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そして今日も蚕たちは元気に食べている

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▲眠(みん)
 脱皮の準備をしているところ。腹脚でしっかりつかまり、体をちぢめて前半身をもたげた状態で死んだように動かなくなる。この状態が一日くらい続き、その間は餌も食べない。脱皮が済むと生き返ったように元気になり、餌を食べ始める。写真は二度目の眠。蚕は一生のうちに四回の眠を経験する。

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▲脱皮殻
 この黒っぽい皮が蚕の脱皮殻。こうやって皮を脱いで大きくなる。脱いでいる瞬間を見たいと思うんだけれど、まだ小さいのでわかりにくく、いつの間にか脱皮が終わっている。これからもっと大きくなれば見やすくなるかもしれない。


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▲糞
 蚕の糞は砂状でさらさらしている。漢方ではこれを蚕沙(サンシャ)と言って他の生薬と組み合わせて関節の痛みや麻痺、下痢や腹痛の薬にする。桑の葉は健康茶として知られているし、蚕は桑しか食べないから、なんらかの効果は確実にあると思う。蚕が飲み下したものをあえて使う意味があるかどうかはよくわからないけど。


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▲蚕は逃げない
 これは今朝の写真。桑の葉は穴だらけだしひからびている。こうなると、普通の虫ならば新しい餌を求めて這い出してしまうものだけど、なぜか蚕は逃げない。まるで人に飼われるために生まれてきたかのようだ。

 何千年も人に飼われているうちに、逃げずに餌を待つものが選ばれて生き残った。こういう性質の虫は野生では生きていけない。人は蚕の吐く糸を利用し、その代償として蚕に餌をやる。天からさずかった虫だと言って大事にし、四六時中めんどうを見てやる。これは、人が絹製品を必要とするかぎりつづく共生関係なのだ。

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▲新しい桑の葉をのせてやる
 こうやって、新しい葉を並べておいてやると這い上がってきて食べ始める。何千匹、何万匹も飼っていると、蚕が桑をはむ音が騒がしいくらいになる。


 祖母の家では、母屋とは別棟の広いバラックで蚕を飼っていました。他の農家でどうしていたかはちょっとわからないけれど、昭和四十年代くらいの養蚕農家はみなそんな感じじゃないかと思います。

 もっと古い時代、萱葺きの旧家では、人が一階に住み、二階というか屋根裏のような場所を養蚕に使っていたようです。群馬も広いので養蚕に特化した家の造りもさまざまあるのでしょうが、南面中央の屋根の張り出しをコの字に切り取った赤城型と言われる形式が有名です。屋根裏に光がさすように工夫してあるのです。

 赤城型の旧家は、ぐんま昆虫の森の園内に移築保存されています。昔ながらの道具で養蚕をしているところも見学できます。公式サイトの解説によると、二階の屋根を切り取った家のことを「キリアゲニケエ」と呼んだそうです。切り上げ二階と表記します。わたしが住んでいたところにはこの形式の家がなかったので耳にしない単語ですが、いかにも上州弁らしい響きで懐かしいです。

 養蚕農家では、とにもかくにも蚕ありきの生活なので、蚕のことを「かいこ」なんて呼び捨てにはしません。おかいこさん、おかいこさま、と敬称つきで呼ぶのが普通です。

タグ: カイコ

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