図書館でキムヒョンヒで検索してヒットしたのを片っ端から借りてみた。
関連記事
◎大韓航空機爆破事件はでっちあげ?
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?mode=comment&no=612
◎金賢姫、田口さんの長男と会う、感動するポイントはどこ?
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=613
News package chase 金賢姫独占インタビュー全記録 真実
1991年初版 これまた絶版っぽい
インタビュアーは日本人でほとんど日本語でインタビューして答えてる。キムヒョンヒが韓国語でいいかと聞いて一部は韓国語で答えているけど、質問はすべて日本語。録音から起こしているのでキムヒョンヒの口調がよくでてる。田口さんの家族が「語尾に"ね"をつけて話すところが本で覚えた日本語じゃないと感じた」と言ってるけど、たしかに「〜でね」という語尾を多用してる。かなりうち解けた感じのインタビューになってるが、あえて日本語でインタビューをとることにこだわっているので、インタビュアーばかりしゃべって、キムヒョンヒが「ハイ」「そうです」のような短い返事をしている事が多く、若干ものたりない。
リウネが日本で行方不明になっている(当時は拉致被害者とは言わなかった)ある人であると断定された直後の会見だったらしい。警察が写真を持ってキムヒョンヒに会いに来て、この人だ、という確信を持って帰ったというような話もしてる。ただ、この時点では何さんであるかまでは公表されていないようで、本の中では田口八重子という名前は一切出てこない。
この本の時点でも、キムヒョンヒはリウネは生きているだろうと言っている。身元が判明したことで身の危険が及ぶのではないかと記者が質問すると、具体的な個人が北朝鮮にいることを世界中が知ることになったのに、あえて殺してしまえば世界的な非難をあびることになるのでそれはしないだろう、と言っている。
キムヒョンヒ日本人化のためにリウネと一ヶ月暮らしたこと、その間に三回口げんかをしたこと、リウネが酒好きで、酔っぱらうと饒舌になって自分のことを話し始めること、お互いに自分のことは話さないようにと指導員に指示されていたこと、それでもしゃべってしまうリウネに、資本主義国で育った人は自分とは違うんだなと感じたり、リウネがジュリー好きで招待所の犬にジュリーと名付けていたこと、教育のために日本の古い映画を見せられたこと、リウネとケイちゃん、タマちゃんと呼び合ったことなど、日本のニュースでいわれているようなことはほとんど網羅されてる。リウネが金正日に一度だけ会って、野球拳をした話なんかもちらりと出てくる。
また、大韓航空機爆破事件が韓国政府のでっちあげだという説はこの当時すでに韓国内にあったようで、インタビュー中にも出てくる。インタビュアーが「マスコミというのはAと言われればBじゃないかと疑うのが仕事」と言うと、資本主義の人たちは何を言っても疑うのが不思議だと答えている。キムヒョンヒは韓国に父母もいるし弟もいるそうだけれど、事件で捕まって、家族がどうなるかと考えると自白できず、それでも被害者のためには話すべきだという思いがあって、いつどうやって朝鮮人として死のうかと考えていたのに、やっと自白してみると「ウソだろう」と疑われたとか。
北朝鮮から帰ってきた人たちが、何年のいつごろにダレソレがどうだったとかいう細かいことをきちんと覚えていることにも触れていた。記者が北朝鮮の人はみなそういうふうに話すけれど、そこが嘘っぽく感じるのだと言うと、北朝鮮での生活は単調で、変わったことが特に起きないので、日常のちょっとしたことを鮮明に覚えている。記憶しようとしなくても自然に覚えてしまうのだ、と笑いながら答えている。
キムヒョンヒは恩赦されてから韓国で洗礼を受けてキリスト教徒になって、あちこちの「普通の人」たちに求められて爆破事件のことなどを講演してまわっているとも話している。もちろん韓国当局の監視付きで。韓国の雑誌などには盛んに手記を発表しているようなことも文中から読める。
記者相手にはこんなインタビューも実現しているのに、今まで拉致被害者との面会が実現しなかったのは、韓国政府が北朝鮮と融和政策を続けていたからなのかなあ。
1994年初版ただしくは1991年 これも絶版っぽい
上記のインタビュー本に「わたしは女になりたい」という二部構成の手記を書いたばかりとあるのはこの本のことだろうか。ゴーストライターを使わず、自分で書いたということだが、だとしたらこの人はものを書き慣れているのかな、と思う。もともとエリート教育を受けた人だから、普通に文章くらいは書くだろうけれど、自分の気持ちを吐露しながら書くのと報告書を書くのとは話が違うだろうし……あ、そうか、日本語に訳される段階で読みやすいようにされてるだろうしな。直訳体で書いたらまたイメージが変わるのかもしれない。
上巻は死刑を宣告される場面から始まり、バーレーンでつかまり取り調べを受け、韓国に移送され、そこで自白するところまでを回想する。
爆破事件は、蜂谷真一と名乗る朝鮮人の工作員が主に実行しており、キムヒョンヒは真一の娘のふりをして健康管理に気をつかい、真一がもしもの時は自分で爆破を実行できるように説明も受けていたという。
キムヒョンヒが蜂谷真由美という日本人名を使っていたことは報道されていたが、韓国に移送されてからは日本人になりきるのは無理だと考えて中国人の孤児で、自称日本人の老人に拾われて日本で暮らしていたと偽っていた(実際には日本に来たことはない)。
バーレーンでの取り調べは紳士的に行われ、取調官と仲良く話すようになったというが、韓国に送られることを常に恐れていた。韓国に送られたら死ぬよりも恐ろしい拷問を受けると本気で信じていたらしい。当時の北朝鮮は(今も、かもしれないけれど)、アメリカの傀儡になっている韓国をそうとう強く敵視していたようだ。
しかし、韓国でも特にひどい扱いは受けず、結局は韓国の本当の姿を知って自白する。この取調中の話はとても読み応えがあり、面白かった。
下巻は北朝鮮での自分の半生をふりかえる。どんな家庭に育ったのか、家族のこと、日常生活や学校生活のこと。子役として映画にも出たこと、南朝鮮からのお客様に花束をささげる役目に選ばれたことなど、若干退屈と思われるほど子供の頃を細かく書いている。平壌に住むような人だから、ある程度は良い暮らしをしている人たちなんだろうけれど、それでも政治家ではない一般の人たちがどんな暮らしをしていたかかいま見える。
工作員の学校に連れて行かれる娘に両親が「普通の人と結婚して普通の生活をしてほしいと願っていた」と言うあたりなど、口には出せない悔しさが出ていて、彼の地に住む人たちも喜んで自分の子を国に捧げているわけじゃないのだなと思う。子供が工作員に選ばれると、家族はその子の写真をすべて捨てなくてはいけないらしい(顔が判明しては困るから)。その子の生活は党がすべて保証して、良い暮らしをさせてもらえるが、結婚は党が選んだ相手としか許されないそうだ。
それから李恩恵(リウネ)との出会い。キムヒョンヒに日本語を教えたリウネは田口八重子さんだと言われているが、キムヒョンヒはリウネの本名は「ちとせ」だと言っている。それはキムヒョンヒに日本語の呼び名を付けようとして、あれこれ考えているうちに、おもわず口に出したことからわかったそうだ。
リウネが偉大なる指導者同士(金正日?)の誕生祝賀会に出て野球拳をした話はこの本にも出てくる。酒に酔って見ていたテレビに有名な歌手が映ったのを見て「この人は脱がされていた」と話し、その席に自分と同じように連れてこられた日本人夫婦も同席していたと話したらしい。この夫婦というのが誰なのか判明しているのだろうか。
北朝鮮を旅行したという人の話を聞くと、田舎の風景を写真に写されることを禁じられ、美しい田園風景ですらシャッターを切ることを許してもらえない、と聞いている。どうやら、社会主義の理想では、全員が同じく豊かになるはずなのに、田舎には苦しい生活をしている人がいる、という現状を恥と感じるらしい。招待所で、リウネが田舎の暮らしを見たいからといって自由主義(許可を得ずに出歩くこと)をねだられると、キムヒョンヒが躊躇するシーンがある。招待所の寮母さんのような人に協力してもらえば、暗くなってからコッソリ出歩くことも可能だったようだ。
工作員仲間と一緒に中国で言葉を学ぶ実習をしていたことなども。そこでは中国人の友達まで出来たと書いてあるが、この人たちは今どうしているんだろう。もちろん偽名での付き合いだったろうが、事件のあとキムヒョンヒの顔が知れわたってから、自分の友達が北の工作員だったと気づきはしなかっただろうか。
韓国で死刑を赦免されてからのことも書かれている。母方のお爺さんの弟という人がソウルに住んでいることが判明したり。南に親戚などありえないと思っていたのに、その人に母親の若いころの写真を見せられ、家にあったアルバムで見たものと同じだと気づく。北では南から来た人を嫌うので、母親は自分の過去を話さなかったのだと知る。
……と、このような内容だった。独占インタビューとはセットで読むべきだ。この本の内容をふまえての会話が多数ある。
1992年初版 絶版ですな
『いま、女として』が重い内容だったので面食らうほど軽いエッセイ調の読み物になっている。この人は本当に飛行機を墜落させて百人以上ぶっころしたテロリストの生き残りなんですよねと、わかりきったことを確認したくなるほど。前作の終わりに「君はリンゴの赤だから大丈夫」という言葉が出てくるが、皮をぬいで普通の女の人になったんだなという感じ。
赦免後も、当然まったくの自由になったわけではなく、常に捜査官が身近にいるようだし「一緒にくらしているおじさんたち」というのがいるらしい。それが何者なのか、ちょっとわからない。前作最後に出てくる親類とも違うようだ。ボディーガードか何かだろうか。講演会などの仕事で出かける以外に、買い物や散髪など、自由な外出が数ヶ月に一度許されるようだ。もちろんこのときも捜査官がついてくる。
キムヒョンヒは韓国で洗礼を受けてキリスト教徒になったのだが、証しと呼ばれる宗教的なスピーチ(自分が神からどんな恵みを受けたかを人々に伝える講演)を各地でしてまわっている。その際も複数の捜査官と行動を共にし、時には韓国の工場を見学したり、捜査官の実家に立ち寄ったりしている。そのたびに北で考えていたのと世界の実情がまったく違っていることに驚いている。
手塚治虫の『ブッダ』を韓国語に訳したものを出版社からすすめられて読んだとも話している。北では宗教は御法度で輪廻転生の考えなどこれっぽっちも信じてはいなかったが、南に来てからは「生まれ変わったら……」という言葉が自分の口から出るのに驚く。その変化のきっかけのひとつとして、『ブッダ』を読んだことに影響されているのではないかと(それ以前に南で洗礼をうけてキリスト教徒になっているので、あくまできっかけのひとつとして、ということ)。
大韓航空機爆破事件が1987年で、手塚治虫が死んだのは1989年。この本は1991年に出版されている。手塚はテロを知っているだろうけれど、キムヒョンヒが自分の漫画を読んで感銘をうけたことは知らされていただろうか。もし知っていたら、素直に喜んだんじゃないのかな。
帰順者(今の言葉だと脱北者にあたる?)のトンチンカンな行動について、南では笑い話にされるが聞くたびに自尊心を傷つけられ、面白くもなんともないと書いている。ある帰順者は水洗便器にたまっている水を洗顔用だと思い顔を洗ったとか、飲料水だと思ってコップですくって飲んだという。後に便器だと聞かされて驚く。北には水洗便所はなく、そういうものがこの世にあることも知らされていない。使い方がわからなくて困っている帰順者には同情こそすれ笑うべきではないと。
この感覚はとてもわかる。笑われた方は必死で自分の失敗を笑い飛ばせる余裕なんかないのだが、そこで憤慨すれば冗談の通じない人間のように言われるので我慢して笑う。けれど心の内では深く自尊心を傷つけられている。真面目な人にありがちな感覚じゃないだろうか。
前作の『いま、女として』に、取調中に紙コップでコーヒーをすすめられた話がある。キムヒョンヒはコップを洗って返したが、これは使い捨てるものだと説明されて恥じ入る。日本人に拾われた中国人だと必死でついたウソが、そんな些細なところから破綻することを恥じたのかと思っていたが、北の貧しさや、貧しさ故の無知を知られることを恥じていたのかもしれない。
北に拉致されて映画を作った申相玉という映画監督の話も出てくる。韓国で対面して話したところ、北に共通の知人がいることがわかり意気投合したとか。工作員や拉致被害者は、意外と狭い世界で暮らしているのだろう。
キムヒョンヒの家族は北でどうしているのというのは読者としても気になる話。もちろん彼女自身が最も気にしているのはその点だ。日本の拉致被害者の情報が脱北者などからもたらされるように、キムヒョンヒの家族についても情報は流れてくるらしい。
アンゴラで北の外交官をしていた人が脱北して書いた本(平壌二十五時)に、KAL機爆破直後の話が出てくるそうだ。国家保衛部副局長と名乗る者が現れて、アンゴラ大使水産代表部勤務の金なにがしという者を北に連れ帰らなければならないと言うのだが、その金某がキムヒョンヒの父だというのである。その人が北に帰国してからどうなったかはわからないという。
また、日本人やアメリカ人のジャーナリストが北に潜入して、手記をもとにキムヒョンヒの自宅をさがしあて、空き家になっていることを確かめて写真をとったこともあるそうだ。しかし、写真に写っているアパートの扉は記憶にあるものと色が違っている。アパートはどれも同じ形をしているので自宅かどうかはわからなかったとのこと。
結局、この本の時点では、家族の安否はまったくわからない。ひどい目にあわされているのだろうと絶望しながらも、きっと元気で自分の帰りを待っているだろうと希望も語っている。
内容は、前作を補う形で、重い内容も含んではいるが、まるでタレントのエッセイでも読んでいるような感じだった。
1995年初版 絶版っぽい
タイトルの通り、リウネ(李恩恵)から日本語教育を受けた一年間を回想している。リウネは日本人拉致被害者の田口八重子さんだと言われている。
『いま、女として』で、リウネの日本人名は「ちとせ」だと書いているが、この本によると「ちとせ(千登瀬)」はリウネがホステスだった頃の源氏名だったらしい。
工作員が入る病院のことが書かれている。キムヒョンヒ自身も腕にある大きなBCG予防接種のあとを消すために入院したことがあるが、ここでは廊下を歩くとき、目のところに穴のある袋をかぶらなければならない。他人に顔をみられないようにするためだ。
リウネは腰を痛めてその病院に入ったが、外国人であったため、一般病棟ではない個室に入っていたそうだ。キムヒョンヒは特別待遇だと書いているが、優遇するとみせかけて隔離されているだけかもしれない。
しかし、良い待遇をうけていることもたしかで、入院中に美味しいものを食べて服がキツクなるほど太ったとも書かれている。退院後、リウネは必死で原料に励み、キムヒョンヒはその時はじめてダイエットというものを知ったという。食料の乏しい北で太りすぎを気にする人などいないからだ。
自分より痩せているリウネがダイエットをはじめたので、キムヒョンヒも朝食を抜くようになった。お風呂で鏡を見てスタイルを気にするようになったのもリウネと暮らし始めてからだという。キムヒョンヒは朝食を抜いて慣れないブラック珈琲を飲む生活で胃を壊し、かえって間食をするようになったとも書いている。
帰国した拉致被害者の話に海水浴に言ったことなどが出てくるが、キムヒョンヒの手記によれば、自由に行けるわけではなさそうだ。指導員が突然海水浴を決めるし、もちろん指導員がついてくる。海水浴場には学生が学校の遠足かなにかで来るそうだ。おそらく両家の子女が通う名門校なのだろう。他に外国人が利用することもあるそうだ。男女が別の浜辺を使うとも書いている。
キムヒョンヒの考えでは、北が外国人を拉致した目的は工作員として使うことだという。徹底的に教育してスパイとして故国に戻して利用するつもりだった。しかし、戻してみると、あたりまえだがみな裏切って帰ってこない。そこでスパイは北朝鮮人にやらせるとして、返すに返せなくなった拉致被害者はスパイの教育用に使ったのだろう、ということだ。
KAL機爆破事件(87年)のあと、リウネのモンタージュが公表されたが、その人が拉致被害者の田口八重子さんだと確定したのは91年だという。時間がかかった理由として、八重子さんの親族が認めなかったからだとキムヒョンヒは書いている。認めたところで拉致されたのなら帰って来るとも思えず、また下手なことを口にして事件に巻き込まれれば、八重子さんが残していった子供達に災いがあるかもしれないこと、八重子さん自身を危険にさらすかもしれないという恐れから、認めないことにしたのだという。91年にそれを認めたのは、本名をあかさない、という条件付きだったからだそうだ。
これで日本語に訳されているキムヒョンヒの著書は全部読んだことになるのだろうか。どれも特殊な環境で生きた人の手記として非常に貴重であることはたしかだが、単純に読み物としてとらえれば面白かったのは「いま、女として」で、三作目の「忘れられない女」まで来ると、持ちネタを全て出し切ったように見える。
キムヒョンヒは北朝鮮で優等生的な行き方をしていたようだから、子供時代の回想は、実はそれほど面白くはない。工作員になってからの、家族以外の人間との接触(リウネのような日本人だけでなく、招待所の寮母さんやルームメイトとの友情の話など)が面白いし、韓国に連れてこられてからの話も面白い。
これらの本を書いたあと、1997年に自分のボディーガードをしていた男性と結婚したとウィキペディアに書いてある。手記にある暮らしぶりを考えると、他人と個人的に付き合うような環境ではなさそうなので、結婚相手を選ぶとすれば身近にいる捜査員やボディーガードということになるのだろう。
ここまで来ると、その人を選んだ理由などを本人の筆で聞きたいような気もするが、それだけをあえて語るような本は面白くはないのだろう。場所が韓国だから男性側も職務で結婚したとは思えないので、幸せな結婚をしたということなのだろう。
告白
これはオマケで借りてきたジェンキンスさんの本
2005年初版 1260円
もちろんまだ買える。キムヒョンヒの本より十年分新しい手記だ。
ジェンキンス氏は朝鮮戦争中に徒歩で非武装地帯をぬけて北朝鮮へ逃亡した米兵で、日本人拉致被害者の曾我ひとみさんと北朝鮮で結婚した人である。ひとみさんとの間に娘がふたりいる。ひとみさんだけが他の被害者とともに日本に返され、ジェンキンス氏とは第三国のインドネシアで再会することになる。
キムヒョンヒの本は、北朝鮮人の目から見た北朝鮮や、拉致被害者の姿を描いているわけだが、ジェンキンス氏の本は、より被害者側の目で書かれている。それでいてキムヒョンヒの証言と共通するものがあり、併読すると北の生活がより見えてくる。
閉鎖的な国ではあるが、以前は留学生が大勢いて、外国人専用の商店で話すこともできたそうだ。しかしキムヒョンヒが自白してからは外国人が急に減り、中でも拉致被害者とおぼしき人との接触はほとんどなくなったと書いている。
アメリカ人で男性の手記ということで、キムヒョンヒの本とはまた違った味があり、こういう言い方をしていいかわからないけれど、とても面白かった。
ついでなので韓国人の映画監督で、北に拉致されて映画を作った申相玉氏の本も借りてこようと思っている。ついでにブルガサリもツタヤで借りてこよう。
タグ:北朝鮮