桜はまだ咲かない
▲十日前に早咲きの桜が咲いていた場所ですが、すでに散っています。しかしもうちょっと先へ進むとソメイヨシノの並木があり、そっちはこれからです。
▲これがソメイヨシノの並木です。まだほとんど咲いていません。
写真は今日(27日)撮影。三郷市戸ヶ崎あたりの二郷半領用水にて>場所詳細。
ツクシはそろそろ名残を惜しんだほうがよさそう
三郷市方面のツクシポイントは、まだ沢山生えてはいますが、だいぶスギナが出てきているのでそろそろ終わりかな、という感じ。今日も少し摘んできました。もうちょっと家から近いと毎日ツクシ三昧なんですけど。
▲ツクシは、節々にぴろぴろっと付いてるもの(はかま)を爪ではがすようにしてとって、さっと茹でたのを胡麻和えや白和えにして食べます。とても美味しいです。
本を借りてきた
▲崔銀姫・申相玉『闇からの谺(上)』『闇からの谺(下)』1988年初版
これまた絶版
申相玉さんは韓国の映画監督で、崔銀姫さんは元奥さんだそうです(拉致された時すでに離婚が成立していた)。別々に拉致されて北朝鮮で再会したとのこと。
拉致されたのが1978年とあるから、ちょうど日本でも盛んに拉致事件が起こっていた頃だと思う>参考ウィキペディア
◆ここより読書中の覚え書きにつき支離滅裂で失礼◆
拉致といっても力づくで連れて行ったのではなく、中国人を仲介者として仕事をもちかけ、とにかく一緒に来て欲しいと誘って船に乗せ、そのまま北朝鮮に連れて行くような手口で、崔女史は船の中で暴れたので何度も注射を打たれたと書いている。
しかし、従順を装って思想教育なども熱心に受けていることもあり、扱いは決して悪くはなかったようだ。ジェンキンスさんの本によれば北での扱いは北朝鮮の一般人民にくらべれば良い待遇だったが、他の国の庶民に比べたらひどい暮らしだとあるが、崔女史の場合はそれよりもっと良い扱いをうけており、金正日が直々にホームパーティーに招いたりしている。また、金正日本人に通じるホットラインの番号まで教えられている。
日本からの拉致被害者や、ジェンキンス氏のような脱走兵などもそうだが、北へ連れてこられると思想教育というのをさせられる。金親子を極端に賛美した捏造の歴史書を読み、要点を言えるようにしなさい、というようなものだ。逆らわなければ暴力で押さえつけられるようなことはない。そんな教育で大人の思想が変わるとは思えないのだが、接待という言葉で監視されており、逃げても無駄だと悟っておとなしくなるのを待っているようでもある。
申監督も崔女史も、連れてこられてからしばらくすると自分の生い立ちを書くように指導された。同じことをジェンキンス氏も書いている。誰と誰の子として生まれ、兄弟の名前、おじやおばの名前や住所、いつ学校にあがり、いつ働き始めたかなど、思い出せる限り詳しく、自己反省をかねて書かなければならない。党員になるためには誰もがしなければならないのだと説明される。
監督は最初、適当なことを書いて提出するが、後日もう一度同じことを書けと言われ、そういう方法で真実かどうかを試しているのだと気づく。結局、ほとんど真実を細かく書かされた。そうやって、親類縁者の情報を党にわたすことで、逆らえば家族に類が及ぶことを分からせようとしているのだろうか? しかし、党員になるために必ずするというのが本当ならば、北朝鮮人でも同じものを提出させられるはず。自己申告させなくとも、その程度の情報は掴めるのではないかと思うのだが。これも洗脳の手口なのだろうか?
申監督は崔女史とは別に拉致され、二度も逃亡を企ててそのたびに拘置所のようなところに入れられたという。常に自分を映画の主人公のように考えて、綿密な逃亡計画を練ることで生きる気力としている。しかし、二度とも捕まり、かえって窮地に落とされることになる。しまいにはハンストをして死にかけ、金正日が自分を不要と考えたのならこのまま死ぬだろうと覚悟をするが、すんでの所で医者がとんできて助かる。死なれては困る囚人ということだ。
崔女史はオリンピック会場がソウルに決定した時のことを書いている。彼女の部屋にはダイヤルが固定されていないラジオがあり、それでソウルからの放送を聞いていた。しかし北朝鮮の放送では長くオリンピックには触れず、半年後くらいに「ソ連をはじめとする社会主義国は参加しないから結局は開催されないだろう」と放送したという。
金賢姫の本を読んでいても、なぜそうまでして南でオリンピックを開かせたくないのかと思うが、北では南の人民が食うにも困っていると国民に教えており、その原因はアメリカが南の政府をあやつって国民から搾取しているからだと言っている。ところが、オリンピックなど開かれてしまうと、南が先進国の仲間入りをしたことになるので困る、ということらしい。
北では税金もなく、病気になると無償で医療をうけられると宣伝しているが、実際には医者が少なく国民のすべてが医者にかかれるわけではない。税金はないけれど、日常品を買うのに莫大なお金がかかり、それらは国の工場で作るので間接的に巻き上げられている。そうして買った北製品は非常に質が悪い。自由競争がないので質の向上を目指さなくても売れるからだ。聞けば聞くほど社会主義の悪い部分ばかりが見えてくる。
申監督は投獄中に北朝鮮の李羅英という歴史学者と同じ房にいたと書いている。学者は自分が親日団体と関係したことでとらえられたと思っているが、監督はこの学者が金日成の歴史の真実を知りすぎているせいだと感じている。金一族には英雄化されるほどの史実がなく、それを知っている者を遠ざけたいのだろうと。
同じ監獄にいたというのならわかるけれど、なぜそのような人と同じ房に入れられたのだろう。隣の房の囚人と雑談をすることすら許されていないのに。申監督は投獄こそされてはいるが、利用価値のある者として生かされており、あきらかに特別扱いではあるが、だとしても理由がよくわからない。
とはいえ、この出来事のおかげで(もしこれが創作でないなら)北の社会主義が変化していることがわかる。学者はずいぶん長いこと投獄されているが、つかまる前は「忠誠」などという言葉は北の思想にはなかったという。封建社会の言葉だから、金親子に忠誠を誓うなんて言葉を使うものじゃないと。
結局、崔女史と申監督が再会したのは拉致されてから五年もたってからだった。それは監督が何度も脱走を試みるなどして北への忠誠を表さなかったせいもあるが、あちらでは時の流れが資本主義社会とちがって誰も焦らないので時の流れが遅いらしい。再開後、金正日が再婚パーティーを開いてくれ、これからは政治的な思想を押し付けることはしないので北のために映画を作って欲しいと言ったそうだが(それが当初の目的だったはず)、その話が動き始めるまでに、さらに時間がかかったという。
金正日は非常な映画好きで世界中の映画を収集しており、巨大なライブラリーに何千者映画を所蔵している。自分でも映画作りをするし、それだけの映画を見ているので、北の映画業界に限って言えばお世辞ではなく第一人者と言っていい実力とのこと。
しかし、父親の金日成はその手のことに大したセンスがないようで、そのくせおかしな口出しをしてくる。映画には歌が必要で、ないと寂しいので入れなさいなどと。そのせいで意味もなく挿入歌を入れるので、間延びした変な映画ができる。どうも、金正日はそれが許せないらしい(少なくとも、申監督は会話のなかでそう感じる)。
そこに、拉致してまで映画関係者を連れてくる理由があったのではないか、と申監督は書いている。自分の芸術性を後押ししてくれる何かを求めているのではないかと。映画や芸術で父親を乗り越えようとしているのではないかと。
監督は、崔女史と協力して金正日の肉声を録音することに成功している。映画のことを話し始めると何時間も早口でずっと話し続けている。慌てて話すので脈絡がなく、意味の分からないところも多いが、芸術に関しては海外に遅れをとっており、同じ水準まで到達し、合作などの形で海外と交流したいという強い希望を述べている。また、国際映画祭を平壌で開くことを希望している。
そうするためには人材の育成が必要であることを自覚しており、社会主義の悪い点だと言って、作家は無理して働く必要がないので一年に一作しか作ろうとしないと嘆いた。それが申監督へのリップサービスであった可能性もあるが、あるていどの芸術センスがあるなら、やはり本心で北が抱える矛盾に苦しんでいるのかもしれない。
金正日は、申監督の名前のついた映画会社を作る許可を出した。社長は監督で、副社長は崔女史である。北には個人名のついた会社はなく、異例のことである。申フィルムの写真は日本でDVD化されている『プルガサリ』の特典映像についている。また、海外に撮影や視察に行く許可を喜んで出し、活動資金として一年に百万ポンド(当時の価値で二百万米ドル)を約束した。
監督は、どういうつもりでそのような善意を傾けてくれるのかととまどい、自分たちの真意を試す目的ではないかと考え、どのような心理戦にも勝ってみせると決意する。
監視員つきとはいえ、東欧諸国への旅は実現する。目の前にアメリカの大使館を見るが、これまでを思うと100% 確実と言えなければ実行できないと踏みとどまる。
東欧ではこれから作る北製映画のためにいくらか撮影もしている。そのためのスタッフがみすぼらしいかっこをしているので、作業服としてジャンパーを買い与えようとすると、指導員が困惑していけないことだという。北では金親子が褒美として与えるもの以外に、そういった贈り物をしてはいけないことになっていると。金賢姫の本などには、実用品などを贈り合う様子が書かれているので、非公式にはあるのだろうけれど、公務として行うと不都合があるのだろう。
北ではお金があっても自由にものは買えない、ではお金をどうするかというと、国家的行事のおりなどに金日成や金正日から特別配給というものを受けるために国家に納めるらしい。北の至るところに、首領様や将軍様からたまわったものがあり、それらは一生懸命働いたから、などという理由でくださるらしいが、タダで貰うのではなく、有償で買うものらしい! これはちょっと意外だった。そのくらいのご褒美は与えているものかと思ったら、ご褒美にすら代償を要求するなんて。資本主義よりたちが悪い。
日本の映画業界との連絡や、家族に安否を知らせるためにブダペストで日本の友人に会うことが許される。そこでテープに家族へのメッセージを吹き込むが、金正日が耳にする可能性を考えて泣かずに録音しようと判断するが、崔銀姫はむせびながら話したという。日本人拉致被害者が満面の笑みで飛行機を降りたのを思い出す。
本格的に映画を作り始めてからは、海外の映画祭にも積極的に参加する。中国ではロケ地として故宮を貸してほしいと頼むと、あなたに北京の鍵をあげるから自由にお使いなさいとまで言ってもらえたそうだ。『プルガサリ』に故宮そっくりの実際の建物が出てくるので、北朝鮮にこんな施設があるのかと驚いたが、あれは北京ロケで撮ったものなのだ。
東欧諸国だけでなく、ウィーンをはじめとする西欧国にもでかけている。日本のジャーナリスト(栗本慎一郎など有名な人とも接触している)との接触もあり、そこで申監督が、うまくインタビューをうけ、拉致ではなく進んで北で働いているのだとアピールしたことで金正日の信頼が厚くなり、その調子で北の良いイメージを宣伝してほしいと頼まれたそうだ。
もちろんその間にも脱出の計画を練り、アメリカの知人を通じて(電話連絡は暗号を使うなど、さながら小説のよう)アメリカ大使館と連絡を取るなどしている。
プルガサリ撮影のために、東宝の特撮チームを招く話もある。ラングーン事件で北の印象が悪い上に、北に協力することで韓国進出に支障が出るかもしれないからと最初は断られた。新編問題については申監督が保証すること、ギャラを二倍払うことなどで合意を得る。
東宝チームが北の殺風景な姿に失望しないように、宿舎になっている金正日の別荘まで空港からまっすぐ連れてきたり、正門に立っている歩哨兵の軍服を民間服に替えるよう金正日に建議したりする。北朝鮮では資材の調達もままならないため(単純にものがないだけでなく、途中に何人もの手をへないと手に入らない仕組みになっており日数がかかる)釘一本も日本から取り寄せて使うが、北のスタッフが持ち帰ってしまうので不便をしたとある。
そうして完成したプルガサリを金正日はいたく喜んで、申フィルムに獐(のろ)五十頭、雉四百羽、雁二百羽、蜜柑二百個をの贈り物をしたそうだ。動物はすべて食料として。
申監督も崔女史も、六・二五(朝鮮戦争)を経験している。年配者は北がどんな国かもろくに知らないうちに、夫について北へ向かったり、家族を捜して北へ移住するなど、思想とは無関係に北に入ったひとたちが大勢いるという。崔女史が子供の頃に大ファンだった女優と北で会い、一緒に映画をとったりしている。申監督も、昔一緒に仕事をした仲間と再会している。
思想のまったく違う国で三十年以上もの月日を重ねているので、昔の面影もないほど北に染まっている人もいれば、南にいる家族の安否をこっそりたずねる人もいたという。
崔女史は、招待所で孔某というマカオ人女性と会ったことを書いている。もちろん拉致されてきたのである。北から脱出した後、この人の親族を捜したそうで、大韓航空機爆破事件のあとに身元がハッキリしたとも。他にも世界中から拉致されてきた人がいて、その噂を時折聞くと書いている。ジェンキンス氏の本にもあるが、日本人や韓国人だけでなく、ヨーロッパや中東からも人が連れてこられるという。力ずくで連れてくることもあれば、結婚詐欺のような方法で騙して連れてくるともいう。
金賢姫の本に、有名女優でありながらスキャンダルを起こして公開処刑された人がいると書いてある。夫がいるのに大金持ちの息子(在日朝鮮人の子らしい)と恋に落ち、彼が乗り回している車の中で密会し、ヒーターをつけたまま眠りこんでしまい、彼の方は窒息して死んでしまったが、女優は病院に運ばれて助かったという。
同じ話が崔女史の手記にも出てくる。処刑された女優は禹インヒという名前で、崔女史が見る限りこれほど演技の美味い女優は北にいないということだ。ところがスキャンダルのあと、彼女の出た映画はカットされ、別の女優の演技と差し替えられたという。
後に映画活動をする上で人から聞いて知ったことだろうが、彼女の処刑は映画関係者を大勢招いて行われたそうで、何も知らずに集まってきた人々(ここには夫も含まれる)の前で杭につながれた女優が銃殺されたということだ。
不義密通に厳しいだけでなく、女性は定期検査で処女検査までされるという。これは職場を移動する時などにも行われる。結婚もしていないのに非処女であることがわかれば、党に不都合でもあった時に攻撃材料にされるという。
金賢姫の本にも同じ話がある。爆破事件後に捕まって、彼女とともに爆破事件の実行犯で毒薬を噛んで死んだ金勝一(蜂谷真一)と何も関係はなかったのかと聞かれるので、なぜこんなお爺ちゃんと関係があると思われるのか、国では処女検査までされて厳しい教育を受けているのにと嘆いている。そんなに気になるなら検査でもなんでもすればいいのにと。処女検査などというものは、てっきり工作員だから科せられた検査なのかと思っていたが、そうでもなく、女優などにも行われることなのだ。
金賢姫の本に、大勢が検査を受けるので、軍経験者やスポーツ系の人は非処女であるという結果が出ることがある、と書いている。それで特別に処分されたとは書かれていなかったので、その程度の理屈は通るようだが、ひとたび党にとって不要の人材だと判断されるとあることないこと言われて地方にやられてしまうのだろうか。地方にやられる、というのは、エリートで要職についていても、地位を剥奪されて地方の清掃要員のような下働きにされ、配給などの面で今よりずっと不便することになる。それですめばいいが、収容所のようなところへ送られて思想教育と称した留置生活を送る事になる場合も。
これも金賢姫の本にあったが、北では女の子が年頃になると、ブラジャーの形をした乳帯だか胸当てだかいうものを布で作って身につけるそうだ。西欧のブラジャーは胸のふくらみを強調し、形良くするために身につけるが、北のものはふくらみを隠すために身につけるという。
これ自体は北特有の話でもなさそうに思える。単に考え方が古いだけだろう。香港などでも胸が大きすぎる人などは、布を巻いて小さく見せようとしたと聞く。アグネス・チャンなど、ノーブラだと体に不似合いなほどの巨乳だが、隠していたと聞くし。
それが北ではもっと極端に、少しもふくらみがないように見せるという。そして、肌の露出をさけるために、真夏でも長袖の服しか着ない。
問題は、そういった風俗も、国民が自由に選択して培われた文化ではなく、上から押し付けられている点だ。胸のふくらみや肌の露出を極端に嫌いながら、その反面で、女性がズボンをはくことが禁じられていた。
それは、外国の記者かなにかが北の女性がズボンをはくのを見て、中国と同じだ、やはり中国のやりかたを真似ているのだ、というようなことを言ったので、公の場所ではスカートをはくようにと指示したのがきっかけだと、金正日が言ったそうだ。
それでは寒い日などに不便があるのでと崔女史・申監督が言うと、普段の生活でまで禁じたことはないし、これからはどんどんはくように、申フィルムの社員が率先してはきなさいとまで言われたそうだ。しかし、街で目を光らせている風紀係のような役目の者がいるので、女優も職員もすっかり恐れて、いくらすすめてもズボンをはきたがらなかったという。
上の意向が下に誇張して伝えられたり、世間の実情が上に正しく伝わらないということは日常茶飯事らしく、金正日も金日成も、下から「問題ない、我々は他国よりも良い暮らしをしている」と報告され、そのつもりになっていることがあるという。
どこまで信じていいかわからないが、金日成が東欧諸国を視察した時、部下を呼びつけてカンカンになって怒ったという。我が国がいちばん良い暮らしをしていると報告をうけていたが、実情は違っている。気がつかずに過ごしていたら大変なことだったと。
そんなことがあり得るのかと思うが、日本の支配下でのひどい生活や、朝鮮戦争中の生活にくらべたら今ほうがマシ、という考えが先にあって、外の情報から隔絶されていると「苦しいけれど、昔よりは良くなってる、革命万歳、首領様、将軍様ありがとう」となってしまうらしい。
さすがに金正日は西洋の映画を沢山見ているのでそこまで世間知らずではないはずだが、父親の代はこんなだったのかと思う。かの国では国民だけが洗脳されているのではなく、頂点に立つ指導者までもが自らを洗脳して生きているのかもしれない。
監督が拉致されていた当時、北にはまともな通信網がなかったらしい。電話はあるのだが、白頭山の村から平壌に電話で連絡をとるのに三日かかるのだという。途中に交換が二カ所だか三カ所だかあって、そこで手間取るのだと。
交換といっても回線をつなぎ替えるとかではなく、交換手が要件をきき、それを次の交換手に電話をかけて伝える……と、伝言ゲームのようにするので、時間がかかる上に正確には伝わらないと。予算や資源の不足だけでなく、国民同士が勝手に情報を交換しないように規制してるんじゃないか、とのこと。かれこれ二十年前の本だが今はどうなっているんだろうか?
「普通江(ポトンガン)のほとりにあるアンサン閣」という外国人専用のダンスホールに、日本人の料理人がいたとのこと。1983年4月15日。金正日の料理人として知られる藤本健二氏の経歴に、82年8月から一年契約で安山閣で働いたとあるのでこの人のことだろう。
万景台に、金日成の生家や祖父母の墓があり、北の人民は年に一度は参拝しなければならない。後に墓所のまわりが遊園地になるが、工事をしたのは日本人の業者とのこと。>こちらのサイトに写真
北では外国製品のラベルを北のものと交換することがよくあるらしく、テレビなどあきらかに日本製なのに「牡丹」のラベルが貼ってあったという。そういえば金賢姫が韓国に移送され、日本に住んでいたならそこにあったテレビのメーカーを答えなさいと言われ、とっさに「チンダルレ(つつじ)」と答えている。それは北朝鮮のメーカーだそうだが、ひょっとすると日本製品のラベルを貼り替えたものなのかもしれない。
北朝鮮では不老草というものが珍重されており、それはどうやら日本によく生えるものらしいが、北にも生えていることがわかった。朴員圭という学者が、この草の除毒法と服用法を研究し、金日成に捧げたという。ハマウツボの仲間で高山に生えるもの、ソウジュウヨウ、クサジュウヨウなどと呼ばれるもののことではないかと思う。白頭山のてっぺんに生えるとか。
北朝鮮では宗教が禁じられている。牧師や僧侶のようなものは存在していない。しかし、一部の仏教寺院はいちおう保存されている。カンボジアのシアヌークが家族を連れて北朝鮮で過ごしていたことがあり、ある時仏教寺院を見たいといったそうだ。ところが僧侶すらいないので、寺院の管理人から年配者を選んで剃髪させて、デタラメの経をとなえさせたという。
北朝鮮のこういうところがサッパリわからない。国家の方針で信仰を持たないのなら、寺院には聖職者がいないことを堂々と説明すればよさそうなものなのに、僧侶の仮装で取り繕うなんて滑稽でしかない。もてなすつもりでそうしているのか、それとも国賓の信仰を小馬鹿にしているのか、どっちなんだろう。
結局、申相玉と崔銀姫はオーストリアでアメリカ大使館に駆け込んで亡命を果たした。共同通信社で働く日本人ジャーナリスト榎彰氏がその手助けをした。
◆ここまで◆ 4月6日、読了。おもしろすぎ。
申相玉氏が北朝鮮で作った映画『プルガサリ/伝説の大怪獣』もツタヤで借りてきました。
金町情報
↑のプルガサリが金町のツタヤにしかなかったので、ついでにイトーヨーカドー金町店に立ち寄りました。2Fのホームセンターフロアは、少し模様替えしたんですね。手芸コーナーが前より少し充実してました。
ついでのついでにジャンボという文具店(旧さくら銀行のあった通りの……なんて書いてももう誰もわからなかったりするかも)を覗いたら、一割引サービス中だって言ってました。4月6日まで?いつまでだかちょっと覚えてないんですが、春休み中くらいはサービス期間じゃないかと思います。
亀有はちょっと凝った画材を探そうとすると買える店がないんですが、金町はジャンボのおかげでたいてい揃いますね。
タグ:地元(葛飾周辺) 野草 植物 食材 北朝鮮