先週は、セガサターンやPS2やドリキャスといった昔のゲーム機を発掘し、買ったっぱなしで放置してあった昔のゲームソフトや、思いついてヤフオクで競り落とした誰も知らないような昔のゲームソフトなんかをしてて口もきけないほど忙しかった(おいおい)。
でも合間にプールにも毎日通った。しかしまったく痩せる気配なし。楽しいから泳ぎに行ってるけれど、運動で痩せられるというのは大嘘じゃないのかと思う。そんなんで痩せられる人は何もしなくても多分痩せるのである。そうとしか思えないのである。
今週はお蚕さんがまた来る予定なので、本格的に部屋を片付けなきゃいかんのです。先日、倉庫に預けていたものをかなり持ってきたので知っちゃかめっちゃかなのです。面白いものが出てきたら写真を公開しようと思います。
*携帯電話のプチ歴史
左:IDO(現AU)の95年ごろのやつ。Cメールすらまだなかった時代のだと思う。最初に買った携帯電話がこれだった。なぜいきなりIDOかというと、当時住んでた街にはDoCoMoの直営店がなく、なぜかIDOの店だったらあったから。店に入って「一番安いのどれですか」って聞いたらこれが出てきた。今見るとかなり大きくて、よくこんなん持ち歩いてたなあと思うんだけど、実は持ち歩いていませんでした。当時はまだ携帯電話を肌身離さず持ち歩くような習慣がなかったのです。これは自分だけじゃないと思う。四六時中持って歩いてるのは、よっぽど忙しい実業家とか外回りのビジネスマンだけじゃないのかな。わたしゃこれを固定電話の代わりに家に置いてた。人と待ち合わせるとか、電話待ちをする必要のある時だけ持って歩いてた。
中:IDOの1998年ごろのやつ。これが二番目に買った携帯電話。よのなかに携帯電話が浸透しはじめて、普通の人でも持ち歩くようになっていたんだけれど、わたしはそれでも「必要な時だけ持って行ければ充分」と言い張って変える必然性をまるで感じていなかった。でも、今はもっと小さいやつに手数料くらいで変更できるはずだからと友だちにそそのかされて買ったもの。たしかに電話機そのものはほぼタダだったかも。e-mailの送受信はできないけれど、Cメールなら使えた。単音の着メロを自作する機能がついてて、∀ガンダムの最初のオープニングとか作ってならしてた記憶あり。正直携帯電話なんてこのくらいで充分だと思う。細くて小さくてとても使いやすかった。この当時の電話はみんなこういうスティックタイプで折れたりしなかった。なんせインターネットとかには繋がらない時代だったので。
右:これは2000年くらいのJ-PHONEのもので、実は今もこれを使っている(爆死)なんでJ-PHONEを使い始めたのかよく覚えていないんだけど、しばらくIDOとJ-PHONEを両方使ってた。第二世代の最初の頃のやつで、インターネットにもいちおう繋がるし、E-mailの送受信もできる。AUのより大きいのはネットに繋ぐ関係で液晶が大きいせいだと思う。電話はこの程度の大きさがいいと思う。わたしゃ折れる携帯もあんまり好きじゃない。
IDOがAUになって、2003年にデジタル回線が終わることになったんだけれど、その時にAUにすっごく冷たくされて「イヤならやめれば?」くらいのことを本当に言われたのでブチ切れて本当に解約し、J-PHONE一本槍で現在に至るという感じ。そのJ-PHONEもVodafone→SOFTBANKと変遷し、あと何年かすると第二世代のサービスが終わると言ってる。わたしゃそれまで電話は変えない予定。だって使えてるし、別に携帯でインターネットとかやる必要ないから。
最初に買った電話はこんな分厚かった。子供に見せたらこれが携帯電話だとは信じないんじゃないだろうか。固定電話の子機でしょうとか言いそう。
*任天堂のゲームウオッチ
火事になったビルから落ちてくる人を、消防士が下で受け止めるFIREというゲーム。1980年。落ちてきた人は担架(?)の上で跳ねてしまうので、バウンドさせながら運ばなきゃいけない。
ファミコンがブームになる前に、この手のミニゲームが流行った。名前のとおり、あくまでゲーム付きのデジタル時計という位置づけで、カートリッジを変えて別のゲームを遊んだりはできない。わたしはこれしか持ってないけど、いろんなゲームが出てたね。
同様のものが任天堂じゃないメーカーからも出てたかもしれない。オセロのこういうやつを持ってたけど、もうなくしちゃったかもしれないなあ。