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プルガサリを見た

 『プルガサリ 伝説の大怪獣』を見た。昔話的な設定をベースに作られた怪獣映画で、『大魔神』のような感じ。怪獣プルガサリ(不可殺という漢字をあてる)は悪者ではなく、大国にしいたげられている人民の味方として描かれている。

 武器を作るためだといって、農具や鍋釜を接収しようとする役人にたてついたせいで、鍛冶屋の頭領がつかまってしまう。拷問の末に力尽きた頭領は、いまわの際にわずかの食べ物をこねて小さな人形を作る。

 鍛冶屋の娘アミは、人形を父の形見として大事にしているが、裁縫中に針で指をついてしまい、その血が人形に魂を与えて怪獣が誕生する。父親がよく言っていた伝説の「プルガサリ」に違いないと、家族同様にかわいがる。

 最初は一寸法師のような小さな生き物だったプルガサリは、針や釘をたべて小山のように大きくなり、圧政に苦しむ村人の先頭にたって戦うのだった。


 民を踏みつけにする大国と、それに反抗する反乱軍という形式は北朝鮮映画のお約束なんでしょうが、それ以外は特別に政治的な内容も含んではおらず、ありがちな怪獣映画だった。役人がいじめる、村人が反抗する、プルガサリがあばれる、村人大喜びでお祭り騒ぎ、また役人が襲ってくる……というような感じ。

 でも、ラストがいい。平和になり、武器を食い尽くしたプルガサリは食べるものがなくなって飢えてしまう。村人たちは農具や鍋釜を差し出して「わしらを助けてくれた恩人を飢えさせるわけにはいかん」などと言うのですが、そんなことがいつまでも続けられるわけじゃない。

 そこでプルガサリに魂を与えた鍛冶屋の娘アミが命をなげうってプルガサリを封印する。ちょっと泣かせる感じで終わっていた。ネタバレて面白くなくなるほどのもんじゃないけど、いちおう色を変えてみた。

 この映画を作ったのは、韓国から拉致されてきた申相玉監督で、特撮部分は日本でゴジラをとってた東宝のスタッフが北に招かれて作ったらしい。当時、その話がチラッとニュースになったりしてたと思う。大きくなったプルガサリに入っているのはゴジラの中の人だし、幼獣時代はミニラの中の人だそうだ。

 特撮部分は本当にお金をかけて作っているようで、けっこう良くできてると思う。たぶん将軍様は大満足だったんじゃないのかな。北では一瞬でも一般公開されたんだろうか? 町での評判はどうだったんだろう。

 申監督はこの映画を作ったあとに北から脱出したそうで、その関係で日本での公開も中止になり、レーザーディスクなどになったのはずっと後の話。というか、こんなのツタヤで借りられるなんて、調べてみるまで知らなかった。廉価版が出ているので買っても大した値段じゃない。

 監督が北から逃げてきた時、日本でもニュースになって、ワイドショーが盛んにとりあげてたのを思い出す。何もさらって行かなくたって、映画作りを教えてくださいって招いたらいいのに、なんで強制的に連れてきて帰さないんだろうって、ただただ謎だった。

 「これはひどい。なんてひどい国なんだ」というような話を親にしたら、「こうやって(ワイドショーみたいに)煽っても政治的にうまくいくわけじゃない」とか言われた。当時はまだ日本人拉致被害者が北にいるなんてことを普通の人は知らなかったと思う。申監督の北脱出が1986年とのことで、大韓航空機爆破事件が1987年。

 あれから二十年以上たっている。煽っても煽らなくても、あの国は変わってない。むしろもっとダダッ子のように手に負えなくなっている。もうすぐミサイ……じゃなくて人工衛星が落ちてくるそうだけど、一体何をしたいんだろうか。

タグ:北朝鮮

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  • 2009年03月30日(月)10時12分
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