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年末の日記>貧乏神神社 in サンストリート亀戸

 年末日記の続き。クリスマスイブにサンストリート亀戸にラスポテトを食べに行ったわけですが、実は目的がもうひとつあったりする。何年か前に信州から貧乏神様をお招きして神社をつくったというのが話題になったことがあって、ずっと見に来ようと思っていたというわけ。

◎貧乏神神社
http://www.sunstreet.co.jp/shop_guide/otanoshimi/
 サンストリート亀戸の二階、ちょっと奥まったさびしいところにある。神社というよりは小さな祠。

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 入り口でおみくじかなにかを売ってる。正面に書いてあるのは参拝のしかた。通常の神社では、二礼二拍手一礼でお参りするけれど、ここでは三打三蹴一放でお参りする。といっても祠に蹴りを入れるんじゃなく、殴ったり蹴ったりするために切り株が置いてあり、放り出すための小袋が置いてある。

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 これが貧乏神様の祠。かなり小さいけど霊験あらたかですぞ。わかりにくいけど祠の左側に三打三蹴一放に使うアイテムが用意されている。

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 かたわらに銭神様も祀られている。

年末の日記>ラスポテト in サンストリート亀戸

 去年末はゲームを作っていたり(今も作っているんだけれど)、midomiにはまったりして日記をほとんど書いていないけれど、それなりにやることはやっていた。

 クリスマス。買い物がてら亀戸へ出かけた。しばらく前にTBSラジオの「日曜日の秘密基地」という番組で紹介されたラスポテトというものを食べてみたかったのである。

◎日曜日の秘密基地、秘密キッチの穴
http://www.tbs.co.jp/radio/1101/ana/mainframe.htm
↑ここを「立ち飲み喫茶のポテト」で探すとまだみつかる。番組では解決してたけど、解決済みコーナーに移動されてない。

 なんでも、そのポテトフライというのは、マッシュポテトのようなものを機械でひねり出したのを油で揚げるらしい。穴の開いた容器にマッシュポテトを入れて、上から圧を加えると穴からにょろーっと出てくるという仕組み。切ったジャガイモで作るフライドポテトと違って太さが均等で同じような長さのものができるらしい。

 そういうものなら、大昔にどっかの遊園地で食べたような気がするなぁと思っていたら、後楽園のプールで販売されて話題になったことがあるという話だった。あー、それなら多分、食べたことがあると思う。昔のことなのでよく覚えてないけど。

 その、マッシュポテトを成形して揚げたフライドポテトは、ラスポテトと言って今でも販売してる会社があるってことだった。しかも亀戸のサンストリートに店があるっていうのでで、いつか食べに行こうと思っていたわけ。近くもないけど、そんなに遠くもないし。

◎サンストリート亀戸
http://www.sunstreet.co.jp/

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 サンストリート亀戸は、最近アリガチなショッピングモールなんだけど、規模はそんなに大きくなくて、中心に屋根のない広場があり、小さい店が広場に向かって出入り口を開いているから開放感がある。雨がふったらアウトだけれど、晴れた日は青空を見上げながら買い物するのは気分が良い。

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 これがラスポテトを売ってる売店。ぽてぽっぷー という名前でラスポテトと飲み物を売ってる。日曜日の秘密基地で紹介されたってはり紙してあった。

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 これがラスポテト。パッと見ただのフライドポテト。太さが均一な点に注目。食べてみると食感がだいぶ違う。ジャガイモを切って揚げたのにくらべるとサクッと軽くて、これはたしかに美味しい。

 ただし、サクサク感は長続きせず、あっという間にしっとりしてしまう。その状態でも不味くはないけれど、もし友だちと一緒に買うなら、一個だけ注文して、ふたりでつついて、気に入ったらもう一個買いに行ったほうがいいと思う。店のまわりにはオープンカフェ風に椅子やテーブルが沢山あるしね。

◎ラスポテトの公式サイト(音が出るので注意)
http://homepage.mac.com/rasfrites1972/
↑ここの「できたてのラスポテト」ってところで作ってる様子も見られる。普通は円錐型の紙袋に入れて売ってるらしいんだけど、サンストリート亀戸では子供でもこぼさずに食べられるように四角い袋に入れて売ってた。

検索用:フレンチフライ、オランダのフライドポテト、伊集院光、春日部駅前の立ち飲み喫茶


*おまけ タリーズの珈琲

 最近、個人のブログのありかたを考えているんだけれど、情報が整理されていないというわずらわしさはあるものの、誰も狙って撮影したりしないような、ささいな写真の宝庫だったりするところは捨てがたい魅力だと思う。

 たとえば、単なるファーストフードの包み紙だったとしても、時期によってデザインが違ったりするわけで、あの頃のあの包み紙を見たいって思った時に個人が写したスナップ写真は貴重なんだろうなと思う。単に写真載せても必要な時に検索にひっかからないから、関連するようなキーワードを列挙しておくといいのかな。

 そんなこんなを考えつつ、どうでもいい写真を惜しみなくはりつけてみたりする。

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テイクアウト用カップ、お持ち帰り、シアトル系カフェ

◎タリーズ Tullys
http://www.tullys.co.jp/

 クリスマスイブだからなのか、サンストリート亀戸のタリーズでは、ナントカとナントカを注文した人にアイスクリーム無料サービスしてた。「ナントカ」がなんだったかは、さっぱり思い出せない。公式サイトで商品情報を見たけど、こんなんでわかるかー(ぶちっ}て感じ(笑)

タグ:ファーストフード

脱出ゲーム作成入門(?)

 どのゲームをいつ頃作ったのか一覧にしてみようと思い、ついでにそのゲームをどの程度の知識で作っているかの説明を書いてみました。苦労してるわりに意外とつまんない知識の寄せ集めだということがわかりました。

◎脱出ゲームリリース履歴~文章で説明する ActionScript入門~
http://www.chinjuh.mydns.jp/flash/history.htm

【新作】あけおめ A-KE-O-ME 2008

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◎脱出ゲーム:あけおめ A-KE-O-ME 2008
http://www.chinjuh.mydns.jp/flash/shougat2.htm

 先日から作っているのとは別に、簡単なのを年賀状代わりに作りました。音が出ると困る人は画面下のほうにある音符のアイコンをクリックして、赤い斜線の出ている状態にしてください。それで音が消えると思います。

 もうひとつ別のゲームを制作中です。乞うご期待。
 

飛行機雲

*飛行機雲が消えない日の翌日は雨か曇り
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 昨日(21日)は良く晴れて暖かい一日だったけれど、飛行機雲がいつまでも消えないみたいだった。明日は雨かな、と思ったら見事にあたり。みなさん飛行機雲が10分たっても消えない日の翌日は雨か曇りですぞ。


*ゲームはまだできてません
 もう22日ですが、新作の脱出ゲームはやはりクリスマスに間に合いませんでした。クリスマス限定ネタではないので(そういう日にやると良さそうな感じには作るつもりでしたが)気長に作ろうと思います。


*midomi 555曲をこえました

midomi の珍獣様ページはここ
 歌った曲の一覧は、レコーディングというタブをクリックして、全て表示。ダブってる曲やらCMソングみたいな短いのも入っているので、おおむね 500曲 は歌ったってことになると思われます。

 1000曲こえたら自分がどういう歌を歌っているか軽く分類して探しやすくしてみようと思っています。もともと midomi はうろおぼえの歌を鼻歌で探せる場所なんです。

◎midomi トップ
http://www.midomi.co.jp/

 パソコンにマイクがつながってる人(音声入力用で可)、内蔵マイクがついてる人は、とりあえず画面一番上の、音楽検索:クリックして歌って検索、というところから、鼻歌なりラララなりで適当な歌を歌ってみてください(ここでは録音されません)。最初はテストなので「春の小川」とか「ふるさと」とか、確実にありそうな曲がいいです。歌の途中からでもかまいません。鼻歌でメロディーを検索できるのがわかると思います。文字検索だとタイトルや歌詞の一部がわからないとみつかりませんが、鼻歌だったら歌詞もタイトルも覚えていなくても検索できるんです。ちょっとすごいですよ。

 もし、検索にひっかからなくても自分が音痴だなんて思わないこと。登録されてるデータにノイズが多いとヒットしないことがあるし、声質が似てる人ほどヒットしやすいみたいなので、たまたま自分の声と合うデータがないだけってこともあります。

 気に入ったらアカウントをとって録音もしてみてください。声の質が似ている人ほどひっかかりやすいような気がするので、同じ歌をいろんな人が吹き込んだほうがいいです。


*いろいろネタがたまってるのに
 虫の写真とか、珍食ネタの変わった食べ物とか、食べ歩きの写真とか、おりがみとか、いろいろたまっているけど整理がつきません。とりあえず、まずはゲームの制作からやっちゃわないとねえ。

タグ:midomi

すごい・すごく

 最近わたしは自分が「すごい」と「すごく」の使い分けができなくなっていることに愕然としてます。すごいスピード、すごい雨、すごい音、あなたはすごい……など、名詞にかかる時は「い」です。でも、すごく速い、すごくきれい、すごく疲れる、すごくややこしい、のように、形容詞や動詞にかかる時は「く」です。

 わたしは小さい頃には誰に習うわけでもなく「すごい数の星だね」「すごくきれいな星だね」と自然に言い分けていました。たぶん15、6年前から、若者言葉として「すごいきれい!」「すごいすてきー」のように、形容詞にかかる時にも「い」を使うようになって、それが面白いので、あえて「何それ、すごい小さーい!」なんて言い方を選んでしていたはず。この時点では、わたしはこの使い方が間違っていることを知っているし、たぶんまわりの人も不自然なのを知ってたと思うんです。

 ところがですね、はっと気づいたら、今は全員が、大人子どももおじさんやおばさんたちまでもが「すごいイイ服ですね」「すごいカワイイ」なんて言い方を平気でしてるんです。テレビでアナウンスの勉強をしたと思われるアナウンサーの人たちまで、素でしゃべっている時には言ってる。

 こうなると寒気がして、他人の言葉遣いをあえて直そうとは思わないけれど、少なくとも自分は昔のようにしゃべってみようと思い始めました。ところが、言葉というのは理屈ではなくリズムでしゃべるものだから、「うわー、今日はすっごい寒いー」なんて言い方がつい口から出てしまう。気温と無関係に背筋が寒いです。

 気づいてない人からすると、なんでそんなどうでもいいことにこだわっているのかと思うでしょうが、わたしは昔、このあたりの使い分けを、かなり精密にしていて(意識していたわけではなく、自然にそうしゃべっていた)、すごく健康、すごく自由みたいなものにも、ちゃんと「すごく」と言ってた。「健康」「自由」という単語自体は名詞なんでしょうが、自分は健康、自分は自由と言った時、自分という名詞を「健康」や「自由」が形容詞的にあらわしているので、すごい、ではなくて、すごく、だったんです(この説明が文法的に正しいかどうかは知らん)。「すごい健康」「すごい自由」という用法はあり得るのですが、「すごく健康」「すごく自由」とはニュアンスが違うので、使い分けてました。ところが今は全部「わたし? 元気元気、すっごい健康!」なんて平気で言ってる。これは痛い。昔は息をするのと同じようにできてた使い分けが今はできなくなってる。日本語の微妙なニュアンスの違いが自分の中で消えつつあるんですよ。恐いですねえ。

 人生を何十年もやってる自分ですらこんなんなのに、若い人の国語能力の低下なんて嘆けません。てめーのケツをふくのに精一杯です。はい。


# わたしはかつて、ちゃんと使い分けていたのに、今できなくなった、というのが恐いのであって、昔からずっと「すごい」オンリーで通してる人に、それは間違いですと言うつもりはないです。まあそういう人にはこの話題は通じないと思いますし、この程度のことを無理に通じさせる必要もないでしょう。

近況

*ゲーム作ってます
 クリスマスに向けて新作ゲームを……と思うんだけれど、もしかするとクリスマスには間に合わないかもしれないです。クリスマス限定でなく、クリスマスやバレンタインデーのような行事にふさわしい内容を予定してますが、予定は未定なのでどうなっちゃうかわかりません。


*人間は死ぬまでに何曲くらい歌を覚えるのか

 小学生の頃、隣のクラスにいる友だちが言いました。
「うちの先生は宿題を忘れた子に罰ゲームとして歌を歌わせる。前に歌った曲はダメなので、毎日忘れてくる子は歌える曲がなくなって困っている」

 こういったネタふりをされたら、普通の人だと「だったら宿題をしてくればいいじゃん」とか言うのかもしれないんだけれど、わたしは真顔でこう答えたのでした。
「毎日歌ってもたったの365曲なのに、なんで困るの?」

 友だちは、そんなに知ってるはずがないと言い張るんだけれど、わたしは絶対にそのくらいは歌えると言って引かない。そう簡単に確かめられることでもないので、この話はこれで終わり。たぶん友だちはこんな話をしたことすら覚えていないと思う。

 ところが、わたしときたら、大人になっても忘れられず、気になってしょうがない。一体自分は何曲くらい歌えるのか?

 実は当時、アニメソングばかり500曲くらい集めた歌集を持っていて、カバー見返しに平尾昌晃のコメントがついていた。「100曲知ってたらアニメ通、200曲知ってたらマニア、300曲知ってたら博士、500曲歌えたら宇宙人」的な内容だったんだけれど、どこかにしまい込んじゃって詳細は確認できない。

 このコメントにそそのかされて、知ってる曲に○をつけていったらその時点で300曲を軽く超えてた。なーんだ、簡単に一年分確保。宿題忘れなんか恐くない、恐くないったら恐くない。

 これに童謡(腐るほど知ってる)と歌謡曲(それほど知らないと思っていたけど、今になって思い返すと意外と知っているかも)と、国内外の民謡などをプラスすると、おそらく1000曲は超えるんじゃないかと想像してる。想像してるだけで数えたことはないんだけれど。

 最近、midomi という新しい遊び場にはまって、この疑問を解消すべく、日々データ入力にはげんでいる。現在 400 曲を超えたところ(ダブってる曲が少しだけある)。まだ余裕だね。何曲くらい歌うと「もうレパートリーがありませーん」って言えるか挑戦中です。

 そんなことする暇あったらゲームを作れよって話もちょっとあるんだけれど、言い訳すると、歌は肺機能のアップにつながるのでリハビリ目的もちょっとだけね。

http://www.midomi.co.jp/index.php?action=main.profile&username=chinjuh
↑ここから、レコーディングっていうタブをクリックして、「すべて表示」をクリックすると、すでに歌った曲の一覧が出てきます。「登録日」を二度クリックで最新順になります。新しいものほど歌唱力が上がってます(たぶんね)。あ、そうそう、こないだまでダメだった Opera にも対応したらしいです。

 なるべく人が歌ってないところを狙っているのでかなーり選曲がマニアックになっているかも。ここ数日、童謡・唱歌を攻めてます。自分の限界に挑戦中なのでリクエスト歓迎。童謡とアニメソング(古いのね。新しいのは知らない)にわりと強いです。


*勘違いと思いこみの伝説

 これまでにも、さまざまな勘違いと思いこみ伝説を生み出したわたくしですが、先日またひとつ、新たなる伝説の発掘に成功いたしたのでございます。

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ともとす(動詞)
 けむり、灰、ほこり、塵などをはらい清めること。また、それらで汚れたものをきれいにして輝かせること。例:煙と灰をともとして(チムチムチェリー)
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注:「煙と灰を友として(供として)」です。中学に入るくらいまで本当にそういう言葉があると思っていたような気がする。日常用語と日常では使わない文語の使い分けをするくらいのセンスはあったので実際に使って笑われるような経験をしなかった。そこらへんが思いこみを深める要因になっている。

<これまでの思いこみ伝説>
-唱歌「線路は続くよどこまでも」で「遙かな町まで」の歌詞を「春、金町まで」と脳内変換して15年くらい育つ。
-唱歌「トロイカ」の「響けわこうどの歌、高鳴れバイヤン」という歌詞を見て、アコーディオンの親戚のワコーディオンという楽器の短縮形がワコウドで、バイヤンとともにロシアでは一般的な民俗楽器と思いこんだまま18年くらい育つ。途中で設定が追加され、ギターにアコースティックとそうでないのがあるように、アコーディオンのワコースティックタイプがワコーディオンなのだとも……(この設定誕生時にはアコースティックの意味も何らかの勘違いをしていた)  なお、最近は心配なので書き添えることにしているけれど、「わこうど=若人」ですので。
-唱歌「思い出(垣に赤い花咲く……)」の「そよ風に花ゆらぐ」の歌詞を「そよ風には、なゆらぐ」と読んで、垣根に咲いている赤い花が、そよ風に「なゆらいでいる」様子を想像したまま13年くらい育つ。揺らめくと同義語で、今でもそういう言葉がありそうな気がしてならない(ないよ)。
-アニメ「海底少年マリン」の主人公は父親に改造され海の中でも自由に呼吸できるようになったが、代わりに長時間陸にいることができなくなった。常にウェットスーツを身につけているのは皮膚と同化して脱げないから、と思いこんだまま12年くらい育つ。
-ハリモグラやカモノハシには腹に袋がないことを知っているのに、カンガルーと同じページに載っているからという理由で有袋類だと思いこんだまま20年育つ(ハリモグラは単孔類だけど育児嚢=袋があるって話は前に聞いた)


*ポエムですか、間違いですか
 20年くらい前の、灰谷健次郎のエッセイだったと思うんだけれど、寿司屋へ行った時の話として、こんなエピソードを紹介していた。

 当時のことなので、寿司屋といったら回らない。カウンターには寿司ネタの並んだショーケースがあって、目の前で板前さんが寿司を握ってくれる。少し離れたところに子連れの夫婦がいて、子どもは目を輝かせて板前さんの手つきを見てる。

 すると、ショーケースの中で、海老がピシャンと跳ねた。それを見た子どもは大喜びで「海老が生きた!」と叫んだ。生きてる、でもなければ、生き返った、でもなくて「生きた」と言う。それを聞いた母親は「そうね、"生きてる"わね」とさりげなく言い直した。

 その光景を近くで見ていた灰谷健次郎は「あれは言葉遣いの間違いではなく、詩の誕生する瞬間なのだから、言い直す必要なんかないのだ。詩の芽をつみ取ってはならない」というような意味のことを書いていたと思う。はげしくうろおぼえなので文章は違っているはずだけれど。

 たしかにその通りで、今まで動かなかった海老が、急に跳ねたのを見て「生きた!」と表現するのはポエムだ。「生きている」や「生き返った」なんかじゃ表現できない、瞬間の驚きと喜びが凝縮されたすばらしい表現だと思う。

 でも、「お母さん、海老が生きたよ!」をポエムとしてとらえられるのは、「生きている」や「生き返った」という、一般的な言葉遣いを知っているからで、「海老が生きた」が日常的に使われるようになったら面白くもなんともない。

 わたしはかねがね、2ちゃんねるなどで使われているネット言葉にも近いものがあると思う。たとえば既に出ている話という意味でガイシュツと言うけれど、これはもちろん既出(きしゅつ)の読み間違い。最初はどこかの若いのが読み間違えたのをおちょくって言われたものだろうけれど、既出ではなくガイシュツと書くことで単に「既に出てる」以上のさまざまな感情が含まれる。だから面白い。面白いから新語として使われる。でも、これを面白いと感じられるのは、正しくは「既出(きしゅつ)」であると知っているからで、最初からガイシュツだったら面白くもなんともない。

 「おい、オマエら、○○について語ってくださいお願いします」なんかもそう。「おい、オマエら」などと乱暴な言葉で始めたら「語りやがれ」くらいの乱暴な結びがなければいけないのに「してください、おねがいします」と丁寧に結ぶ。その意外性が面白い。ポエムというよりお笑いの基本かもしれない。詩を書くことも笑いを取ることも、感動を生み出す作業としては同じことだ。

 萩本欽一が「なんだばかっ、このやろう……なのよ?」のようなギャグを言うことがあるけれど、坂上二郎とコントをしていたとき、言葉遣いが乱暴だと視聴者からクレームが来たので、「ばかやろうっ!」と語気を荒げたあとに頼りなさげに「……なのよ?」と付け加えたら笑いが生まれたのがきっかけらしい。こういう笑いも常識のないところには決して生まれない。正しくは(あるいは一般的には)こうである、という下地があるからこそ生まれる感動なのだ。

 子どもたちの日本語能力が極端に下がっているとニュースでも言われている。まあ、そんな話は明治の頃から言われていると思うんだけれど、昨今の低下っぷりは並大抵のことじゃないらしい。正しい言葉、一般的な言葉遣いを知らないで育つのは、会話がないせいだ。言葉は辞書を引いて覚えるものではない。会話のなかで覚えていくものだ。意味を知らずに発音だけが記憶され、家族や友人との会話の中で発音と意味が自然に結びつく。それが言葉の学習の正しい方法であって、辞書をひかなければ誰も意味を答えられないような単語は、遠からず古語や死語などと呼ばれるようになるだろう。正しい言葉をなくしたくないと思うのならば、嘆く前に語れ。会話しろ。たわいもないことを始終話しあえ。それはオマイら大人たちの役目なんですよ?

 灰谷健次郎が詩の生まれる瞬間と感じた時に、母親が言い直したのは、正しい言葉遣いを教えようとしたのではなく、ごく自然に口から出たものだろう。そんな些細な会話すら減りつつある今、詩は(お笑いは)どこから生まれ、どこへ消えていくのだろう。天国の灰谷先生、そこんとこどう思われますかー。

 ちなみに、灰谷健次郎の命日は11月23日です。思い切り旬を逃しました。

タグ:midomi

説明がつかない不思議なものの話

 マツドドンの記事(注:マスクラットの死体写真があるので勇気のある人だけクリックして)で、あきちゃんさんと話していて思い出したんですが、わたしはどう疑っても合理的な説明をできない変なものを一度だけ見たことがあります。

 それは今から17、8年前のことで、当時わたしは金町の駅前公団に住んでいて、最上階の焼却炉にゴミをつっこみに行きました。ついでに外の空気を吸おうと、洗濯干し場になっている屋上に出ました。

 昼間でした。屋上には人はいませんでした。うっすら曇った日で、風があったと思います。その建物は東と西の二棟がエレベーターホールでつながっているような構造になっていて、わたしがいたのは西棟の屋上です。

 ふと東の空を見ると、三角形で茶色くて平たい何かが東棟の向こうに飛んでるのが見えました。わたしは「あんなところにゲイラカイト(洋凧)? 広場で凧揚げなんかできるのかな」とのんきに考えました。東棟のむこうに広場があるので、そこで揚げているのかと思ったんです。

 でも、冷静に考えると、その建物は12階くらいありますし、あんな広場でそんなに高くまて凧を揚げられるものなのかな、といぶかしく思いました。

 しばらく見ていると、その物体が南の方へ(つまり右側へ)ゆっくり移動しているのに気づきました。残念ながら風がどっち方向に吹いていたかは思い出せませんが、風にとばされるような動きではなく、すーっと飛行船のように動いているんです。

 あら、凧じゃなくてトンビだったのねと、これまたのんきに見ていたのですが、その物体はわたしの見ている前でゆっくりと旋回しました。トンビだとすれば回ってもおかしくはないんですが、どうも何か違うんです。正直わたしは目がかなり悪いんですが、群馬に住んでいたときにトンビはよく見て知っているので、トンビの動きとは何か違うような気がする。

 これは後で知ったことですが、そもそも東京にはトビ(トンビの正式名称)はいないらしいんです。オオタカはたまに飛んでくるそうですが、とにかくそういう鳥の動きとは違って、もっと飛行船みたいなんです。まったく羽ばたかないし。いくら滑空のうまいトビやオオタカだって、たまには羽ばたくはずです。それにやけに動きが遅い。

 さすがに変だと思い、その物体が進む方向に歩いて行ったのですが、ゆっくり歩いてついて行けるような動きでした。途中にあるエレベーターホールに物体が隠れてしまったので、屋上の一番南のはしっこまで小走りで移動して出てくるのを待っていましたが、しばらく待ってやっと出てくるようなスピードでした。

 その物体は、三角形の頂点を前にして、すーっと南の方へ、滑るように飛んで行き、小さな点になって見えなくなりました。わたしが見ていた限りでは羽ばたいていなかったと思います。

 その物体までの距離がどのくらいあるのかはわからないんですが、そんなに遠くなく、しかも高くもなかったと思うんです。遠くて高かったら飛行機の可能性もありそうですが、それはちがいます(いや、いくら目が悪くても飛行機とゲイラカイトを見間違えるほど悪くないんですけど)。東の方角を見ていた時と、南へ飛び去るのを見送った時で、見る角度が変わってますから、下に見える町並みとの位置関係などで、大きさと距離をある程度立体的にとらえらえてると思うんです。だから、飛行機じゃない。鳥やゲイラカイトくらいか、それより少し大きいくらいかな、と思います。

 もし鳥だとしたら何かも疑ってみようと思うんですが、たとえばカラスは羽ばたくので違います。一番近いのはトビかオオタカあたりですが、わたしは違うと思うんです。先に書いたとおり、トビだったら群馬でよく見て知っていますし、それとは違うと思ったので変だと思ったのです。また、ずっと見てたのに一度も羽ばたいていませんでした。結局なんだかよくわからないまま今日に至っています。

 ところで、わたしは一度だけ、UFOコンタクティーの秋山眞人さんと会ったことがありまして、その時この話をしたら、秋山さんは集合無意識の話をしてました。生まれも育ちも年齢も違う見知らぬ人たちが、同時期に同じことを考えたり、同じようなありえないものを見てしまうことがあるっていうんです。ちょうどその頃、世の中では三角形のUFOが頻繁に目撃されているとか。そして、そういう目撃例が増えた頃に、ステルス戦闘機が華々しく現れたというのですよね。

 あ、そこ、居眠りしない。だんだん飽きてきたでしょう。しかも話がいかがわしい(笑) なんで金町の屋上で見たものがステルスに結びつくのか、アホかこいつは、なにトンデモなこと言ってるんだと。まあ、その通りなんですが、とりあえず先を読んでくださいな。

 ええと、ステルス戦闘機というのは、レーダーに映らない戦闘機として有名なんですが、黒くて三角で、平べったくて、航空力学の専門家でも「なんであれが飛んでるのか不思議だ」なんてことを言うそうです。まあ、それでも飛んでる理由はちゃんと説明できるんだと思います。UFOの原理で飛んでるなんてことは申しません。

 ただ、レーダーに映らないとか、飛行機らしからぬ平べったい三角形のフォルムなどが、ニュース映像で見てさえも「なんじゃありゃっ?!」と思うような衝撃的な印象を受けるものなんです。

 そのステルスが開発されたことと、世の中で三角形の平たい未確認飛行物体が目撃されたことは、決して無関係じゃないと、秋山さんは言うわけですよ。ステルスの飛行実験を目撃したんだとかいう落ちではなくて、人類の集合無意識の中に「三角形で平たい空を飛ぶ物体」が芽生えて、いろんな人が「見た見た」と言ってるうちにステルスが本当に発明されちゃった……いや、逆かも。地球のどこかでステルスみたいなセンセーショナルなものが開発されていたことが集合無意識を通じて人々に伝わって、三角形の空飛ぶ物体を人々に見せているのかもしれないと。

 何が言いたいかというとですね、30年前にだれかが見たマツドドンは、ひょっとしたらマスクラットだったかもしれないんだけれど、その騒ぎのおかげで大勢の人たちが謎の生物を期待して江戸川沿いに集まったわけです。この期待感は、マスクラットよりも大きい謎の生物を実体化させるに充分なエネルギーを持っているんじゃないか……あ、またそこ、寝てるでしょう。

 ちなみに、秋山さんに「集合無意識」と言われた時、「ひらたく言うと、あんたは幻を見たんだよ、って言われてるんだね」と心の中で軽くガッカリしましたよ。よりによってUFOコンタクティーなんかに幻扱いされてしまうとは……orz 宇宙人の偵察機とかだったらちょー嬉しいと思ったのになー(そっちのほうがよっぽどイっちゃってることは確かなんだが)。


 あきちゃんのマツドドンに関しては、集合無意識に見せられた幻なんかより、普通に何かがそこにいた可能性のほうが高いと思うんですけど、マスクラットより大きくて、自由に潜水したりする生き物……と考えて、ふと思いついたのはカワウソ。さすがに牛ほどは大きくないけれど、マスクラットよりはずっと大きいですからネズミには見えないです。もちろん当時だって江戸川にカワウソなんかいやしないと思うけれど、ひょっとして誰かが逃がしたのかなって。カワウソにかぎらず、何かの理由で誰かが逃がした生き物が、その時期にだけ江戸川にいた可能性はあると思うんです。


# わたしの三角形の目撃談は、かなり頑張って状況を説明してるつもりなんですが、それでも信じない人は「鳥なじゃん?」とか言うと思います。写りの良い写真もない状態で、見慣れないものの存在を人に信じさせるのは不可能なんです。
# それでもこういう話をしようとしたら、可能な限り状況を詳しく、しかも客観的な書き方をする必要があります。未確認生物・未確認物体の目撃情報は、思いこみの産物としか思えないようなものが多く、常識派から相手にされにくいのです。
# ま、どんな書き方をしても、バカにする人はしますけどね。実際わたしも自分で見てないものは信じないですから。

太陽の子と氷の魔女

 小学三年のとき、学級文庫にこの本があった。『太陽の子と氷の魔女』ジャンナ・A・ウィテンゾンというソ連の作家の本だ。

 当時の担任の先生は、自分がインテリであることを軽く鼻にかけた女先生で、実際のところ日本画を習ったりして田舎の人としてはインテリジェンスの高い方だったとは思うけれど、あまり感じのいい人ではなかった。わたしは学校の先生とそれなりに仲良くやってた方で、担任の先生と馬が合わなかったというのは後にも先にもこのときだけ。そのヤな感じの先生がこの本をいたく気に入っているようで、何かにつけて良い本だから読むようにと言ってたのを思い出す。

 わたしは必要があれば小難しい本でも読むのに、なければがんばって読もうとまでは思わない半端な読書家なので、学級文庫もそれほど必死で読みあさったりはしていなかった。あえてこの本を読もうと思ったのは、やっぱり先生にすすめられたからだと思うのだが、感動を求めて手にしたんだったか、点数稼ぎに良い子ぶろうとしたのかは、ちょっと思い出せない。

 記憶の中のこの本は、カバーがなくなっており、背表紙が赤く、表紙はくすんだ藍色で、白か金色の文字で「太陽の子と氷の魔女」とタイトルと作者名だけが書かれていた。絵本ではなく、挿絵はあったと思うけれど、色はついていなかった。普通の本のように長方形ではなく、真四角に近い形をしていた。

 ちょうど夏休み前で、読書感想文の宿題の話をしていた頃だったと思う。わたしが読み終えた本を学級文庫に返そうとしたら、先生が「その本で読書感想文を書きなさい」と言うので素直に書いた。

 ここで感想文がコンクールに入選して先生と感動の和解と話が続けば面白いのかもしれないけれど、世の中そんなに甘くない。わたしは感想文の書き方をよく知らない上に、大した感動を覚えなかったので原稿用紙三枚をあらすじで埋めて提出した。

 いや、感動しなかったというのは正しくない。たぶん感動したんだと思う。ただ、しかたが普通じゃなかったかもしれない。ロシアのツンドラ地帯に住む少数民族の兄と妹が、氷の魔女にさらわれた母親をさがしてつらい旅に出る物語なんだけれど、ストーリーそのものよりも、アザラシの毛皮で作ったヤランガというテントや、毛皮に美しい刺繍をして作った着物や長靴の話に魅了され、そのことを記憶にとどめておきたかったような気がする。そんなだから、正直なところストーリーはまるで覚えていない。

 先日急にこの本のことを思い出して探してみたら、ちゃんとあるのですね。手にとってみると、背表紙が赤いのは記憶の通り。表紙が真四角に近い形をしているのも覚えていた通りだったけれど、挿絵がカラーなのに驚いた。こんなきれいな色の絵がついていたかな。表紙カバーにも絵が描いてある。カバーの下は……おや、表紙はカバーと同じ絵だ。記憶がいい加減なのか、それとも装丁が変わったのか。

 こうなってくると、昔読んだのが本当にこの本だったかわからなくなってきた。なんせストーリーをまるで覚えていないから、何か別の本とごっちゃになっているのかもしれないし。そう思ってページをめくっていると、頭のとがった宇宙服のようなものを着た戦士たちが、手に手に剣を持って闇の精霊のようなものを追い払っている挿絵が目に飛び込んできた。ああっ、これは覚えてる。この絵だけははっきり覚えてる。あいかわらず色がついていたかどうかは思い出せないけれど、山よりもはるかに高く、空いっぱいに広がる戦士たちはオーロラの精霊なのだ。その胸に不思議な文様が刻まれているのまで記憶の通りだ。

 お話は今読んでみるととても面白く、当時なぜこれがつまらなかったのかよくわからない。いや、たぶんつまらなくはなかったんだろうな。他のことに気をとられていたんだと思う。毛皮の長靴おとか、アザラシのテントとか。思えばわたしの部族好きはこのへんから始まっていそうな気がする。

 当時は解説まで読まなかったので知らなかったけれど、作者はソユーズアニメーション・フィルム製作所という、ソ連のアニメ会社……いや、ソ連のことだから国の施設かもしれないんだけれど、そういうところに所属する女流作家で、この本をアニメの原作として書いて、実際にアニメ化されているらしい。翻訳者によると、そのアニメのタイトルは「ヤランガに火はもえて」であるとのこと。1956年にはモスクワでなんらかの賞の金メダルをもらい、翌年の1957年にはヴェネツィア映画祭動画の部でグランプリを獲得したという。それが本という形で出版されたのはずいぶんあとで、ソユーズ・アニメ製作所所属のL.アリストフとE.ニコラエフの両画家共同制作したものが1963年に出版され、あっという間に売り切れる人気だったという。

『太陽の子と氷の魔女』
版元品切れらしく、boople も amazon も注文不可
作者 ジェンナ.A.ウィテンゾン
挿絵 E.ニコラエフ/L.アリストフ
翻訳 田中かな子
出版社 大日本図書
初版 1969年2月10日

*ウィテンゾンの他の作品(どれもたぶんアニメ)
1962年「勇ましい子ジカの物語」エジンブルグ映画祭で受賞
1965年「金の穂」アヌシ映画祭で第一位
1967年「二本指の手ぶくろ」アヌシ映画祭で第一位
          モスクワ第五回国際映画祭で銀メダル
1968年 同作品がレニングラードの優秀映画作第一位
1968年「水たまり」「ワシの子」などを発表

*気になる単語
勇敢なヤットとその妹テユーネの物語(原題)
Сказка о храбром Ятто и его сестре Тэюнэ

ジャンナ・アレクサンドロブナ・ウィテンゾン(作者)
Жанна Александробна Витензон
 前付けに作者名と原題、その他もろもろがキリール文字で書いてあるんだけれど、作者名にロシア語にない文字が含まれていて書けない。その文字を書くと同じ発音のロシア語の文字が表示されてしまう。たぶん文字コードがあたっててフォントを指定しないと表示できんらしい……ユニコードって意外とショボイよね。

ヤランガ:Яранга
 ヤクート族のテント。ここによると溝(穴?)を掘って柱をたてたところをセイウチとシカの毛皮で覆た円錐形のテントで、移動できる。

トルバサ:торбаса
 ヤクート族の毛皮の長靴。この単語でググると運がよければ写真も見られる。ここの一番下の写真とか。この写真のキャプションがそもそもコピペできない。コピペするとこうなるんだけど、
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Торбаса. Коряки 1980-е года. Камчатская область
Олений мех, вышивка, бисер
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実際にはこう見えてる
ファイル 199-1.gif
ロシア語にない文字というか、тにあたる文字がmに似た文字に置き換わっているなど、キリール文字を筆記体で書くと実際そのようになるからイタリックで書いてあるだけなのかも(本に書いてあった作者名も同じ部分が同じ書体に置き換わってる)。でも、普通に<i>タグで囲ってもダメっぽいのね。
область
↑ぜんぜん斜体にならんっ。たぶん日本語のフォントにキリール文字の斜体が含まれていないんだろうね。斜体どころか全角で表示されてしまうし(笑)

亀有のまづいやさんが所さんの目がテンに

 たまたま気づいたのでメモ。亀有のまづいやさん(おでんの店)が2007年12月2日(日)放送の「所さんの目がテン」に出てた。テーマは「ダイコンを科学する」で、ダイコンとカブを同じ時間煮込んだらどうなるか、という実験。ダイコンは味がしみて美味しくなったけど、カブは味もしみたけど箸でつまめないほど軟らかくなっちゃいましたーという結果だった。

◎まづいや
葛飾区亀有3-17-1
http://tokyo.gourmet.livedoor.com/restaurant/info/15761.html
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定休: 月曜
平日: 11:30 - 21:00
土曜: 11:30 - 21:00
日祝: 11:30 - 21:00
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 実はこの店にはまだ入ったことがないのよね。隣のびっくりや(寿司屋?)も含めて名前がものすごく気になっているんだけど。