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三度目の眠は長かった

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▲三眠後の脱皮

 三度目の眠は、昨日のお昼前には始まっていたと思います。これまでは一夜明けると脱皮が済んでいたのですが、三眠は今朝までつづいており、朝おきて眺めている目の前で脱皮がはじまりました。

 脱皮は、まず頭の殻が剥けるところから始まるようです。脱皮直前の頭は薄い茶色ですが、ぷりっと剥けると白くて一回り大きな頭が出てきます。それから体を蠕動させて、全身の皮を脱ぎます。眠に入る前に腹脚を桑の葉に固定してあるので、皮だけが葉の上に残ります。

 お昼になっても脱皮が終わらないので買い物に出かけ、返ってきたのは四時前だったと思いますが、まだ一部の蚕が脱皮を続けていました。結局、ほとんどの蚕が皮を脱ぐまでに一日半くらいかかりました。

 さっそく新しい桑の葉をやったのですが、ここ数日雨がふらなかったせいか、桑の葉があっという間に乾燥してしまいます。水をやってみましたが、果たして効果はあるでしょうか。

ふしぎな蚕 『捜神記』より

 園客という者がいて、五色の香草の種をまき、その実を食べて暮らしていた。ある日、香草の葉に蛾がとまり、蚕を産み付けた。

 園客は香草の葉で蚕を飼い始めたが、神女(天女?)がやってきて仕事を手伝ってくれた。やがて蚕は百二十個の繭になったが、それぞれの大きさが酒瓶ほどもあり、ひとつの繭から糸を繰ると、六日も七日も尽きなかった。

 すべての繭から糸を繰り終えると、神女は園客とともに天に舞い上がり、それっきり行方が知れない。

馬の恋 『捜神記』より

 出征した父を待っている娘は、父が残して行った愛馬に話しかけた。もし父を連れてかえってくれるならお嫁さんになってあげてもいいよ、と。馬は喜んで一目散にかけていき、父親を乗せて家に帰った。

 それからというもの、馬はまぐさもろくに食わず、娘の姿を見て身をふるわを石弓で射殺して皮をはいで干した。

 娘がふざけてその皮を踏み「馬の分際で人間をお嫁さんにもらおうなんて思うからいけないのよ」と言うと、馬の皮が娘を包んで飛び去った。

 数日後に庭の大木に娘と馬の皮がひっかかっていた。どちらも蚕になって木の上で糸を吐いている。これを養って繭を作らせたところ、普通の繭よりも大きくて糸の巻きが厚い繭になった。

 人々はこぞってこの品種を育てるようになり、蚕をやしなう大木のことを桑と呼んだ。桑は葬の意味である(発音が同じ文字だということ)。

# クワゴなどの野生種の蚕がすでにいて、それよりも多くの糸をはく家蚕が生まれた、という伝説。

繭のたたり 『捜神記』より

 背中に瘤のある女が物乞いをしていた。その瘤は一斗入りの袋ほどもあり、中には繭のようなものが沢山あって歩くと音をたてた。

 女はかつて養蚕をする家の嫁だったが、自分の分だけ何年も原産が続いたので、兄嫁の繭をこっそり燃やしてしまった。背中の瘤はそのたたりで、着物をかぶせておくと息苦しく、いつも重たい袋を背負っているようだという。

タグ: カイコ 伝説

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Sari (07/11 22:49) 編集・削除

母は霧吹きでシュッシュッとやってましたよ。

珍獣ららむ~ (07/11 22:53) 編集・削除

なるほど、やってみます。

Goudeau (07/12 10:26) 編集・削除

『縄文図像学(2)』(言叢社)といふ本に、カール・ヘンツェといふひとの衝撃的な説が載つてゐます。「遮光器土偶」は、人間の生皮をかぶつた司祭の姿だといふのです。まるで『羊たちの沈黙』のサイコ野郎のやうなお話ですが、アステカには「人間の生皮をかぶつた神」が居て、そこからの推測らしいです。(私は雑誌掲載時に読んだだけで、この本自体は持つてをりません)

ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/pocketpc/wsea.cgi?W-NIPS=9890207028&RCODE=OB99%2FO31

生皮剥ぎの説話といふと、もうひとつ忘れちやならないのはイナバノシロウサギですネ。

Sari (07/12 13:38) 編集・削除

動物の皮をかぶるで思い出しましたが、
追難式(難はにんべん付き?)節分のとき、昔は熊の皮を被った
なんとかいう人が出てきたとか。
季節の変わり目で再生の儀式だったからでしょうか・・・

珍獣ららむ~ (07/12 17:14) 編集・削除

http://www.chinjuh.mydns.jp/sengai/cervo/p43.htm
 そういえばうちにはこんなページもあったんですね。昔書いたものは恥ずかしいので見ないようにしてるんですけど、まあ、こういうのもあったりするんですよ。

 土偶の話はおもしろいです。わたしは、瓜子姫の話で天邪鬼(おそらくはシャーマン)が姫の皮をかぶるのは、姫の魂を自分の中に宿すという行為をシンボリックに表現したものだと思っているのですが、あるいは古代の日本で本当に他人の生き皮(たとえば戦で倒した敵方英雄の皮とか、神の巫女として育てられた娘の皮とか)を身にまとっておこなう儀式があったのかもしれないです。だんだんドキドキしてきました。

 そう考えると、天女の羽衣はとんでもない話になりますよ。なんせ神に通じている娘から皮をはぎとってしまう話なんですから。

Goudeau (07/12 17:42) 編集・削除

人間を何千何百とぶち殺してイケニヱにして居たアステカやらシナならともかく、日本の縄文時代はどうなんでせうネ。正直わかりません。

私が遮光器土偶=生皮祭司説の代替案として考へるのは、赤ん坊といふのは、別の世界から「胞衣」といふ皮に包まれて送り届けられる(ただし胞衣は機敏に切り裂く必要がある)といふやうな事から、赤ん坊なのでは、とかそんなことです。(つまりこれならヒトの皮を剥がさなくても出来る)

「虐殺された女神」「ハイヌヴェレ型神話」についても承知して居ますし、私は、オホゲツヒメを殺すスサノヲとオホゲツヒメは、ある意味分身関係(アルテル・エゴ)と考へますので、ウリコヒメとアマンジヤクも、同様に分身関係とみなすべきかもしれませんネ。

さうするとアマンジヤクは、鬼車鳥(=姑獲鳥)やヤマタノヲロチよりも、むしろスサノヲに近い、人間に恩恵を施す神と考へるべきでせうか。今ウリコヒメ伝説の結末を忘れてしまひましたが、殺されたアマンジヤクの死体より五穀が実る、あるひは桑の木が生える、とかなんとかだと完璧なのですが。(これは別の昔話の結末かな?)

追記

私は、織女(ウリコヒメ)を地上に留めるといふ行為は、彼女が「機を織る」ことが出来なければ、無意味と思へます。天上世界からわざわざ織女を奪還しに来る理由もまさにそこにあります。天上で織女が果たして居た、重要な役割とは何か。光といふ糸を織り成す事。それは単純に科学的な光といふ意味以上に、世界秩序そのもの、世界の呪術的維持そのものを担つて居たわけです。例へば穀物の成長も、それなしには不可能でせう。

ですから、アマンジャクの位置づけについては、まだ納得出来てをりません。民話といふのは、長いあひだに話し手の創意が加はつて居るでせうし、解釈は難しい点もあるでせう。もつとよく考へてみたいと思ひます。

Goudeau (07/12 23:16) 編集・削除

http://enkan.fc2web.com/minwa/uriko/index.html

瓜子姫説話のヴァリエーションがまとめてありました。「皮剥ぎ」のないパターンもあるやうですネ。(Sariさんご紹介のサイトと同じところですネ)

瓜子姫の死体もしくはアマンジヤクの死体から、なんらかの植物が、といふのが結末のやうですネ。

珍獣ららむ〜 (07/13 00:04) 編集・削除

 もちろんウリコヒメが機織りをするのは非常に重要なんですよ。遠くから流れてきた機織り上手な女の子が皮をはがれて死んでしまうというのは、やんごとなき姫君が、らい病にかかるなどして故郷を追われ、流れ着いた場所で死んで蚕になる、という養蚕伝説と同じだと思うのです。だからこそ、瓜子姫に出てくる大きな木は、もともと桑だったんだろうなと思ってます。

 ウリコヒメとアマノジャクが分身関係なのに、アマノジャクの死体から何かが生まれてこないのはおかしい、というのは、わたしもすごくすごく気になっている点で、もしかするとそういう結末の昔話があるのかもしれませんが、わたしはまだぱっとしたものをみつけていません。萱の茎が赤いのは、アマノジャクの血を吸ったせいだ、というオマケのついている例は見たことがありますが、女神を犠牲にして得るものとしては、あまりにも安すぎます。

 ただ、昔話として語られる場合、聞き手は子供でしょうし、養蚕の技術やら、豊作やらという良いものをもたらす人が惨殺されるのは理解しにくいですから、悪者に殺されたかわいそうな姫君と、姫君を殺した悪者を罰として殺す話に、自然と変化したんじゃないのかな、なんてことも思いますよ。

 皮と「えな」の関係も興味深いですね。わたしは、皮よりも、瓜や桃がえなと関係があるのではないかと前から思ってました。西洋に、えなをかぶったまま生まれてきた人たちが悪魔払いの力を持つような伝承があるとかないとか聞いたので、日本の桃太郎にあてはまるんじゃないのかなと。じゃあ、ウリコヒメが逆に殺されてしまうのはなぜなんだろ、なんてね。ヨーロッパの伝承といきなり結びつけようとするあたりに、そもそも無理があるんですけど。

桑の話、眠の話

 蚕を飼いたくて桑を育てるところから始めた、というのは前に書きました。子供の頃に群馬に住んでいたわたしは、桑といえば畑に生えてるもので、観賞のために買うなんて考えたことがありませんでした。養蚕をやってそうな地方の農協にでも注文しないと買えないんじゃないかとさえ思っていたほど。

 ところが、桑は実が美味しいというので愛好してる人がけっこういるのだそうで、園芸店でマルベリーなんてカタカナの名前で売られているのでした。ブルーベリーやラズベリーのような果樹あつかいのようです。美味しい実をつける品種はけっこうな金額で売り買いされているらしいですよ。

 わたしが買ったのは、地元の園芸店で、千数百円くらいのものです。品種名は書いてあったけど忘れました。人差し指くらいの太さの幹が、短く切り詰められていて、そこから細い枝が出て、全体として五十センチくらいの樹高の株でした。

 たしか、去年の初夏に購入して、自由に花などを植えてもいい庭的な場所に強引に植えました。桑は生長が早いのですが、植えたその年は大した大きさにはなりませんでした。秋口にうどんこ病にやらて葉が白くなってしまったので、ガッツリ切り詰めて、丸坊主にしてしまいました。見ていたお友だちが「それじゃ枯れちゃうんじゃない?」と言いましたが、群馬じゃ蚕に枝ごとやるので最終的には必ず丸坊主になるんです。でも、翌年ちゃんと枝が伸びてきます。丸坊主にしないと高木になってしまい、蚕の餌をとるのに不都合があります。ちゃんと使われている畑の桑は、みんな背が低かったです。

 二年目の今年、桑はものすごい勢いで成長をはじめました。人差し指程度の太さだった幹が、今じゃ親指と人差し指で作った輪のように太くなり、枝もばんばん伸びて、全体としては人の背丈を超えるほどです。実も沢山成りました。あまり甘くはなかったので、お酒につけてみました。まだ開けていないので味はわかりません。

 ところで、蚕というのは一生のうちに百グラムの桑の葉を食べるのだそうです。百頭いれば千グラム、五百頭居れば五千グラムになります。キロ計算なら五キロですね。

 しかし、桑の葉がどのくらいあると五キロになるのか、計ったことがないので見当もつきません。ちょっと困りました。

 こういう時は当たって砕けろです。二百頭くらいなら、なんとかなるだろうと、なんの根拠もなく決めつけて卵を注文しました。桑が足りなくなっても、昔とちがって人工飼料があるらしいんですよ。桑の葉をペーストにして、ボロニアソーセージみたいな形にしたやつらしいです。実物は見たことがありませんが、蚕の卵を購入したところで通販できそうなので、様子を見て買えばよいと思いました。

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▲7月8日の蚕たち。

 飼い始めて今日で十日目になります。今のところ庭の桑で足りています。しかし油断は禁物です。蚕は五齢幼虫の時代に一番食べるのです。これからが勝負だと言えるでしょう。

 今日は、いざという時のために、桑の木の生えている場所を探しに行きました。公園にあるのは知っているのですが、公園の桑に手を付けるのは最終手段にしたかったので川沿いを歩いてみました。わたしが住んでいるところは葛飾区と埼玉県の境目にかぎりなく近いところで、近くに大場川や中川といった川があります。川沿いを歩いてみると、桑の木って、想像しているよりも普通に生えているものですね。あっちにもこっちにも、少しくらい葉をもらったって問題なさそうな桑樹が生えています。これなら大丈夫どころか、秋蚕(あきご)もいけちゃうかもしれません。むしろヤバイです。そのうち「趣味は養蚕」だなんて書いてしまいそう。

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▲7月10日の朝:たった二日でずいぶんふくよかになったでしょう? 朝と夜とで大きさが違って見えるくらい。体長約25mmほど。

 蚕たちは三度目の眠に入ったようです。まだ食べてるのんびり屋さんもいるけれど、ほとんどの蚕が棒っきれのようにじっとしています。蚕たちは真夜中に脱皮するのでしょうか。これまでも、昼間は変化がなく、朝起きてみると脱皮が済んでいるようでした。

 ところで、蚕の写真をよく見ると、背中に馬のひづめのような痣(あざ)があるのがわかるでしょうか。先日もちらっと書きましたが、群馬の伝説では、蚕に生まれ変わった衣笠姫が、生前に継母から受けた虐待のせいで馬に蹴られ、背中に痣ができるのです。姫の生まれ変わりである蚕にも同じ性質が受け継がれているというわけ。

 悪い継母は衣笠姫を憎み、厩(うまや)にとじこめてしまった。馬が暴れて姫を踏んづけたので、姫の背中には蹄の跡がついてしまった。爺やがあわててお救いしたが、姫はしばらく死んだようにぐったりしていた。

 次に継母は姫を竹やぶに置き去りにした。婆やが探し出してお助けしたが、姫は衰弱して死んだようにぐったりしていた。

 三度目はたらいに乗せて川に捨てられた。爺やと婆やが探し出してなんとかお助けしたものの、姫は疲れ切ってぐったりしてしまった。

 継母はすっかり怒って、四度目には庭に穴を掘って姫を生き埋めにしてしまった。爺やと婆やが気づいた時にはもう遅く、姫は息絶えていた。

 それからしばらくすると、姫が埋められたところに黒く小さな芋虫がはいまわっていた。クワの葉をあたえて育ててみると、急に死んだように動かなくなり、しばらくするとまた動きだして葉をたべはじめる。そういう事が四度あり、繭を作った。ちょうど姫が継母に殺されかけたのと同じ回数である。(珍獣様の博物誌・クワゴより)


 衣笠姫第一の受難が馬です。蚕は、卵から出た直後は黒っぽくて毛が生えていて、体の模様はよくわからないのです。けれど、最初の眠をへて脱皮をすると、白っぽくなって背中に小さな馬蹄斑が見えるようになります。昔話のとおりです。

 衣笠姫の四つの受難、つまり蚕の四回の眠には名前がついているそうです。順番に、シジの休み、タケ(竹)の休み、フナ(舟)の休み、ニワ(庭)の休みです。竹や舟や庭は、昔話の筋と同じですが、シジというのがよくわかりません。馬や蹄と関係のある単語なのでしょうか?

 また、なぜその順番で言われるのかもよくわかりません。馬は体の模様に関係していますが、竹や舟は、なぜなのでしょう。庭は、おそらく眠の長さに関係しています。三眠までは一日で終わってしまうのですが、四眠は三日も動かずにじっとしているということです。このまま死んでしまうのではないかという不安が庭に生き埋めにされ、とうとう死んでしまう、というお話に繋がるのだと思います。ちなみに、祖母の家では、眠をシジや竹などの名前では呼んでいませんでした。

 そうそう、探したらうちにはこんなコンテンツもありましたよ。養蚕関係の伝説ばかり集めたもので、もっと増やそうと思ってるうちに忘れたのです。

◎今昔かたりぐさ・養蚕のはじまり
http://www.chinjuh.mydns.jp/ohanasi/365j/0306.htm

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Goudeau (07/11 10:08) 編集・削除

シナの七夕伝説は、わが国の羽衣伝説と七夕伝説がミックスされたやうなタイプですが、お蚕さん伝説は、そのヴァリアントのひとつなのかもしれません。

つまりお蚕さんは、本来は天上世界に属する「織姫」なのではあるまいか。彼女の受ける迫害は、貴種流離譚や、シンデレラ物語のそれに近いのかもしれません。

シナの七夕伝説では、天上へ連れ戻された織女に会ふために、牽牛が、ふたりの子供を天秤棒の両側に下げて、死んだ「老牛の皮」を使つて昇天します。(どのやうに使用するのか全く説明されません)この牛皮は、馬の皮と同様「羽衣の代替物たりうるもの」と理解すべきでせう。

珍獣ららむ~ (07/11 12:06) 編集・削除

 牛皮をかぶって天井の妻を訪れる伝説は知りませんでした。かなり面白いです。その話を聞くと、蚕の脱皮殻・牛馬の皮・羽衣が自然につながります。蚕は着物を奪われた天女だったんですね。一生のうちに四枚も皮をはがれて、それでも蘇って美しい繭を作る。繭はたぶん、新しい羽衣です。長い時間かけて、天に帰る準備をしているのです。それを、人間がまた奪ってしまう。だからお蚕さんは飛ぶことを忘れてしまった。家蚕は成虫になっても飛べません。翅はあるのに使い物にならないのです。

 うちの天女たちは、羽衣を脱いでるところです。一段落したら買い物に、と思っているけれど、しばらく終わりそうもないので放置して出かけようかな。

Goudeau (07/11 16:06) 編集・削除

小南一郎『西王母と七夕伝承』(平凡社)より、現在支那各地で最も行はれてゐるタイプの七夕伝説の概要。

(1)父母を失つた若者(牛郎と呼ばれる)が、兄や兄嫁と一緒に暮らしてゐた。兄嫁は牛郎に辛くあたり、牛郎が友とするのは老牛のみであつた。

(2)ある日、兄は牛郎に家産を分けて分居することを申しわたし、牛郎に壊れた車と老牛だけを与へた。

(3)ある夜、牛が突然口をきいて言つた。明日の夕方、山中の湖で仙女たちが水浴びをするので、仙女たちが脱いだ衣服のうち、ピンク色のものを盗んで、林の中に隠れるやうに。衣服をなくした仙女はあなたの妻となるであらう、と。

(4)牛郎は、牛の言ふやうにして、仙女を妻とした。その仙女は、天上の王母娘娘(ニャンニャン)〔=西王母〕の外孫女(まごむすめ)で、錦を織ることに巧みで、織女と呼ばれてゐるのであつた。

(5)牛郎と織女が結婚してから三年の月日がたち、男の子と女の子が一人づゝ生れた。

(6)ある日、老牛が涙を流しながら言つた。自分はもう死ななければならない。自分が死んだあと、皮を取つておいて、緊急のことがあつた時には、その皮を着るやうに、と。さう言ひ終はると、老牛は死んだ。

(7)織女が天上から逃亡したことを知つた王母娘娘は、天兵を遣はして織女を捜させた。織女が牛郎のところにゐることを知ると、牛郎が耕作に出てゐるすきに、王母が天からくだつて、織女をつれ去つた。

(8)それを知つた牛郎は、牛の皮を着ると、二つの筐(かご)に子供たちを一人づゝ入れ、それを肩に掛け、織女を追つて天に昇つた。

(9)牛郎が、織女を連れ帰らうとしてゐる王母娘娘にもう少しで追ひ着きさうになつたとき、王母は玉簪(かんざし)を抜いて後ろ手に線を引いた。それが天の河となつて、牛郎を隔てた。

(10)牛郎と織女は天の河のそれぞれの岸辺にあつて、一緒になることが出来ず、かれらはそのまゝ牽牛星と織女星になつた。のちに王母娘娘は、二人が七月七日に会ふことを許した。

(11)毎年七月七日には、鵲が集まつて天の河に橋を架け、牛郎と織女はその上で会ふのである。だからその日には、地上の鵲がほとんど見えなくなる。またその日の夜、葡萄棚の下にゐると、牛郎と織女が語りあつてゐるのが聞こえる。

Goudeau (07/11 16:23) 編集・削除

他に、次の説話の比較研究が重要と思はれる。

・ウリコヒメがきりきりはたりと機織をしながら留守番をしてゐると、アマノジヤクがやつて来てウリコヒメを食べてしまひ、その生皮をかぶつてうりこひめになりすます。

・スサノヲノミコトはタカマノハラのイミハタドノでアマテラス(もしくはその侍女)が神衣を織るところへ、さかはぎにしたアメノフチコマを服屋の頂を穿つて投げ入れる。

私見によれば、スサノヲの行為は、天上の機織を地上にもたらすための文化英雄的行為。アマノジヤクは逆に、地上より天上へ織女を「奪還」せんとしてゐるのではないでせうか。これはシナ版七夕で西王母が織女を「奪還」に来るのと似て居ます。この「織女を奪還に来る西王母」の恐ろしい姿がシナで「鬼車鳥(もしくは姑獲鳥)」と呼ばれるものであらうと考へます。(『荊楚歳時記』)

珍獣ららむ~ (07/11 17:46) 編集・削除

 買い物からもどりました。天女たちは着物を脱ぎ捨てて桑を食べています。

 牛郎の話は知ってます。老いた牛が助言して天女をものにするのも聞いたことがあります。空にのぼるのに牛の皮……というのを、たぶん忘れてたんですね。なるほど。情報ありがとう!

 スサノオの話は、あきらかに七夕と養蚕の伝説に関係があると思います。スサノオといえば、オオクニヌシの舅ですよね。オオクニヌシがスセリビメをめとる話と同じ形の七夕伝説が中国や沖縄にあったと思います。舅の無理難題を妻の助言で切り抜ける話。七夕伝説では助言を忘れてふたたび生き別れになるので結末は違いますけど。スセリビメを、神の世界から地上にもたらされる良いものの象徴だと考えると、ここでもスサノオは、良いものを地上に送り出す役目(オオクニヌシに手渡す役目)をしてます。

 ただ、わたしは天邪鬼が天女を連れ戻しに来たというのは違うんじゃないかと思ってます。むしろ、天女を地上につなぎ止めようとしてるんじゃないでしょうか。なぜそう思うかといえば、天邪鬼は瓜子姫に皮を着せているのではなく、はぎ取っているからです。救うなら、着せてやる役目をしそうなもんです。瓜子姫で、天女を奪還しようとしているのは、むしろ結婚相手の長者の息子です。

 もうひとつ、理由があります。オオクニヌシが治める地上の様子を見に行っておいでと、アメワカヒコという人が高天原から地上に送られますよね。ところが地上を気に入って天に帰るのをやめてしまう。これは羽衣を脱いだ天女に相当します。高天原ではキジを遣わしてアメワカヒコを連れ戻そうとしますが、アメノサグメの入れ知恵で、アメワカヒコはキジを射殺してしまう。その結果、アメワカヒコも天の怒りをかって死んでしまいます。瓜子姫のストーリーと一致すると思いませんか。

 そのアメワカヒコは、室町時代になると七夕伝説の登場人物として返り咲くのですよね。御伽草子板の七夕伝説は、天女ではなく美男子のアメワカヒコが地上の織姫のところへ通って来るんでしたっけ?

Goudeau (07/11 20:02) 編集・削除

『天稚彦草紙』には「大蛇の皮」を脱ぐと美青年といふ話が出てくるんですよネ。それからオホクニヌシに課せられる試練と似かよつた話も出てきますネ。

アマノジヤクの位置づけはなかなか難しいと思ひます。私の説を補強するために、もうひとつ自説を披露しておきます。私はヤマタノヲロチとは、スサノヲが天上より奪つた「あるもの」を奪ひ返しに来た「タカマノハラからの怪物」である、とみます。

「クシイナダヒメ」は、この場合、両者が天地のあひだで争ふ「あるもの」に相当します。ヲロチは地上の人間からみると少女の命を奪ふ悪龍であるが、実は、天上世界の利益から見ると善である、といふ価値の逆転を想定することが、私見のポイントです。ま、こんな説を立ててゐるのは私ひとりだと思ひますが。長年かういふ話を本にまとめようと思ひつつも、話がやたらに四方八方に広がつてゆくので、まとまらないのです。

あ、それからもうひとつ。
密偵のキジ=アメノサグメ=アマノジヤクではありませんか?

珍獣ららむ~ (07/11 20:29) 編集・削除

 あれ、探偵のキジとアメノサグメは別のものでしょう?

 『日本書紀』の第二巻に、高天原から来た名無雉を見た天探女(アメノサグメ)が「奇しき鳥来て杜の杪に居り」と言い、それを聞いたアメワカヒコが矢で雉を射殺してしまうんですよ。同じ部分の "一書に曰く" には「時に国神あり。天探女と号く」とあって、雉とは別のものですよ。

Goudeau (07/12 09:35) 編集・削除

密偵のキジとアメノサグメは別物でしたネ。失礼。

ただしウリコヒメ説話で、天邪鬼はしばしばアメノシャグメ(九州なまり?)といふ名で登場するところからみるとアメノサグメ=アマノジヤクなのではないでせうか。

珍獣ららむ~ (07/12 17:08) 編集・削除

 そうです。そうです。アメノサグメ=アマノジャクは多くの人が言ってる説です。もしそうなら、やはり天邪鬼は天から来た者を地上に引き留める役目なのでは。

 昔話で天邪鬼が姫を殺してしまうのは、神話の作法にのっとっている、というか、神話のストーリーがわかりやすい昔話に変化した結果だと思うのです。

 神話では、天からもたらされる良いものは、死んだ女神の体から生まれてくるケースが多々あって、Goudeau さんがおっしゃってたスサノオの神話で、スサノオがぶち殺した女神の体から良い物が生まれてくるのがそれにあたると思うんです。その話が昔話に変換されると、遠くから川を流れてきた機織り上手の瓜子姫を天邪鬼が殺す、という話のなるのではないですか。その後、天邪鬼が姫の皮をかぶるのは、天邪鬼がシャーマンだからじゃないですかね。瓜子姫の魂を自分の中にやどすために皮をかぶるのかもですよ。神話のアメノサグメもおそらくはシャーマンなのです。妖しげな鳥の声を聞いて不吉だと告げるのは、鳥占いでしょう。

……というのは、わたしのオリジナルではありません。近いことはいろんな人が言ってます。わたしは頭が悪いので諸星大二郎の漫画で覚えたのです、おほほほほ。

Sari (07/12 18:58) 編集・削除

ど素人が横からすみません、
皮を着る、の連想で昔みた映画『ろばの王女』を連想し、
ちょっと検索したら、こんなのがあったんです
http://enkan.sugoihp.com/minwa/cinderella/10.html#3
この中の日本のお話に出てくる『姥皮』、解説している人が生皮だと書いているんです。
ろばの皮といい、民間伝承から書かれた御伽噺ってことは
動物の皮を着る(被る)というのは、昔は割と普通の事だったんですかね?

珍獣ららむ~ (07/14 18:06) 編集・削除

 普通の事だったのか、という質問になんて答えるのが空気読めてるのかわたしにはよくわからなくて実は困っていたりするんですけど、皮をかぶる、着物をかぶる、あるいはそれらの逆をするというのは、たぶん変身や生まれ変わることと関係している呪術的な意味合いがあると思います。

 あくまでたとえばですが、熊のように強くなりたいと願って熊の毛皮をかぶったり、ロバのようにマヌケな者になってしまえと侮蔑を込めてロバ皮を着せたりするわけですよ。実際、人間なんて影響されやすいものなので、そんなことしてるうちに熊みたいな力をえたり、身も心もロバになって誰かに隷属してしまう、なんてことはあったかもしれないです。

 別の記事のコメントで、遮光器土偶は人の皮をかぶったシャーマンだ、というような珍説の存在を教えてもらいましたが、この場合、誰かの皮をかぶることで超常的な力を得るのが目的なんでしょうが、その逆ならば日本にもあったんじゃないかな、と思います。

 えーと、たしか、古事記だか日本書紀だかに、倒した敵の皮を尻から逆さに剥ぐ、という行為が出てきたと思うんです。たしか、ヤマトタケルがクマソを退治しにいくあたりだったかな。たとえば、敵国で英雄視されていた人間の皮をはぎとって、英雄でも人間でもない、なんだかよくわからないケダモノとして闇に葬ろうという意図があったのかな、なんて妄想します。

 が、わたしは素人なので単なる妄想です。

連発で虫ばっかり

 道を歩いていたら、自転車に乗った人に後ろから挨拶されてしまった。「今日は少し涼しくなりましたね」って言われて「あ、あはは、そうですねー」とにこやかに答えてみたけど、誰だかわかんなかった、あはははは。虫の名前は覚えられても人間の顔は覚えられないんです。

オオミスジコウガイビル
◎虫ばっかり・オオミスジコウガイビル
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000283.htm
 動画付きです。寝不足でモーローとしながら作ったのでテンポ悪いけど別にいいや、芸術作品じゃないし。

 ところで、昭和天皇がどこかの御用邸でコウガイビル(種類はわかんない)のもんのすごく長いのをみつけた記録を持ってるはずなんですが、どこで、なんという種類の、どのくらいの長さの個体をみつけたのか、調べようとすると以外とみつかりません。その当時で日本最長(あるいは世界最長?)の記録だったはずなんだけど。


キボシカミキリ
◎虫ばっかり:キボシカミキリ
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000284.htm
 クワの木を求めてさまよっていたら目の前にいたのでビックリ。幼虫は桑樹の幹を食い荒らす害虫です。


キハラゴマダラヒトリ
◎虫ばっかり:キハラゴマダラヒトリ
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000285.htm
 家のまわりで自然に羽化したやつです。たぶんバラについてた毛虫がこれになったんだと思うけれど、飼ってた毛虫は蛹になるところまでで羽化に失敗。似たような毛虫は沢山いるので出てくるところを見ないと成虫と結びつけられないのです。

 キハラは黄腹と書くんですが、普通ならキバラと読みそうなものなのに、なぜか濁らないのが標準らしいんです(検索にひっかからない)。和名ってわりかしその手の濁りとかを柔軟に許容してそうな気がするので両方で引っかかっても良さそうなのにね。そっくりで色の違うアカハラにあわせてるんでしょうか。同じ黄腹でも、黄腹剣紋蛾はキバラケンモンなのよ?


キイロテントウ
◎虫ばっかり:キイロテントウ
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000286.htm
 これが、うちのクワの木にたくさんいるの。公園の木にもたくさん。ちょうど増えてる時期らしく、幼虫も成虫もあっちこっちで見かけます。そういえば幼虫の写真を用意しそびれました。


カバイロモクメシャチホコ
◎虫ばっかり:カバイロモクメシャチホコ
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000287.htm
 これは稲城の山の中で撮影したものなので葛飾にはいないかもしれません。わたしゃこの虫の名前をどーしても覚えられないの。モクメという単語に脊髄反射してカバイロセダカモクメとか言っちゃうんだけどそんな名前の虫はたぶんいないと思う。

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Sari (07/10 20:18) 編集・削除

虫といえば、昼のニュースで
韓国に、中国から害虫が大量に飛んできて町中虫だらけだとか言ってました。
名前を忘れてしまったけど、黒地に赤い斑点のある派手な虫でした。
森林害虫だとか言ってたな・・・名前なんだっけな・・・
私ゃ、人も虫も名前が覚えられん。

珍獣ららむ~ (07/10 20:49) 編集・削除

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00136398.html
↑今なら動画でニュースを見られます。

 中国から貨物についてきたシタベニハゴロモだそうです。あまり鮮明に映ってないからよくわかんないけど、ハゴロモよりカメムシみたい。こんなに目立つ色をした虫なら中国の愛好家が写真を公開してるかも。中国名か学名がわかればいいんだけどなー。

珍獣ららむ~ (07/10 20:56) 編集・削除

 途中に一瞬だけアップで映ってるとこがあるので、あわててキャプチャしてみました(公開はできないけど)。翅が小さいので幼虫みたいですねえ。翅が生えたとこ見たいなー。

Sari (07/10 23:29) 編集・削除

これかな?
Lycorma delicatula (White)
横にこんなことも書いてあったFulgoridae

Sari (07/10 23:43) 編集・削除

中国語はこれかも
斑衣蜡蝉

珍獣ららむ~ (07/11 10:05) 編集・削除

 うわー、ありがとうございますー。なるほど、外国のニュースサイトを見ると学名が書いてあったりするんですね。検索で写真を見ましたが、たぶんその虫です。下紅(したべに)なのに全身が赤いのでおかしいと思っていたんですが、やはり翅がはえちゃうと別の色になっちゃうんだー。

 Fulgoridaeは、科名ですね。ハゴロモ科 Ricaniidaeじゃなくてビワハゴロモ科です。ずっと Ricaniidae で探してたのが敗因でした。和名も、ひょっとすると「シタベニビワハゴロモ」のほうが適当なのかな。日本にいないものだと複数の和名が使われてる可能性はあるでしょうけど。

 韓国と中国だと、途中に北朝鮮があるので、陸路で貨物が来ることはあるんでしょうか? 船で来たとしたら日本もやばいですね。見た感じ、日本に普通にいるハゴロモ類よりかなりでかそうですし、こんなのが増えたら大変だ!

日記というか、メモ

天気悪いのに暑い

 一瞬だけ青空が見えてたけど、もう雲が厚くなってしまった。いつ雨が降ってもおかしくない感じ。そのくせ暑いのよー。蚕用の気温計でちょうど30度くらい。

さっきオオミスジコウガイビルを見たよ

 捕まえようとしたら途中で切れちゃってすごく残念。もし切れてなかったら 100cm 近くあったと思う。写真と動画をとったので、あとで整理したら公開します(と、忘れる前にやることをメモ)。雨が降る前に銀行に行かなきゃ。

 おっ、バスが15分後だ。急がなければ。

メモ、つづき(ほぼ暗号)

白い綿の中にうにょうにょ→○○コマユバチ
庭に白い蛾→キハラゴマダラヒトリ
蚕が明日あたり三眠。体長は25mm位。


オオミスジコウガイビル
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000283.htm

クロベンケイガニ
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000266.htm

戸ヶ崎(?)の中華料理・一碗水

住所 埼玉県三郷市……のこのへん(google map)
駐車場 あり
営業時間 ?(昼からやっている)
定休日 ?(少なくとも土曜日はあいてる)

 中華料理店です。たしか、店名は一碗水(いーわんすい?)なのですが、「千里香」「おいしさ千里をかける」というようなキャッチフレーズの看板のほうが目につきます。

 水元方面から県道67号線を北上、戸ヶ崎のいなげや、セブンイレブンなどを通り越し、左手に中川が見えてくるあたりの、右側。バスで行くなら亀有駅北口より三郷中央駅行きに乗って前川というバス停のすぐ近く。

ファイル 382-1.jpg
▲A定食(冷やし担々麺・ライス・お新香・箸休めのひじき、スープ) 750円くらいだったかな? 

 前から気になっていたのですが、なかなか寄ってみるチャンスがありませんでした。ごく普通の町の中華料理店のようにも見えますが、そのわりに店が大きくて目立ちます。

 近くにある香取神社でお祭りがあった日に、急にごまだれの冷やし中華が食べたくなり、この店のことを思い出しました。残念ながらごまだれの冷やし中華にはありつけなかったけれど、ランチメニューの冷やし担々麺はとても美味しく、大満足です。

 写真を見ればわかるように、担々麺と言っても汁が赤いわけではないし、特別に辛くもありませんが、かといって味が寝ぼけているわけでもなく、無理に辛さを演出していないところがいい感じです。

 店内に、どこかの町のお祭りの写真が飾られていました。祇園祭の山鉾のような、大きな山車の写真です。関東のお祭りではないような気がします。一碗水という名前の中華料理店が関西方面にあるようですが、もしかしたら系列店なのでしょうか?

 店名や住所を確認しようとして、iタウンページなどで検索しましたが、それらしいお店の登録はありませんでした。かといって、つい最近できた店というわけでもありません。何年か前からある店です。