一丁表
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko04/bunko04_00660/bunko04_00660_p0006.jpg
↑ここの左部分
養蠶重寶記(蠶は神かんむりに虫)
一 世にいずれの名人養蚕記をいたしあり
といへども男女童子ともに至り文字の
よろしきかたき事にてはわかりかねる
ゆへに文字のはたらきにかかわらず
一丁裏
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko04/bunko04_00660/bunko04_00660_p0007.jpg
↑ここの右部分
心にかなへるのみ第一に書しるし
・
信州小縣郡上田在まいた
南向堂重清
説明と読めなかった部分のメモ
目次の前に序文めいたものがついているのに、さらに南向堂先生の前書きがついてるという念の入りよう(笑)内容としては、老若男女だれにでも分かるように書きました、ということでしょうか。
「まいた」は地名のようです。長野県小県郡に明治まであった舞田村のことかと思います。
一丁とか二丁とかいうのはページのことですが、序文から目次まで通番になっていて、本文の冒頭でリセットされてまた一丁から始まってます。
今の本とはページの振り方が違い、紙一枚分が一丁です。一丁の表を読んで、ページをめくると一丁の裏になります。
最後の方に全く読めない部分がありました。赤線を引いたところはなんと読めばいいんでしょう??
追記
この本では蚕の文字が三種類使われています。「蚕」「蠶」と、もうひとつは「神」の下に「虫」を書く文字で、パソコンでは表示できないと思います(たぶん)。
今でも農家では蚕を呼び捨てにはせず「お蚕」「お蚕さん」「お蚕様」などと丁寧に呼びますが、江戸時代はもっと大事にされていて、神と同じものだくらい言われてたようです。「神/虫」という文字も、そうした気持ちから作られたものかと思います。国字だと思うけど、未確認です。
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