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COOPとCCCP、その他いろいろ

*COOP
 生協について、なんだかんだと否定的な感想ばかりになってしまうんだけれど、気に入った点がないかというと、なさそうでありそうな感じ。

 Pシステムのクリーミーヨーグルトという、小さなカップに入ったヨーグルトがなかなか美味しい。甘みのついてるヨーグルトを、普段はほとんど買わないんだけれど、お試しパックに入っていたので食べてみて、これなら悪くないと思った。名前のとおりクリーミーで、なんだかソフトクリームでも食べてるような食感。バニラの香りを連想する(実際には香りはついてないと思う)。甘みも酸味も控えめなタイプ。

 それと、Pは洗濯用粉石鹸がお得なのがひょっとするといいかもしれない。純石鹸分 60% くらいのやつで、同等の成分のものを市販品で探すと 2kg で 800円近くする。でもP独自(?)の商品だと 3kg で 600円くらい。まだ使ってみていないので使用感はわからない。汚れ落ちの点で市販品に劣らなければとてつもなくお得だ。

 コープTの大豆水煮缶とひじき水煮缶も悪くない。本当に水煮で味がついておらず、しかもドライ缶というのがいい。煮汁が一緒に入っているタイプだと、水を切ったりする些細な手間がかかるけれど、ドライ缶ならパコンとあけてそのまま鍋に放り込める。ごま油で炒めて、醤油・みりん・出しの素・水少々をくわえて、さっと火を通すだけで味がしみておいしいひじきの煮物になった。手間を惜しまないならニンジンと油揚げを刻んで一緒に炒めたらもっと美味しいと思う。まあ、この手のやつは市販品にもありそうな気はするけれど。

 細かく品物を見ていくと、便利だったり美味しかったり、お得だったりするものがいくつもあるに違いない。が、それらをひとつひとつ発見するために毎週カタログを見るのがやっぱり苦痛でしょうがないんだよねえ。

 そういえば、世の中的にはチンするだけで食べられる完全にできてる冷凍食品にそんなに依存しているんでしょうか。どちらのご用聞き(とはいわないかも?)の人も口をそろえて冷凍食品をアピールしたがるので、いや、そういうのは興味ないって言うと「お料理なさるんですね!」とくる。なさる人だと言っておけば機嫌をそこねる人もいないので、ある程度までは社交辞令にちがいない。が、来る人がみな同じ反応をするのが面白い。

 そういえば中国産冷凍餃子事件の時も、わたしゃなんとなく話題の波に乗りきれないものを感じていた。餃子は、外で焼きたてを買ってくるんじゃなければ自分で作るものだと子供の頃から刷り込まれている。いや、自作自慢じゃないんですよ。あくまで「買ってくる」がメインで、自作はすっごく思い切ってがんばってやる感じだった(うちの親はね。わたしはもっと気軽に作りますよ。これは自慢)。

 まあ、外で買ってくる焼きたてのもとが中国産の冷凍品である可能性は否定できないけれど、少なくとも自家用には買わないだろうと思ってたわけ。ところがけっこうな人が冷凍餃子を買ってるみたいなので、へえって思った。ところで冷凍餃子ってチンするだけで大丈夫なの? スーパーにあるやつとか見ると、レンジじゃだめでフライパンで焼けって書いてあるみたいなんだけど、それめんどくさくない?

 冷凍や缶詰も、素材ならばもちろん便利だし、生で買うよりお得な場合も多々あるけれど、できちゃったものだと自分で作るよりは高いし、それなら食べに行くか弁当を買ってくるからいらないよって思うのよね。まあ、いちおう都内在住で、町までそんなに遠くないっていうのはあるかもしれない。でも、ほんというと遠いのよ、市街地(?)まで徒歩で40分くらいかかるんだもの。都内のうまみがまったくないところで暮らしてます。

 ってなことを書いていたら、コープTから電話が来た。何事かと思って出てみたら、自動再生で、明日は配達日だから注文をお忘れなく的な内容のお知らせだった。

 正直、う・ざ・い。

 いや、Tにかぎらず、その手の催促に関してはPも軽くウザイ。なんでも注文票の100%回収を目指しているそうで、注文がなくても注文票は出してほしいとのこと。注文がない時はおおきく×を、ネット注文の時はネットと書いて、古いカタログ類と一緒に玄関先に出しておけば資源として回収するということだった。理屈はわかるし思い出したらしようと思うけれど、そのつもりでも急にでかけてしまい、出しそびれたときなんかに、帰宅後に100%回収をめざしてます的なチラシが残されていたりすると、なんとなくげんなりする。自分のペースで買い物に出ている時はそんな催促は誰からもされないから。

 ええと、だから、共同購入とか宅配とかのメリットと天秤にかけてメリットが重かったら「これは便利!」となるんだけれど、わたしにはそこまでのメリットがないんだと思う。一日前のお知らせ電話や、注文票の100%回収方式も、注文を忘れると困る人にとってはたぶん便利なんだと思うけど、わたしの場合そうでもないので面倒くさいのが先にたってしまう。まかりまちがって宝くじで一等をあてたら町まで降りるのに何時間もかかるような山奥に引っ越すかもしれないので、そしたら利用したいです。そこまで来てくれるんならね。と、やっぱり否定的になってしまう(笑)

# と、こんなことを書いていたら(その2)、中国産の冷凍いんげんからまた毒物が(笑) 日本も昔はけっこういろいろアレだったけど、中国ってやつはもう、なんというかかんというか。結局、生協は、餃子ショックで損をしたのだろうか、それとも得をしたのだろうか。


*CCCP
 キリール文字(ロシア語の文字)で、ソ連のことをСССРと略すのです。シーシーシーピーではなく「エスエスエスエール」と読む。

 昔、某キリスト教系団体の機関誌で読んだ話である。アメリカの悪ガキが、ほんのちょっとしたいたずら心でドラム缶にCCCPと書いて転がしておいた。近くの民家に住む人のいい老婆がそれを見てソ連の爆弾だと思いこみ、心臓麻痺をおこして帰らぬ人になったとかなんとか。それゆえ、些細なことでも人をあざむいたりするのはイクナイという趣旨だった。もし実話だったらお気の毒にとしか言えないんだけれど、あまりにも面白すぎて忘れられない話である。また、こんなトンデモニュースを引っ張り出してお説教をする某教団もなかなかほほえましいと思った。

 群馬に住んでいた頃、近所に一瞬だけ生協が発生したことがあった。発生というのもなんか変だけれど、突然わいたようにできて、何をしてるんだろうなと思ってるうちに消えてしまったのである。共同購入システムなどはよく知らず、ただのスーパーマーケットだと思いこんでいた。二、三度のぞきに行ったら、しおれた野菜を売っていて変な店だなと思った。今考えると、共同購入で注文がかかったけれど返品されてきたものとか、なんらかの理由で半端になったものを置いていただけで、本気で売ろうとしていなかったのかもしれない。

 その店の看板に「COOP」と大きく書いてあった。生協という意味らしいと聞いた。たぶん、こっちを先に覚えて、あとからソ連を覚えたと思う。なんにせよ、COOPと書くとソ連っぽく感じられてしまうのである。もちろんその逆もアリで、CCCPで生協を連想したりもするのだが。わたしなら生協のロゴでも死ねるかも。うんうん、やっぱり人をあざむくのはイクナイ。


*TAB MIX PLUS の設定が
 Firefox のアドオン(プラグイン)でタブミックスプラスというのがある。ブラウザのタブをいろいろ便利にするためのものなんだけれど、コイツのタブを閉じたときの動作の設定がたまに飛んでしまうらしい。

 わたしとしては、今見ているタブを閉じたら、必ず左のタブを表示してほしい。ところが、油断してると「右のタブか元のタブにフォーカスする」という設定にもどってしまう。

 調べ物をする時、google なりなんなりで検索して、検索結果の上から順に別のタブにして開いて行く。一番右の(最後に開いた)タブから見ていき、これは違う、これも違う、と閉じて行きたいので、閉じたら左へフォーカスしてほしい。そういう設定に何度も変えるんだけれど、知らないうちに初期設定に戻っているので閉じたくないページをうっかり閉じてしまう。大量に開いているので閉じたことにすら気づかないことがある。 Mac版でも Windows版でも同じ状態で、たまにリセットされてしまう。なんでだろう。わりと困ってるんだけど。


*Oh! KAIKO
 昨日は丸一日あたらしい餌をやらずに様子を見たけれど、三分の一くらいの蚕がまだ体に変化がおこらないようだった。仕方がないので朝から桑の葉をとりに行った。

 桑摘みをすると「赤とんぼ」の歌を思い出し、その歌を口ずさむと、桑畑へ行く道を思い出す。

 祖母の家では、家から数百メートル離れたところに桑畑を持っていた。蚕が終齢になると、餌の量も半端ではなくなるので、祖父が軽トラを出して枝ごと桑を刈ってくる。でも、蚕が若いうちは祖母が桑を摘んでいた。赤ん坊が二、三人はいりそうな大きな籠をしょって歩いていく。その頃、道は舗装されてなかった。舗装されているのは県道くらいまでで、一本入るとたいていの道は土がむき出しだった。

 そんな道を車も通るから、轍の部分だけ凹んで固くなり、車が踏まない真ん中だけに雑草が生えてる。いろんな草が生えると思うけれど、目立つのはオオバコ。漢方でオオバコのことを車前子というのは、大陸でも轍の間に生えるからじゃないのかな。

 ある時、桑を摘みに行ったら、少し離れた桑の間に菜の花が咲いていた。取ってもいいかと祖母に聞いたら、あそこはうちの畑じゃないと言われた。どこに境目があるのかよくわからない。ひとつづきの桑畑みたいに見えるのに、ちゃんと境界線があるのが謎でもあり、面白くもあった。

 ちなみに「赤とんぼ」で摘んでいるのは桑の葉ではなく実だ。前にも書いたかもしれないけれど、祖母の家で養蚕をしていた頃は、アメリカシロヒトリが爆発的に増えた時期で、大々的に農薬を使っていた時期でもある。桑の実は毒なので食べるなと言われていた。もちろん内緒で食べたけれど、別になんともなかった(常食したら害があるかもしれないが)。

 初夏に、水元公園で桑につく虫を見ていると、花菖蒲かなにかを見に来た人たちが「桑の実ですか?」などと話しかけてくるんだけれど、この人は三木露風に洗脳されてるだけなのか、それとも桑畑が農薬にまみれてなかった時代に桑の実摘みをしたことがあるのかな、なんてどうでもいいことを考えてしまう。後者ならばうらやましいが、前者だったら現実はそんなに甘くはない。桑の実が農薬まみれでも甘いことは確かだが。

 子供時代の思い出は甘いようでいて苦いものだ。お蚕のことを思い出すと、祖母の姿がどうしてもよぎるのだけれど、祖母関係に記憶は、ほんとのことを言うとかなり苦い。祖母の家には口のきけない人が住んでいた。バラックの一角に人が住めるような小さな部屋があり、そこに押し込められていた。おそらく、昔は下働きの人が使っていた部屋なので出入りは自由だったけれど、滅多に出てはこなかった。たまに出てきてわたしに手招きをしたり、何か言いたげにもごもご言っていたが、近づいてはいけないと言われていたので誘いにのったことはない。食事も一緒にはしない。ご飯に味噌汁をかけた猫まんまみたいなものを祖母が運んでいた。田舎なので便所は戸外に昔の厠があったが風呂はどうしていたんだろう。犬か猫みたいな名前で呼ばれていて、人間の名前がついてるかどうかすらわからない。そもそもちゃんと戸籍があったかどうかすらあやしい。詳しい事情は聞いたことがないが、どうも祖母の連れ子らしいという話をいとこから聞いた。

 苦いのはそれだけじゃないんだけれど、きわめて個人的な話になるのでやめておく。養蚕は自分にとって楽しい思い出であり、そのことを思い出そうとすると、封印したくなるような苦い思い出も芋づる式に出てくることだけは確かだ。

 「赤とんぼ」の歌で、自分をそだてた子守り奉公のねえやは、十五でお嫁に行ってしまい、手紙ひとつ来なくなる。親と同じくらいに親密に暮らしていただろうに、雇用関係が切れるとぱたりと音沙汰がなくなり、たぶん一生再会することもないのだと思う。

 わたしのうちではさまざまな理由があって両親は離婚しているし、わたしは父とも母とも疎遠で、父方・母方両方の祖父母とも、ほぼ断絶状態だ。再会したいとすら思っていない。「赤とんぼ」の歌は、そういった血縁関係の苦い記憶を刺激する。

赤とんぼ 桑の実も甘いけど、わたしの音程のかなり甘いのよ(爆死)

 話をお蚕にもどそう。前から気になっていたことがある。蚕は桑しか食べないのだろうか。イチジクやカジノキなどのクワ科樹木の葉なら、なんでも食べるんじゃないのかな。

 川沿いに、桑だけじゃなくイチジクも自生しているので、葉を一枚持ち帰った。桑の葉と一緒にくれてみたら、喜んでイチジクを食べてるじゃないか。桑とくらべても差が出ないほどよく食べている。ひょっとしてイチジクでも飼えるんじゃないだろうか。いや、でも、長期間くれつづけたら何か問題が起こるかも知れないし、成長の早い桑を使ったほうが合理的であることは間違いない。

 そういえば、中国では桑を神聖視する。ところがエジプトあたりまで行くとイチジクになるらしい。イチジクが先なのか、桑が先なのか、あるいはまったく無関係なのか、よくわからない。

 それはともかく、簇は回転すべきです。あんなに部屋があるのにみな同じ場所で繭になろうとしやがりますー。

タグ: カイコ midomi

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  • 2008年10月15日(水)13時18分
  • 日記

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