その毒草を最初に食べたのは、一説によればロバート・ジョンソンというアメリカ人だったという。彼はトマトが無害であるばかりか、乾燥した土地でも栽培できることに気づいて、その利用価値を人々に知らせたかった。そこで1820年
9月26日、ニュージャージー州セーラムの裁判所前で群衆の見守る中トマトをパクリとやってみせた(参考>石川ファーム「トマトの歴史」リンク切れ)。この出来事がきっかけになったかどうかわからないが、アメリカでは
1830年頃からトマトの栽培が盛んになる。
欧米でトマトが食用にされるようになった頃、日本では明治維新をへて文明開化の真っ盛り。欧米風の食文化が次々と取り入れられて行く。明治5年(1872)、仮名垣魯文が『西洋料理通』という本の中で「蒸し赤なす製法」というトマトの食べ方を紹介している(参考>全国トマト工業会「ちょっといい話」)。しかし、一般にひろまったのはもっと後のことだろう。
明治 9年にアメリカから帰国した大森松五郎という人がトマトの缶詰を製造したが、当時の技術では長期保存のきくものができず、あまり広まらなかった(参考>全国トマト工業会「トマトの歴史」)。
明治32年、ケチャップで有名なカゴメの創始者・蟹江一太郎が西洋野菜の栽培に着手、36年にはトマトピューレの製造を開始、41年にはトマトケチャップの製造を開始する(参考>カゴメ株式会社・カゴメのあゆみ)。
トマトという名前はメキシコのインディオが現地の言葉でトマトルと読んでいたのが語源だと言われている。フランスではトマトに催淫作用があるという俗信から
pomme d'amour 愛のリンゴと呼ばれ、イギリスでも Love apple と呼ばれていた時代がある。
トマトを赤くしている色素はリコピンと言ってカロチノイドの一種である。リコピンには抗酸化作用といって、体の中の活性酸素を退治する働きがあり、老化予防によいとされている。リコピンを配合した錠剤なども売り出されている。