないです。

タグ:地元(葛飾周辺) 葛飾さんぽ 神社仏閣 伝説

今日はベトナムでバインセオを食べようかと

 料理の力で海外旅行に行ったつもりになる企画、今回はベトナムでバインセオ Bánh xèo というものを食べようと思うのです。

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 わたしが生まれてはじめてバインセオを食べたのは、たしか20年くらい前に大久保だか新大久保だかにあったベトナム料理店でした。東京でベトナム料理っていうとその店くらいしかなくて、美味しいってけっこう有名な店でした。今は閉店しちゃって、もうないんですけどね。

 そのバインセオというものは、イラストのように、薄くて黄色い卵焼きのようなものの中に、モヤシやエビが挟んである食べ物でした。これを、サニーレタスかサンチュで巻いて、ニョクマム(ベトナムの魚醤)をベースにしたタレをつけて食べます。

 その当時は「この黄色い生地は卵黄を沢山入れてあるのかなあ」と思っていたんですけど、今調べてみると、卵は入ってなくて、米で作ったペーストをターメリック(鬱金)の粉で黄色くしてあるだけだそうです。

 本格的に作るなら、水を吸わせた米を石臼かなんかで挽いてペースト状にしたものに、ココナツミルクと水を混ぜて、ターメリックの粉を入れて黄色くしたのをフライパンで焼くみたいです。

 しかしここは石臼なんかない日本の台所。手っ取り早く上新粉と薄力粉をまぜて作ることにしました。

 ところが、これが色々難しくてですね、どうもうまく焼けないんですよ。上新粉や小麦粉を多く入れるとパリッと焼けないし、水が多いと破れちゃうし。
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 この通り、やぶれてしまうのです。何度か練習してこの状態ですからー。

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 気を取り直してもう一枚焼いてみたんですが、うっかりしてて生地にターメリックを入れわすれました。

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 しかし、冷静に考えると、とりわけてサンチュに包んじゃうわけですから、きれいに焼く意味あるんだろうかっていう謎の食べ物です(笑)


 作り方ですが、なんせ自分自身成功率が低過ぎて人にお教えできる感じじゃないんですが、参考までに書いてみます。

【材料】1枚分
上新粉 カレー用のスプーンに山盛り2杯
薄力粉 カレー用のスプーンに山盛り1杯
ターメリック 少々
水 100mlくらい

タマネギ(薄いくし切りにしてバラバラにしておく)
むきエビ
モヤシ(ひげ根をとっておく)

サンチュ(サラダ菜やサニーレタスでもよい)
ミントの葉(生)
大葉

ニョクマム
レモン汁

 ミントの葉は冬だと手に入りにくいので、なかったら大葉だけでもいいし、代わりにバジルの葉でもいいです。とにかく、シソ科の香草は入ってたほうが美味しいと思います。

 具はなんでもよくて、エビのかわりに豚肉を入れたり、好きなようにしていいと思います。モヤシは必須かな。

【作り方】
1. 上新粉・薄力粉・ターメリック・水をまぜて生地を作る。レシピの通りの分量だとかなり水っぽく感じるけど大丈夫。ココナッツミルクは入れないほうがパリッと焼けるような気がします。

2. フライパンに油を熱し、タマネギとむきエビを軽く炒める。タマネギ・エビは、ほんのちょっとでいいです。

3. 火を弱めて1の生地をザーッと入れて全体に広げる。フライパンの大きさにもよるんですが、直径24cmくらいのフライパンだと生地を全部入れると分厚くなりすぎるかもしれないので、ちょっと残すくらいでいいかもしれないです。

4. 数分焼くと、回りが焦げてパリッとしてくるので、鍋はだから油を追加して焼き、パリッと感をアップさせる。

5. モヤシ(生でよい)をのっけて、生地を半分に折り、さらに1〜2分加熱して皿にとる。

6. ニョクマムとレモン汁をまぜてタレを作る。好みで砂糖を少し入れたり、豆板醤か何かをちょっぴり入れて辛くしてもOK。

7. 食べる時は、サンチュに大葉やミントの葉をのせて、そこにバインセオを一口のっけてから包み、6のタレをつけて食べます。


 作り方は人それぞれで、3で生地を入れる前に炒めた具を取り出す人もいるみたいです。

 だいたい、4と5の間に生地が破れますが、結局サンチュで包んで食べるので、あんまり気にしないことにしました(えー)。


 というわけで、イマイチ上手に作れませんが、ベトナムでバインセオでした。みなさまもぜひお試しください(しないか)。

食後にベトナム語にもかじりつく

Bánh バイン
 粉で作った料理全般のことだそうです。ホットケーキもどらやきも、バインなんとかだそうです。

xèo セオ
 ウィキペディア情報によると、セオはフライパンに生地を入れた時にジューっていう音を表してるらしいです。こういうのは辞書でも引かないと確認しにくいので本当かどうかわかんないですけどね。

タグ:民族料理