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天城山隧道(旧天城トンネル)

暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。

川端康成『伊豆の踊り子』より

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▲天城山隧道。伊豆の踊り子に出てくるトンネルだそうです。 国道414号の旧道にあります。

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▲苔むして読めないプレート。

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▲トンネルの構造を説明する案内板。総長446m 幅員3.5m 有効高3.5m 標高708.74m 総工費10万3018円 完成明治38年。「石巻」という工法で作られており、馬蹄形の断面。大仁町吉田地区から切り出された吉田石が使われている。

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▲道は舗装されておらず、道幅は普通車がやっと一台通れるくらい。通りがかった人に聞いたところ、以前はトンネルの中に灯はなく、提灯を借りて徒歩で見学したとのこと(いつごろの話かはききもらしました)。

 今は車が通ってもいいみたいですが、すれ違うほどの幅がないので鉢合わせたらどちらかがバックするしかありません。ここまで来る道も狭くてまがりくねった道でした。どのくらい人が来るのかわかりませんが、渋滞するとそうとうイヤンな感じだと思います。

タグ:伊豆

浄蓮の滝とその伝説

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▲浄蓮の滝

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▲見事な柱状節理

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▲山葵田

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▲沢は釣り堀になっている(入場有料)

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▲伊豆のいたるところで見られる踊り子と青年の像

浄蓮の滝の伝説その1:入水した弁天様

 むかし、このあたりには山崩れが非常に多かった。滝の近くにあった浄蓮寺が山崩れで壊滅した時、寺にまつられていた弁天様が自ら立ち上がり、滝壷に身を沈めた。それ以来、この滝と谷筋は崩れることなく、多くの人たちが滝をおとずれるようになった。滝の名前は弁天様がまつられていた寺の名前に由来する。

浄蓮の滝の伝説その2:滝壷に住む女郎蜘蛛

 ある農夫が昼寝をしていると、女郎蜘蛛が足に糸をかけて巣を作っていた。農夫がその糸を切り株に結んで農作業に戻ると、切り株はメリメリと音をたてて滝壷に引きずりこまれた。あの女郎蜘蛛は滝壷の主であったかと、人々はおそれて滝に近付かなくなった。

 またある時、よそから来たきこりが滝のほとりで木を切っていたところ、うっかり斧を滝壷に落としてしまった。そこへ美しい女が現れて、この斧はあなたが落としたものでしょうと言う。女は自分に会った事を決して他言してはならないと言い、斧を手渡して姿を消した。

 きこりはその女が滝壷の主の化身だと思い、長いこと口をつぐんでいたが、ある日とうとう酔った勢いで話してしまった。そうして酔いつぶれて眠ると、二度と目を覚ます事がなかった。



 どちらも浄蓮の滝周辺にあった案内板に書いてあった話。切り株が滝壷に引きずり込まれるのも、このあたりに山崩れが多かったことを表しているそうです。二枚目の写真を見ればわかるように、溶岩が冷えてできた柱状節理の岩なので、ちょっとしたことで山崩れをおこしたのでしょう。

追記

 女郎蜘蛛の話は『日本の民話7 遠江・駿河・伊豆編』に出ています。

タグ:伊豆 伝説

熱川バナナワニ園にある世界最大のタネ、しかしツッコミどころはそこなのか?

 伊豆旅行記です。まとめはこのへん>http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1459


 伊豆といえば熱川バナナワニ園です。ドラえもんの道具をとり出すみたいな口調で「あーたーがーわーばーなーなーわにえんー」と読むと心が踊るあの熱川バナナワニ園です。

 名前の通りワニがいます。もちろんそれもすごい。すごいけど、今回は別のものに注目してみたいと思います。

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▲世界最大の植物のタネ。

 熱川バナナワニ園は熱帯植物の栽培もややっています。その一環として展示されているこのタネ。セーシェル諸島にはえているフタゴヤシという植物の実だそうです。

 なんでも、まだセーシェルが発見されていなかった頃、海岸に流れ着くこの実を見て、ヨーロッパ人は海中に生える植物の種だと信じていたとか。

 世界最大というだけあって確かに大きいんです。子供が二人でかかえている写真が添えられていますが、枕かクッションみたいな大きさですね。重さはどのくらいあるんでしょうか。

 しかし、ツッコミどころはそこだろうかと思うわけです。この種の前を通る人が、一瞬立ち止まり、みな何かを感じつつも、気付かなかったふりをして「大きいわね」などと口走ってそそくさと立ち去る、その居心地の悪さはなんなのか。

 ズバリ言って、これ、エロくない?

 エロいよね、絶対エロい。間違いなくエロい。どう見ても女性の下半身、ふくよかな腰とお股にしか見えない!!!

 ああ、すっきりした。思ったことはズバリ口に出したほうがストレス解消になっていいわよ。うん。


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▲キャベツを食べるマナティー。マナティーは鳥羽水族館にもいますが、あそこにいるのはアフリカマナティー。熱川バナナワニ園にいるのはアマゾンマナティーです。

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▲美しい熱帯スイレンの数々。

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▲白いイリエワニ。

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▲湯煙をあげる温泉櫓。熱川バナナワニ園は、大地にみなぎる地熱パワーを利用して運営されているのです!


 あと、写真にはとりそびれましたが、ここにはレッサーパンダが沢山います。すごく近くでみられます。彼らは風太くんのように直立したりはしませんが、じゃーじゃーシイコして、またぐらを木にこすりつけてマーキングしてるのとかを目の前でみせてくれました。かなり熱烈でした。

 ちなみに、レッサーパンダはあちこちの動物園にいますが、たいていの動物園にいるのはシセンレッサーパンダという地域亜種です。ここにいるのはニシレッサーパンダ(ネパールレッサーパンダ)といってヒマラヤあたりに棲息するもので日本唯一の展示だそうです。

◎熱川バナナワニ園
http://www4.i-younet.ne.jp/~wanien/index1.htm

タグ:伊豆 植物

伊豆・稲取の八百比丘尼

 石巻へ行った話なども書きたいのですが、とりあえず伊豆の写真をどんどん貼ってしまいたいと思います。

 下の写真は稲取で写してきたものです。八百比丘尼(やおびくに)の像だと言われているそうです。

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 八百比丘尼伝説というのは大ざっぱに説明すると次のようなお話です。

・浜に流れ着いた人魚の肉を父親が持ち帰る(竜宮から持ち帰るという話もある)。
・人魚の肉を食べれば永遠に死なないと言い伝えられている。
・父親は気味が悪いから食べてはいけない、捨ててしまえと言う。
・娘は隠れてその肉を食べる。
・娘は歳をとらなくなり、両親が死んでも若い娘のまま生き続ける。
・尼になり、全国を行脚し、八百歳くらいで死ぬ(あるいは入定する)。

 とても不思議な話です。手塚治虫の『火の鳥・異形編』はこの伝説をモチーフにしています。

 冒頭に貼った写真中央の石像はその八百比丘尼の姿をかたどったものだと言われています。といっも、地元では賽の神(道祖神)だとしか思われていなかったそうですが、折口信夫が石像の持ち物から八百比丘尼であろうと言ったことから、そう考えられるようになりました。

 今では崩れて跡形もありませんが、もとは手に椿の小枝と草履を持っていたそうです。その「椿」こそが八百比丘尼である証拠だと折口信夫は書いています。壊れてしまっているのが本当に残念です。
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文学篇の扉の処に出した「八百比丘尼」の石像は、四年前の正月、伊豆稲取のれふし町で見つけたもので、おなじ本の中にある房主頭の「さいの神」、帳面をひろげた女姿の「さいの神」らしいものとの間に、すゑてあつたのである。此神像は、土地の人すら、唯「さいの神」とより、今では考へて居ない様だ。が、左に担げた、一見蓮華らしい手草(タグサ)が、葉の形から、椿と判断する外ない。

折口信夫『古代研究 追ひ書き』より
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46948_26566.html


 そういえば、姥神様とか、なんとか婆様と呼ばれる老婆の像が各地にあります。たとえば下の写真は長野県の遠山郷というところで写してきた「おさま婆様」の石像です。
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http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1168

 あいにくと手持ちの写真はこれだけですが「姥神様」で検索するとさまざまな作例がみつかると思います。たいていは片膝を立てた座像で、手に杖を持って、恐い顔をしていたりします。三途の川のほとりにいるという脱衣婆なども同じような姿で作られます。

 稲取の八百比丘尼は顔も手も欠けてしまっていますが、ポーズのとりかたが「○○婆様」「姥神様」に似てると思いました。

 『古代研究 追ひ書き』には山の女神が山姥や八百比丘尼に変化していったことも書かれており、我ながら目の付け所は間違っていなかったとほくそ笑みました。

タグ:伊豆 伝説 寺社幻獣 神社仏閣

伊豆稲取のチャーハンは変わっている?!:肉チャーハン

 伊豆・稲取あたりを歩くと、町に「変わったチャーハン」などと看板が出ています。その看板を出しているのは「ふるさと」という中華料理店(片瀬白田駅の近くにある)です。

 その店だけで出すチャーハンだったら、どんなに変わってたってただの色物です。ところが、稲取周辺のあっちこっちの店で、その変わったチャーハンなるものを出すらしいのですよね。

 すでに観光の目玉になっているらしく、チャーハンめぐり用の地図まであったりします。どこか入ってみようと思い、何軒かたずねあるいたのですが、おとずれたのが火曜日でお休みだったり、夜からのお店だったり、盆休みをずらしてとってたりなどで、あいてる手ごろなお店が稲取の「浜っ子」でした。

 浜っ子は普通の中華料理店です。普通の、といっても関東だと「昭和の香りがする」などと言われそうな昔よくあったタイプの中華料理店ですね。

 こういう店に駐車場があるかなあと不安でしたが、店の前にけっこう広い駐車場がありました。有名なお店らしく、夏は海水浴がてら遠くから食べに来る人が沢山いるみたい。止まってる車のナンバーを見ると、関東だったり中部地方だったりいろいろです。

 店の中もたいへんな賑わいです。テーブル席も座敷も埋まっているのでカウンターに陣取りました。昔ながらの中華料理店ですから、カウンターに座ると厨房がすっかり見えます。

 料理人の服を着ているのは旦那さんですが、手伝いに来ただけよというオーラをだしつつ厨房をしきっているのはおかみさんでした。普通の中華料理店なのでメニューにはラーメンなどもあったよな気がしますが、来る人が注文するのは圧倒的にチャーハンです。おかみさんは細腕というにはたくましい腕で中華鍋をふるいつつ、大ざっぱ豪快にチャーハンをしあげていきます。料理人の服を来た旦那さんのほうは、おかみさんの迫力に手を出せず、おはこびにまわるなどしている様子。

 同行したおともだちは、それを見てしきりに面白いを連発。でもお店では旦那さん大人気で、お客さんから「おやっさん、今年も来たよ」などと言われていました。

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▲これが変わったチャーハンだ! 浜っ子の肉チャーハン 850円。

 変わったチャーハンは、正式には「肉チャーハン」と呼ばれています。ご飯部分は普通のチャーハンで、上にキャベツと肉を炒めてとろみをつけたあんをかけてあります。関東だと「あんかけチャーハン」という名前で似たようなものを出してるお店はあるかもしれません。

 味はですね、見たまんまだと思います。もちろん美味しいですが想像通りの味ですねー。町の中華屋さんで出してるものだからそれでいいんですよ。町で普通に食べられているものがよそから見ると変わっているというのが面白い。量がかなりありましたがぺろりとたいらげました。ごちそうさま!

 なんでも、肉チャーハンの元祖は稲取の「かっぱ」という店らしいです。そこで修業したお弟子さんなどがあちこちで開業してこの地方の名物になったとか。そういえば、ネットで検索してみると、浜っ子も ふるさと も、お皿のデザインがそっくり。店の感じも似てるみたい。

http://gourmet.inatorionsen.com/
 こんなサイトをみつけました。稲取温泉観光協会がやってるブログらしいです。カテゴリーの肉チャーハンを見ると、浜っ子やかっぱのことが書いてありました。

 地元で配られてる肉チャーハンマップにはもっと沢山お店が掲載されてたような気もしますから、けっこういろんな店で食べられるんじゃないでしょうか、肉チャーハン。次に行くことがあったら別のお店にも入ってみたいなー。

 東京の浅草に稲取のアンテナショップがあるって書いてありますね。調べると2009年末くらいに開業したらしいですが、今もあるのかなあ。
http://event.inatorionsen.com/tag/this%E3%80%80%E4%BC%8A%E8%B1%86%E3%80%80%E7%A8%B2%E5%8F%96%E3%82%84/
↑住所で検索すると、google map のストリートビューには、まだ稲取やがあるのですが、地図そのものには京丹後やという店名が書いてあります。その京丹後やも、2010年まではやってたようですが、その後どうなったかはネット情報ではわからないですね。

 浅草なら遠くないので行ってみようと思ってたんですが、仮にあっても京丹後は稲取となんの関係もなさそうだし、なんだか残念です。そのうちチャンスがあったら前まで行ってどうなってるか確認してきますけど。

タグ:伊豆 郷土料理