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【新作】あけおめ A-KE-O-ME 2008

ファイル 204-1.jpg
◎脱出ゲーム:あけおめ A-KE-O-ME 2008
http://www.chinjuh.mydns.jp/flash/shougat2.htm

 先日から作っているのとは別に、簡単なのを年賀状代わりに作りました。音が出ると困る人は画面下のほうにある音符のアイコンをクリックして、赤い斜線の出ている状態にしてください。それで音が消えると思います。

 もうひとつ別のゲームを制作中です。乞うご期待。
 

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ひろこ (01/02 00:25) 編集・削除

最後の遊びが、お正月らしくて可愛いなぁ。

赤い○をとってからほかの画面に行って戻るとまた落ちてて、
何度でも拾えるよ。

も一つのゲームも待ってます。
本年も宜しく。

珍獣ららむ~ (01/02 08:48) 編集・削除

ありがとう。修正しました。
今年もよろしくおねがいします。

様刻 (01/03 23:10) 編集・削除

あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いします
と初カキコです
私は某脱出掲示板で知りました

脱出ゲームが好きで、結構やっているほうだと思います
作者様のあけおめ2008おもしろかったです
キラリとひかるアイディアがあったのはよかったです

数ある脱出ゲーム中でも
たなばたは傑作中の傑作だとおもいます。
初心者から中級者も楽しめて
エンディングには
脱出ゲーム特有なユーモアとロマン・雰囲気がありました
なんで、友達におもしろかったと教えました

新しいゲーム楽しみに待っています

珍獣ららむ~ (01/04 23:19) 編集・削除

あけましておめでとうございます。
脱出ゲームは今後もぼちぼち作って行きますのでよろしくお願いします!

飛行機雲

飛行機雲が消えない日の翌日は雨か曇り

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 昨日(21日)は良く晴れて暖かい一日だったけれど、飛行機雲がいつまでも消えないみたいだった。明日は雨かな、と思ったら見事にあたり。みなさん飛行機雲が10分たっても消えない日の翌日は雨か曇りですぞ。

ゲームはまだできてません

 もう22日ですが、新作の脱出ゲームはやはりクリスマスに間に合いませんでした。クリスマス限定ネタではないので(そういう日にやると良さそうな感じには作るつもりでしたが)気長に作ろうと思います。

midomi 555曲をこえました

midomi の珍獣様ページはここ
 歌った曲の一覧は、レコーディングというタブをクリックして、全て表示。ダブってる曲やらCMソングみたいな短いのも入っているので、おおむね 500曲 は歌ったってことになると思われます。

 1000曲こえたら自分がどういう歌を歌っているか軽く分類して探しやすくしてみようと思っています。もともと midomi はうろおぼえの歌を鼻歌で探せる場所なんです。

◎midomi トップ
http://www.midomi.co.jp/

 パソコンにマイクがつながってる人(音声入力用で可)、内蔵マイクがついてる人は、とりあえず画面一番上の、音楽検索:クリックして歌って検索、というところから、鼻歌なりラララなりで適当な歌を歌ってみてください(ここでは録音されません)。最初はテストなので「春の小川」とか「ふるさと」とか、確実にありそうな曲がいいです。歌の途中からでもかまいません。鼻歌でメロディーを検索できるのがわかると思います。文字検索だとタイトルや歌詞の一部がわからないとみつかりませんが、鼻歌だったら歌詞もタイトルも覚えていなくても検索できるんです。ちょっとすごいですよ。

 もし、検索にひっかからなくても自分が音痴だなんて思わないこと。登録されてるデータにノイズが多いとヒットしないことがあるし、声質が似てる人ほどヒットしやすいみたいなので、たまたま自分の声と合うデータがないだけってこともあります。

 気に入ったらアカウントをとって録音もしてみてください。声の質が似ている人ほどひっかかりやすいような気がするので、同じ歌をいろんな人が吹き込んだほうがいいです。

いろいろネタがたまってるのに

 虫の写真とか、珍食ネタの変わった食べ物とか、食べ歩きの写真とか、おりがみとか、いろいろたまっているけど整理がつきません。とりあえず、まずはゲームの制作からやっちゃわないとねえ。

タグ:midomi

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ジャック・アマノ (12/27 15:01) 編集・削除

はじめまして。こんにちわ

実は「ナシウリ」の種を探しているのですが、こちらのHPにコメントがありましたので どちらで種を購入できるか教えていただけませんか。珍獣さんは金町近辺かなとおもいまして、わたしも隣町なのでよろしければおねがいします

珍獣ららむ~ (12/31 14:11) 編集・削除

 ジャック・アマノさん、こんにちは。ナシウリの種は千葉で農園をやっている方から戴いたもので、その農園でも自家用にちょっぴり作っているだけで販売はしていないそうです。

 もし、メールアドレスを教えてくださったら、千葉の農園の方の連絡先をお教えしますよ。商売でなさってる方ではありませんから、丁寧にお願いしてみてください。ナシウリが美味しいってことを世間に知らせたいっておっしゃっていたので、たぶん種を分けてくれると思います。

わたしのアドレスは
chinjuh2004でんでんむしyahooてんcoてんjp

ジャック・アマノ (01/08 10:53) 編集・削除

珍獣さん こんにちわ さっそく連絡をとりましたら梨瓜の種をわけてもらえることになりました 夏がたのしみです
ありがとうございました

珍獣ららむ~ (01/10 00:36) 編集・削除

そりゃよかった。
ナシウリはほんとにおいしいんですよ。
ぜひチャレンジしてみてください。
わたしも今年こそはもうちょっとまともなものを作るぞー!

すごい・すごく

 最近わたしは自分が「すごい」と「すごく」の使い分けができなくなっていることに愕然としてます。すごいスピード、すごい雨、すごい音、あなたはすごい……など、名詞にかかる時は「い」です。でも、すごく速い、すごくきれい、すごく疲れる、すごくややこしい、のように、形容詞や動詞にかかる時は「く」です。

 わたしは小さい頃には誰に習うわけでもなく「すごい数の星だね」「すごくきれいな星だね」と自然に言い分けていました。たぶん15、6年前から、若者言葉として「すごいきれい!」「すごいすてきー」のように、形容詞にかかる時にも「い」を使うようになって、それが面白いので、あえて「何それ、すごい小さーい!」なんて言い方を選んでしていたはず。この時点では、わたしはこの使い方が間違っていることを知っているし、たぶんまわりの人も不自然なのを知ってたと思うんです。

 ところがですね、はっと気づいたら、今は全員が、大人子どももおじさんやおばさんたちまでもが「すごいイイ服ですね」「すごいカワイイ」なんて言い方を平気でしてるんです。テレビでアナウンスの勉強をしたと思われるアナウンサーの人たちまで、素でしゃべっている時には言ってる。

 こうなると寒気がして、他人の言葉遣いをあえて直そうとは思わないけれど、少なくとも自分は昔のようにしゃべってみようと思い始めました。ところが、言葉というのは理屈ではなくリズムでしゃべるものだから、「うわー、今日はすっごい寒いー」なんて言い方がつい口から出てしまう。気温と無関係に背筋が寒いです。

 気づいてない人からすると、なんでそんなどうでもいいことにこだわっているのかと思うでしょうが、わたしは昔、このあたりの使い分けを、かなり精密にしていて(意識していたわけではなく、自然にそうしゃべっていた)、すごく健康、すごく自由みたいなものにも、ちゃんと「すごく」と言ってた。「健康」「自由」という単語自体は名詞なんでしょうが、自分は健康、自分は自由と言った時、自分という名詞を「健康」や「自由」が形容詞的にあらわしているので、すごい、ではなくて、すごく、だったんです(この説明が文法的に正しいかどうかは知らん)。「すごい健康」「すごい自由」という用法はあり得るのですが、「すごく健康」「すごく自由」とはニュアンスが違うので、使い分けてました。ところが今は全部「わたし? 元気元気、すっごい健康!」なんて平気で言ってる。これは痛い。昔は息をするのと同じようにできてた使い分けが今はできなくなってる。日本語の微妙なニュアンスの違いが自分の中で消えつつあるんですよ。恐いですねえ。

 人生を何十年もやってる自分ですらこんなんなのに、若い人の国語能力の低下なんて嘆けません。てめーのケツをふくのに精一杯です。はい。


# わたしはかつて、ちゃんと使い分けていたのに、今できなくなった、というのが恐いのであって、昔からずっと「すごい」オンリーで通してる人に、それは間違いですと言うつもりはないです。まあそういう人にはこの話題は通じないと思いますし、この程度のことを無理に通じさせる必要もないでしょう。

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てっちゃん (12/17 18:44) 編集・削除

分る気がします。
私自身も、油断してると「らぬき」言葉になっていることがあります。悪い事をしているわけじゃないから良いのですが。
うかつ感が拭えなくて。

珍獣ららむ~ (12/17 19:45) 編集・削除

 そうそうそうそう、そうなんですよ。ら抜き言葉も以前は間違いだとわかっていて使ってたはずなのに、今では自然と口から出てしまう。

 先日あるところで「食べることが可能である、という意味で正しいのは "食べれる" です。"食べられる" は "狼に食べられる" などの受け身の意味になるのが正しい」と言ってる若者に出会ってしまい、呆然としました。でも、悪いのは彼だけではないような気がしてる。言葉はリズムで覚えるものなので、いきなり難易度の高い応用編の言葉の海に放り込んで育てた我々大人がいけないの、ううう。

 ら抜き言葉はあくまで日本語の応用編みたいなもので、くだけた雰囲気をかもしだすための特別な言い方だったはず。なのに正しい使い方を間違いだと平然と言う人まで現れると、もう恐くて「その豚肉はまだ食べれる?」なんて言えません。言っちゃうんだけどね。

Sari (12/18 01:23) 編集・削除

ら抜き、私も、はっと気づいて一人で赤面したりします(@.@;)

「すごい」と「すごく」については、例のバリ人に鋭く突かれたときがあり、これまた赤面状態でしたが、うまく説明できませんでした~!(汗

以前、ミニストップの店内でしつこく流れていたCMソング
「しゃべれる食べれるコンビニエンス、ミニストップ!」は買い物している間中、耳について発狂しそうになりました。
あと、TVからよく聞こえた
「クジラのダンス、北の国のオーロラ、ありんこの涙、い~つかきっと見れるよね~♪」という鈴与グループのCMソング、これも鳥肌立ってました。
人のこと言えた義理ではありませんが、ああ堂々とやられちゃあ・・・

珍獣ららむ~ (12/18 12:19) 編集・削除

 わたしは詩歌の世界で使われるのは、実はそれほど気にならないんです。ミニストップの例で言うと

しゃべれる たべれる  ミニス トップ
1 2 3 4 ・ 1 2 3 4 ・ 1 2 3 ・ 1 2 3

…と、四拍子二回+三拍子二回の変拍子になっていて、このリズムが「ミニストップ」という一番聞かせたい部分をうまいぐあいに強調してます。

 前半の四拍子二回は、四文字言葉ならなんでもよいのかもしれないけれど、ミニストップは買った物をその場で食べられるように椅子とカウンターを用意しているコンビニなので、「食べられる」をアピールしたいのも理解できるんです。「たべれる」「しゃべれる」と砕けた物言いにして、気軽にちょっと立ち寄れる、いかにもコンビニらしい雰囲気も醸し出してる。わたしは良いと思います。でも、こういうのは「食べられる」が正しいことを知ってるから感じられることなんです。

 「いつかきっと見れるよね」は……うーん、こういう言い方をするととても語弊があるんだけれど、頭の軽そうな、というか天然ボケしてそうな感じの、もっと良い言葉で言ったら夢見がちな若い女の子(しかも昨今の)を連想させるためにはちょっといいですよ。クジラのダンスやありんこの涙からの続きですから。で、これまた正しくは「いつかきっと見られるよね」だと知ってるから感じられることです。

 そういう言葉遣い「も」ある状態にしておかなきゃいけないんです。「だけ」になったら恐い。

近況

ゲーム作ってます

 クリスマスに向けて新作ゲームを……と思うんだけれど、もしかするとクリスマスには間に合わないかもしれないです。クリスマス限定でなく、クリスマスやバレンタインデーのような行事にふさわしい内容を予定してますが、予定は未定なのでどうなっちゃうかわかりません。

人間は死ぬまでに何曲くらい歌を覚えるのか

 小学生の頃、隣のクラスにいる友だちが言いました。
「うちの先生は宿題を忘れた子に罰ゲームとして歌を歌わせる。前に歌った曲はダメなので、毎日忘れてくる子は歌える曲がなくなって困っている」

 こういったネタふりをされたら、普通の人だと「だったら宿題をしてくればいいじゃん」とか言うのかもしれないんだけれど、わたしは真顔でこう答えたのでした。
「毎日歌ってもたったの365曲なのに、なんで困るの?」

 友だちは、そんなに知ってるはずがないと言い張るんだけれど、わたしは絶対にそのくらいは歌えると言って引かない。そう簡単に確かめられることでもないので、この話はこれで終わり。たぶん友だちはこんな話をしたことすら覚えていないと思う。

 ところが、わたしときたら、大人になっても忘れられず、気になってしょうがない。一体自分は何曲くらい歌えるのか?

 実は当時、アニメソングばかり500曲くらい集めた歌集を持っていて、カバー見返しに平尾昌晃のコメントがついていた。「100曲知ってたらアニメ通、200曲知ってたらマニア、300曲知ってたら博士、500曲歌えたら宇宙人」的な内容だったんだけれど、どこかにしまい込んじゃって詳細は確認できない。

 このコメントにそそのかされて、知ってる曲に○をつけていったらその時点で300曲を軽く超えてた。なーんだ、簡単に一年分確保。宿題忘れなんか恐くない、恐くないったら恐くない。

 これに童謡(腐るほど知ってる)と歌謡曲(それほど知らないと思っていたけど、今になって思い返すと意外と知っているかも)と、国内外の民謡などをプラスすると、おそらく1000曲は超えるんじゃないかと想像してる。想像してるだけで数えたことはないんだけれど。

 最近、midomi という新しい遊び場にはまって、この疑問を解消すべく、日々データ入力にはげんでいる。現在 400 曲を超えたところ(ダブってる曲が少しだけある)。まだ余裕だね。何曲くらい歌うと「もうレパートリーがありませーん」って言えるか挑戦中です。

 そんなことする暇あったらゲームを作れよって話もちょっとあるんだけれど、言い訳すると、歌は肺機能のアップにつながるのでリハビリ目的もちょっとだけね。

http://www.midomi.co.jp/index.php?action=main.profile&username=chinjuh
↑ここから、レコーディングっていうタブをクリックして、「すべて表示」をクリックすると、すでに歌った曲の一覧が出てきます。「登録日」を二度クリックで最新順になります。新しいものほど歌唱力が上がってます(たぶんね)。あ、そうそう、こないだまでダメだった Opera にも対応したらしいです。

 なるべく人が歌ってないところを狙っているのでかなーり選曲がマニアックになっているかも。ここ数日、童謡・唱歌を攻めてます。自分の限界に挑戦中なのでリクエスト歓迎。童謡とアニメソング(古いのね。新しいのは知らない)にわりと強いです。

勘違いと思いこみの伝説

 これまでにも、さまざまな勘違いと思いこみ伝説を生み出したわたくしですが、先日またひとつ、新たなる伝説の発掘に成功いたしたのでございます。

ともとす(動詞)
 けむり、灰、ほこり、塵などをはらい清めること。また、それらで汚れたものをきれいにして輝かせること。例:煙と灰をともとして(チムチムチェリー)

注:「煙と灰を友として(供として)」です。中学に入るくらいまで本当にそういう言葉があると思っていたような気がする。日常用語と日常では使わない文語の使い分けをするくらいのセンスはあったので実際に使って笑われるような経験をしなかった。そこらへんが思いこみを深める要因になっている。

<これまでの思いこみ伝説>

  • 唱歌「線路は続くよどこまでも」で「遙かな町まで」の歌詞を「春、金町まで」と脳内変換して15年くらい育つ。
  • 唱歌「トロイカ」の「響けわこうどの歌、高鳴れバイヤン」という歌詞を見て、アコーディオンの親戚のワコーディオンという楽器の短縮形がワコウドで、バイヤンとともにロシアでは一般的な民俗楽器と思いこんだまま18年くらい育つ。途中で設定が追加され、ギターにアコースティックとそうでないのがあるように、アコーディオンのワコースティックタイプがワコーディオンなのだとも……(この設定誕生時にはアコースティックの意味も何らかの勘違いをしていた)  なお、最近は心配なので書き添えることにしているけれど、「わこうど=若人」ですので。
  • 唱歌「思い出(垣に赤い花咲く……)」の「そよ風に花ゆらぐ」の歌詞を「そよ風には、なゆらぐ」と読んで、垣根に咲いている赤い花が、そよ風に「なゆらいでいる」様子を想像したまま13年くらい育つ。揺らめくと同義語で、今でもそういう言葉がありそうな気がしてならない(ないよ)。
  • アニメ「海底少年マリン」の主人公は父親に改造され海の中でも自由に呼吸できるようになったが、代わりに長時間陸にいることができなくなった。常にウェットスーツを身につけているのは皮膚と同化して脱げないから、と思いこんだまま12年くらい育つ。
  • ハリモグラやカモノハシには腹に袋がないことを知っているのに、カンガルーと同じページに載っているからという理由で有袋類だと思いこんだまま20年育つ(ハリモグラは単孔類だけど育児嚢=袋があるって話は前に聞いた)

ポエムですか、間違いですか

 20年くらい前の、灰谷健次郎のエッセイだったと思うんだけれど、寿司屋へ行った時の話として、こんなエピソードを紹介していた。

 当時のことなので、寿司屋といったら回らない。カウンターには寿司ネタの並んだショーケースがあって、目の前で板前さんが寿司を握ってくれる。少し離れたところに子連れの夫婦がいて、子どもは目を輝かせて板前さんの手つきを見てる。

 すると、ショーケースの中で、海老がピシャンと跳ねた。それを見た子どもは大喜びで「海老が生きた!」と叫んだ。生きてる、でもなければ、生き返った、でもなくて「生きた」と言う。それを聞いた母親は「そうね、"生きてる"わね」とさりげなく言い直した。

 その光景を近くで見ていた灰谷健次郎は「あれは言葉遣いの間違いではなく、詩の誕生する瞬間なのだから、言い直す必要なんかないのだ。詩の芽をつみ取ってはならない」というような意味のことを書いていたと思う。はげしくうろおぼえなので文章は違っているはずだけれど。

 たしかにその通りで、今まで動かなかった海老が、急に跳ねたのを見て「生きた!」と表現するのはポエムだ。「生きている」や「生き返った」なんかじゃ表現できない、瞬間の驚きと喜びが凝縮されたすばらしい表現だと思う。

 でも、「お母さん、海老が生きたよ!」をポエムとしてとらえられるのは、「生きている」や「生き返った」という、一般的な言葉遣いを知っているからで、「海老が生きた」が日常的に使われるようになったら面白くもなんともない。

 わたしはかねがね、2ちゃんねるなどで使われているネット言葉にも近いものがあると思う。たとえば既に出ている話という意味でガイシュツと言うけれど、これはもちろん既出(きしゅつ)の読み間違い。最初はどこかの若いのが読み間違えたのをおちょくって言われたものだろうけれど、既出ではなくガイシュツと書くことで単に「既に出てる」以上のさまざまな感情が含まれる。だから面白い。面白いから新語として使われる。でも、これを面白いと感じられるのは、正しくは「既出(きしゅつ)」であると知っているからで、最初からガイシュツだったら面白くもなんともない。

 「おい、オマエら、○○について語ってくださいお願いします」なんかもそう。「おい、オマエら」などと乱暴な言葉で始めたら「語りやがれ」くらいの乱暴な結びがなければいけないのに「してください、おねがいします」と丁寧に結ぶ。その意外性が面白い。ポエムというよりお笑いの基本かもしれない。詩を書くことも笑いを取ることも、感動を生み出す作業としては同じことだ。

 萩本欽一が「なんだばかっ、このやろう……なのよ?」のようなギャグを言うことがあるけれど、坂上二郎とコントをしていたとき、言葉遣いが乱暴だと視聴者からクレームが来たので、「ばかやろうっ!」と語気を荒げたあとに頼りなさげに「……なのよ?」と付け加えたら笑いが生まれたのがきっかけらしい。こういう笑いも常識のないところには決して生まれない。正しくは(あるいは一般的には)こうである、という下地があるからこそ生まれる感動なのだ。

 子どもたちの日本語能力が極端に下がっているとニュースでも言われている。まあ、そんな話は明治の頃から言われていると思うんだけれど、昨今の低下っぷりは並大抵のことじゃないらしい。正しい言葉、一般的な言葉遣いを知らないで育つのは、会話がないせいだ。言葉は辞書を引いて覚えるものではない。会話のなかで覚えていくものだ。意味を知らずに発音だけが記憶され、家族や友人との会話の中で発音と意味が自然に結びつく。それが言葉の学習の正しい方法であって、辞書をひかなければ誰も意味を答えられないような単語は、遠からず古語や死語などと呼ばれるようになるだろう。正しい言葉をなくしたくないと思うのならば、嘆く前に語れ。会話しろ。たわいもないことを始終話しあえ。それはオマイら大人たちの役目なんですよ?

 灰谷健次郎が詩の生まれる瞬間と感じた時に、母親が言い直したのは、正しい言葉遣いを教えようとしたのではなく、ごく自然に口から出たものだろう。そんな些細な会話すら減りつつある今、詩は(お笑いは)どこから生まれ、どこへ消えていくのだろう。天国の灰谷先生、そこんとこどう思われますかー。

 ちなみに、灰谷健次郎の命日は11月23日です。思い切り旬を逃しました。

タグ:midomi

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こま (12/13 00:33) 編集・削除

言葉遣いでも何でもそうなんですけど、スタンダードを教える、つまり一般的なごく普通の教育がすごく難しい世の中かもな、と。

思い込みソングで有名なのは巨人の星の「重いコンダラ」でしょう。

ウキダカラ (12/13 02:36) 編集・削除

子供の頃、学生時代『蔦の絡まるチャペルで祈りを捧げた日♪』を『蔦野からマルチャペルへ祈りを捧げた日…』
蔦野さんという人がマルチャペルという人(あるいはモノ)にお祈りしている情景を歌っているんだとばかり思っていました。

意味不明の外国語だとばかり思っていた『モロビトコゾリテ』が『諸人挙りて』であり、コテコテの日本語だと知ったのは、三十路を過ぎてからです。

愚童 (12/13 10:03) 編集・削除

昔なんかのメルマガで仕入れたネタで恐縮ですが、尾崎豊の有名な曲「それからまたふたりメヲトジルよ」つてので「夫婦汁」とは何か真剣に悩んでゐるかたがをられたやうで(笑)

珍獣ららむ~ (12/13 10:48) 編集・削除

 あー、コンダラねー。あれは本当にそう思ってた人が大勢いるんでしょうか。わたしの周りでは「コンダラと思いこんでいた」とテレビで紹介されたのをきっかけに広まっただけで、誰も思ってなかったですよ(話としては最高に面白くて大笑いしましたけど)。それなのに、その後大勢が「コンダラだよね」と言いはじめたのが謎です。自分の中では思いこみの都市伝説的扱いです。

 あ、いや、何も大勢が勘違いしてなきゃダメってこともないんですけどね。こういうのは、長年ずーーーっと勘違いしつづけて、ある日突然「あれ、冷静に見ると、○○って意味なんじゃない!」と、脳内に蓄積された別の知識とカチンと紐づく瞬間が面白いんです。蔦野さんからマルチャペル氏への祈りなんか、かなりいいですね。こういう思いこみは「チャペル」という言葉を知らないから起こるんじゃなく、あまりにも小さい頃に覚えたせいでその歌の「からまるちゃぺる」が「からまるチャペル」が紐づかないまま記憶の奥にしまわれちゃうのが原因だと思うんです。だから、ある日冷静になって見直すと「えっ、なんでこんなの勘違いしてたんだろう??」となる。頭の中でカチンとスイッチが切り替わる音がする(ちまたで言われているアハ体験みたいなもんですな)。

 「夫婦汁」もそーとーいいですが、ぜひ自分のなかの思いこみ伝説を発掘してみてください。脳内には情報と情報をむすびつけるスイッチがあるんです。このスイッチが切り替わる瞬間が面白いんですよー。

 そういう、スイッチの切り替わる瞬間は、幼児期にはつねにつねに起こってると思うんです。幼児期のは切り替わるんじゃなくて、つながってなかったものが結びつくんですけどね。言葉のスイッチがオンになる瞬間を逃したまま大人になると、八つを「はちつ」なんて呼び方をして変だと思わなくなる。でも、間違いが見つかった瞬間にオンになればいいんです。「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……って数えるだろ。八番目は"やっつ"だろ」って言われた時に「あ、そうなのか。八つというのは"やっつ"のことだったんだね!」と、「八つ」と「やっつ」がつながればいいんです。スイッチオン、カチン。

 でも、もしここで、言われてもつながらないとしたら大変です。その子が育った家では「やっつ」は死語だってことなんですから。子どもの国語能力が低下してるんじゃなく、育てた大人の日本語の語彙が足りないのでしょう。

愚童 (12/13 12:31) 編集・削除

珍獣様にお勧めしたい本があります。入手困難だと思ひますが、図書館などで機会があれば下の本を、その第一章だけでも是非読んでみていただきたい。

ミシェル・レリス『ゲームの規則 ビフュール』(岡谷公二訳・筑摩書房)

タイトルを見ただけでは、読んでみたいといふ気を感じさせないかもしれませんが、言葉について幼時に形成された根拠のないイメージ(普通それはのちに訂正され廃棄されてしまふわけですが)に徹底的にこだわつて、それだけで書いた、といふやうな本です。マアふらんす人なのでふらんす語の話になつちまふんですけどね。

Sari (12/16 14:24) 編集・削除

ハチツねぇ、国語より、日本語の勉強をまず教えないといけないんですね。
日本人の子供が外国人と同じ状態なんですね・・・
家庭で日本語喋ってないのと同じなのか。
友人のバリ人も、「1が、ひとつ、一日、一回・・・ムズカシイね~」と言ってましたっけ・・・

昔、懐メロを聞いて「♪粋な黒塀~見越しの松に~♪」を
お神輿のマークが黒い塀に書いてあるのかと思いました。
分かっている今でも、神輿のマ~クを連想してしまいます(++;)

珍獣ららむ~ (12/17 10:04) 編集・削除

 ひょっとすると、「ひい・ふう・みい・よう……」という数え方が古風に聞こえるように「ひとつ・ふたつ・みっつ・よっつ……」という数え方が古くなってるのかもしれませんけどねー。

ゆう (12/17 12:15) 編集・削除

私もいくつかありますね。思い違いは童謡で多いです。

赤とんぼの「おわれてみたのはいつの日か」は「追われる」
だと思っていて、赤トンボが追いかけてくるってどんなことするとそうなるんだろうと考えていました。
「負われて(背負われて)」だと分かったのは20年近く経過してからでした。
分かったとたんにその歌の情景がスパッとあてはまり、2番以降の歌詞とのつながりも分かってひとりでかなり感動というか興奮というか不思議な感覚になりました。

珍獣ららむ~ (12/17 15:19) 編集・削除

 それもアリガチですねー。「ふるさと」の「兎美味し(兎追いし)」や「工場の月(荒城の月)」なんかも。わたしはどちらも初期の頃に勘違いに気づいて食べ頃を逃してしまいました。

 でも、「荒城の月」は、最初に覚えたその瞬間は、工場の高い煙突のそばに丸い月がかかっている情景を思い浮かべてましたね(入浴中に親から習ったのまで思い出せる)。そんでもって労働者たちがかかげる酒杯に月が映ってるの。杯は結婚式で使うような赤くて大きめのやつ(どんな想像やねん)。

愚童 (12/17 21:04) 編集・削除

やつと自前ネタを思ひ出した。といつても幼時のそれではなく、けつこう成長してからのだけど。薬師丸ひろ子の歌ふ「セーラー服と機関銃」の「都会は秒刻みのあわただしさ」が「都会は病気だ。身のあわただしさ」と聞こえてた。「都会は病気だ」との断定もそれなりに意味ありげだつたもので。

説明がつかない不思議なものの話

 マツドドンの記事(注:マスクラットの死体写真があるので勇気のある人だけクリックして)で、あきちゃんさんと話していて思い出したんですが、わたしはどう疑っても合理的な説明をできない変なものを一度だけ見たことがあります。

 それは今から17、8年前のことで、当時わたしは金町の駅前公団に住んでいて、最上階の焼却炉にゴミをつっこみに行きました。ついでに外の空気を吸おうと、洗濯干し場になっている屋上に出ました。

 昼間でした。屋上には人はいませんでした。うっすら曇った日で、風があったと思います。その建物は東と西の二棟がエレベーターホールでつながっているような構造になっていて、わたしがいたのは西棟の屋上です。

 ふと東の空を見ると、三角形で茶色くて平たい何かが東棟の向こうに飛んでるのが見えました。わたしは「あんなところにゲイラカイト(洋凧)? 広場で凧揚げなんかできるのかな」とのんきに考えました。東棟のむこうに広場があるので、そこで揚げているのかと思ったんです。

 でも、冷静に考えると、その建物は12階くらいありますし、あんな広場でそんなに高くまて凧を揚げられるものなのかな、といぶかしく思いました。

 しばらく見ていると、その物体が南の方へ(つまり右側へ)ゆっくり移動しているのに気づきました。残念ながら風がどっち方向に吹いていたかは思い出せませんが、風にとばされるような動きではなく、すーっと飛行船のように動いているんです。

 あら、凧じゃなくてトンビだったのねと、これまたのんきに見ていたのですが、その物体はわたしの見ている前でゆっくりと旋回しました。トンビだとすれば回ってもおかしくはないんですが、どうも何か違うんです。正直わたしは目がかなり悪いんですが、群馬に住んでいたときにトンビはよく見て知っているので、トンビの動きとは何か違うような気がする。

 これは後で知ったことですが、そもそも東京にはトビ(トンビの正式名称)はいないらしいんです。オオタカはたまに飛んでくるそうですが、とにかくそういう鳥の動きとは違って、もっと飛行船みたいなんです。まったく羽ばたかないし。いくら滑空のうまいトビやオオタカだって、たまには羽ばたくはずです。それにやけに動きが遅い。

 さすがに変だと思い、その物体が進む方向に歩いて行ったのですが、ゆっくり歩いてついて行けるような動きでした。途中にあるエレベーターホールに物体が隠れてしまったので、屋上の一番南のはしっこまで小走りで移動して出てくるのを待っていましたが、しばらく待ってやっと出てくるようなスピードでした。

 その物体は、三角形の頂点を前にして、すーっと南の方へ、滑るように飛んで行き、小さな点になって見えなくなりました。わたしが見ていた限りでは羽ばたいていなかったと思います。

 その物体までの距離がどのくらいあるのかはわからないんですが、そんなに遠くなく、しかも高くもなかったと思うんです。遠くて高かったら飛行機の可能性もありそうですが、それはちがいます(いや、いくら目が悪くても飛行機とゲイラカイトを見間違えるほど悪くないんですけど)。東の方角を見ていた時と、南へ飛び去るのを見送った時で、見る角度が変わってますから、下に見える町並みとの位置関係などで、大きさと距離をある程度立体的にとらえらえてると思うんです。だから、飛行機じゃない。鳥やゲイラカイトくらいか、それより少し大きいくらいかな、と思います。

 もし鳥だとしたら何かも疑ってみようと思うんですが、たとえばカラスは羽ばたくので違います。一番近いのはトビかオオタカあたりですが、わたしは違うと思うんです。先に書いたとおり、トビだったら群馬でよく見て知っていますし、それとは違うと思ったので変だと思ったのです。また、ずっと見てたのに一度も羽ばたいていませんでした。結局なんだかよくわからないまま今日に至っています。

 ところで、わたしは一度だけ、UFOコンタクティーの秋山眞人さんと会ったことがありまして、その時この話をしたら、秋山さんは集合無意識の話をしてました。生まれも育ちも年齢も違う見知らぬ人たちが、同時期に同じことを考えたり、同じようなありえないものを見てしまうことがあるっていうんです。ちょうどその頃、世の中では三角形のUFOが頻繁に目撃されているとか。そして、そういう目撃例が増えた頃に、ステルス戦闘機が華々しく現れたというのですよね。

 あ、そこ、居眠りしない。だんだん飽きてきたでしょう。しかも話がいかがわしい(笑) なんで金町の屋上で見たものがステルスに結びつくのか、アホかこいつは、なにトンデモなこと言ってるんだと。まあ、その通りなんですが、とりあえず先を読んでくださいな。

 ええと、ステルス戦闘機というのは、レーダーに映らない戦闘機として有名なんですが、黒くて三角で、平べったくて、航空力学の専門家でも「なんであれが飛んでるのか不思議だ」なんてことを言うそうです。まあ、それでも飛んでる理由はちゃんと説明できるんだと思います。UFOの原理で飛んでるなんてことは申しません。

 ただ、レーダーに映らないとか、飛行機らしからぬ平べったい三角形のフォルムなどが、ニュース映像で見てさえも「なんじゃありゃっ?!」と思うような衝撃的な印象を受けるものなんです。

 そのステルスが開発されたことと、世の中で三角形の平たい未確認飛行物体が目撃されたことは、決して無関係じゃないと、秋山さんは言うわけですよ。ステルスの飛行実験を目撃したんだとかいう落ちではなくて、人類の集合無意識の中に「三角形で平たい空を飛ぶ物体」が芽生えて、いろんな人が「見た見た」と言ってるうちにステルスが本当に発明されちゃった……いや、逆かも。地球のどこかでステルスみたいなセンセーショナルなものが開発されていたことが集合無意識を通じて人々に伝わって、三角形の空飛ぶ物体を人々に見せているのかもしれないと。

 何が言いたいかというとですね、30年前にだれかが見たマツドドンは、ひょっとしたらマスクラットだったかもしれないんだけれど、その騒ぎのおかげで大勢の人たちが謎の生物を期待して江戸川沿いに集まったわけです。この期待感は、マスクラットよりも大きい謎の生物を実体化させるに充分なエネルギーを持っているんじゃないか……あ、またそこ、寝てるでしょう。

 ちなみに、秋山さんに「集合無意識」と言われた時、「ひらたく言うと、あんたは幻を見たんだよ、って言われてるんだね」と心の中で軽くガッカリしましたよ。よりによってUFOコンタクティーなんかに幻扱いされてしまうとは……orz 宇宙人の偵察機とかだったらちょー嬉しいと思ったのになー(そっちのほうがよっぽどイっちゃってることは確かなんだが)。


 あきちゃんのマツドドンに関しては、集合無意識に見せられた幻なんかより、普通に何かがそこにいた可能性のほうが高いと思うんですけど、マスクラットより大きくて、自由に潜水したりする生き物……と考えて、ふと思いついたのはカワウソ。さすがに牛ほどは大きくないけれど、マスクラットよりはずっと大きいですからネズミには見えないです。もちろん当時だって江戸川にカワウソなんかいやしないと思うけれど、ひょっとして誰かが逃がしたのかなって。カワウソにかぎらず、何かの理由で誰かが逃がした生き物が、その時期にだけ江戸川にいた可能性はあると思うんです。


# わたしの三角形の目撃談は、かなり頑張って状況を説明してるつもりなんですが、それでも信じない人は「鳥なじゃん?」とか言うと思います。写りの良い写真もない状態で、見慣れないものの存在を人に信じさせるのは不可能なんです。
# それでもこういう話をしようとしたら、可能な限り状況を詳しく、しかも客観的な書き方をする必要があります。未確認生物・未確認物体の目撃情報は、思いこみの産物としか思えないようなものが多く、常識派から相手にされにくいのです。
# ま、どんな書き方をしても、バカにする人はしますけどね。実際わたしも自分で見てないものは信じないですから。

コメント一覧

珍獣ららむ~ (12/06 18:40) 編集・削除

 せっかくだから変なもの目撃情報を追加で。思えば金町の駅前に住んでた時は、さまざまな変なものを見てました。

 三角形の物体を見たのと同じ屋上で、夜10時か、もうちょっと遅い時間に星を見ていて、そろそろ部屋にもどろうとふりかえったら、空から光る物体がふってきた。炎が見えたのでかなり近かったと思う。大きさはせいぜい人のこぶし大くらい。一瞬で消えてしまい、どこに落ちたのかもわからないけれど。

 流星だったらすごいとよそで話したら「花火の燃えかすなんじゃないの?」と言われました。たしかにその可能性はあって、近くで花火でもあげてたんなら、それで正解です。

 が、しかし。見たのは12階くらいある大きな建物の屋上で、その物体はさらに上から落ちてきました。そこらの公園で一般人があげるような花火って、そんなに高くまで上がるものなんでしょうか。それらしい音もしませんでしたし。

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 今、キーワードがひらめいたので調べてみたら、ロケット花火は30mくらいまで上がるそうです。

http://www.hanabistore.com/spcart/p6-1.htm

 すると、何かのはずみで屋上より少し高いところまで上がっちゃってもおかしくはないかな。音がしなかったのが不自然な程度。ということは、夜屋上で見たのは花火の燃えかすかもしれない。

珍獣ららむ~ (12/06 18:43) 編集・削除

 そういう変なもの目撃体験はまだあるんです。同じく金町の団地から。

 自分の部屋(4階でした)の窓から。昼間でした。午後ですがまだ明るくて、夕日が見えないくらい曇ってました。遠くまで雲の切れ目はありません。

 その状態で、近くのビル(たぶん4階か5階くらいの高さ)より少し低い感じのところを、ピュッと光る物体が横ぎりました。ものすごい早さで横切り、光って消える様子は流星に似てました。上から落ちるんじゃなく真横に飛んでる感じでした。わたしはビルの手前だと思ったけれど、一瞬だったので向こう側かもしれない。なんにせよ、あきらかに雲より下なんです。

 この話もよそでしたら、昼間でも流星が見える可能性はあって、しかも本当は雲より高いんだけれど、低く見える場合があると言われました。たぶん下の図のような感じ。


雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲
雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲
空空空空空空空空空空空空空空空空
   ☆---------
地面地面地面地面地面地面地面地面

 ☆は雲より高いところを飛んでいるんだけれど、遠くの雲の切れ間から見えているので、雲の下にあるように錯覚する。理屈はよくわかるんだけれど、こういう状況じゃなかったと思うんですよねー。見える限り遠くまで雲ってましたし。



 こういう、説明がつかないようなものを見る反面、あきらかに説明のつくものも見ました。夜、部屋の窓から外を見ると、空に薄暗い光が丸く横切って行きます。一度ではなく、何度も横切ります。しかもふたつ並んで。

 一瞬ドキドキしましたが、はっと思い当たりました。少し離れたところに中川の土手があり、土手の上に車が通れる道があります。たぶん土手に登っていく車のライトが雲にあたって見えるんですね。そう思って見ると、つねに同じ場所、同じ方向に光が動いてます。車のライトって、意外と遠くまで照らせるんですね。


 また、同じ部屋から、夕暮れ時の西の空に、明るく光る小さな物体が飛んでいるのも見ました。遠かったけれど、形は短くて細長い感じに見えました。とても明るく、バラ色に光っているので、一体なんだろうって最初は本当に不思議だったけれど、正体は飛行機のようです。別の場所で同じようなものを見ましたが、常にコンディションは一緒で、夕暮れであること、空が晴れていて、西の空であることなどから、短くてすぐ消えちゃう飛行機雲を引いて飛んでる飛行機に、夕日が反射してそう見えるんです。とてもきれいな現象です。中川土手あたりで夕焼けを見てるとたまに見えます。

愚童 (12/07 00:05) 編集・削除

「Xファイル」(1993年放送開始)のわりと最初の方で三角形のUFOが出てた気がします。珍獣様の目撃の時期とわりと近い気もしますがいかが。(初めまして。私、幼時に「車にはねられたけれどどうといふこともなかつた」事件といふ珍獣様と共通?の体験をもつ者です。ただし自分ぢや記憶してませんし、飛ばされたのも、4、5メートルださうですが。以前貴サイトを訪問して、最近ひさしぶりに来てみて、珍獣様の性別やら、最近の種々ヘヴィな出来事も今回初めて知りました。怖くて全部は読めませんが。活動してやまぬ珍獣様の博物誌的知に目をみはるばかりです。どうぞよろしく)

珍獣ららむ~ (12/07 20:46) 編集・削除

 あら、交通事故仲間ですか。よろしくお願いします。わたしもはねとばされた瞬間は覚えてないですねえ。道を渡り始めたのは記憶にあるけど、その次はもう転んでいて両膝をすりむいてました。すりむいた膝は痛かったけど、ぶつかって痛かったという記憶がぜーんぜんないです。不思議なもんですね。

 三角形の物体を見たのは80年代の終わりくらいだったと思います。手塚治虫が死んだ1989年には確実に東京にいたので、その前年とかだったと思うんですよね。たぶんその頃にあいついだ目撃例がXファイルのネタになってるんでしょうねー。