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天からおりてきた虫、それが蚕

 昨日はあんまり暑くて動けなくなり、夕方からエアコンを入れて数時間寝ちゃったんですが、部屋の温度はそこそこ下がっているのに体の中から熱が出ていかない感じでしたよ。こりゃ油断してると本当に死人が出ますよ。みなさんお気を付けて。

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▲四齢になるとおでこに目のような模様ができる

 子供のころ、この部分を蚕の目だと思ってました。本当の目は頭についているはずです。団子っ鼻のように見える小さな丸い部分が頭です。

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▲凛々しい……!

 眠じゃなくてもたまにこんなふうに上半身を立てて天を仰いでいることがあります。眠のように長くは続かず、しばらくするとまた桑を食べ始めます。

 この時期になると手触りがよくなります。シンと冷たくてすべすべしてる。薔薇の花びらみたい。人に触れられるのはストレスになるので直接さわらないほうがいいのでしょうが、ついなでたくなってしまいます。


【養蚕関係の伝説】
 養蚕のはじまりを説明する伝説で、日本では「おしらさま」と呼ばれているお話が中国にもあります。先日書いた「捜神記」の「馬の恋」がそれにあたります。これはかなり古くからある伝説で、蚕になった娘は馬頭娘(ばとうじょう)と呼ばれて養蚕の守り神になります。
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*馬頭娘(中国の伝説)
-馬が娘に恋をする
-娘の父親が馬を殺して皮をはぐ
-馬の皮が娘をつつんで高い桑の木に舞い上がる
-娘は蚕という虫になる
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 娘は馬の皮をかぶって高いところへ昇り、蚕に生まれ変わって戻ってきます。蚕は脱皮をする生き物ですから、着物をぬぐことで地上に降りてきたともとれます。そう思うと、この話は日本の羽衣伝説によく似ています。
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*羽衣伝説(日本の民話)
-天女が地上の浜辺で羽衣を脱いで水遊びをしている。
-若者が羽衣を盗んだので天女は空に帰れなくなり、若者の妻になる。
-天女は若者が隠していた羽衣をみつけて空へ帰ってしまう。
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 天女は着物を脱いだことで人間になり、また着物を着て天女にもどります。馬頭娘(おしらさま)と反対の動きをしています。羽衣伝説にはさまざまな続きがありますが、注目したいのは七夕伝説付きのお話です。
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*羽衣伝説+七夕伝説(日本の民話)
-前半は天女の羽衣と同じ
-若者は妻を求めて不思議な瓜の蔓をつたって天へ行く。
-天女の父親に無理難題をふっかけられ、妻の助言で切り抜ける。
-最後に助言を忘れて失敗し、若者と妻は引き裂かれ、彦星と織り姫になって一年に一度しか会えなくなる。
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 舅に無理難題をおしつけられ、妻の助言で切り抜けるあたりは神話のスサノオとオオクニヌシの話にも通じます。そして同じ話がシベリアのブリャート族にも伝わっています。
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*白鳥女房(シベリア・ブリャート族の昔話)
 長い話なので箇条書きで要約しますが、日本の羽衣伝説・七夕伝説とよく似た話です。夫婦を引き裂こうとするのが妻の父親ではないことと、ラストで引き裂かれることなくハッピーエンドを迎えるところが日本の昔話と違います。

-うだつのあがらない若者が白鳥の衣を取り上げて自分の妻にする。
-領主が妻を横取りしようと若者に無理難題をふっかけるが、妻の助言で切り抜ける。
-領主の無理難題を解くために若者が天界へ行くことになる。妻からもらった赤い絹糸を空に投げて昇る。
-天界で妻の親類たちにあい、領主に命じられた宝物をもらう。
-領主はどんな難題も解いてしまう若者を殺してしまおうとするが、天界でもらってきた宝物を使って領主をやっつける。
-若者と白鳥の妻は新しい領主になって幸せに暮らす。
参考>岩波文庫『シベリア民話集』
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 天に昇るためのアイテムとして赤い絹糸を使うあたりに養蚕伝説との関連を匂わせます。日本で瓜の蔓と言われているのも、もとは絹糸だったのでしょうか。あるいは馬頭娘にある桑の木が瓜の蔓に変化したのかもしれませんが。

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*歐糸の野・三桑無枝(山海経・海外北経)
 歐糸の野が大踵の東にある。娘が一人ひざまずいて木によりそって糸を吐く。歐糸の東に枝のない三本の桑がある。その木は高さが百仭で枝がない。(中略)三桑の東に平丘がある。(中略……平丘に生ずる木の説明)もろもろの果実が実る所である。
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 「山海経」は中国の古い伝承を、おそらくは絵地図と短い解説の形で収録したもので、現在では解説の部分しか残っていません。上記の部分は娘が蚕(糸を吐く虫)に生まれ変わった馬頭娘の伝説を記録したものだと言われています。娘がよりそう木は三桑無枝と同じものかどうか、この文章だけではわかりません。

 三桑は「山海経」の別の部分にも登場します。こちらには馬頭娘の話はありませんが、怪しい蛇が多いとあるのが気になります。
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*三桑(山海経・北山経)
 三本の桑がここに生えている。その木にはみな枝がなく、高さは百仭。百果の木がここに生えている。その下に怪しい蛇が多い。
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 海外北経で糸を吐く娘と描かれているものが、北山経では蚕として描かれ、解説者が蛇と記述したと解釈するのは突飛すぎるでしょうか。


 ところでみなさん、わたしのサイトにはいろんなものがありますよ。下記は大昔の掲示板のログで、七夕の伝説や行事について書いてあります。あら、牛郎が牛の皮をかぶって天に昇るって、あたしゃ自分で書いてますよ。これっぽっちも覚えてませんでした。脳細胞が破壊されてますね、けけけけ。
http://www.chinjuh.mydns.jp/saluto/0107070lg.htm

タグ: カイコ 伝説

どうやら蝦蟇が住み着いてるらしいんです

アズマヒキガエル
▲08/07/13 自宅の玄関先にて アズマヒキガエル

 前に、近くに川もないのに家のまわりでヒキガエルを見たと書きました。バラの茂みにいたので指先でつついたら、ぺたんこん、ぺたんこん、と跳ねてどこかへ行ってしまいました。

 あれから一年ほどたちました。ちっとも姿を見ないので、どこか遠くへ移住したのかと思っていたら、玄関脇のポストの下にちゃっかり住み着いてるじゃありませんか。写真には写っていないけれど近くに穴があって、いつもは穴の中から顔を出してます。

 虫は沢山いるので餌には困らないだろうけれど、こんなところじゃ繁殖もでいないんじゃないのかな。でもわたしは「かわいそうだから逃がしてあげましょう」なんてことは言わないのです。案外住みやすいのかもしれないし。

◎虫ばっかり・アズマヒキガエル
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000254.htm
ここの写真は水元公園のヒキガエルです。

 ヒキガエルは、蝦蟇(がま)のことなんですが、『耳袋』という江戸時代の怪談集に蝦蟇が床下に住み着いたせいで家の者が病に倒れる話があるので、もともと水辺から離れた民家のまわりで見やすいカエルなんでしょうね。

 人を病気にするというのは毒腺を持っていることからの連想でしょう。

◎びっきぃとやまどじょう「アズマヒキガエル」
http://www.hkr.ne.jp/~rieokun/frog/azuma.htm

 こちらのサイトにトウキョウダルマガエルの水槽に、ヒキガエルを一晩だけ入れたらダルマガエルが全滅した、という体験談があります。ひょっとすると昔の人も、こんな経験を通してヒキガエルを妖怪に進化させたのかもしれません。大きく、動きが鈍いので人を恐れていないように見えるのも、妖怪化の条件じゃないのかな。

 実際のところ人に害があるかというと、つかまえていじめでもしなければ毒を出すこともありません。毒液を出してるところも見たいんですが、そのためにいじめたら逃げちゃうと思うのでやりません。そこらに住み着いてほしいんだもん。

タグ:カエル 植物 園芸 伝説

急に大きくなりました

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 三眠から目ざめた蚕たちは、ものすごい勢いで食べ始めました。これまで日に三回餌をやっていましたが、日に四、五回やらなければならないほどの勢いです。さすがに庭の桑の木では足りなくなったので、川沿いの桑を取りに行きました。

 桑にもいろんな品種があるようで、葉の形が少しずつ違っていたり、葉裏の産毛が薄かったり、濃かったりと色々です。別の葉を与えて食べなかったらどうしようと思うんですが、とりあえず問題なく食べてるようです。

 庭の桑の葉も次々に新芽をふいているのでしばらくすると復活するでしょう。でも、さすがに一株の桑の木で二百頭は無理ですね。

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▲ただいま体長45mmくらい。

タグ: カイコ

三度目の眠は長かった

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▲三眠後の脱皮

 三度目の眠は、昨日のお昼前には始まっていたと思います。これまでは一夜明けると脱皮が済んでいたのですが、三眠は今朝までつづいており、朝おきて眺めている目の前で脱皮がはじまりました。

 脱皮は、まず頭の殻が剥けるところから始まるようです。脱皮直前の頭は薄い茶色ですが、ぷりっと剥けると白くて一回り大きな頭が出てきます。それから体を蠕動させて、全身の皮を脱ぎます。眠に入る前に腹脚を桑の葉に固定してあるので、皮だけが葉の上に残ります。

 お昼になっても脱皮が終わらないので買い物に出かけ、返ってきたのは四時前だったと思いますが、まだ一部の蚕が脱皮を続けていました。結局、ほとんどの蚕が皮を脱ぐまでに一日半くらいかかりました。

 さっそく新しい桑の葉をやったのですが、ここ数日雨がふらなかったせいか、桑の葉があっという間に乾燥してしまいます。水をやってみましたが、果たして効果はあるでしょうか。


*ふしぎな蚕 『捜神記』より
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 園客という者がいて、五色の香草の種をまき、その実を食べて暮らしていた。ある日、香草の葉に蛾がとまり、蚕を産み付けた。

 園客は香草の葉で蚕を飼い始めたが、神女(天女?)がやってきて仕事を手伝ってくれた。やがて蚕は百二十個の繭になったが、それぞれの大きさが酒瓶ほどもあり、ひとつの繭から糸を繰ると、六日も七日も尽きなかった。

 すべての繭から糸を繰り終えると、神女は園客とともに天に舞い上がり、それっきり行方が知れない。
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*馬の恋 『捜神記』より
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 出征した父を待っている娘は、父が残して行った愛馬に話しかけた。もし父を連れてかえってくれるならお嫁さんになってあげてもいいよ、と。馬は喜んで一目散にかけていき、父親を乗せて家に帰った。

 それからというもの、馬はまぐさもろくに食わず、娘の姿を見て身をふるわを石弓で射殺して皮をはいで干した。

 娘がふざけてその皮を踏み「馬の分際で人間をお嫁さんにもらおうなんて思うからいけないのよ」と言うと、馬の皮が娘を包んで飛び去った。

 数日後に庭の大木に娘と馬の皮がひっかかっていた。どちらも蚕になって木の上で糸を吐いている。これを養って繭を作らせたところ、普通の繭よりも大きくて糸の巻きが厚い繭になった。

 人々はこぞってこの品種を育てるようになり、蚕をやしなう大木のことを桑と呼んだ。桑は葬の意味である(発音が同じ文字だということ)。

# クワゴなどの野生種の蚕がすでにいて、それよりも多くの糸をはく家蚕が生まれた、という伝説。
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*繭のたたり 『捜神記』より
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 背中に瘤のある女が物乞いをしていた。その瘤は一斗入りの袋ほどもあり、中には繭のようなものが沢山あって歩くと音をたてた。

 女はかつて養蚕をする家の嫁だったが、自分の分だけ何年も原産が続いたので、兄嫁の繭をこっそり燃やしてしまった。背中の瘤はそのたたりで、着物をかぶせておくと息苦しく、いつも重たい袋を背負っているようだという。
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タグ: カイコ 伝説

桑の話、眠の話

 蚕を飼いたくて桑を育てるところから始めた、というのは前に書きました。子供の頃に群馬に住んでいたわたしは、桑といえば畑に生えてるもので、観賞のために買うなんて考えたことがありませんでした。養蚕をやってそうな地方の農協にでも注文しないと買えないんじゃないかとさえ思っていたほど。

 ところが、桑は実が美味しいというので愛好してる人がけっこういるのだそうで、園芸店でマルベリーなんてカタカナの名前で売られているのでした。ブルーベリーやラズベリーのような果樹あつかいのようです。美味しい実をつける品種はけっこうな金額で売り買いされているらしいですよ。

 わたしが買ったのは、地元の園芸店で、千数百円くらいのものです。品種名は書いてあったけど忘れました。人差し指くらいの太さの幹が、短く切り詰められていて、そこから細い枝が出て、全体として五十センチくらいの樹高の株でした。

 たしか、去年の初夏に購入して、自由に花などを植えてもいい庭的な場所に強引に植えました。桑は生長が早いのですが、植えたその年は大した大きさにはなりませんでした。秋口にうどんこ病にやらて葉が白くなってしまったので、ガッツリ切り詰めて、丸坊主にしてしまいました。見ていたお友だちが「それじゃ枯れちゃうんじゃない?」と言いましたが、群馬じゃ蚕に枝ごとやるので最終的には必ず丸坊主になるんです。でも、翌年ちゃんと枝が伸びてきます。丸坊主にしないと高木になってしまい、蚕の餌をとるのに不都合があります。ちゃんと使われている畑の桑は、みんな背が低かったです。

 二年目の今年、桑はものすごい勢いで成長をはじめました。人差し指程度の太さだった幹が、今じゃ親指と人差し指で作った輪のように太くなり、枝もばんばん伸びて、全体としては人の背丈を超えるほどです。実も沢山成りました。あまり甘くはなかったので、お酒につけてみました。まだ開けていないので味はわかりません。

 ところで、蚕というのは一生のうちに百グラムの桑の葉を食べるのだそうです。百頭いれば千グラム、五百頭居れば五千グラムになります。キロ計算なら五キロですね。

 しかし、桑の葉がどのくらいあると五キロになるのか、計ったことがないので見当もつきません。ちょっと困りました。

 こういう時は当たって砕けろです。二百頭くらいなら、なんとかなるだろうと、なんの根拠もなく決めつけて卵を注文しました。桑が足りなくなっても、昔とちがって人工飼料があるらしいんですよ。桑の葉をペーストにして、ボロニアソーセージみたいな形にしたやつらしいです。実物は見たことがありませんが、蚕の卵を購入したところで通販できそうなので、様子を見て買えばよいと思いました。

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▲7月8日の蚕たち。

 飼い始めて今日で十日目になります。今のところ庭の桑で足りています。しかし油断は禁物です。蚕は五齢幼虫の時代に一番食べるのです。これからが勝負だと言えるでしょう。

 今日は、いざという時のために、桑の木の生えている場所を探しに行きました。公園にあるのは知っているのですが、公園の桑に手を付けるのは最終手段にしたかったので川沿いを歩いてみました。わたしが住んでいるところは葛飾区と埼玉県の境目にかぎりなく近いところで、近くに大場川や中川といった川があります。川沿いを歩いてみると、桑の木って、想像しているよりも普通に生えているものですね。あっちにもこっちにも、少しくらい葉をもらったって問題なさそうな桑樹が生えています。これなら大丈夫どころか、秋蚕(あきご)もいけちゃうかもしれません。むしろヤバイです。そのうち「趣味は養蚕」だなんて書いてしまいそう。

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▲7月10日の朝:たった二日でずいぶんふくよかになったでしょう? 朝と夜とで大きさが違って見えるくらい。体長約25mmほど。

 蚕たちは三度目の眠に入ったようです。まだ食べてるのんびり屋さんもいるけれど、ほとんどの蚕が棒っきれのようにじっとしています。蚕たちは真夜中に脱皮するのでしょうか。これまでも、昼間は変化がなく、朝起きてみると脱皮が済んでいるようでした。

 ところで、蚕の写真をよく見ると、背中に馬のひづめのような痣(あざ)があるのがわかるでしょうか。先日もちらっと書きましたが、群馬の伝説では、蚕に生まれ変わった衣笠姫が、生前に継母から受けた虐待のせいで馬に蹴られ、背中に痣ができるのです。姫の生まれ変わりである蚕にも同じ性質が受け継がれているというわけ。

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 悪い継母は衣笠姫を憎み、厩(うまや)にとじこめてしまった。馬が暴れて姫を踏んづけたので、姫の背中には蹄の跡がついてしまった。爺やがあわててお救いしたが、姫はしばらく死んだようにぐったりしていた。

 次に継母は姫を竹やぶに置き去りにした。婆やが探し出してお助けしたが、姫は衰弱して死んだようにぐったりしていた。

 三度目はたらいに乗せて川に捨てられた。爺やと婆やが探し出してなんとかお助けしたものの、姫は疲れ切ってぐったりしてしまった。

 継母はすっかり怒って、四度目には庭に穴を掘って姫を生き埋めにしてしまった。爺やと婆やが気づいた時にはもう遅く、姫は息絶えていた。

 それからしばらくすると、姫が埋められたところに黒く小さな芋虫がはいまわっていた。クワの葉をあたえて育ててみると、急に死んだように動かなくなり、しばらくするとまた動きだして葉をたべはじめる。そういう事が四度あり、繭を作った。ちょうど姫が継母に殺されかけたのと同じ回数である。(珍獣様の博物誌・クワゴより)
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 衣笠姫第一の受難が馬です。蚕は、卵から出た直後は黒っぽくて毛が生えていて、体の模様はよくわからないのです。けれど、最初の眠をへて脱皮をすると、白っぽくなって背中に小さな馬蹄斑が見えるようになります。昔話のとおりです。

 衣笠姫の四つの受難、つまり蚕の四回の眠には名前がついているそうです。順番に、シジの休み、タケ(竹)の休み、フナ(舟)の休み、ニワ(庭)の休みです。竹や舟や庭は、昔話の筋と同じですが、シジというのがよくわかりません。馬や蹄と関係のある単語なのでしょうか?

 また、なぜその順番で言われるのかもよくわかりません。馬は体の模様に関係していますが、竹や舟は、なぜなのでしょう。庭は、おそらく眠の長さに関係しています。三眠までは一日で終わってしまうのですが、四眠は三日も動かずにじっとしているということです。このまま死んでしまうのではないかという不安が庭に生き埋めにされ、とうとう死んでしまう、というお話に繋がるのだと思います。ちなみに、祖母の家では、眠をシジや竹などの名前では呼んでいませんでした。

 そうそう、探したらうちにはこんなコンテンツもありましたよ。養蚕関係の伝説ばかり集めたもので、もっと増やそうと思ってるうちに忘れたのです。

◎今昔かたりぐさ・養蚕のはじまり
http://www.chinjuh.mydns.jp/ohanasi/365j/0306.htm

タグ: カイコ 伝説

連発で虫ばっかり

 道を歩いていたら、自転車に乗った人に後ろから挨拶されてしまった。「今日は少し涼しくなりましたね」って言われて「あ、あはは、そうですねー」とにこやかに答えてみたけど、誰だかわかんなかった、あはははは。虫の名前は覚えられても人間の顔は覚えられないんです。

オオミスジコウガイビル
◎虫ばっかり・オオミスジコウガイビル
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000283.htm
 動画付きです。寝不足でモーローとしながら作ったのでテンポ悪いけど別にいいや、芸術作品じゃないし。

 ところで、昭和天皇がどこかの御用邸でコウガイビル(種類はわかんない)のもんのすごく長いのをみつけた記録を持ってるはずなんですが、どこで、なんという種類の、どのくらいの長さの個体をみつけたのか、調べようとすると以外とみつかりません。その当時で日本最長(あるいは世界最長?)の記録だったはずなんだけど。


キボシカミキリ
◎虫ばっかり:キボシカミキリ
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000284.htm
 クワの木を求めてさまよっていたら目の前にいたのでビックリ。幼虫は桑樹の幹を食い荒らす害虫です。


キハラゴマダラヒトリ
◎虫ばっかり:キハラゴマダラヒトリ
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000285.htm
 家のまわりで自然に羽化したやつです。たぶんバラについてた毛虫がこれになったんだと思うけれど、飼ってた毛虫は蛹になるところまでで羽化に失敗。似たような毛虫は沢山いるので出てくるところを見ないと成虫と結びつけられないのです。

 キハラは黄腹と書くんですが、普通ならキバラと読みそうなものなのに、なぜか濁らないのが標準らしいんです(検索にひっかからない)。和名ってわりかしその手の濁りとかを柔軟に許容してそうな気がするので両方で引っかかっても良さそうなのにね。そっくりで色の違うアカハラにあわせてるんでしょうか。同じ黄腹でも、黄腹剣紋蛾はキバラケンモンなのよ?


キイロテントウ
◎虫ばっかり:キイロテントウ
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000286.htm
 これが、うちのクワの木にたくさんいるの。公園の木にもたくさん。ちょうど増えてる時期らしく、幼虫も成虫もあっちこっちで見かけます。そういえば幼虫の写真を用意しそびれました。


カバイロモクメシャチホコ
◎虫ばっかり:カバイロモクメシャチホコ
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000287.htm
 これは稲城の山の中で撮影したものなので葛飾にはいないかもしれません。わたしゃこの虫の名前をどーしても覚えられないの。モクメという単語に脊髄反射してカバイロセダカモクメとか言っちゃうんだけどそんな名前の虫はたぶんいないと思う。

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日記というか、メモ

*天気悪いのに暑い
 一瞬だけ青空が見えてたけど、もう雲が厚くなってしまった。いつ雨が降ってもおかしくない感じ。そのくせ暑いのよー。蚕用の気温計でちょうど30度くらい。

*さっきオオミスジコウガイビルを見たよ
 捕まえようとしたら途中で切れちゃってすごく残念。もし切れてなかったら 100cm 近くあったと思う。写真と動画をとったので、あとで整理したら公開します(と、忘れる前にやることをメモ)。雨が降る前に銀行に行かなきゃ。

 おっ、バスが15分後だ。急がなければ。


*メモ、つづき(ほぼ暗号)

白い綿の中にうにょうにょ→○○コマユバチ
庭に白い蛾→キハラゴマダラヒトリ
蚕が明日あたり三眠。体長は25mm位。


オオミスジコウガイビル
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000283.htm

クロベンケイガニ
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/musi/zz000266.htm

戸ヶ崎(?)の中華料理・一碗水

住所 埼玉県三郷市……のこのへん(google map)
駐車場 あり
営業時間 ?(昼からやっている)
定休日 ?(少なくとも土曜日はあいてる)

 中華料理店です。たしか、店名は一碗水(いーわんすい?)なのですが、「千里香」「おいしさ千里をかける」というようなキャッチフレーズの看板のほうが目につきます。

 水元方面から県道67号線を北上、戸ヶ崎のいなげや、セブンイレブンなどを通り越し、左手に中川が見えてくるあたりの、右側。バスで行くなら亀有駅北口より三郷中央駅行きに乗って前川というバス停のすぐ近く。

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▲A定食(冷やし担々麺・ライス・お新香・箸休めのひじき、スープ) 750円くらいだったかな? 

 前から気になっていたのですが、なかなか寄ってみるチャンスがありませんでした。ごく普通の町の中華料理店のようにも見えますが、そのわりに店が大きくて目立ちます。

 近くにある香取神社でお祭りがあった日に、急にごまだれの冷やし中華が食べたくなり、この店のことを思い出しました。残念ながらごまだれの冷やし中華にはありつけなかったけれど、ランチメニューの冷やし担々麺はとても美味しく、大満足です。

 写真を見ればわかるように、担々麺と言っても汁が赤いわけではないし、特別に辛くもありませんが、かといって味が寝ぼけているわけでもなく、無理に辛さを演出していないところがいい感じです。

 店内に、どこかの町のお祭りの写真が飾られていました。祇園祭の山鉾のような、大きな山車の写真です。関東のお祭りではないような気がします。一碗水という名前の中華料理店が関西方面にあるようですが、もしかしたら系列店なのでしょうか?

 店名や住所を確認しようとして、iタウンページなどで検索しましたが、それらしいお店の登録はありませんでした。かといって、つい最近できた店というわけでもありません。何年か前からある店です。

そして今日も蚕たちは元気に食べている

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▲眠(みん)
 脱皮の準備をしているところ。腹脚でしっかりつかまり、体をちぢめて前半身をもたげた状態で死んだように動かなくなる。この状態が一日くらい続き、その間は餌も食べない。脱皮が済むと生き返ったように元気になり、餌を食べ始める。写真は二度目の眠。蚕は一生のうちに四回の眠を経験する。

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▲脱皮殻
 この黒っぽい皮が蚕の脱皮殻。こうやって皮を脱いで大きくなる。脱いでいる瞬間を見たいと思うんだけれど、まだ小さいのでわかりにくく、いつの間にか脱皮が終わっている。これからもっと大きくなれば見やすくなるかもしれない。


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▲糞
 蚕の糞は砂状でさらさらしている。漢方ではこれを蚕沙(サンシャ)と言って他の生薬と組み合わせて関節の痛みや麻痺、下痢や腹痛の薬にする。桑の葉は健康茶として知られているし、蚕は桑しか食べないから、なんらかの効果は確実にあると思う。蚕が飲み下したものをあえて使う意味があるかどうかはよくわからないけど。


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▲蚕は逃げない
 これは今朝の写真。桑の葉は穴だらけだしひからびている。こうなると、普通の虫ならば新しい餌を求めて這い出してしまうものだけど、なぜか蚕は逃げない。まるで人に飼われるために生まれてきたかのようだ。

 何千年も人に飼われているうちに、逃げずに餌を待つものが選ばれて生き残った。こういう性質の虫は野生では生きていけない。人は蚕の吐く糸を利用し、その代償として蚕に餌をやる。天からさずかった虫だと言って大事にし、四六時中めんどうを見てやる。これは、人が絹製品を必要とするかぎりつづく共生関係なのだ。

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▲新しい桑の葉をのせてやる
 こうやって、新しい葉を並べておいてやると這い上がってきて食べ始める。何千匹、何万匹も飼っていると、蚕が桑をはむ音が騒がしいくらいになる。


 祖母の家では、母屋とは別棟の広いバラックで蚕を飼っていました。他の農家でどうしていたかはちょっとわからないけれど、昭和四十年代くらいの養蚕農家はみなそんな感じじゃないかと思います。

 もっと古い時代、萱葺きの旧家では、人が一階に住み、二階というか屋根裏のような場所を養蚕に使っていたようです。群馬も広いので養蚕に特化した家の造りもさまざまあるのでしょうが、南面中央の屋根の張り出しをコの字に切り取った赤城型と言われる形式が有名です。屋根裏に光がさすように工夫してあるのです。

 赤城型の旧家は、ぐんま昆虫の森の園内に移築保存されています。昔ながらの道具で養蚕をしているところも見学できます。公式サイトの解説によると、二階の屋根を切り取った家のことを「キリアゲニケエ」と呼んだそうです。切り上げ二階と表記します。わたしが住んでいたところにはこの形式の家がなかったので耳にしない単語ですが、いかにも上州弁らしい響きで懐かしいです。

 養蚕農家では、とにもかくにも蚕ありきの生活なので、蚕のことを「かいこ」なんて呼び捨てにはしません。おかいこさん、おかいこさま、と敬称つきで呼ぶのが普通です。

タグ: カイコ

早くも二度目の眠に入ったようです

 土・日と、死にそうなくらい暑い日が続きました。もう、ほんとに汗ダラダラ。今日は新暦七夕なのに朝から大雨。気温は下がったけれど湿度が高くて息苦しいくらいです。

 ところで、蚕が二回目の眠に入りました。一回目の眠から二日くらいしかたってませんが、どうやらこれで標準のようです。

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▲これは昨日の様子。体長は約15mm程度。頭を伸ばすともうちょっと大きいかもしれません。

 昨夜までこの調子でもりもり食べていました。なるべく柔らかい葉は選んでいますが、切り刻まずに与えています。今朝になって新しい葉を入れてやったらもう食べない。頭をちぢめてじーっと動きません。

 そろそろ箱が手狭になってきたので、眠から覚めたら笊に変えようかと思っています。

*桑こき用の爪

 祖母の家では、蚕が大きくなると、桑を枝ごと与えてました。でも、蚕が若いうちは葉を枝からもいで与えます。大きな籠を背負って畑へ行き、葉っぱだけ摘んで帰る場合と、枝ごと切ってトラックで持ち帰る場合があったような気がします。

 どちらにせよ、大量に摘むので素手では大変です。専用の機械もあるらしいんですが、祖母の家では桑こき用の爪をはめて手でやってました。

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▲例によって厚紙で作ってみましたが、実物は黒光りした鉄製でした。

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▲これは裏側。キンカンの箱で作ったのがばれますね。これはあくまで模型です。実物は鉄製。忍者が使う角手(かくて)という道具に似ているのでなんとなく好きでした。角手とは爪の向きが違いますけど。

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▲こんな風に人差し指にはめて、爪は掌側に出します。これはちょっと大きすぎますね。実物はもうちょっと小さかったと思います。これで、枝を上から下に向かって"こく"のです。

*ところで、座繰り器をどうしよう?

 蚕が孵化から繭になるには、月が一巡するのと同じくらいの日数がかかります。うちの蚕は七月一日生まれなので、このまま順調に育てば七月末には繭になっているはずです。最初はお蚕さんを返ればそれで満足だったのですが、どうせやるなら糸繰りもしてみたいじゃないですか。

 群馬の養蚕は、昔から分業が進んでいて、飼う人は繭にするところまででおしまい。そこから先は製糸工場へ行ってしまうので、わたしは実際には見たことがありません。手作業で糸を紡いでいるのも見たことがないのです(もちろんテレビでなら見たことがありますよ)。

 繭を茹でてほぐしやすくしたものを、数本まとめて巻き取ればいいのは知識としては知ってます。蚕の糸はセリシンという物質に包まれていて、うまく引くと撚りをかけなくてもくっついて糸になるらしい、なんてことも知ってます。

 が、ここで問題です。座繰り器(ざぐりき)はどうすればいいのでしょう?? ハンドルがついてて、くるくる回しながら糸を巻き取る機械です。床に座って使うので座繰りです。

 今でも手作業で糸を繰る人がいるので、お金さえあれば新品が買えるのですが、ちょっと調べたら八万円くらいするのです。無理。さすがに無理!!

 ヤフオクには数千円から出てます。でも本当に使えるものなのかあやしいんですよねー。さて、どうしたもんでしょう。

タグ: カイコ