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蜂天国っていうやつが意外とすごい?!

 長野旅行の続きです。小諸方面とか言いつつ、どうもわたしが行った場所は東御市ってところらしいです。高速の小諸インターから近いので、小諸市内だと思いこんでました。

 で、前の記事に書いた為右衛門蕎麦の草笛は、東御市ってところにある「信州そば処ふるさとの草笛」なんですが、その隣に蜂天国というのがあります。

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▲蜂天国

 名前を見ると、蜂専門の昆虫園かなにかのようですが、ちょっと違うんです。ここにあるのはキイロスズメバチの巣を連結させて造ったオブジェです。

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▲館内の撮影が許可されてるかわからなかったのでパンフレットを写しました。

 縮小された写真だと雷おこしか何かのように見えますが、この富士山やスペースシャトルは、キイロスズメバチの巣を何十個もつなげて作ったオブジェで、全長何メートルにもなる大作です。

 展示はオブジェばっかりです。スペースシャトルみたいな大作だけでなく、大黒様の頭の上にくっつけてみた蜂の巣、犬小屋の中に作らせてみた蜂の巣など、数限りない謎のオブジェが展示されています。一歩間違うと秘宝館になりそうなテイストです。

 でも、よく考えるとやってることはすごいんですよ。だって、誰が複数の蜂の巣を連結させてみようなんて考えるでしょう。種類によって混ぜても大丈夫だとか、そんなこと思ってもみないじゃないですか。

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▲オブジェ製作風景です。逆光とガラス越しの写真でわかりにくいんですけど、木彫りの龍かなにかを逆さに吊って、キイロスズメバチの巣をぶらさげてあります。巣は下にむかって大きくなるのでこういう製作風景になるらしいです。

 キイロスズメバチは不思議な性質を持っています。オオスズメバチにしても、コガタスズメバチにしても、ほかの巣をもってきて近くに置いたら同種でも殺し合ってしまいます。

 ところがキイロスズメバチだけは、同じキイロ同士ならば共同して仕事を始めるんだそうです。

 蜂天国のオーナーはスズメバチの巣を駆除する仕事をしています。キイロスズメバチの不思議なその性質を知り「凶暴なだけの害虫じゃない、すぐれた建築家」としてのスズメバチの魅力に魅せられてオブジェを作りつづけているそうです。

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▲館内にはこんな写真もありました(これもパンフレットから写しました)。オーナーが体に蜜を塗ってスズメバチになめさせているところです。蜜蜂でこれをやる人はいますが、スズメバチとなるとこの人だけでしょうね?!

 体にとまらせるところまではいいとして、おっぱらう時に刺されやしないかとハラハラしますが、そこにもオーナー独自のノウハウがあります。水でもお湯でもない、ぬるま湯を上からそーっとかけることでハチを刺激しないで追い払えるんだそうです。

 もちろん安全対策をした上での実験です。オーナーの奥さんが看護師で、医師にも付き添ってもらったからできたこと。受け付けのお姉さんが「オーナーも『若いからできたことだね』と言ってましたよ」と笑っていました。


◎蜂天国
http://hatitengoku.okoshi-yasu.com/

タグ: 長野

小諸の草笛という店の為右衛門蕎麦がすごい

 長野旅行記です。順番が前後しますが20日は小諸(こもろ)をまわりました。まわったといっても昼食を食べて一ヶ所観光しただけなんですけどね。 # 小諸市内だと思い込んでたけど、行った場所は東御市内らしいです。適当なこと書いてすみません。

 小諸は車だとわりと近いんです。この日は三郷西インターから外環に乗って、大泉JCTから関越へ。藤岡JCTから上信越自動車道へ入る感じです。関越の鶴ケ島JTCあたりで少し渋滞することがありますが、三郷西から2時間半もあれば到着する感じです。

 そのつもりで今回は遅めに家を出たんですけど、途中で事故渋滞が3回くらいありまして、予定より1時間半も遅れた小諸到着になりました。

 まずは腹ごしらえです。小諸といえば信州蕎麦なんじゃないのってことで、ネットでどこが有名か調べました。草笛という店が有名っぽいので入ってみることに。

 ネット情報によると、為右衛門蕎麦とかいう謎のメニューがあって、なんでも丼てんこ盛りの蕎麦が出てくるらしいんですよね。うまいのそれ?
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 これが為右衛門蕎麦のメニューです。序の口、小結、大関、横綱……なんで相撲?

 実は為右衛門は江戸時代の力士、雷電為右衛門(らいでんためえもん)*1のことなんです。雷電はこのあたりの出身で生家も残っているそうです。

 その雷電の名前をつけた蕎麦とは一体どんなものなのか?!

 ネタなので頼んでみました。大関までだったら複数名で頼んでもいですよ、ということなので、ともだちと二人で大関 1700円を注文しました。

 出てきたのはこれです!

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 毎度のことですが写真って難しい。実物はもっとすごーく大きく感じるんですよ。だってこの丼、丼じゃなくてすり鉢なんだもん!!

 すり鉢に蕎麦がこれでもかっていうくらい入ってる。うろおぼえだけど大盛りに中盛り二個とか言ってたでしょうか。なんせとにかく蕎麦てんこ盛りなんです。上げ底一切なし、底まで全部蕎麦。

 で、その上に大きな掻き揚げと、相撲取りの大銀杏(まげのこと)に見立てたえのき茸の天ぷらが大胆に飾り付けられています。

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 そんでもって蕎麦なのに巨大で分厚い煮豚が四枚くらい入っちゃってるんですよ。もうなんなんですかこれは!

 普通の人は滅多に頼まないらしく、運ばれてきたとたんに「これが為右衛門そばですか! 見せてもらってもいいですか」って、となりで食べてたお爺ちゃんが寄ってきたのが最高に面白かったです。

 ちなみに丼(いや、すり鉢)に入っているけどかけ蕎麦ではなく盛り蕎麦のたぐいです。そばちょこのつゆでいただくタイプですから念のため。

 見た目は完全に色物。味は二の次だろうって思ったら、とんでもない、これがけっこう美味しいです。

 といっても、東京で食べる蕎麦とは美味さの質がちょっと違うような気がします。東京では蕎麦にもコシを求めると思うんですが、小諸の蕎麦はやわらかくてもっちりしてる。コシはないけどのど越しがいい感じです。二八だと思ってたけど、公式サイトによると七割だそうです。

 蕎麦自体には香りはあんまりなくて、つゆにはかつお節のいい香りがします。そのつゆに薬味としてクルミで作った甘いペーストを入れるんです。これが美味しい。

 わさびと大根おろしもついてくるんですが、小諸の蕎麦にはなぜか合わないです。クルミ最強。

 クルミのペーストで思う存分食べた後に、最後に大根おろしをつゆに入れると、かつお節の香りがふわっとたって、後味がきりっと引き締まる感じなんです。大根おろしは最後の最後がいいと感じました。

 美味しい美味しいってツルツル食べてたんですが、さすがに大関は多かったです。二人でもう無理っていうくらい食べたのに、丼(すり鉢w)の中には一人前以上の蕎麦がのこってしまい、もったいないけどとても食べ切れませんでした。

 三人か四人くらいで大関をたのんで、それだけだとお店に悪いので蕎麦を肴に日本酒かビールを飲んだら美味しいし楽しいし、思い出に残りそうですね。

◎信州蕎麦の草笛
http://www.kusabue.co.jp/

*1:生涯に972戦して10回しか負けてないのに横綱になれなかった無敵にして不遇の力士。八百長を嫌い、悪いやつを土俵上で投げ殺してしまったため横綱になれなかった、というのは史実ではなく講壇ネタだそうですが、そのような伝説の持ち主です。

タグ:長野

岩塩ではない、温泉を煮つめて作る山塩の話

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 大鹿村歌舞伎の記事にチラッと書いた鹿塩(かしお)の山の塩はこれです。

 長野県大鹿村には二種類の温泉が湧くそうですが、そのうちのひとつ、鹿塩温泉のお湯は塩分を多く含んでいて塩からいのです。伝説によれば、鹿が泉をなめているので発見された温泉とのことです。

 その温泉の湯を煮つめて作った塩が山の塩です。山塩館という旅館で作っているそうですが、数が少なくて実は手に入れるのに少し苦労しました。


 わたしは7月の中頃にも大鹿村をおとずれています。その時「塩の里」という名前の道の駅みたいな施設(道の駅ではないらしい)で聞いてみたところ、生産量がとても少なく、滅多に入荷しないと言われました。

「山塩館という旅館で作っているから、直接行ったらあるかもしれませんよ」

 店の人におしえてもらって旅館にも行ってみました。ところが、旅館の人が申し訳なさそうにおっしゃるには、

「うちでは宿泊のお客さんの分だけ作っていて、中には "二人で来てるから一個でいいよ" とおっしゃる方もいらっしゃって、余った分をお分けしてるんですよ」

ということで品切れだったんです。

 で、どうしたかっていうと、あちことまわっているうちに、あるお店で「身内にあげるぶんだったけど、内緒だけどお分けします」って売ってくれた人がいて、今この塩が家にあるというわけなんです。どこで買ったかは内緒にしてほしいって言われたので書きませんけどね。

 料理に使っちゃうのはもったいないから、茹でた野菜にちょっとふりかけたりして大事に使っていますが、これが絶妙においしい!

 粗塩とくらべてみると、山の塩のほうが塩からいです。それとうま味の質もずいぶん違います。山の塩は、塩というより醤油のようなうま味を感じます。

 たぶん、普通の塩みたいに料理に使っちゃうとわからなくて「なんだ普通じゃない」となっちゃいそうなので、茹でただけの野菜とか、固ゆでの卵とかにかけて食べると違いがわかると思います。この違いに気付くと山の塩のとりこになりますよ!

 村歌舞伎の朝に塩の里をのぞいたら、稀少なはずの山の塩が塩の里に沢山置いてありました。観光客が沢山くるので旅館の人が多めに作ったんだと思います。

 きっと飛ぶように売れちゃうんだろうなと思っていたら、歌舞伎が終わった時も少し残ってました。なければないでガッカリだけど、売れ残っているとそれはそれで寂しいような気がします。

 売り場にはなんの説明もなく置いてあったので、知らない人には意味がわからなかったんでしょう。手にとって「岩塩でしょ?」って言ってるのも見ましたが、岩塩とも違うんですよねー。

 なんでも、塩水がわくので岩塩の地層があるにちがいないって、掘ってみた人もいたらしいんですが、結局岩塩は見つからなかったそうです。

 海から離れた長野県の山奥に塩の水が豊富にわく理由は謎のままですが、大鹿村は鹿塩の地には、今でも塩からい温泉が豊富に湧いています。

 鹿塩温泉には旅館が三軒しかありませんが、それぞれがお客さんの少ない時間帯などに日帰り温泉をやっているので、一度いれてもらったことがあります(料金は数百円程度です)。

 無色透明で香りのないお湯です。しかし、なめてみると海の水のように塩からいお湯でした。

タグ:長野 食材

大鹿歌舞伎

 20日、21日と旅行に行ってました。20日に小諸をまわり、夜は飯田市内のネットカフェで漫画を読みつつ仮眠、21日早朝に大鹿村に移動して村歌舞伎を見るという旅でした。

 順をおって書いてるといつ終わるかわからないので、とりあえずメインの村歌舞伎のことを書きます。

飯田市内の朝霧
▲10月21日の早朝6時半くらい。飯田市内は霧に包まれていました。

 このあたりは東西に高い山があり、真ん中に天竜川が流れています。その特有の地形から早朝と夜に濃い霧が発生しやすいんだそうです。

 こんな霧の中を、大鹿村まで細い山道を通って行くのは大丈夫なのかしら、と思いましたが、朝日が昇ってくると霧はすっかり晴れてしまいました。

 飯田の市街地から大鹿村までは、車で1時間くらいです。このあたりの山道は細くくねっていますが、起伏は大したことありません。普段はろくに車も通わない道です。この日は大鹿村の歌舞伎があるというので関東や東海地方のナンバーをつけた車がけっこう通ってました。

 ちなみに駐車場は歌舞伎の日だけあちこちに出来るので車で行っても問題ありません、というか大鹿村は日本のもっとも深い秘境いっても過言ではないところなので、車がないと多分行けません。路線バスがないこともないですけど、ないと断言しても誰も間違いを指摘しないくらいの本数しかないと思います(笑)

大鹿歌舞伎
▲歌舞伎会場である大鹿村・市場神社のまわりにはひとだかりが……!

 大鹿村到着は7時ちょっとすぎ。標高があるので凍えるほどの寒さです。わたしは腰にハクキンカイロを装着して毛布をかぶるという大胆ないでたちだったので寒さ知らずですが、ともだちはコートを着込んでいるのにがたがた震えていました。

 会場の市場神社のまわりにはすでに大勢が並んでいました。大鹿村の歌舞伎は誰でも無料で見られるのですが、会場に座れるのは詰め込んで800人くらいとのこと。昔はそれで十分だったようですが、去年封切られた映画『大鹿村騒動記』のおかげで人気になって、順番待ちをしないと座れないのです。

 この日の先頭集団は夜中の2時くらいから並んでたそうです。どうやら素人さんではなく、旅行会社の手の者っぽいです。こういうのは並ぶのも含めてイベントなので、玄人さんを並ばせて高見の見物とか絶対間違ってるぞって思うんですけどねー(笑)

 朝8時、整理券がくばられました。わたしたちは82番でした。整理券は1グループにつき1枚発行されるので、82グループ目ということです。1グループ5人換算で400人目くらいでしょうか。

大鹿歌舞伎
▲歌舞伎会場の市場神社*1です。こんな感じで舞台の前にござが敷かれていて、各自持参した座布団で場所とりをします。

 場所とりは昔はわりと自由だったみたいですが、今は係員の指示で「この辺に入ってください。なるべく詰めて!」なんて言われながら頑張ります(笑)座布団を置いてしまえば出歩いても大丈夫なんですが、いろいろトラブルがあるかもしれないので、誰かひとり必ずいるようにしてください、などと係りの人は言ってました。

 わたしたちもなんとか隙間に入り込む事に成功。後から数えたほうが早いような場所でした。前のほうに団体さんがいるので1グループ5人換算は甘かったかもしれません(笑)お捻りを投げたらとどくような距離で見たい場合は、最低でも朝6時には到着して並ばないとだめそうですねー。

ヒキガエル
▲場所とりも済んだことなのでまわりを散歩してたら道路のまんなかでヒキガエルを発見しました。ちょうどうちにいるヒキガエルと同じくらいのサイズですね。踏みつぶされるとかわいそうなので草むらによけておきました。

 背景に流れているのは鹿塩川でしょうか。鹿塩(かしお)というのはこのあたりの地名です。地名に塩という文字がつくのはこのあたりの湧き水が海のように塩からいからだそうです。この水を海水と同じように煮つめると塩がとれますが、塩の話は長くなるので改めて別の記事に書きますね(ここに書きました>http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1448)。

 大鹿村はどこへ行ってもまわりは山で川が流れています。空もきれいで、きっと夜は満点の星だと思います。すごくいいところです。どこでもいいから家をあげるって言われたら大鹿村にしてって即答するくらい住んでみたい場所のひとつです。

大鹿歌舞伎
▲大鹿村がほこるゆるきゃらのみなさんです。

 右のジライヤみたいな人は村歌舞伎の出し物に出てくる景清(かげきよ)くんで、左の鹿っぽい人は見たまんま鹿で鹿丸(しかまる)くんといいます。

 鹿は大鹿村に人口よりも多く棲息し、鹿のくせに村を"牛"耳っているかもしれない影の支配者らしいですよ。キャラはゆるいくせにあなどれない存在です。

大鹿歌舞伎
▲すごくいい天気です。朝は凍えるほど寒かったのに、日が昇ってきたらとたんに暑くなり、今度は額の汗をぬぐいながらの開演待ちとなりました。なんでも、映画封切り後は雨がつづき、青空のもとで開演できるのは一年半ぶりということです。雨のときは体育館で上演するそうです。晴れてよかった!

大鹿歌舞伎
▲この白い達磨は映画『大鹿村騒動記』の成功を祈願して片目を入れられ、映画が完成した時に主演の原田芳雄さんが残りの目を入れたそうです。原田さんはそのすぐあとに病気で亡くなられました。

大鹿歌舞伎
▲お昼ごろ、村長の挨拶があって、やっと開演です。

 お昼に開演だとお昼ご飯が心配になりますが、村歌舞伎はお弁当をさかなにお酒をのみながら見るものだそうです。わたしたちも来るときに弁当を買ってきました。予約しておけば村の旅館やお土産もの屋さんでも弁当を用意してくれるみたいですよ。

大鹿歌舞伎
▲幕があきました!

大鹿歌舞伎
▲最初の出し物は『義経腰越状・泉三郎館の段』です。この人は五斗兵衛(ごとべえ)といって優秀な軍師ですが普段は飲んだくれてて全然才能を発揮しないのです。演じているのは村に住んでいる普通のおじさんです。村歌舞伎はプロの役者さんではなく、村の人たちが俳優や裏方をやって作り上げる手づくりの舞台です。

大鹿歌舞伎
▲中央てまえの女性は五斗兵衛の妻で関女(せきじょ)です。演じているのは村にある食堂ディアイーターのおかみさんです。

 関女はのんだくれの夫を本気にさせたいと思い、酒をやめるか三行半(離縁状)を書くか、どっちかにしてと強く迫ります。おそらくそんな喧嘩を何度もくりかえして来たんでしょうが、五斗兵衛が本当に離縁状を書いてしまうことで騒動になります。

 後に立ってるのはふたりの娘である徳女(とくじょ)です。ふたりには他に息子がいるのですが、鎌倉の頼朝のところに人質にとられており、生死すらわからない状態です*2

 関女を離縁した五斗兵衛は、自分の雇い人である泉三郎(いずみのさぶろう)の屋敷で高いびきをかいていますが、そこへ泉の妻である高ノ谷(たかのや)がやってきて、穀潰しの五斗兵衛をおいだそうと空砲をぶっぱなします。

 すると、五斗兵衛がむくっと起きて「今のは音はすれども当たった気配がないので空砲だな」とかなんとか言い当てるわけですね。そこへ主の泉三郎がやってきて「やはり俺の見込んだ通りだ!」とかなんとか言って、五斗兵衛を軍師にして義経のもとにはせ参じる準備をはじめました。

 元妻の関女は夫が遣る気を出したのを知り、恥ずかしながらもとの鞘におさまりたいと、泉の妻である高ノ谷に仲介をたのみに来ます。

 それを見ていた娘の徳女は「なにそれ恥ずかしい。こんな恥たえられないわ!」とかなんとか言って、短刀で首をついて自害しちゃうからさあ大変!

大鹿歌舞伎
▲段上右の武将二人は泉三郎と五斗兵衛、段上左の女性が高ノ谷、段下の二人が関女と娘の徳女です。

 娘が自害しちゃったので、関女も自害しようとするのですが、そこへ泉三郎が止めに入り「死ねば恥はそそげるだろうが、それは恥を知って義理を知らぬ者のすること。本当の貞女ならば鎌倉で人質になっている息子を取り返して来るといい。その時は復縁を認めよう」とかなんとか言うわけです。

 夫の火縄銃を小脇にかかえて関女が鎌倉へ向かうところで第一幕の終わりです。


 開始から1時間半くらい。ここで休憩が入ってほっと一息といったところですが、前の方に陣取っていた団体旅行客が一気に席をたって帰ってしまいました(えええ!!!???)。全部見てたら観光する暇もないってところでしょうけど、丑三つ時から人に順番待ちさせておいて全部見ないで帰っちゃうのって、あまりリラックスできない旅だよね(笑)

 まあ、そのおかげで隙間ができて、少し足がのばせるようになったし、後で立ち見だった若い人たちも間に入って残ったこっちはリラックスですけどね。

大鹿歌舞伎
▲第二幕の演目は、といっても第一幕と話は続いてないんですが、『一の谷嫩軍記・熊谷陣屋の段』でした。

 写真は中央が熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)、左の女性は熊谷の妻で相模(さがみ)、右で刃物をふりまわしているのは藤の方といって平敦盛(たいらのあつもり)の母親です。

 今回、相模を演じているのはヒマラヤの青いケシを栽培している農園の中村さんでした。ほかのみなさんも農協勤務だったり、役場で働いてる人だったりと、ごく普通の村民のみなさんです。

 一幕目の役者さんも一生懸命でしたが、ディアイーターのおかみさんがお上手だった以外は演技力が発展途上という印象をうけました。二幕目はぐっとグレードがあがって、ほんとにみなさんすごいんです。

 太夫(三味線と謡い)もすごくて、二幕目の途中でお爺ちゃんに交代したんですが、この方がもうなんかほんとにすごくてただものじゃないなという感じでした。

大鹿歌舞伎
▲熊谷(左)が討ち取った敦盛の首をたしかめる源義経(右)

 平敦盛というのは『青葉の笛』という唱歌で有名な平家の若き大将のことでしたよね。戦のさなかにも笛を手放さず、夜になると美しい笛の音を奏でているのです。それは源氏の陣中にも聞こえていて、あれは一体誰が吹いているのだろうとみな不思議がります。

 戦は平家が負けるのですが、敦盛は逃げ出さず、もどってきて首をとられてしまうのです。敦盛の死後、甲冑をあらためると笛が出てくるので、これが夜な夜な聞こえていた、あの美しい笛の音の主だったかと源氏のもののふたちも涙をぬぐったというお話です。

 お芝居はその後の話です。敦盛の母である藤の方が熊谷の屋敷に乗り込んできて「おまえがわたしの息子の首をとったのか」と刃物を振り回します。熊谷はそれを否定せず、すべては戦の上でのことだと言いますが、藤の方はそれを聞き入れません。

 そこへ源義経が現れます。熊谷に敦盛の首実験をたのまれて、忙しい中をかけつけるのです。

 義経、相模(熊谷の妻)、藤の方(敦盛の母)の前で、首の入った箱をあけて見せる熊谷。その時驚いたのは相模です。首は敦盛ではなく自分の息子である小次郎のものでした。

 小次郎も父親とともに出陣していました。ところが戦が終わっても母親に顔を見せなかったので、相模はとても心配していました。夫にたずねても怪我をして休んでいるなどと、適当なことを言われつづけていたのです。

 その息子が敦盛の代わりに首級(しるし)になっているのだから並の驚きではないのですが、その時相模にもわかるのです。夫の熊谷は、主君である義経から、帝の血を引く敦盛を助けてやってほしいと内々に命じられていたのだと。

 悲嘆にくれながらも息子の首を小袖の上にいただき、藤の方にわたす相模。藤の方もまたそれが自分の息子じゃないことがわかっているのに違うと言えないのです。違うと言っちゃったら熊谷が自分の息子を犠牲にしてまで逃がしてくれた敦盛の身が危うくなってしまいます。

 そこへ現れるのが今回の悪者・梶原平次景高(かじわらへいじかげたか)です。
大鹿歌舞伎
 こいつは熊谷のことをねたんでいるので、首のすり替えに気付いて鎌倉へちくりに行こうとします。

 しかし、すんでのところで弥陀六(みだろく)という石工が石ノミを投げて景高をしとめます。この弥陀六という男は石工に身をやつしてはいますが、実は平家方に仕える男なのです。平治の乱で源氏方が負けて、源頼朝は伊豆に島流し、弟の義経は京都の鞍馬寺にあずけられて苦労するわけですが、その時にいろいろと助けてくれたのが弥陀六です。

 義経は弥陀六のことをちゃんと覚えていて、こんかいの手柄も含めて褒美を取らすといい、敦盛が愛用していた鎧櫃(よろいびつ)を与えます。鎧を入れておく箱のことです。

 弥陀六が鎧櫃をかつごうとすると、やけに重くて持ち上がりません。一体何が入っているかと蓋をあけてびっくり。藤の方もまたのぞきこんで驚きます。しかし誰も入っているものを言うことができないのです。さて何が入っていたでしょう?

大鹿歌舞伎
▲右で立て札を持っているのが弥陀六。中央が義経、左の僧形の男は出家した熊谷。

 今回の出来事で戦がすっかりいやになった熊谷は頭を丸めて旅に出ることになりました。弥陀六もまた藤の方をともない鎧櫃を背負ってどこか遠くへ旅立っていきます。

 一同が並んで立つシーンで太夫弾語りが「互いに見交わす顔と顔」と謡うんですが、これは地口行灯の「たらいにみかわすかおとかお」の元ネタでしょうか?

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▲地口というのはお芝居の有名な台詞やことわざなんかを洒落にしたものです。それを行灯(あんどん)に書いたのをお祭りでかかげる地域があるらしいですよ。ちなみにこの地口行灯は浅草で写したものです。北千住の商店街でもよく見かけます。



 というわけで、大鹿村歌舞伎、すごく面白かったです。チャンスがあったらまた見に行きたいです!

 なお、ストーリーの紹介は意図をくんだ上でくだけた説明にしてありますので、もっと正確な話を知りたい場合は識者のみなさんが書いたまともなサイトを検索で見に行ってください。よろしくお願いします。

*1:大鹿村の歌舞伎は春と秋にあります。秋は市場神社の境内で開催されるそうです。『大鹿村騒動記』という映画のロケ地になったのはここではなく、大磧神社という別の神社だそうです。
*2:ここらへんの設定は前後の話や歴史を知らないとわかりにくいのですが、源頼朝(兄)は、源義経(弟)をうとんじて殺してしまおうとしており、泉三郎=藤原忠衡や五斗兵衛はいざとなったら義経の味方につきそうな武将なのです。ま、わたしもよくわかってないんですけどね、えへへ。

タグ:長野 ゆるキャラ

長野方面へいってきます

 今日は小諸で蕎麦をたべてから飯田のほうに抜けて、明日は大鹿村歌舞伎を見る予定でーす。

コメント一覧

珍獣ららむ〜 (10/22 01:38) 編集・削除

帰宅しました。

1日目
葛飾区を出発
 |移動(事故渋滞 x3)
小諸:草笛で為右衛門蕎麦を食べる
ttp://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1449
小諸:蜂天国を見る
ttp://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1450
 |移動
伊那:温泉入る↓ここを利用「みはらしの湯」
ttp://www.ina-city-kankou.co.jp/cms/modules/tinyd6/index.php?id=2
 |移動
飯田:ネットカフェで漫画読んで仮眠

2日目
飯田市を出発
 |移動
大鹿:村歌舞伎を見る
ttp://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1447
 |移動
伊那:ローメンとおたぐりを食べる
伊那:かねせんで蜂の子とイナゴの佃煮を購入
ttp://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1451
 |移動(事故渋滞x1)
葛飾区へ帰る

ってな感じのスケジュールでした。

移動時間は
葛飾区内から小諸までは渋滞しなければ高速道路で2時間半くらい(しかし今回は事故渋滞x3だった)。
小諸から伊那まで高速道路で2時間くらい。
伊那・飯田から大鹿村まで山道を1時間〜1時間半くらい。
伊那・飯田方面から葛飾区までは、高速道路で4〜5時間くらい。
でした。

あとで旅の写真を貼ります、といいたいところですが忘れたらごめんなさい。